無明の外路
――王国歴1504年1月 ルストリア ピアーシャ
ルストリア北西部に位置するピアーシャは新たに開拓された街だ。現在、街の中心部に建てられたピルゴス・エリーニと呼ばれる塔に俺たちは集められていた。塔とは言っても、そんな大層なものではなく三階層で設計されていて、塔というよりは基地に近い。三階層の上に物見やぐら、いわゆるキープタワーのようなものが設置されている都合、塔と名付けたのだろう。
その塔の内部、二階にある大会議室には既に大尉以上の尉官が集められ、俺もその中で会議の開始を待っていた。
「よお、ミハイル、久しぶりだな」
「ああ、ターキか。久しぶり」
俺に話しかけてきた男、ターキ。長身、黒髪、縮れ毛、色白、彼を表すのならこんなところだが、俺とは妙な縁があって、顔を合わせれば会話をしている。もっとも、顔を合わせることがあれば、の話だが。
彼は俺と同い年で、軍への加入時期は違うものの、同時期にパンテーラになった。彼の役割はちょっと変わっていて、外交が中心になっている。本来であればそういったものは非戦闘員が行うべきだが、ターキの外交はある程度の諜報も兼ねている。その為、万が一の際の戦闘に備える必要があり、戦闘能力が高いパンテーラであるにも関わらず、表舞台の戦場へ向かうことは無く、外交を中心とした役回りを与えられている。その為、通常のパンテーラとは動きが異なり、顔を合わせること自体滅多にない。
「ターキ、今回はどこに行ってたんだ?」
「ああ、ラミッツの南の方さ。例の商会関係だよ」
「そうか。何か実りはあったか?」
「実りねぇ。まあ、あったっちゃあったけど、アリーシャを奪われてまで得る必要のある情報は無かったかな」
カカカ。とターキは乾いた笑いを吐き出し、頭をぽりぽりと掻いた。
「それもそうだな。電撃的なアリーシャ襲撃だったわけだから、これに関係するパンテーラ以外に非は無いと思うよ」
「はは、あー、やだやだ。ミハイルに気を使われちゃ俺もお終いだぜ。ところでよ……」
と話をする前にターキは、周りをきょろきょろと見回して小声で俺に尋ねる。
「ミクマリノの最高幹部が亡命してきた話、聞いてるか?」
「聞いてるよ。まだ会ってないのか?」
なんなら俺は、その決定的な瞬間に立ち会っている。情けないことに、ほぼ気を失っていたが。
「ああ、俺はさっきここに着いたばかりだし、情報としてその話を聞いていたが、未だ半信半疑でな」
「確かにな」
「しかもウィルズ大佐と引き換えに、という話だろ?」
「そう、らしいね」
「こんな不釣り合いな取引に応じなくちゃいけないなんて、よっぽど原魔結晶石ってのは厄介なんだな。最っ悪だ」
「そうだな、俺もまだ詳しくは知らないが、この戦争はそれを取り合うものになるらしい」
「カカ。俺たちが昔やってたボードゲームみたいに、旗を取った奴が勝ちってか?」
「ゲームと戦争ではまるで違う」
「そうかぁ? 広義では同じ意味だと思うが」
「皮肉屋なのは相変わらずだな」
「現実主義者、と言ってくれたまえ」
「はぁ、やれやれ」
久しぶりの再会だったがいつもと変わらない様子のターキに安堵したのも束の間、大会議室にベガ大将がステラと共に入室してきた。一同はその場で敬礼の姿勢をとる。
大きな円卓を囲んだ円形の部屋の真正面、中央の位置までベガ大将が移動すると、その横にいるステラが号令をかける。
「一同、注目!」
今までのステラでは考えられないほど、はっきりとした言葉で、大きな声が大会議室に響く。あれほどまでに気弱だった彼が、過去に負い目を感じていた彼が、憎しみに焦がれていた彼が、胸を張って号令をかけることに意味があるのだろう。俺は、その様子になんだか誇らしいような気持ちになった。
言われた通り一同の注目を集めたベガ大将が、口を開く。
「一先ず一同、よく集まってくれた。各地において報告書上では一同の活躍は知っているが、このタイミングで皆の顔が見ることが出来て嬉しく思うよ」
このタイミング。つまり、アリーシャ城がミクマリノに奪われてしまっている今の状況を差すのだろう。ターキのように地方で活躍するパンテーラは少ないがパンテーラ同士の活動報告は定期的に知ることはあるので、そこまで言うほど久しぶり、という感じはしない。しかし、パンテーラ以下の部隊長クラスになると、名前は知っていても顔は知らない、という人材はぽろぽろいる。この場にいる部隊長たちは、自身のポジションを抜けても現場の動きが安定するメンバーだけだが、それでも顔を知らない人間は何人かいる。俺の場合、自分の特異魔法による反動で記憶障害になっている可能性があるから、自ら進んで話しかけに行くことは躊躇してしまうが、幸いなことに隣にターキがいるおかげで、誰が誰なのかべらべら話してくれるに違いない。
「それでは、各員状況を報告してくれ」
ベガ大将の呼びかけに、バルバロッソさんが最初に口を開く。
「それじゃ、まずは俺から報告するぜ。俺はアリーシャ城近辺の調査を行ってきた。城下町に関しては、とりあえずルストリア人がミクマリノ兵によって酷い目にあっているようなことは無かった」
そうか、良かった。そのことをずっと気にしていた。あそこに在留しているディー・エヌ孤児院のみんなが心配だった。などと考えていると、バルバロッソさんは続きを話し出す。
「しかしまあ、それはミクマリノ兵が、に限った話だ。城下町に新たに住み始めたミクマリノ人はルストリア人を迫害している。かつての高級住宅街は全て、居ぬきの要領でミクマリノ人が住まっていて、ルストリア人は郊外に移住させられている。高級住宅街に住んでいたルストリア人は、魔道具による生活に慣れてしまっていた都合、魔道具を使用しない生活が困難な様子で、耐えかねた住人がミクマリノ兵に反旗を翻して返り討ちにあったり、夜逃げしたりするケースがチラホラ見受けられる。夜逃げした人間を保護しようと試みたが、既に彼らは敵味方の区別がつかないほどに精神が疲弊していて、誰彼かまわず疑いの目を持つようになっており、俺の部下がルストリア軍であると信じられず、方々に散っていってしまった」
ベガ大将は、そうだろうな、というニュアンスを含んだ表情を浮かべると、質問を投げかける。
「物資の移動に関してはどうなっている?」
「市場は通常通り機能しているのを確認した。特別物流が多くなっている、ということは無かった。また、武器の輸送はミクマリノ方面から数回確認した程度で、その物量も大したことはなかった」
「そうか。わかった」
「ああ、それとミクマリノ最高幹部に関して、アリーシャにベルガーが居ることのみがわかっている。そのほかのメンツも居るだろうが、何人いるのかなどの情報を得ることは出来なかった」
「ふむ。しかし、何故ベルガーがいることはわかったんだ?」
この質問にバルバロッソさんは心から嫌な顔をして答えた。
「原魔修道院の大講堂で、演劇をやってやがったよ」
「そ、そうか。わかった。ありがとう」
ベルガー、ミクマリノ最高幹部にしてこの大陸のかつての名優。空間魔法という希少な魔法を駆使し、かなりトリッキーな戦い方をする男。何らかの肉体改造を受けていて、膨大な魔力を宿している。詳細はルストリアに亡命したドナートが、フィロンさんやベガ大将に余すことなく語ったと言うが、その具体的な話は真偽の確認がとれるまで通達されることはないだろう。
「じゃ、次は俺が話しますね。ちょうど武器の流通の話もあったことだし」
次に前に出たのは隣にいるターキだ。ターキは情報を扱う部門にいるわけだから、このような場ではかなり重要な位置にいるはずだ。ベガ大将は発言を許可する。
「ではまず、ラミッツに本拠地を置く武器商会の動向ですが、案の定というか当たり前にミクマリノに武器を売っています。一応、兄弟国であるルストリアに被害をもたらしたミクマリノに対して経済制裁という形で、ラミッツはミクマリノに輸出する際は重い関税をかけてはいますが、その大多数はシーナの新市場に流れ、あるいは表に出てこないルートを使ってミクマリノに流れています」
「そうか。表に出ないルートの特定は?」
「主となる三本のルートに関しては把握しています。ただし、シーナの市場に流せないようなヤバい代物を売買する時にのみ使われるルートもあるので、ブツをおさえるのは至難かと」
「いいんだ。把握さえしていれば。引き続き監視をしておいてくれ」
「はっ」
ターキは普段こそ抜けてて、おちゃらけてはいるが、実際の仕事は非常に固くこなしてくる。ベガ大将からの信頼も厚いが、それよりもムーア総司令官からはまるでストラークスのように可愛がられている。実際、ストラークスに参加したこともあるらしいので、その実力は折り紙つきだ。
ベガ大将はステラから何か資料をもらい、目を細める。ターキはそれに気づくと再び報告を開始した。
