麻津乃さま快刀日記・外伝
とある街道の、とある宿場町である。
「ちょいと。旦那」
町の者らしい男が、旅の侍に声をかけた。
「わたしの事か?」
問い返した侍の声に驚いた男は、
「こりゃあ、失礼」
と、詫びつつ、編笠に隠れていた侍の美貌を覗く。
「お嬢さん……、とお呼びした方がよろしゅうござんすね」
「そうだな」
侍は、やはり女だ。
「そのお嬢さんが、わざわざ男装をして、刀を差していらっしゃる、って事は、剣術の方の腕前は相当なもの、とお見受けいたしやすが……」
「まあ。それなりに使う」
「そうですか。それは、良かった」
「?」
「町名主さまがね、腕の立つお侍を探しているんでさ」
「用心棒か?」
「ま。そんな所で」
男は答えた。
*
女侍が男に付いて旅籠の一つに入ると、貫禄のある男が現れ、
「町名主を務めさせて頂いております、当・信濃屋の主で、吉兵衛と申します。」
と、名乗ったので、女侍も、
「わたしは、松平麻津乃。江戸の貧乏旗本の娘だ」
名乗り返した。
そして、
「剣客を探している訳を、お訊きしたい」
と、問う。
すると、
「実は、この宿場は、鬼左衛門と名乗る無法者の脅威にさらされておりまして……。奴と手下どもを斬って頂ける、お強いお侍さまを探していたのでございます」
と、吉兵衛。
「もちろん、お礼の方は、はずませて頂きます」
報酬について語ろうとするのを、
「それは、嬉しいが……」
女侍の麻津乃は、さえぎり、
「目明し(岡っ引き)とかは、いないのか?」
「辰次という親分がいるにはいるのですが」
吉兵衛、答える。
「頼りにならぬのか?」
「腕の方は、そこそこで、鬼左衛門が来るまでは、宿場の揉め事なども、大抵は、辰次親分が片付けてくれていたんですが……」
「何か、訳がありそうだな」
麻津乃は、言った。
「吉兵衛さん。その辰次親分とやらに、会わせてくれぬか?」
*
吉兵衛は、麻津乃を伴い、岡っ引きの辰次の家に向かった。
「親分、いるかね?」
彼が戸を叩くと、
「信濃屋さん」
辰次と思しき若い男が顔を出し、
「何の様だね?」
と、訊き返す。
「こちらのお嬢さんが、親分に会いたい、とおっしゃるもんでね」
紹介され、前に出る、麻津乃。
「ほう」
辰次は、男装の美女を、物珍し気に眺めていたが、
「松平麻津乃と申す」
彼女の挨拶に、
「十手を預かってやす、辰次と申しやす」
名乗り返した。
麻津乃は、
「その十手、返上すべきだな」
いきなり、詰め寄る。
「何ッ」
怒った、辰次に、
「町名主どのの話では、おぬしは鬼左衛門とやらいう賊を捕らえようとせぬそうではないか」
すると、辰次は、
「俺だって、奴らを引っくくりに行きてぇよ」
と、叫んだ。
その時、
「お客さま」
奥から、若い女が出て来て、茶を勧める。
「そなた、辰次親分のおかみさんか?」
麻津乃が訊くと、
「いえ。妹の夏と申します」
「そうか」
出された茶を一口すすり、
「これは……、とても美味だ」
辰次とのやりとりを忘れ、笑顔になる、麻津乃。
そこへ、
「大変だ!」
宿場の者が、駆け込んで来て、
「鬼左衛門たちが、やって来おった」
「何!」
麻津乃は、じっくり味わうつもりだった茶を、一気に飲み干した。
*
町の宿場は皆、既に戸を閉めていた。
辰次の家を飛び出した麻津乃は、通りをうろついていた、鬼左衛門一味と思しきガラの悪い三人組と遭遇。
その行く手を遮り、
「鬼左衛門とやらは、どいつだ?」
と、抜刀する。
「お頭は、アジトで寝ていらっしゃるぜ」
「貴様など、俺たちだけで、十分よ」
との返答に、
「ならば!」
いきなり、中央の奴の間合いに跳び込んだ麻津乃は、
「てやッ」
下段から、逆袈裟に斬り上げた。
「うッ」
男、倒れる。
「貴様ッ」
「覚えてろよ」
