欠陥
小装飾店に寄り道した帰り、私たちは鮮やかなオレンジ色に染め上げられた川の土手を、アクセサリーの話をしながら歩いていた。空はもう暗くなりかけている。
「私、フッちゃんが羨ましいな」とふいにそう洩らすサッチ。
「なんで?」と尋ねる私。
「だって、フッちゃんは色んな男子からよくモテてるんだもん」
「本当はね、あんま興味ないよ。イケメンとかならいいんだけど、学校にそういう人あまりいないし」
「安田とかどうなの?」とサッチ。
サッチの言っているのは同じ学級の安田秀一くんのこと。
安田くんは顔もスタイルも結構よくて、だからちょっとタイプかなって思って、何度かデートの誘いをOKしたことがある。
「安田くんは、何か違う気がするんだよね」
トマトは「そうなの?」と私の顔を覗きながら言った。
私は空を見上げた。
その時だった。
───!!!!!!!
唐突に川上、私たちが歩いてきた方向から、男の子の悲鳴がした。
「えっ!?」と3人同時に川上の方を振り向くと、小学4年生~5年生くらいの男の子が川を流されて来る。
男の子は必死に手足を動かして、バタバタと水面を叩いている。
そして、その友達らしい男の子が2人、どうしたらいいのか分からない、といった様子であたふたしている。
私は鞄を放り投げ、土手を駆け降り、靴を脱ぎ捨てて川に飛び込もうとした。
すると、後から追って釆たトマトとサッチに取り抑えられた。
「ちょっとフッちゃん! 飛び込むつもり!?危ないよ!!」とトマトが怒鳴る。
言われなくたって判ってる。
それでも、目の前のこの状況をただ黙って見ることは出来ない。
「放して!!」
そうやって揉めている問にも、男の子が必死にもがきながら、私たちの前を流されて行く。
思いのほか流れが速い。
そこへ、溺れた子を追って釆た三人の男の子たちが、私たちに助けを求めて釆た。
「誰か呼んで来る!」とトマトが土手を駆け登って行ったけど、そんな余裕は無い。
私はサッチの手を払い除けると、溺れている子を追って走り、そして勢いよく飛び込んだ。
「ダメだよフッちゃん!貴方の身体じゃ泳げないんだよ!?」
サッチの叫ぶ声が後ろから聞こえ、そして水の音にかき消された。
手で水をかき、足をバタバタと動かしてどんどん男の子に近づいていく。
そして、なんとか男の子を腕の中に収めた。
「もう大丈夫だから!私に掴まって!!」
川の水が口に入るのも気にせず、必死で男の子に呼びかけた。
岸に向かって泳いだ。
でも、男の子が激しくもがいてしまって、思うように泳げない。
もう少し、もう少しで岸に……。
その時──!
厳い痛みが腰を襲った。
───しまった!!
思う間も無しに、下半身が言う事をきかなくなる。
身体が沈んで、ガバガバと水が口や鼻から入って来た。
ちらっと岸を見ると、サッチが走って追って来ながら、私に何か叫んでいる。
でも段々と力が尽きてきて、意識が遠のいていく。
───せめてこの子だけでも!
と男の子に手を伸ばさせて、岸に強攫つかせた。
追って来ていたサッチが、男の子を引き上げてくれた。
でも私の方は、もう身体に力が入らなくて、あっという間に岸から遠ざかってしまった。
視界が暈けてきて………、誰かが…、人が二人………………土手を駆け降りて来るのが見え……。
バシャン!
───あ?
飛び込んだ………!?