「ラミッツ国内の状況ですが、少なからずルストリア批判が出ていることは確かです。具体的な批判の内容としては、中央国は絶対的な力を保有しているからこそ、ラミッツはそこに利益を見出し、国交を豊かにしていたが今現在ルストリアにその価値はあるのか。だとか。平和を最も乱しているのはルストリアで、ヴィクトこそこの大陸を治めるのにふさわしいのでは、なんてことを言う人間もチラホラ出てきています」
「……そうか」
「ラミッツ在住のルストリア人商人に対する買い控えや、差別的発言なども散見されています。幸い、商人の国であるということもあってか暴力沙汰で深刻な事件などが起きてはいませんが、ルストリア批判が長引けば……」
「……」
「失礼、これは私見が混じってしまいました。思考は大将の領分ですね」
「まあいい。それはこの報告を聞いて誰しもが頭に過るような、至極真っ当な思考の積み上げによるものだ」
ターキは頭を軽く下げてから、報告を続ける。
「それと意外なことですが、ラミッツにおける憲兵隊ホーウェイに志願者が殺到しています」
「何も意外なことではない。世が平和でなくなればラミッツの商人の中に商業として問題が発生する者たちもいるだろう。ラミッツにおける失業は、市民にとっての非常に重大な問題だ」
「なるほど。戦争で儲からなくなる仕事か。んー、何かありますかね?」
「平和が失われるにつれ、商業はよりシンプルな欲求に寄り添う傾向がある。そうなると、単純な欲求に基づく需要から離れていくほど、民衆は興味をひかなくなる。戦争が起きれば、国からの吸い上げがきつくなり物価は上がってしまうわけだから、当然と言えば当然だが」
「それで、家業が怪しくなる前に軍事に参加し金を得る、と。なるほど、ラミッツの市民らしい行動だ」
「以上か?」
「あー……。残りは長くなるので後で個別に報告に伺いますよ」
「……わかった」
ベガ大将は書類をひとまとめにすると、ステラに手渡した。続いて、窓際で外を見ていたフィロンさんが部屋の中心までやってきて報告を始める。
「じゃ、次は僕だねー」
「フィロンには、原魔結晶石についての報告を依頼していたな」
「そうそうー。でも、今日は皆さんが集まっているってこともあるし、ざっくりこの大陸のことを話しておこうかなー」
「よろしく頼む」
「はいはいー。まずねー。この大陸なんだけどー、どうやらすごく昔に魔法で作成されたものみたいなんだよねー。スルト地区で地層の研究が進んでいるんだけど、どう考えても自然に出来たにしてはおかしい地層がいくつもあってー。多分だけどー、王国歴より前に魔法で作られたんじゃないかなーって思ってるよー。今は」
「……なるほど」
「初代ルストリア国王の文献から見ても、その時に大陸を作った、みたいな話は一切出てこないから、多分、とりあえずこの仮説でいこうかなー、って。それでねー、その地層の節々に魔力回路みたいなものがあってねー、これらは結界魔法に近い配列なんだー。何が言いたいのかって言うとー、恐らくこの大陸の下、地面のふかーくふかーい場所にすごく大きな魔力の泉みたいなものがあって、それをこの大陸で結界を張って蓋をしてるんじゃないか、って更に仮説を立てたのよー」
なんだか、とんでもない話を聞いている気がする。
「でも、そんなに大きな泉だったなら、こんな大陸で全てカバーできているのか、って考えると、結構難しいんだよねー」
隣にいたターキは堪らず意見を投げかける。
「こんなバカでかい大陸で覆ってれば、全てカバーできそうなもんですけどね、その仮定の仮定の話で言えば」
「あっ、ターキ久しぶりー。えーと、なんの話してたっけ」
「フィロンさん、お久しぶりです。大陸でカバーしてる魔力の泉の話をしてましたよ」
「あー、そーそー。カバーできないんだよー。ターキはスルトの温泉に行ったことある?」
「あります」
「基本的にはそれと一緒なんだけど、火山脈であっためられた温水が飛び出して温泉が出来るでしょー? そんな感じで絶え間なく泉から湯が出続ける状態の上にどんな大きな蓋をしたとしても、いろんなところから漏れ出ちゃうってことなのよー」
「なるほど?」
ターキはイマイチ納得できない表情だったが、フィロンさんはマイペースに話し続ける。
「で、いよいよ原魔結晶石の話になるんだけど、この原魔結晶石の存在が、その漏れ出る膨大な魔力の泉の調整弁になってるんじゃないかなーっていうことがわかってきたんだよー」
「でも仮説の話ですよね、それも」
「ターキ、仮説を馬鹿にしちゃいけないよー。しかも、これは実際に起きた事故から推測する、可能性が著しく高い仮説だからねー」
それを聞いていたベガ大将が、少し下がってきたメガネの位置を指で整えてフィロンさんに言う。
「シーナの原魔結晶石破壊、だな」
「そうそうー。あの時に噴出した魔力は、膨大な量でシーナの国土、約8分の1を死の大地にしたんだよー。何の効果も付与されていない純粋な魔力の波動だけで、ここまでの規模に影響を与えた、それだけでも魔力の泉が存在する、という仮定を生み出すのにはかなり説得力があるものになってると思うよー」
ターキは少し考えてフィロンさんに尋ねる。
「仮に、そのバカでかい魔力の泉が存在するとして、大陸内の五つの原魔結晶石ごときで調整なんかできるんですかね」
「いいこと言うねー。ターキ。これは実際に見てみたりしないと何とも言えないけど、アリーシャ城の対魔壁よろしく、かなり高度なテクノロジーがそこにありそうな感じだよー。僕の中でいくつか仮説があるけど、これに関してはまだ仮説として報告するにしたってまだあやふやだからねー。だからラミッツの大地の原魔結晶石を見せてもらいたくてお願いしているところなのさー」
ターキは手を頭の後ろで組んで、ぶっきらぼうに言った。
「そいつは難しいでしょう。いくら親しいラミッツと言えども、ルストリアとの国交は緊張感がありますからね。この前、雷の結晶石を抑えられて、ルストリアがこうなったことは当然知っているわけなので、その二の舞は踏みたくないはずですよ」
ベガ大将は、手に持った書類を机に置いて二人に言う。
「二人ともありがとう。フィロンの言う通り、魔力の調整弁であるという仮定は非常に良い線で、私の知っている知識を共有したいところだが、もう少し待ってくれ。ターキのラミッツルストリア間国交の緊張に関しても同様に、少しだけ時間が欲しい。解決する手筈を整えているところだ」
そう言われた二人は、ベガ大将に敬礼の姿勢を取った。その後、ステラからスルト地区の状況が簡易的に説明され、最後にベガ大将から今後の人員配置について語られることとなった。
「この度、ウィルズがミクマリノに捕虜の立場で出向したことは皆聞いていると思う。そこで、新たな魔導軍大佐を立てるべきだと考えている」
これに少し苛立った様子のバルバロッソさんが噛みつく。
「ベガ大将、失礼を承知で言うが、席が空いたからホイホイと勤まるほど魔導軍大佐は甘いものなのかね」
「バルバロッソ、話は最後まで聞け。私は今後の展望について語っているんだ。甘い甘くないの話ではないことはお前もわかるだろう」
「……そいつは失礼しました」
バルバロッソさんがベガ大将に噛みついているところを俺は初めて見た。周りの人間も同様であったようで、少しの間ざわめきが起こった。しかし、先日のウィルズ大佐出向に関して俺も思うところがあるので、バルバロッソさんの抱える苛立ちも理解できなくはない。
このところ、ベガ大将は全てが後手で、ヴィクトにうまくやられてしまっている感が否めない。智将という分野でヴィクトのほうが一枚上手である、とみんなに印象がついてしまった。この印象の上に、更にウィルズ大佐とムーア総司令官の間で、半ば強制的に決定された捕虜交換。こちらに来ているドナートも相当に訳ありだということはわかるが、それにしたってウィルズ大佐が行かなくてはならなかったのだろうか。どの想定から見ても、五体満足で帰ってくる可能性が限りなくゼロの危険な役割を、現状軍内で上澄みに位置する大佐を送り込むなんて、ちょっと理解できない。
ベガ大将は軽く咳ばらいをすると、先ほどの続きを始めた。
「今後、魔導軍大佐の人員を補充する準備段階となるが、パンテーラ未満の隊員における現在の立場を全員一つ繰り上げることで、現職のパンテーラの負担を少しでも軽くし、人員配置に流動性を強めていく。つまるところ、今日ここに呼ばれた部隊長はその全てが準パンテーラとなる」
会議室全体がざわめく。当然だ、こんな乱暴な人員配置聞いたことがない。異例も異例、イレギュラー中のイレギュラー。バルバロッソさんがもう一度噛みつこうと口を開きかけたが、額に手をあてながらそっぽを向いてしまった。
確かに、ここで人員に関して文句を言いたいのはやまやまだが、その後にやってくる「ならどうする?」の問いに対して明確な答えが出せそうにない。