残りのならず者二名は、捨て台詞を残し、逃げ去った。
*
悪党の手下どもを退治した麻津乃が、吉兵衛の信濃屋に帰って来ると、
「よくやって下さいました」
宿場の人たちは大喜びして、彼女をたたえた。
しかし、しばらくして、
「あんた。えらい事、してくれたな!」
怒鳴り込んできたのは、辰次である。
「どういう事だ?」
麻津乃が、訪ねると、
「鬼左衛門を怒らせちまったじゃねぇか」
辰次、まくしたてる。
「奴ら、何するか分からねぇぞ!」
「ほぅ」
麻津乃は、笑った。
「それは、楽しみだ」
*
次の日。
信濃屋の壁に、一本の矢が突き刺さった。
そして、矢には文が結わえ付けられてある。
「皆を集めろ。辰次親分を呼べ」
と言う訳で、宿屋の歴々、そして辰次が、顔を揃えた。
「信濃屋さん」
宿主の一人が、声を発する。
「矢文の主は、鬼左衛門ですな」
「して、何と書いてありました?」
「読みますよ」
吉兵衛は、
「よくも、手下を殺しやがったな。今晩、宿場に火を放つ……」
との鬼左衛門からの文を読み始めた。
「焼かれたくなければ、女を差し出せ。ただし、飯盛り女(宿場女郎(娼婦))ではなく、堅気の生娘(処女)に限る」
そして、
「さもなくば、町は丸焼けだ」
吉兵衛が賊からの文を読み終えた時には、集まった人々は、皆、蒼ざめている。
「麻津乃さま。これはもう、何としてでも日が暮れる前に、鬼左衛門一味を斬って頂かねば」
誰かが言うと、
「いや。これ以上、鬼左衛門を怒らせちゃいけねぇ」
辰次が、返した。
「宿場に、火を付けられますよ」
「あるいは、生娘を差し出すか……」
「うちの娘は、嫌ですよ」
「うちのだって、差し出すものですか」
慌てふためく、宿の主たち。
そんな、彼らを見て、
「分かりやした」
辰次が、ぼそりと言った。
「うちの夏に行かせやしょう」
人々は、
「親分……」
「すまないが、そうしておくれ」
その時、
「勝手なものだな!」
部屋の隅で、叫び声。
「麻津乃さま」
辰次を含め、そこにいた全員が、注目する。
「わたしに、『鬼左衛門一味を斬れ』と言ったのは、旦那方だ。それなのに、『斬るな』と言う辰次親分に、尻拭いさせるのか?」
沈黙のお歴々。
「いいんだ」
と、辰次。
「宿場を守るのが、十手を預かってる、俺の仕事だ」
すると、
「馬鹿者!」
麻津乃は、辰次を張り倒す。
「妹が、賊の慰み物にされるんだぞ」
「けど……」
「手下を斬られた仕返しに女を要求する鬼左衛門。言いなりになって、お夏さんを差し出そうとする親分。それを平気で見ている旦那方。おぬしたち、女を何だと思っているッ?」
怒りに任せて、そこまで語ると、
「親分。一寸、話が……」
麻津乃は、辰次を呼んで、信濃屋を出て行った。
*
「親分」
辰次を伴って街はずれにやって来た、麻津乃。
「鬼左衛門一味と戦おう」
そして、
「わたしが、力になる」
しかし、
「これは、捕物や剣術の腕の話じゃねぇんで……」
と、辰次。
「どういう事だ?」
「麻津乃さま。あんたでも、どうにもならない、って事でさ」
「親分が何に怯えているのかは、知らんが……」
辰次の態度に、いらだった麻津乃は、言った。
「わたしは、一人でも斬り込むぞ」
*
「町名主どの」
また信濃屋を訪れた、麻津乃。
「鬼左衛門を斬って来るから、奴らの根城を教えてほしい」
「頼まれてくれますか」
吉兵衛は、喜びつつ、
「少々、お待ちを」
奥へ引っ込んでいき、しばらくして、なにやら絵図らしき物と筆を持って戻ってきた。
「山の絵図です。どうも、奴らの根城は、この辺りの様ですな」
絵図に印を入れ、麻津乃に渡す。
「では」
それを受け取り、ニヤリと悪戯っぽく笑った、麻津乃は、
「報酬を用意して、待っていなさい」
と、宿場を後にした。