遠くに救急車のサイレンが聞こえる。
もう何も見えない………。
音も聞こえなくなってきた………。
誰かが私の身体をつかんだ。
そして私は、気を失った────────。
────────────────。
気を失って、まる二日。
病院の個室で目を醒ました私の目に最初に写ったのは、白い天井と、心配そうに私を覗きこむお母さんの憔悴しきった顔だった。
そして、親戚や学校の男子たちが入れ替わり立ち代わりお見舞いに釆て、それからの二~三日というもの、気の休まる暇も無かった。
それでも、あの溺れた男の子も助かり、一足先に退院してとりあえずは一安心。
男の子の両親に何度も何度もお礼を言われたときはかなりくすぐったく感じた。
で、私の方はというと全治十日間で、少なくともあと四~五日は病院生活。
「はぁ」と病室の窓際をぼんやりと眺めながらため息をついた。
でもまあ、トマトとサッチも学杖の帰りに毎日来てくれているから、学校の話題には遅れずにすみそうだからいいけど。ついでに勉強も、ね。
そして入院してから七日目、男子たちも花代がもたなくなってきたのか、お母さんやトマトとサッチくらいしかお見舞いに来なくなった頃、予想外の男子がお見舞いに来た。
「大将……」
引き戸を開けて、彼は病室に入ってきた。
「珍しいね。私のこと、嫌いなんでしょ?」
「嫌いだよ」
「じゃあ、なんで来たの?」
「話があってな」
「話……?」
大将はすぐには答えないで、壁に立て掛けてあったパイプ椅子をベッドの横に持ってくると、
おもむろに座った。
「まさか、お前が溺れてる子供を助けるなんてな。正直見直したよ」と珍しく私に優しい
表情を見せた。
「……ありがと」
僅かな沈黙が病室を包む。
窓の外で、小鳥たちが遊ぶように飛び回っている。
「腰、壊したんだってな」
大将は口を開き、沈黙を破った。
「壊れてたの。もともと。生まれつき腰が弱かった。体操選手になりたかったなだけどね。ダメだった」
自分の声が、僅かに震えていた。
「知ってる。前に命から聞いた」
「天野から?」
「そうだ。あいつも、お前のファンの1人だ」
「そっか。でも私はあんまり……」
その先は言わなかった。言ったらきっと、大将は激怒するから。
「そうか。でもこれを聞いてもそんなことが言えるか?」
「な、なに?」
「お前、誰に助けられたか覚えてるか?」
「えっと。トマトが助けを呼んでくれて、それから…………」
声が小さくなっていき、最後の方はもう彼には聞こえていないだろう。
「覚えてないんだな?」
支援を落として、黙って頷いた。
すると大将は、しばらく黙り込んで私を見据え、静かに、でもはっきりと言った。「命だよ」
以外すぎる答えに、えっ!? と頭を起こした。「あの日、溺れてるお前を助けたのは命だ」
「そんな‥‥‥、信じられない。だって……1年の時から、天野くんが体育に出ているのなんて見たこと無い。いつも見学で……」
「判ってる。命とは小学絞ん時からずっと…、5年の時から同じクラスで、
………一度も体育に出たことは無い。水泳も」
「だったら!」
「だが事実だ」
大将の目は、大真面目だった。
「お前だって、泳げないのに子どもを助けようとして川に飛び込んだんだろう?自分の身体に欠陥があるのを知っていながら…」
「だけど……、私はもともと運動神経は良かったし、体育や水泳も全くダメって訳じゃないから……」
「命はお前のことが本気で好きで、大切に想っていて、それで飛び込んだんだ。心臓が悪いのにも関わらず。馬鹿なやつだ。俺に任せればよかったのに」
大将はうつむいた。
「本当に馬鹿なやつだ」
「天野くんはどうなったの……?」
恐る恐る訊いた。
「……もう、一週間も意識不明だ。病院病院の305号室にいる」
私は、枕に顔を埋もらせた。
そして………考える。
───天野くんが私を?
───あの天野くんが!?
───まさか………!
体育の時は、いつも隅の方で膝を抱えて見学していた。
蒼白い顔で、死んだような目で。
───その天野くんが、私を…?
───心臓が?
───そう言われれば、そんな風にも‥‥‥。
───私を‥‥‥?
───本当に?