ただでさえ、王都をとられてしまったルストリアは、有益な設備はほとんど失い、軍人のほとんどが住まいをも失い、それでも限りある財源の中、やっとのことで新拠点であるこの場所を築いた。部隊を持つ人間の権限が増え、それを統率できるのであれば、それを行うに越したことはない。だが、部隊長になって間もない者だっている、そういった人間も準パンテーラに上がるとなると、軍務の遂行率に関わってきそうな話ではある。
しかし、その問題点は既に織り込み済みであったようで、準パンテーラは基本的にツーマンセルでの行動が絶対という縛りを設けることでカバーをしていく予定とのことだった。
この采配が正しいのかどうかは、この後決まっていくのだろうが、この会議で、明らかに弱まっているベガ大将の求心力と、姿を現さないムーア総司令官、それぞれの気持ちがバラバラになっていくような感覚、俺は一抹の不安を覚えた。
王国歴1504年1月 ルストリア ピアーシャ
ピルゴス・エリーニにて報告会が終わり、個々の面談は別日に行うということで、俺はターキに誘われ少し遅めの昼食をとりに街中にある食堂に行くことにした。
ターキとこうやってゆっくり話せる機会は少ない。今日から数日間は滞在するらしいが、ほどなくまた軍務に戻るとなれば次に会うのは何年後になるかわからない。
その時まで、この状況が続いていればの話だけど。
街中はかなり活気づいている。状況で言えば城と領土を奪われ、敗走した形になるが、そんなことをまるで感じさせない人々の活気を見ると、人間の生命力を思い知らされる。
既に都市化のための土台があった地域であるとは言え、この街を仕上げたのは人間個人の力の集合によるものに他ならない。未だ建築中の建物も相当に多いが、それだって多くの市民が力を合わせることで、一歩ずつでも確実に街の開発が進んでいる。
俺は俺で自責の念が全くないと言えば嘘になるが、この活気の前で後ろ向きなことは考えたくないと思えるようにはなってきた。
「あっ! ミハイルさーん!」
屋根の上に乗り、金づちを振るう青年がこちらに手を振っている。俺に対する民衆の目は、少しずつだが穏やかになってきているようだ。
俺も振り返すが、あんなバランスの悪いところで手を振っては、危なくないか心配になる。
「おーい、ミハイルーっ!」
後ろから追ってきたのはターキだった。
「ターキ、先に食堂に向かってるって言ってなかったか?」
「おお、悪い悪い。ちょっとした野暮用でね」
「また何か暗躍してるのか?」
「おう! 暗躍しすぎて、いつ表の任務をこなしてるか、もうわからねぇぜ」
「ははは。どこまでが冗談か、俺もよくわかんないわ」
そんな話をしていた矢先、目の前に見知った男を見かける。
「ブロンソン、どうしたんだ?」
ブロンソンは、先日のアルゴ侵略戦でバルバロッソさんの指揮する中隊に所属していた魔導兵士だ。甲冑を身に着けたまま疲れ果てた表情で、こちらを見ている。
「ベガ大将はどちらに?」
「ああ、大将は……」
と、答えようとしたところでターキが遮った。
「ブロンソン君。大将は今忙しい。用件は俺が伝えておくよ」
「……」
「……!!」
「きゃぁ!!」
ブロンソンはこちらに背を向けると、すぐ近くを通っていた女性の首根っこを掴み、羽交い絞めにして抜剣した。
「どなたか知りませんが、きっと上官なんですよね。事を荒立てたくないんです。ベガ大将の元へ案内してください」
「ブロンソン!」
「ミハイル隊長……。すみません。お願いします」
どういうことなのか全くわからないが、ブロンソンまでの距離は数メートル。俺の魔法で時を止めれば、安全に拘束できる……。そう考えていると、ターキは俺に下がるように手を仰ぎ、一歩前に出る。
「おい! 動くな! この女をこ、ころ、殺すぞ!」
近くにいた住人は、悲鳴を上げながら遠ざかっていく。しかし、遠ざかることなく立ちすくむ者が一人だけいた。それは小さな子供だった。その子供は、先ほどまで慌てふためいているだけだったが、今の言葉を聞いて泣いてしまった。
「あー。やだやだ。どうして、巻き込むかね。か弱いレディと、ルストリアの希望である幼子を」
「おい、ターキ、刺激するような真似はよせ」
「刺激? もう聞こえちゃいないよ」
そう言われて間もなく、ブロンソンは剣を落とし、真っ青な顔になって地面に突っ伏した。
「大丈夫かい、ご夫人」
「ありがとうございます!」
近くにいた子供が駆け寄ってくる。
「ママーっ!」
親子の抱擁を見て安堵するのも束の間、俺とターキは近くにいた見回り兵に本部に報告するよう伝え、ブロンソンを捕縛する。
「おい、ターキ。さっきのは?」
「ああ、あれは俺の得意な魔法さ」
「どんな魔法なんだよ。魔力の波動すらほとんど感じなかったぞ」
「変性の亜種みたいなもんだな。空気の成分を少しいじった。薄い空気を吸ったブロンソンは高山病みたいに気を失っただけさ」
「お前にそんなインテリな魔法が?」
「あー、やだやだ。ただでさえ地味な魔法でテンション下がるってのに、お前からそんな侮蔑を受けるとはね」
なるほど、しばらく会っていないうちにターキは相当な手練れになっていたらしい。特務に就くパンテーラだ、それもそうか。
「ところで、ブロンソンは大丈夫なんだろうな」
「ああ、もうじき目覚める。覚醒時の魔法に注意しろよ」
「わかってるさ」
縄で柱に括りつけられたブロンソンは、僅かに身を震わせるとそのまま嘔吐した。嘔吐したものは、緑がかった黄色の液体のみで、ツンと酸っぱい匂いが立ち込める。
「おい、ターキっ!」
「そんな慌てんなよ、ミハイル。俺の魔法を受けて気分が悪くなることがよくあるんだ。さっきも言ったろ? 高山病みたいなもんだって。空気の濃度はもう戻してある。すぐに良くなるさ」
ブロンソンは、大きく呼吸を数回すると、次第に顔色が戻ってきた。そんな様子を見てターキは尋ねる。
「なあ、ブロンソン。どうしたんだよ。何があったんだ?」
「何があった? 何があったって? 畜生」
ブロンソンは悔しそうに唇を噛み、血のにじむ唇で話を続けた。
「何もなかったからこうするしかなくなったんじゃないか」
「おいおいおい、流石に話が見えないぜ。ブロンソン。頭の弱い俺にもわかるように説明してくれよ」
「……アルゴ侵攻でこの戦いは終息に向かうと聞いていたんです」
「っ……!」
「それなのに、なんですか。この状況は……」
「戦がいつも予想通りに動くとは限らないだろ」
「そんなことはわかっています。俺だって軍人です。敗北すれば失う、そんなことは……。わかっているんです。それでも、こんなのはあんまりじゃないですか……」
ブロンソンはポロポロと涙をこぼし始めた。
「俺の妻は、アリーシャにいます。一歳の息子と一緒に。それなのに、俺は軍人であるからという理由で会いに行くことすら出来ない」
現在、アリーシャにはミクマリノから承認を得た軍幹部、正確にはパンテーラ以上しか立ち入ることは出来ない。ブロンソンのような訴えを持つ者は少なくない。俺はブロンソンの肩を持って言う。
「もうすぐだ、もうすぐ、会いに行けるようになる」
「……根拠は、根拠はありますか?」
「……俺が上に掛け合ってみるよ」
「ミハイル隊長、俺は戦場で何度かあなたに助けられたことがあります。だから、あなたが言っていることは嘘じゃない、そう確信がある。でも、その上司がベガ大将である限り、俺は納得できない。大将は俺たちに、アルゴ侵攻が成功した暁には、侵攻ルートの価値と引き換えにミクマリノと交渉し終戦に向かうと言っていた。俺たちは約束通りアルゴを墜とした。墜としたんだ……。それなのに……」
ターキはいつも通りひょうひょうとした様子で言う。
「だとしても、今回のこの騒ぎはまずったな。軍人による市民への武力行使は例外なく極刑だ。家族と会う機会を自ら投げ打った馬鹿な行為だ、と断ずることさえできる」
「おい、ターキ!」
「はは、まあミハイルのことだから、その断定はできない、とわかっていたよ。情状酌量、だろ?」
「ああ、あの女性が被害を訴えなければ……」
「そうだな、でもまあ、目撃者も多くいることだし、ここはどうだろう。俺の伝手でラミッツの片田舎に異動ということで手を打ってくれないか? 状況を見て、アリーシャの家族もそっちに送るからさ」
ブロンソンはその場に泣き崩れ、戻ってきた見回り兵に連れられ、異動までの間、体裁を保つためにも投獄されることとなった。昼食後、ターキが報告を行ってくれるとのことだ。
「さて、と。それじゃ、飯に行きますか」
ターキは首をコキコキと鳴らして、いかにも仕事をしたぞ、という雰囲気を出した。
「そうだな」
ピアーシャの飲食店の数は多くない。大食堂が二つと、あとは個人で営んでいる料理店がちらほらある程度だ。そもそも外食を行うほどの金銭的、あるいは精神的な余裕が市民にまだ無い。そんな実情から、飲食店を出店しようという発想をする者が少ない。それでも何らかの理由で自炊が出来ない者の為に飲食店は必要であり、二つの大食堂は、そのどちらも国家資金を投入し、営業してもらっているという状況だ。