*
山中。
鬼左衛門一味の根城の前。
見張りをしているらしい山賊たちの前に、一人の侍が現れ、
「鬼左衛門とやらは、どこだ?」
と、訊いた。
「何者だ?」
山賊の一人が、誰何と威圧を兼ねた怒鳴り声をあげたので、
「松平麻津乃」
侍、名乗る。
名と言い、声と言い、
「女……」
「女が、何しに来たんだ?」
山賊たちは、問答の末、
「ひょっとすると、生贄かも知れねぇぜ」
との考えにたどり着き、
「お頭にお知らせしやす」
一番下っ端らしいのが、奥に向かって走って行った。
そして、しばらくの後、
「生贄が一人で来た、だと」
山賊の頭が、姿を現す。
「俺さまが、鬼左衛門だ」
と名乗り、
「ほう。人身御供は、女武道かい」
そして、
「こっちに来な。剣術よりいい事を教えてやるぜ」
「悪いが、抱かれに来たのではない」
女侍は、言った。
「貴様を斬りに来た」
*
「すまねえな。お夏」
「宿場を守るためだもの。仕方ないよ」
辰次が、夏を連れて、山賊の根城にやって来ると、
「親分。お夏さん」
と、女侍。
「女なら、足りているぞ」
「ま、麻津乃さま……」
すでに、鬼左衛門の手下どもは、あらかた片付いていた。
現場の様子を見た、辰次が、
「くそッ。やっちまいやがった」
嘆く。
「心配するな。親分」
女侍……麻津乃は、
「あとは、頭だけだ」
そして、
「変態の鬼左衛門」
鬼左衛門に、刀を向けると、
「うれしいだろう。貴様の望み通りに、堅気の生娘が相手してやる」
「げ……」
蒼ざめる、鬼左衛門。
その時、
「御用だ!」
いきなり現れた、役人らしき侍たちが、麻津乃を取り囲んだ。
「神妙に致せ。乱暴者」
「おい。木っ端役人」
と、麻津乃。
「乱暴者は、あっちの鬼左衛門だ」
しかし、
「辰次。引っ捕らえよ」
役人に呼ばれた、辰次は、
「麻津乃さま。悪いが、お刀をお渡し願います」
「なるほど、そういう訳か……。親分が恐れていたのは、代官所の手附(代官を補佐する役人)だったのだな。仕方がない。親分を斬る訳にも参らぬからな」
刀を鞘に戻すと、脇差とともに、辰次に渡す、麻津乃。
「わが愛刀、大事に扱えよ」
その麻津乃を捕らえた辰次に、手附が叫ぶ。
「引っ立てぇ!」
「兄さん」
夏は、それを見送りつつ、呟いた。
「なんて事を……」
*
役人たちによって、代官所に連行された、麻津乃。
「女ではないか」
代官が、呟くのに、
「それが、どうかしたか?」
答えた。
「鬼左衛門一味が、女一人につぶされたか……」
「ははッ。まあ、そういう訳だ」
麻津乃は、笑うと、
「つぶされると、困るのかな?」
すると、代官は、一人の役人を呼び、
「こやつを、牢に繋いでおけ」
命じた。
そして、
「女剣客。可哀想だが、おぬしは一生牢屋暮らしだ」
*
麻津乃が繋がれた牢の前に、山賊の頭である鬼左衛門が現れ、
「おい。牢番」
見張りの役人を、呼びつける。
「何だ?」
訊き返した役人が、次の瞬間、
「あ、あんたか……」
「一寸、どこかへ行っていろ」
「それは、困る。こやつを見張るのが、わたしの役目」
役人が断ると、
「これで、飯盛り女とでも愉しんで来な」
鬼左衛門は、役人の袖に金子(貨幣)を差し入れた。
「これは……、悪いな」
役人は、嬉しそうに呟くと、牢の前から立ち去る。
「ふん。木っ端め」
小声で吐き捨てた鬼左衛門は、牢内の麻津乃に向けて、
「俺たちも、愉しもうぜ」
下卑た笑みを浮かべた。
そして、
「開けてやるよ」
牢の鍵を開ける。
「お前も、刀が無ければ、ただの女よ」
牢に入って来た、鬼左衛門に、
「そうかな?」
麻津乃、ニヤリと笑う。
「この女ぁ!」
怒った瞬間、鬼左衛門は麻津乃の拳に鳩尾を突かれ、
「うッ」
と倒れる。
「鈍刀を借りるぞ」
麻津乃は、牢を後にした。