───でも、誰もそんなこと教えてくれなかった………。
頭の中がぐしゃぐしゃになっている。
「そんなこと言われたって、私はどうすれば………」
「俺はただお前に知ってほしかった。命がお前に惚れているということと、命がお前を助けたんだということを。まぁ、お前にできることは、とりあえずは早く回復して学校に来い。そんでもって、命が目を醒ましたら今度はお前が見舞いに行ってやってくれ。お礼ぐらいは伝えろよ?」
大将は穏やかな表情と声で言った。
「それじゃあ、そろそろ」
「あ…」───待って、と私が声を継ぐ間も無しに、大将は病室を出て行こうとして引戸を開けた。
するとそこには、びっくりして大将を見上げるトマトと、俯いているサッチがいた。「お前ら…、聞いてたのか」と訊く大将に、
「えっと、その…」とトマトが言い訳を探していると、突然サッチは大将をキッと睨み上げ、平手打ちを放って走り去ってしまった。
その目には、いっぱい涙が溜まっていたようだった。
「サッチ!?」とトマトが後を追い、大将も、「じゃな」とだけ言い残して、引戸を閉めて行ってしまった。
ポツンと取り残されてしまった私……。
───サッチって、もしかしたら……。
───でも、なんであんな奴…‥‥。
───私を助けたなんて、信じられない…。
───本当に…?
───だとしたら………。
───えっ、でも……。
またも頭の中がぐしゃぐしゃになってくる。
そんな風に、いろんな思いを巡らせていると、引戸がスーッと静かに開いた。
「サッチ!?」と思わず叫んでしまう。
でもサッチは、何も言わないまま近づいてきて、自分の学生鞄の中から、封の切られた水色の封筒を取り出した。
それを、涙で目元を潤ませたまま微笑み、そっと私に差し出す。
「なに?これ?」と受け取った私は、表の宛名が私の名前であることに気がついた。
「これって」
「さっきの大将の話ね、本当なんだ。トマトが読んできたの。通りかかった大将と天野君にお願いして……。天野君は、フッちゃんを助けようと必死だった。今までに見たことのない表情で……」
少し言葉を詰まらせて、それからまた続けた。
「それは天野君が脱ぎ捨てた制服のポケットに入ってたの。ポケットからちらっと覗いてたのが気になって取り出してみたの。そしたらフッちゃんの名前が書いてあって、それで………」
そこで堪えられなくなったサッチは涙声になった。
「ごめん……ごめんね。勝手に封まで開けちゃって………。開けるつもりも、読むつもりもなかったのに」
両の目から零れ落ちる涙を、袖で拭いている。
「……本当は、破いてしまいたかった! 捨ててしまいたかった!でも…」
もうこれ以上は言葉を繋ぎたくないという様子で、サッチは部屋を出ようとした。
「サッチ、待って!」と呼び止める。
「私、こんなの貰っても困る!」口調を明るくして、「天野くんのこと好きなら、私、協力するよ。私はそういう気とかないし」
でもサッチは背中を向けたまま答える。
「あの人が好きなのはフッちゃんだから………」
「そんなの……」
「天野君は、いい人だよ。優しいところがいっぱいあってね。小学校の頃はあんな暗い感じじゃなかったのに……」
「同じ小学校だったの?」
サッチはコックリと頷いた。
「私もね、助けてもらったことがあるの。6年生の時に、男子にイタズラされそうになった時に護ってくれた。それから一緒に話したりしているうちに、気づいたら好きになってた。それなのに………」
サッチの声がまた涙声になった。
「それなのに、天野君が虐められてる時に助けてあげられなかった。何もしなかった。怖かったの、ほかの男子が。天野君を好きになる資格なんて、私には無い」
「そんな、資格だなんて……」
でもサッチは、私の言葉を受け取らずに、
「‥‥‥明後日頃には退院でしょ?学絞で会おうね!」と無理に作った明るい声で言って、引戸を開けた。
廊下の外には、大将とトマトが立っていた。
大将がサッチの肩を抱いて、トマトは私に軽く手を振って何も言わずに引戸を閉めて行ってしまった。
お見舞いに貰った色とりどり花の入った花瓶以外には無骨なこの病室で、例の封筒を握ったままの私はただ孤独に取り残されたような気がした。