俺とターキはそのうちの一つ、クリプトン大食堂にまもなく到着するところだった。街中を眺めながら、ターキはつぶやく。
「最近じゃ小麦が高くて、まともなパンが減ってきたな」
「パン? ああ、確かにな」
小麦の主産地であるシーナがあの状況だ。スラム化で年々減っていた小麦だったが、いよいよ輸出はほとんど無くなってしまっている。
「軍人やってると、民衆の苦しみと少し離れちまうよな」
「そうか? まあ、俺たちとはまた違う苦しみではあるとは思うけど」
なんだか、話の芯が食えているのかよくわからない会話だったが、ともかく俺たちは大食堂に到着した。
当然、予約などする必要はなく、四人掛けのテーブル席、全三十脚のうち埋まっている席を数える方が早い状況だ。俺たちは出来るだけ隅っこの席に掛けた。
すぐに奥から筋肉質な店主らしき男がやってきて、俺たちの注文をとる。ターキは特に迷うことなくサバサンドを注文した。俺はサバサンドを見ると少し考え事をしてしまいそうになるので、今日のところはポークとキュウリのサンドを注文することにした。キュウリは香りが強く、味覚の無い俺にとっては楽しみがある食材と言える。
「んでよう、ミハイル、女は出来たか?」
「は? なんだよ急に」
ターキはテーブルの上に置かれた大きな栓抜きの穴に指を入れ、ぐるぐると回しながら突拍子もないことを言い始めた。
「おいおい、マジかよ。お前の歳で女の影ひとつなきゃ、いよいよディーと出来てる説が有力になっちまうぜ?」
「そんな説が? ディーとはそういう関係じゃ……」
「わかってるよ、真面目かよ、相変わらずだな」
ちょっとずつだが、ターキとの日々を思い出してきた。そうだ、こいつはジュラと妙に気が合う軽口の多い男だった。
「それにしたって、女がいないなんてちょっと異常だぜ。この戦乱の世によ」
「俺に子孫を残すつもりは無いし、俺の血は俺で終わらせるつもりだ」
「女が出来たらすぐその話かよ、真面目かよ。というか、むしろスケベかよ」
「ち、違う! それはターキ、お前が話しそうな話で」
完全にターキの思考で話をしてしまった。恥ずかしい。
「カカカ。まあ、そっちの話は確かに好きだが、それよりも心が帰る場所があるってのは良いぜ?」
「俺にはディー・エヌ孤児院がある」
「占領されたアリーシャに、か?」
「いずれ、アリーシャを取り戻したら帰るさ」
「取り戻す、ねぇ」
「ターキこそ、心が帰る場所なんてあんのかよ。ってか、なんだ心が帰る場所って。詩人かよ」
「あるぜ? そりゃもう、いたる所に」
ふー、やれやれ。
「ターキもジュラと同じ人種か」
「人種差別なんて、今この状況で最もやっちゃぁ、いけないことだぜ」
「揚げてもいない足をとるな」
「ジュラと一緒、とはちょっと違うなぁ。あいつは帰るべき場所に帰っただろ?」
「……そうだな」
「それに俺の場合はだな、諜報活動の観点で……」
「あー、そういうのもジュラはよく言ってたよ。やっぱり似た者同士だ」
「まあ、それでもいいさ。逆にお前と似た者なんかいねぇだろ」
「それは、まあ、いや、どうだろ」
孤児院のみんな、とは似てる、とも言えるか。それで言えば、軍人として勤める仲間だって似た者、と言える? 似た者ってなんだ、難しいな。
とかなんとか、頭の中でぐるぐる思考が巡っていると、テーブルには注文した食事が運ばれ、俺たちは少し遅い昼食をとった。
「ふいーっ。食った食った」
「そうだな」
食堂を出ると、外は夕暮れになっていた。久しぶりのターキとの、なんの重要性も持たない他愛ない会話で結構俺はリラックスしていたみたいだ。思いのほか、時間が経ってしまっていた。
「ミハイル、今日この後は?」
「もう少ししたら、東門拠点で打ち合わせだ」
「そいつはご苦労なこった」
「ターキは? 飲みに行くのか?」
「いんや、この後ブロンソンの手続きをして、それをベガ大将に報告する。そんで色々話してそのまま、次の指令だろうよ。最悪だ」
「世話かけるな」
「別にお前の面倒じゃない。気にするな」
「じゃ、またしばらくお別れだな」
「ほんと最っ悪だぜ、次はアリーシャ奪還後、だといいな」
「ああ、きっとそうなるさ」
「死ぬなよ、ミハイル」
「ターキもな」
互いに拳を合わせて、無事を祈りターキと別れた。
街は夕暮れに赤く染まり、遠い昔に孤児院のみんなと眺めた夕日を思い出した。あの時は、確かスノウにクライヴ、アルロさんに連れられてやってきていたディーも一緒にいたっけ。
あの日の俺たちはこうなるってことを、想像すらしていなかったな。故郷が奪われてしまって、みんなの道もばらばらになって……。
……。
ディー、こんな時だと言うのに、お前はどこにいるんだ。出来ることなら、話がしたい。
――王国歴1504年 1月 ピアーシャ南門拠点
「よし、それじゃブロンソンくん、俺も後からそっちに向かうから、部下の言うことをよく聞いておとなしく待っていてくれよ」
馬車の中のブロンソンは、涙ながらに頭を下げて言った。
「このご恩は絶対に忘れません。ありがとうございます」
「はい、はい。まあ、色々頑張ってね」
ターキは、ニコリと微笑んで前で待機する運転役の兵士に近づいて耳打ちした。
「手筈通り、ティニー渓谷で殺してそのまま川に流せ」
「はっ!」
まもなくして、馬車はピアーシャを出立した。
「ターキ上官殿、素晴らしいご判断ですね」
馬車を見送るターキは、目線は馬車に置いたまま背後にいる人物に答える。
「何の話かな? 情状酌量の余地を考慮して彼には幸せになってもらう道を与えたまでさ」
「死は、幸せですか?」
ターキは振り返る。
「グラム中尉、妙な詮索は寿命を縮めるよ」
グラムは少し怪訝な顔をしたあとで、腕組をして、もう豆粒ほどの大きさになった馬車を見つめて言った。
「何故、彼を処分する判断に至ったのか、その思考回路に興味があります」
「だから、処分は……」
「残念ながら、私、読唇術を心得ていまして……」
一流の諜報員でもあるターキは、重要な会話で口元を誰かに見せるような凡ミスはしない。つまりは、グラムの言っていることは、ただのカマかけに過ぎない。仮に読唇術が出来ていたとして、口元がどこかの角度から見えてしまっていたとしても、それが読み取れる距離にグラムは絶対にいなかった。だが、ターキはこの会話の内容を「口実」であると読み取った。この後に話す内容への保険か、品定めか、あるいは……。
「まあまあ、そうだな。仮に、本当に仮に軍内部に上層部に対する不満を持った人間がいるとしよう。それも、自分の人生の喜びを搾取されたような事件に基づく大きな不満だ」
「はい。なるほど、興味深いです」
「そんな人間が、一度手に取った抗議という刃を手放すことが出来るだろうか。十人に一人くらいは、目の前に出された甘い言葉に懐柔されて再び忠誠を誓うかもしれない」
「しかし、それをこちらで判断することは極めて難しい、と」
「そういうことになるな。そして、それが今のピアーシャ周りで起きることは非常にまずい。当然、亡命先のラミッツでも同様のことが言える」
「下手を打てばラミッツとの国交問題になる」
「その通りだ。ランディ国王はルストリアに好意的だが、その周りは一枚岩じゃない。今度大将が描く平和への道に問題が生じてはいけないからな」
「確かに、一名殺して丸く収まるなら、安い出費、ということですかね。ああ、一家か」
「……そこまでは言っていないが、そこに反乱の芽が出そうならば、用心くらいはするかもしれないな」
グラムは露骨に嫌悪の表情をしたが、自身の両手で顔を覆い少し揉み解すと、いつもの表情に戻っていた。
「ターキ上官殿……」
「ターキさん、でいいぜ?」
「では、ターキさん。手紙は読んでいただけましたかね?」
「あの読ませる気のない暗号文のことか?」
「流石です。ターキさんなら必ず、お話を聞いてくれると信じていました」
「お話、ねぇ。言っておくが、手紙の内容については大将に伝えるか考えているところだ」
「あはは、あなたはそんなことしませんよ。だって、あなた『あっち側』でしょ?」
ターキは、腰に差している短剣に手をかける。グラムは眉一つ動かさない。
「参ったな、智将ホランドの息子、軍師グラム。そこまでたどり着いているとはね」
「場所を移しましょうか。ちょうど良い場所をおさえてあります」
二人が話していた南門から、更に南に移動した先にもう使われていない屋敷があった。ここは、かつて名のある魔導士が暮らしていた屋敷だった。奇しくも、その魔導士は、第一次大陸大戦で名誉の死を遂げた、ドガイ、ノガミ、更にはクライヴの恩師であるランツを弟子にとりそれぞれをかなりの実力者に育て上げた人物であった。
彼の足跡は、ランツの葬儀後は不明で、軍への招集命令にも応答は無く、既に死んでしまっているのではないか、という憶測が有力視されている。