*
その頃、代官の屋敷では、
「お代官さま」
辰次が、代官に呼びかけていた。
「麻津乃さまは、一体どうなりますんで?」
辰次の問いに、
「一生牢に入れておく、とは言ったが、それも可哀想だな……」
ふと、考える様子を見せた、代官。
「腕が立つのだから、金を与えて、上手く使うとするか」
「あの人は、きっと、金では転びませんぜ」
辰次が言うのに、
「馬鹿者。この世の中に、金で動かぬ者など、いるものか」
代官は、笑う。
「鬼左衛門一味も、当分役に立ちそうにない。あの女、鬼左衛門より使えるかもしれん」
それを聞いた辰次がうろたえるのも気にせず、
「それより、あの女から取り上げた刀。これは、良い物だ。鬼左衛門の手下どもより、値打ちがある」
と、辰次が持ってきた、麻津乃の愛刀を抜こうとした、その時、
「悪代官!」
凛とした女の声が、響いた。
「わが愛刀、貴様の玩具にはならぬ」
「何ッ」
「松平麻津乃、推参!」
鬼左衛門から奪った刀を手にした、麻津乃が立っていた。
*
「金をやろう。鬼左衛門一味の代わりに、わしのために働け」
代官が言うのを聞いて、
「やはりな」
と、麻津乃。
「鬼左衛門が宿場の人たちから脅し取っていた金は、おぬしの懐も肥やしていたか……」
「おのれ!」
金で転ばぬ麻津乃に呆然となりつつ、代官は、
「曲者じゃ! 出合え! 出合え!」
叫んだ。
駆け付けた役人たち、麻津乃を取り囲み、
「牢破りじゃ! 斬れ! 斬って捨てぇ!」
代官の声を合図に刀を抜く。
「おのれが刀の餌食になれ」
代官、今度こそ麻津乃の愛刀を抜き、
「てやぁ!」
麻津乃を包囲していた役人たちは、一斉に斬りかかって来た。
しかし、
「何ッ?」
麻津乃は、既にその場にいない。
役人たちの輪の外で、代官と対峙。
そして、下段から斬り上げた。
その衝撃で、代官の右手から刀が抜けて飛ぶ。
「ふッ」
一瞬の笑みの後、鬼左衛門の鈍刀を放り捨てた麻津乃は、
「おお。わが愛刀」
空中に弾け飛んだ愛刀の柄を握りしめると、上段から振り下ろした。
代官が、慌てて自分の刀を抜き、受け止めようとするも、
「これが、おぬしの罪の重さだ」
構わず斬り下ろす、麻津乃の斬撃。
「うわぁ!」
悲鳴を上げて、代官は、倒れた。
*
「代官は、死んだぞ。もはや、おぬしらには、戦う理由など無いはずだ」
麻津乃、叫ぶ。
「お代官がッ」
「どうする?」
驚いた顔を見合わせた役人たちは、
「こやつには、歯が立たん」
と、逃げて行った。
そこへ、
「女! なめた真似をしてくれたな」
現れたのは、鬼左衛門。
「俺さまの本当の怖さ、たっぷり味合わせてやるぜ!」
誰のか分からぬ刀を振りかぶって、斬りかかってくる。
「怖さ? 笑わせる」
愛刀の峯を返した、麻津乃。
「夢刀流天雷!」
打たれた、鬼左衛門は、再び気を失った。
*
「親分」
辰次に語る、麻津乃。
「代官は死んだぞ」
そして、
「もう、誰にも遠慮することはない。安心して、鬼左衛門をお縄にしろ」
「へい!」
顔を輝かせた辰次は、鬼左衛門に縄を打ったが、次の瞬間、また不安そうな顔になり、
「でも、麻津乃さま」
訊く。
「何だ?」
「お代官を斬ってしまって、大丈夫ですかい?」
「ああ。おえらい方に、文をしたためておくさ」
と、麻津乃。
「次は、少しはましな代官を、送ってくるだろう」
「あんた。一体、どういうお方で?」
辰次が、再び訊いた。
「ただの貧乏旗本の娘だ」
答える、麻津乃。
そして、
「あ。そうだ。親分の家にもう一度寄っても良いかな?」
「別に、構いやせんが」
「お夏さんの入れるお茶、今度は、ちゃんと味わって飲みたいのでな」
「ああ。そういう事なら」
辰次、答える。
「お夏も、喜びますよ」
宿場町に、平和が戻った。
完