そんな実情は、直接関わり合いのある、ホランドやベガくらいしか理解しておらず、その為、その他の人間にとってこの館の立ち位置としては「何故か放置されている不気味な屋敷」という認識以外にはない。辺りには森が茂っており、道という道も存在しないため、望んでここに来る者はいないだろう。
グラムはどこからか持ち出してきた館の鍵をポケットから取り出すと、ターキを館の中に招き入れた。
「こんなところがあったとはね。街中で会うことが難しい女性と良い感じになった時には、ここを使わせてくれよ」
と、ターキは相変わらずの様子で軽口を叩くが、グラムは大広間のランプに火を入れ奥の座席に腰を掛けた。どうやら、軽口に付き合うつもりはないようだ。
ランプの光は非常に大きくまるで薪のようであったが、不思議と熱くはなかった。壁にかかる大きな絵画を不気味に照らした。
「さて、ターキさん、早速本題なんですが」
「おっとその前に、だ」
ターキは腰につけていた小袋の中身を床にばら撒いた。ばら撒かれた銀色の粉は、ターキが触れると淡く発光し、先ほど入ってきた扉の隙間に向かって移動を始め、外に出て行った。
「それは?」
グラムが尋ねると、ターキは髪の毛をかき上げながら言った。
「あの銀の粉は特製のマジックアイテムさ。誰かが近づくと反応して発動者に知らせてくれる。そのうち軍務にも使われるようになるよ」
「そうですか」
ターキは、盗み聞く者に警戒して発動したように見せていたが、実際のところは、それと同じくらいグラムに協力者がいると踏んでいた。つまるところ、ここでターキを脅すために隠れた仲間がいるのではないか、そう疑って付近一帯に銀の粉を広げたのだった。そんなことはおくびにも出さず、平然な様子でターキは、椅子ではなく机に腰かけた。
「んで、グラムちゃん、話ってのは何かな?」
「ターキさん、既にそれは暗号文でお伝えした通りですが……」
「なぁに、確認だよ。俺がもしかしたら暗号文を読み間違えている可能性だってある。ましてや、あんな文章だ」
「それは、あなたがミクマリノと内通していると踏んで信用したまでですよ」
「……内通者を信用、ねぇ。なんだか矛盾した話だ」
「そうですかね、思惑、思想、思考、思慮、そんなものは十人いれば十人違う。軍人のように思想を固定された偏向家でなければ、自分の理想を求めて様々な場所に行ってみたい、と考えるのは自然です」
「小難しく言ってるが、俺とお前が同じ穴のムジナだとでも言いたいのか?」
「少なくとも思考回路に似たような行動パターンが見受けられます」
ターキは机を降りて、壁に飾られている絵画の前まで行って口を開く。
「俺とお前は全く違う、違うが、利害を共有することは出来るかもしれないな」
「それで良いです」
「んで? マジでヴィクトに会いに行くのか?」
「ええ、あなたなら実現してくれると信じています」
「見返りは? 利害を一致させてくれるんだろ?」
「そうですね、大陸に平和をもたらします」
ターキは、突拍子もないグラムの発言に大きく笑い声を立てた。
「グラム、お前、マジか?」
「マジじゃなければ、こんな大胆なこと行動に移しませんよ」
「良いだろう。だが、わかっていると思うが、ヴィクトは……」
「心理操作ですね、大丈夫、だと思いますよ。それなりに対策はあるので」
「いいだろう、簡単にはいかないとは思うが、数日以内にその依頼をこなしてやるよ」
「ありがとうございます」
「はーあ、最悪だぜ。智将がこんなにイカれたガキとはよ」
「失望しましたか?」
「いんや、少しやる気が出てきたよ」
――王国歴1504年2月 石守の里 ゴーベ・ククル本殿
「ふーん、なるほどね」
「……」
石守の里内部から外界を見るためのマジックアイテム『物見の水晶』を覗き込んでいる男は大層不服そうな顔をして呟いた。その近くには側近のような男が立っていて、偉そうな男を無表情に見つめていた。
「なぁなぁ、外界の人間はなんでこうも阿呆ばかりなんだ?」
「……」
偉そうな男は水晶から目線を外すと、無表情の男に尋ねた。だが、返事はない。
「おいおい、外界からやってきた男、ディー。お前に聞いているんだ。なんとか言ってくれよ」
「先ほど、口を開くな、と命じたのはあなたです。オグズ・ヴァロ様」
オグズ・ヴァロと呼ばれた偉そうな男は、大きく息を吸い込んで、わざとらしく深いため息を吐く。
「ディー。外界の人間が阿呆なのはそのあたりだ。一度言われたら、全てを受け入れてしまうのか。時と場合、という言葉を知らないのか」
「お言葉ですが、ヴァロ様、先ほど私が進言した、ルストリアに助力すべき、という言葉は、外界に接触することは禁止されているという掟を一度も破ることが出来ないから却下されたのではないでしょうか?」
「掟には時も場合もない。あまり口答えをすると、この前みたいに訓練しちゃうぞ」
「……失礼しました」
「ふん、よわっちいくせに声ばっかりでかいのは外界の特権だもんな。まあ、寛大な俺はお前を許すよ」
と、言っているものの、この男はちっとも寛大ではない。この男の祖父、石守の長が勅命で差し向けたゼキという監視役の人物がいて、ディーの肉体にもしものことがあれば、すぐさま報告を行うことが義務付けられている。もしも何らかの問題が発生すれば、ヴァロは祖父からとんでもない罰を与えられるか、あるいは、里内での何らかの重要な権利を剥奪されることになっている。つまり、この男にとっての絶大なデメリットを生むから、ディーに対して直接的な手出しが出来ない、という理由だけがディーを殺さない理由になっていた。
ディーも当然、そのことは理解している。だが、訓練という名目の折檻は日常的に行われており、ご丁寧に治癒魔法はキッチリかけてくれるので、きれいさっぱり傷は残らず、苦痛の記憶だけがディーの中に蓄積されていく。
だが当のディーはその苦痛よりも、ヴァロに対しての憤りと、石守に入ったところで何一つとして大陸の問題を解決できない自身への憤りが大きく感じており、その苦痛に耐えることこそが今自分にできることであると言い聞かせていた。その結果、苦痛こそが問題解決の糸口の一つであるように勘違いを起こしはじめ、この苦痛によって親友ミハイルの痛みを少しでも肩代わりしている、そんな気さえしているのだった。
「見てみろ、ディー。こいつら水の原魔結晶石の祠の周りに軍事拠点なぞ作って、包囲を始めている。こんなことで、石守の人間から結晶石を奪おうなどと考えているんだろう。全く持って愚かだ」
「この拠点の形から見るに、外敵からの防衛を視野に入れた設計をしていると思いますが」
「そんなことは関係ない。こいつらがこれを守ろうと、これを壊そうと、どちらにせよ知ったことじゃない」
「石守は結晶石を守るための組織ではないのですか?」
「その通りだ。ただ、守るって言ったって、見守ることも守るうちに入るんだぜ?」
「見守ることは、守ることに入りません」
「今のお前のようにか?」
「……」
ヴァロが水晶のすぐ横にある床に突き立てられたロッドを握ると、水晶の中の内容が変わり、そこにはミハイルが映っていた。
文字通り見守ることしか出来ないディーは下唇を軽く噛んで、あざ笑うヴァロを睨みつけた。
「おお、怖い怖い。そんな顔をされたらおしっこちびっちゃいそうだ。やめてくれよ、ディー」
「……」
ディーは変わらずヴァロを睨みつけていたが、少しの間をおいて、苦しみはじめ、喉を掻き始めた。どうやら、呼吸が出来ないようだ。そんな様子を見てヴァロは、自身がかけたディーへの魔法を解く。
「そういう態度もさ、万が一にでも俺を殺せる可能性が出来てからしなよ。いい大人なんだから、みっともないよ」
「……はぁはぁ、はぁ」
「これは外界の人間が編み出した魔法だ。知ってるだろう? 障壁魔法を人間の喉に展開する、なかなかいい魔法だ。これならお前の体は傷つかない」
「……はぁ、はぁ」
ヴァロはやれやれ、という身振りをした後で、再びロッドを握りしめ、水晶の映像を切り替えた。その映像は破壊されたシーナの原魔結晶石だった。
「身の丈にあったことをしろ、これがお前を含む、全ての外界人に言えることだよ」
「……」
「守る、だの、破壊する、だの、外界人には身に余る行為だ。そもそも関与すら許されていない。それでも、これに関与し、死への運命が決められてしまうのであれば、やはり、お前ら外界人は阿呆だ、ということだ」
「それなら、これを石守が修復しに行くのに何の意味があるんだ」
「はぁ?」
「石守は外界に関与しない。しかし、外界が原魔結晶石を破壊したことで、石守が修繕するのであれば、これは関与と見てもおかしくないだろ」
ヴァロは、ハッとした顔をした後に、とても形容しがたい良くない顔でディーに言った。
「その通りだな。その通りだ……」
「……? わかってくれたなら……」
「しかし、まあ、今はまだ時じゃない。あいつは近いうちにここにやってくるだろう。しかも、当主が修復作業に向かうタイミングを見計らって来るはずだ」
「あいつ?」
「ああ、お前は何も知らなくていい。あいつのやり口は熟知している。その時がタイミングだな。ああ。いいじゃないか。なかなかに心躍る。俺も一つ阿呆になってみようか」
自身が放った言葉が、ヴァロの中でどのように解釈されたのかディーにはわからなかったが、あいつという人物には心当たりがあった。
それは、ルストリアのベガである。
ベガとヴァロは犬猿の仲で、石守の中で知らない者はいない有名な話であった。ディーはその現場に遭遇したことはないが、特にヴァロ側の敵意は尋常ではなく、過去に数回魔法による争いがあったのだとか。以来、ベガとヴァロは直接的に会うことは禁止され、偶然出会うようなこともないように石守内で配慮されているのだと言う。
ディーは何故そのように関係性が悪化したのかを、監視役であり、保護役でもあるゼキに聞いたことがあった。
話によると、ヴァロはオグズ一族相伝の「不死の魔法」がうまく引き継ぐことが出来なかったようで、そのために、次期当主としての権利を半分剥奪されてしまっているような状況らしい。
そこに、ベガがやってきて、事故とは言え、不死の魔法の一端を偶発的に習得してしまったことに始まり、人間であるにも関わらず、石守の中でそれなりのポジションを獲得し、しまいには石守の血を薄める決定的な要因であるスカウトを担っている。
特に、このスカウトという部分が気に入らないらしく、ヴァロは血統というものに非常に執着している節があり、外部の人間を里に招き、血を薄めていくその状況も因縁の一因であるという話だった。ゼキはそれ以上に何かを知っている様子だったが、ディーに教えられる情報はここまで、という雰囲気を見てディーはこれ以上聞くことをやめた。
「おい」
「……はい」
色々と考え込んでしまっていたディーはヴァロからの呼びかけに、少し戸惑いながらも返事をした。
「予定が変わった。お前はこれから『回路』を抜けて水に向かえ」
「ミクマリノですか?」
「ああ、そうだ。そこでしばらくは反射の補助をやってこい」
「しかし……」
「当主の判断か? 大丈夫だ、安心しろ。水の原魔結晶石の反射を担っている人間に一人空きが出る。お前は何も言わず、そこに俺の指示で来たと言えばいい」
「なんでそんなこと……」
「さあな。だが、急がなくていいのか? 別の人間がそこに送り込まれるかもしれないな。その祠にルストリアだかミクマリノだかが攻め込んできたら、今度はお前がミハイルを救えるかもしれんぞ。この前のクライヴみたいにな」
「……っ」
ディーの性格を把握し、現在のディーの望みを知っているヴァロからすれば、操ることはたやすい。
しかし、奇しくもこの行動によってディーはこの後、ミハイルと出会う機会を逃してしまう。
ヴァロが何を思いつき、どう行動を起こすのかは知る由もないが、この後の動きの中でディーは邪魔だった、ということなのだろう。
ディーが部屋を出て行ったあとで、ヴァロは一人指を弾く。すると、宙に亀裂が入り、中から石守の一員の証である白装束を纏った若い男が出てきた。
「お呼びでしょうか、ヴァロ様」
「ああ、呼んだとも。今から水の原魔に向かえ」
「かしこまりました」
「リアークを一人始末したら、俺のところに戻ってこい」
リアーク、それは原魔結晶石の維持を担当する魔力の反射役である。原魔結晶石は繰り返しの反射によって、溢れかえる魔力を再び石の中に循環させることによって維持している。溢れる時期は石によって違うものの、その様子は常に石守が監視している。その時期がくれば、一人三枚程度の反射壁を空中に展開させ、ほとばしる魔力をまるでパン生地をこねるかのように、集中させ石の中に戻していく。
「かしこまりました。では」
「ああ、ちょっと待て。始末する時は音か呪魔法を使うようにしろよ」
「委細承知しました。では」
ヴァロが魔法の属性を指定したのは、死後魔法の余韻が最も残らない方法がその二つだからである。炎や氷では魔法の余韻以前に見た目ですぐに死因がわかってしまう。しかし、音や呪魔法であれば見た目にはわからない。特にヴァロが信頼する側近、トリムがこれらを巧妙に使えば相当上のクラスが見ない限りバレることはないだろう。そもそも、石守において内部で何者かが何者かを殺す、などという発想すらない。死んだ人間は石守独自の超自然主義に則り、そこまでの役目であったのだろうと誰もが納得する世界なのだ。争いごとなど、石守の長い歴史の中で、ヴァロという男がベガとやり合うか、少し昔にイヴリスというヴァロの実姉が親子喧嘩をした、という事件があったぐらいで、基本的には起こりえないのであった。
トリムが再び空間の切れ目に吸い込まれていくと、ヴァロは指先から魔法の糸を作り出し、現在いる建物の窓の外に見えるリンゴをその糸で器用にもぎ取った。
その糸を指でくるくると回して手繰り寄せ、リンゴを手に取ると、がぶりと噛みついた。りんごの表面はつやつやしているにも関わらず、噛みつくと中身はぼそぼそで、蜜も入っていない。
「相変わらず、不味いな」
「不味いわりに随分上機嫌じゃないか、ヴァロ」
気が付くと、扉の近くには老人が立っていた。
「ゼキ、いたのか」
「先ほど、雷から帰ってきたところじゃ」
「なるほどな。で、どうだった?」
「どうもこうもないわい。相変わらずじゃよ」
「外界の愚かな行い、か」
平然を装っているものの、ヴァロは気が気ではない。雷の原魔に行っているからこその自由なふるまいだったが、ゼキは予定よりも一日早く帰ってきた。先ほどの行いがバレてしまえば、懲罰は間違いないし、それよりもその先にある「おたのしみ」にありつけない。
「おや、ディーはどこにおるのじゃ?」
「ああ、水のほうで人手が足りないようだったからそっちに送ったよ」
「何をまた勝手なことを……」
「元はと言えば、あいつのお守りで俺を監視していたわけだろ? 良かったじゃないか。仕事が減って」
「まあ良い。儂は記録するだけじゃ。あまりにも自分を肥大化させて役割を見失わないようにな」
「はん、お前は俺の親かよ」
「少なくとも見ている時間は、親と似たようなもんじゃろ」
「冗談きついね。用が済んだら、どこかに行ってくれ」
「言われずとも。まもなく当主様の石齢の儀が始まるのでな」
そう言うと、ゼキは自身の影の中に吸い込まれて消えた。
「石齢の儀、か……。何年ぶりだ?」
石齢の儀とは、原魔結晶石を修繕、あるいは転生させる際に行う、全ての結晶石に対して祈りを捧げる儀式のことである。これを行い、リザァルタと共に今後の計画を立てる。
「俺も、色々と準備をしておかないと、な」
ヴァロは、部屋に備え付けた大窓から見える満月を見ながら恍惚とした表情を浮かべた。
――王国歴1504年2月 ルストリア ピアーシャ 北西部
鼻先をかすめる冬の匂いが、忘れることはないと思っていた彼の名前を思い出させる。雪という名前をつけられた俺の友人は、もうすでにこの世にはいない。幼い頃から面倒を見てくれていた恩師達も、永遠の眠りについている。空からゆっくりと降ってくる真っ白な雪と、踏みつけた霜柱の心地よい音によって、なんだかセンチメンタルな気持ちになった。
思えば、ここ最近は軍務に次ぐ軍務、戦闘に次ぐ戦闘でじっくりと今の状況を確認する暇もなかった。現在は第二次大陸大戦の最中であり、王都を奪われてしまった状況であるにも関わらず、戦闘を行うような軍務は発令されておらず、どちらかと言うと王国中枢、頭脳労働を行う人たちのターン、というように感じる。
こういったタイミングでもなければ、自身の体の調整も腰を据えて行うことは難しいため、ピアーシャ北西部に新設されたフィロンさんの研究所に行くことにした。
兼ねてより、フィロンさんから幾度となく精密検査をさせろ、と言われていたのだが、何かと理由をつけて研究所を避けていた。避けていたうちに王都は奪われてしまったわけだ。
「あーあ、残念、精密検査行きたかったんだけどなー」
なんてことを心の中で呟くことで、少しでも検査から逃げている自身の罪悪感から逃れようとしていたのだが、そもそもフィロンさんの研究は王都が奪われたくらいでは終わることはなく、紙とペンさえあればどこでも研究所になってしまうような人であるわけなので、難なくここピアーシャに新設の研究所を開き、そこに籠って研究を行う、という生活を再開しているようだった。
おまけにこちらは戦闘を想定した軍務は発令されていない。こうなってしまえば、こちらに生活圏が移ってから、三日おきに送られてくる精密検査依頼の手紙を無視し続けることは実質不可能であると判断し、渋々顔を出すことにした。
フィロンさんの研究所は、ピアーシャに新設されるにあたり王立魔導治療院という名に変わっていた。理由としては、多くの国民がここで不安になりながらも日常を再開させていくにあたり、その生活の中で必要なのは研究よりも医療である、という判断だ。聞くところによると、ルストリア軍を非難する人たちが敗戦にかこつけて、研究所の意義を疑問視する声が上げたのだとか。フィロンさんの研究が、如何に国民の生活に関与しているかわかっていない人たちの声だな、とは思ったが、市民、いや人間だれしも不安に駆られれば、疑心に囚われてしまうことは仕方のないことだ。
フィロンさんは治療院の人たちと協力し、かなり大規模な施設の運用を任されることになって心底面倒そうにしていたが、設立から一か月程度で市民からの評判も非常に良い。結果としてフィロンさんの指揮能力も再評価されることとなった。評価などフィロンさんにとっては最も興味のないことのような気がするが、それでも知っている上官の良い評判は聞いていて気持ちが良いものだった。先日の一斉昇格の際に、フィロンさんは魔導軍特務大佐に昇格した。これは魔導軍大佐と同等の指揮権を持ち、かつ自身の軍隊を所有しない、という意味だ。話がややこしいのだが、戦闘になった際、大将からの依頼があれば指揮権を握るが、普段自身の軍部を持たず、研究員のチームは束ねます、みたいな感じになる。今までと変わったことと言えば、有事の際はフィロンさんも現場に出る、ということ。それだけ、現在のルストリア軍は人員が切迫しているということだ。多分、フィロンさんは治療院の指揮よりこの辞令のほうがげんなりしているんじゃないかと思う。
街の中を歩くこと三十分、ようやく王立魔導治療院に到着した。正面入り口の扉についている窓からは、中で順番待ちをする患者が数名見えた。俺は着ていたコートを入り口の前で脱ぎ、ズボンについた雪を手で払うと裏口の扉を叩いた。
「やあ、こんにちは、ミハイル」
「やあ、レイニー。やっとここに訪れることが出来たよ」
レイニーは、少し鼻で笑って、壁際にあるハンガーラックを指さした。俺は、ハンガーラックにコートをかけ、奥に向かうレイニーの後をついていく。
「や、ややや。これはこれは……」
「久しぶりだね、チャイ」
チャイは相変わらずの挙動不審ぶりで、俺のことを頭のてっぺんからつま先までを舐めまわすように見て、手元の紙に何かを書き込んだ。
「あれ? フィロンさんは?」
「る、留守ですね、はい。じゃ、そこに座って」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺の検査はフィロンさんがやることに決まっているはずじゃ……」
俺の特異魔法に関しては、機密情報扱いだから、フィロンさん以外には検査できないはずだ。と、考えていると、背後からレイニーが解説を始めた。
「フィロンさんの言伝で『もし私が留守中に、今まで面倒だからと避けてきた精密検査を、良心の呵責に耐えかねたミハイルくんが、ようやく手が空いたので来た、みたいな顔で来た際にはチャイ、君がミハイルの検査を行ってくれ。機密を扱うための許可書は既にここにある。チャイ、そしてレイニー、君たちに一任する』と、言うことでしたよ」
「……ぐっ」
何から何まで見破られていて、とんでもなく恥ずかしい。
「しかし、機密だと言うのに、大丈夫なのか?」
当たり前の質問を投げかけると、チャイは少し頭を傾けながら答えた。
「え、ええ。大丈夫、だと思いますよ。それに、ミハイル、あなたの魔法は安定してきている、と言えなくもない状況になったので、既に正式な戦力として数えることになった、と推測します」
「正式な、って……」
「あ、いえいえ、言い方が難しい、ですね。ある程度の情報共有を行い、あなたの魔法を戦術に組み込む可能性が、出てきた、ってことです。はい」
「なるほど、確かに最近では少ない対価で、魔法を放つこともできるようになってきている」
「そのことなんですが……」
チャイは、俺の視力を失った目を覗き込んで言う。
「少ない対価、とおっしゃいましたが、私はむしろ逆なんじゃないかと思いますよ」
「逆?」
「ええ、既に大きすぎる対価を払っているので、今はそのお釣りみたいなもので、魔法が発動している……。とか」
「そんな、飲み屋のツケみたいな話があるか?」
「断言はできませんが、私の推測はそんな感じです」
ようやく、視界に現れたレイニーが俺のもう一つの目を覗き込みながら言う。
「私の推測では、ミハイルさん、あなたの魔法の熟練度が上がった、とも言えるんじゃないか、って思いますね。ほら、あのクロードさんのように少ない動きで、敵をやっつけるみたいなのがあるじゃないですか、あれと同じで、何度も使ううちに魔法の効率が上がった、とか」
無くはない話だ。一般的な魔法も、使用頻度によって使用する魔力は増減する。つまりはそういうことなのだろうか。レイニーは言いたいことを言い終えたのか、コーヒーを取ってくる、と奥に行ってしまった。そんなレイニーにまったく目もくれずにチャイは、胸にしまっていた杖を握ると、器用に指でくるくると回しながら話し始めた。
「しかし、フィロンさん、こんな面白、いや、重大な魔法を私たちに隠しておくなんて信じられない」
「今、面白いって言ったろ」
「しかし、それにしたって謎が多いですよね。あなたは停止した時の中で動けるというのに、それを誰も知覚することは出来ず、更にはその魔法の実行中に停止した敵を切り裂くことが出来るわけです。そんなこと、ありえますか?」
「そんなこと言われたって……」
「そう! 実際に出来てしまっているわけです。本来であれば、停止した時間の中では全ての物を、人間も、鎧も、衣服も、その全てのものに変化を与えることは出来ない! でもそういった可能性を排除し、まるで別の世界から介入する読み手の如く、これを行う。私はそれを『異次元の存在』と呼んでいます」
「次元? よくわからないな」
「これをご覧ください!」
チャイは、待ってました、と言わんばかりに、高そうな本を目の前につきつけてきた。
「ファノリオスと七人の騎士、この童話がなんだ?」
「このお話、知っていますよね?」
「ルストリアにいて知らない人間なんていないだろ」
「そうですよね、じゃあこのページわかりますか?」
「ああ、よく知ってる。ファノリオスが、悪しき魔物に心奪われた七人の騎士に襲い掛かられるところだな」
「そうです、じゃあ、その続きは?」
「確か、七人それぞれに違った弱点があって、ファノリオスはそれを知恵と魔法で切り抜けるんだ」
「はいはい、そうですよね、そして、結末は?」
「あのなぁ、この質問に何の意味が?」
「いいじゃないですか、この結末、教えてくださいよ」
「ファノリオスは、七人の騎士を討伐して、大陸に平和が戻るんだよ」
「ふむふむ、その通りですね。では、ここであなたの魔法を解説しましょう」
と、チャイは言うなり、その本の一部を破り捨てた。
「何してんだ?」
「じゃ、ちょっと読んでみてください」
チャイが破り捨てたのは、ファノリオスの戦闘シーンまるごとだ。
「……なるほど」
「わかりましたか?」
「ああ、今チャイが破り捨てたのは、ファノリオスの戦闘描写だ。つまり、戦闘が起きた次のページでは大陸に平和が戻っている」
「その通り、ここでこの作品内の七人の騎士の視点に立ってみましょう」
「気づいた時には、死んでいた、ってことか」
「そうですね。つまり、この魔法は時空間的な魔法ではなく、概念に関する魔法で、かつ次元に干渉する魔法だと言えます」
「さっきから、その次元ってのはなんだ?」
「ざっくり説明すると、インクを一滴こぼしたその点が一次元、それを横に伸ばすと二次元、更にそれに奥行きを与えると三次元、という学説の引用です。そこに新たな次元を要素として加えることによって、今まで想像しえなかった新たな概念を生む、という話です」
「また、少しわからなくなった……」
「簡単に言えば、この物語の登場人物が生きていると仮定して、物語を破り捨てた私は次元の違う存在になる、ってことです。結果としては勝ったけど、その途中、なんか奇妙だったな、くらいにしかこの登場人物は感じないかもしれませんが」
「なるほど、それで異次元……」
「そう、高い次元の者はその次元の者よりも低い次元の者から認知されない、という特性をもって、ミハイル、あなたの特異魔法は異次元に干渉する魔法である可能性が高い、と考えています」
次元に干渉する魔法、か。
「あーっ!!」
奥からやってきたレイニーは、机の上にコーヒーの入ったカップを置くなり、大声をあげた。
「チャイ! この本は病院の待合室に寄贈された、とても高価なものなんだぞ! なーんてことを!」
「ああ、そうでしたかねー。それじゃ、修復お願いしますよ」
「お断りだね! フィロンさんが帰ってきたらたっぷり怒られるがいいさ!」
そういえば、フィロンさん……。
「なあ、フィロンさんが留守って、いったいどこに行ったって言うんだ?」
「ええ、それはキュレ……」
「まあまあまあ! フィロンさんはちょっとした用事でラミッツにね」
ん? チャイが今何か口走りそうになったのを止めたぞ。なんだ?
「ああ! そういえば! 敵の使う戦法の解析が終わっていたんでした! これは大事な情報ですねぇ! すぐに聞かないと次の戦場で大変なことになってしまうかも!」
珍しくチャイが焦っているのは見ていて新鮮だったが、それよりも俺に聞かれたくないフィロンさんの話、か。なんだろう。そもそもフィロンさん自体かなり謎の多い人だし、ここで考えていてもしょうがないか。
チャイが言うように、敵の戦法「過剰治癒」に関しては、かなり興味がある。というか、知っておかないと生死に関わる。スルトでは相当痛い目を見たしな。
――王国歴1504年2月 ルストリア ピアーシャ ピルゴス・エリーニ 特別作戦室
ターキは考え事をしながら、ピルゴス・エリーニ内の地下階段を下っていた。
ピルゴス・エリーニには、現在ルストリアが所有する全ての技術が詰め込まれていると言っても過言ではない。
付近一帯には魔力ソナーが点在し、外敵などによる強襲に備えている。更にこの魔力ソナーは、魔力を感知すると障壁魔法を放つ仕掛けが施されており、遠方からの魔法による狙撃などにも有用に作用する。アリーシャ城に比べてしまえば、かなり貧弱な守りではあるが、この装置自体を奪われた際に逆に使われてしまう可能性を考えると、設備をただ強力にすればいい、というわけではない。
ピルゴス・エリーニは見たところ一般的な駐屯基地に似ているが、この施設のモデルはかつてのスルト城である。つまり、本部は地上階にはなく、重要な機密を扱う施設は全て地下階に存在している。スルト城と似た建物を地下に埋め、地上階は交流の場及び敵襲警戒のためのキープタワーとしたのだった。
地下、最深部には特別作戦室があり、ここには限られた人間のみが立ち入ることが出来る。特別な人間と言うのは主に魔導軍大佐、諜報部隊幹部、そして暗殺部隊幹部である。
ベガ大将はこの特別作戦室で、これからの展開を推測し、作戦を構築していく。これまで自ら戦場に出て得た経験、これまで大陸で起きた争いの歴史書、これまで出会った全ての人間の戦闘手法、これらが全てベガ大将の脳からは忘却されることなく、余すところなく記録されており、その数千、数万の情報を更に数千、数万の情報と掛け合わせ、数多の戦術の中から最善を探し出す。
はっきり言って人間が出来て良い技ではない。少なくとも俺はそう思う。
ただ俺は、そういう化け物がひしめく戦争で、自分の役割をこなしていくだけ。決して特別なんかじゃなくていい。そんなもの窮屈なだけだ。
「失礼します」
「入れ」
「はっ」
相変わらずベガ大将はいつもと変わらぬ、涼しい顔と鋭い目つきで俺を眺めた。俺は扉を後ろ手で閉めると、まもなくベガ大将は手元の資料をひとまとめにして、再びこちらを見て口を開いた。
「報告書は既に確認した。ご苦労だった」
「はっ」
あの書類の量を既に読み切ったと? 冗談きついぜ。俺が、約一年かけて書いた報告はものの一刻ほどでベガ大将の脳に吸い込まれていったらしい。他の報告書も見ているはずだから、実際にはもっと早いんだろう。
「それで、ターキ。今後の任務なのだが……」
「失礼ながらベガ大将、その前に先ほど街中で……」
「ああ、それについてもご苦労だった。処置に関しても、ターキお前に一任する。既に処置が済んでいると思うが」
「はっ。おっしゃるとおり、既に解決済みです」
処置、ねぇ。どこまで把握してんのかね。まあ、それは把握してようがしてまいがどちらでも同じか。
「では、次の任務についてだが、暗部の手配をして欲しい」
「……暗殺ですか」
ルストリア軍の活動の一環に、暗殺があることは軍の人間も含めほとんど知られていないことだ。それこそ、ムーア総司令官、ベガ大将、魔導軍大佐のごく一部にしか知られていない、法の番人の秘匿。
戦時中における暗殺の優先度は決して高くない。暗殺とは本来、相手が気を抜いている時にこそ行うものであり、相手が臨戦態勢の状況に暗殺などしようものなら返り討ちに合うのが関の山だろう。
仮に敵軍の重要人物に近づくことが出来るのなら、そもそもそれを織り込んで戦術として使用するべきで、その場合は暗殺ではなくただの奇襲だ。
ベガ大将は俺に一枚の作戦書を手渡す。その作戦書は真っ新なものだったが、魔力を込めると、書類上に青い炎が走り、文字を焼き付けた。
これは、諜報部員が使用する蒼炎書と呼ばれるものだ。魔力を込め、炎が走り出し、文字を書き出し、そこからちょうど3分でこの書物は燃えて跡形もなくなる。
「ベガ大将、これは……」
「ああ、お前の次の任務はミクマリノ幹部のいるところまでこいつを送り届けることだ」
「しかし、こいつは……」
俺が全て話し終える前に、背後の扉が小さく開いた。すぐに警戒の姿勢をとる。その扉の隙間から若い男の声と共に汚い足が入ってきた。
「こいつ、って言い方は良くないよ。敬意に欠ける。ああ、そう、敬意に欠けるよ」
最っ悪だ。肩ほどまで伸びた頭髪。目の下の大きなクマ。淀み切った緑の瞳。小柄な体。暗部内序列元三位『無』だ。
「よく来てくれた、ヒッチ」
ヒッチは、俺の横を通り、ベガ大将のデスクの前まで歩いていく。俺は、それをやや大げさに避けて、後ろに下がる。
「お久しぶりです。ベガ大将。ターキもお久しぶり」
「お、お久しぶりです」
最悪、という言葉以外に出てこない。特異魔法持ちの暗部、ヒッチ。彼は報告書によれば……。
動揺する俺を見てベガ大将は、必要な説明をする。
「ターキ、彼は報告書上では死亡扱いになっている。だが、それは虚偽の報告となっていた。それは、言うまでもなく、ミクマリノを欺くためであり、相手の切り札に対するカウンターとしての作戦だ」
「ええと、質問していいですか?」
「ああ、手短にな」
「この作戦は誰まで知っているんですか?」
「無論、この場にいる人間のみだ」
「……かしこまりました」
マジかよ。ってことは、責任重大じゃんか。しかも、これもまずいことに、ヒッチは死んだ、とヴィクトに話しちまってる。生きていることが発覚したら……。
「どうかしたか? ターキ」
「……いえ、問題ありません」
俺の動揺を察してか、ヒッチは俺の顔を覗き込むようにして言う。
「なぁー……。大丈夫か? 俺のサプライズはそんなに素敵だったかい?」
「いえ」
俺はミクマリノにスパイとして乗り込んでいる。しかし、同時に俺はミクマリノのスパイでもある。この二人は、どこ(・・)まで(・・)知っている?
「ああ、ターキ。今回の任務は、彼を連れてアリーシャ城付近まで送り届けるだけでいい。当然、プラウダ城までいけるわけがないからな」
いけるわけがない。これは本心か。それとも、疑心か。
まあ、それもこれもどうでもいいか。俺が直接会敵しなければ、ベガ大将が勝手に隠匿して勝手に行った作戦だと言っても辻褄が合うだろう。元々は俺も知らなかったわけだし。セーフセーフ。
「一応、道中に問題が発生しないように、精鋭の中から護衛を二名つける。まあ、ターキだけでも十分だとは思うが、ヒッチの戦闘能力は多対一に弱い。それを考慮しての配置だ」
そう、ヒッチの特異魔法はタイマンにすこぶる強いが、複数名を相手取ることが難しい。はずだ。俺も実際に見たことは無いので、その点あやふやだが、彼に近づかないほうが賢明である、ということだけは確かだ。
「で、ベガ大将、作戦開始はいつからでしょうか?」
「ターキ、久しぶりの帰郷で勘が鈍ったか? 無論、今すぐにだ」
ベガ大将が指を鳴らすとすぐさま、背後の扉が開き、二名の兵士がやってきた。
彼らが、話にあった護衛なのだろう。一人は確か、一昔前シーナの駐屯地に配属されてた、名前はなんと言ったか。確か、ジョーゴだったか。
もう一人は、全く見たこともない男だ。十中八九、ベガ大将の私兵か。俺を監視するのに遣わされたな。
やれやれ、全く困ったもんだ。控えめに言って最悪だが、アリーシャには俺も用がある。怪しまれずに向かう良い機会か。
こうして、俺は秘匿中の秘匿と共に、アリーシャに向かうこととなった。




