スティン・ニア
――王国歴1502年 シーナ マアル城
今日は、ついにやってきた運命の日。
この日を目標としてヴィクト様と共に、歩んできたんだ。
まずは、白粉。ヴィクト様は必要ないって言ってたけど、普段から戦地に出向いている私はきっと普通の子よりも肌が荒れている。だから、白粉は必要。
次に眉を整える。これは、毎日やっているから、そんなに必要ないけど、今日は完璧にして行きたい。
チークは、斜めに入れる。元の顔が幼いから、絶対に丸くは入れない。
最後に、口紅。これは、お母さんから村を出るときにもらったもの。今日の為に、大切にしまっていた。お母さんと同じ色。
この日の為に磨いた白銀の鎧は、何着も試着して決めた礼装用。
毎日飲み込むのが辛かった、魔法結晶石もこれで最後。
今日は、今年最後の日、そして私たちが願いを叶える日。
――王国歴1502年 ミクマリノ シーナ地区 ドッドヘブル
復興の息吹が芽生えるシーナ地区は、その激動の一年に幕を引こうとしていた。
一年の締めくくりに行われる年越しの祭典は、その日の昼頃から始まり、翌日の朝まで行われる。昨年は、ミクマリノ独立後で、国内が不安定になっていることや、敵対するルストリアの動向もあって、他国の人間を呼ぶようなことは無かった。
だが、今年は皇帝レオンチェヴナの命により、ルストリア、ラミッツの要人を呼び、共に新年を祝おうという運びになった。この日ばかりは、スルト地区南の国境線での戦も束の間の休戦に入り、その場から動くことは出来ないが、少ない物資の中でいつもより少しだけ贅沢をして、信念を祝った。
祭典が開かれるドッドヘブルの麓には、各国の要人が座る観客席が設けられ、席ごとに望遠鏡が用意されている。その席は階段状になっており、下に行くほど位が低い者が座り、一番上はラミッツの国王と、皇帝レオンチェヴナが座っており、その横には護衛が立っている。
ミクマリノの護衛は最高幹部であるギークで、ラミッツの護衛はリンク・リンクである。この二人が争えば確実にリンク・リンクは死ぬが、ランディは、この場に暴力を提示するのはルストリア従属国であるラミッツとして相応しくないと考えたことと、そもそも、この場で争いごとが起こる可能性が低いと踏んでいる為である。
隣に立たされているリンク・リンクは内心たまったものではない、と思っているものの、ランディの読みを信頼しているうえで、万が一の際の暴動に対していくつかマジックアイテムを忍ばせている。更に言ってしまえば、下の段にはミハイル隊もいるので、争いごとになれば向こうもただでは済まないだろう、ということは考えていた。
「ランディ国王、こうしてお話するのは何年ぶりでしょうか」
レオンチェヴナが椅子に座り、目の前にあるドッドヘブルを見つめながら口を開いた。その声は非常に柔らかく、ずっと聞いていたくなるような声だ、とランディは思いながらも、下に居るたくさんの民衆を見つめながら言う。
「四年ぶりくらいにはなるんじゃないでしょうか」
「そうですか。年々、時が経つのが早くなっているような気がして、少し寂しいような、悲しいような気持ちになります」
「それだけ忙しく、過密な日々を送っているということじゃありませんか? 今年のシーナ南部の住人救済、大陸史の中でも稀に見る良政だと誰しも口にしています」
「ふふふ、救済、というのは少し私の趣旨とはズレますが、そう言っていただけると、私も誇らしい気持ちになります。しかし、ランディ国王、シーナ南部の住人をスラムの住人とは言わないのですね。私は、あなたのそういうところが好きです」
「そ、そんな、住人を想えば当然の言動です」
ランディは、昔からレオンチェヴナが苦手であった。ランディは、誰かと会話をする際、背景の欲望や、事情を察しながら円滑に会話を進めるという軸が備わっていたが、このレオンチェヴナという人間にはそういった類のものは感じられず、話をしていくうちにまるで昔からの友人のように、あるいは、自身の母のように感じるような包容力を感じてしまう。
この得体のしれない力は、レオンチェヴナが持つ強力なカリスマ性と言えば良いのか、彼が皇帝を名乗るのも自明の理だと思えてしまうほどだった。だが皇帝になるのなら、もう少し穏便なやり方があるだろう、とは思うが、その『やり方』の方は、恐らくヴィクトが企てたものに違いないので、単純にレオンチェヴナは、王たる要素を兼ね備えた純然たる王ということなのだろう、と思った。
「ここシーナ地区の復興は、御国の国民の力添え無くしては実現しえなかったものです。このような関係性になっているにも関わらず、本当にありがとうございます」
「いえ、うちの商人達は利益になりそうなものを嗅ぎつけているだけで、あの位置に市場を建設するということが、商人にとって有益に働くということになれば、王としては、御国での商業を許可する以外に選択肢がありません。つまりは、レオンチェヴナ国王の手腕があってこそです」
「いえ、私はただ王座に座り、出された書類に印を押すだけの役割を与えられたに過ぎません。もしも、これが良政だと言われるのなら、協力してくれる人々の心が豊かで、力強い生命力を保有しており、誰もが皆、良い未来を想像しての行動があった、そう考えます。そうであって欲しいとも願いますし、きっとそうなのだと思います」
ランディは、レオンチェヴナの言動に対してその真意を探るが、この言葉以上のものを感じ取ることが出来ない。この温度がある会話に嘘偽りがないということなのか、とどうにかして疑いたいが、それをさせてくれない。自身が大人になって失ってしまったものをレオンチェヴナの内面に感じてしまい、どうあっても好感を抱いてしまう。
少し落ち着かない気持ちを紛らわせるようにランディは口を開く。
「こちらの観覧席は非常に良く出来ていますね。これならば、後方の席も高い位置から良く見渡すことが出来、見渡せる分、警護においても良い効果が出そうです」
するとレオンチェヴナはにこやかに答える。
「そうなのです、この観覧席はうちのベルガーが設計したもので、演劇の舞台用の観客席を改良したもので、なかなか良い作りだと私も思いました」
後ろに立つ、護衛のギークは表情に嫌悪感が出るのを堪えつつ、周りを見渡し警戒を続けた。ギークは、少し下の段にいるルストリアのパンテーラや、ミクマリノの魔導騎士団を見つつ、階下の一般客にも怪しい動きをしている者はいないかを確認する。
ギークは普段からこのような警戒を続けているので、そこまでの疲労感は無いが、反対側で警戒するリンク・リンクは神経をすり減らしていた。その分、ルストリアの一同が警戒をしてくれているものの、立ち位置的に最も全体を見えるのは自分に違いないわけで、その責任は重大であった。
ギークは、望遠鏡も使わずに二十メートル下を歩く人々の顔を見分け、出来る限り記憶をしていく。ギークと同じように暗躍することの多いドナートから「その人数を覚えるのは異常だ」と言わせるほど、記憶する人数は多いが、実際のところ顔を正確に覚えているわけではなく腰椎の動きを見て人を記憶しているらしい。ドナートはそれを聞いて「そのほうが異常だろ」と笑っていた。
そんなやり取りをよくしている二人だが、現在ギークの視線の先、地上の露店周りで警戒のために徘徊するドナートがいた。
「お父さん、お腹空いた!」
「さっき食べたばかりじゃないか」
「さっきは少ししか食べてないもん」
「さては、あの露店で売っているストロープワッフルを狙っているんだろ」
「えへへ、当たりぃ」
「まあ、確かに小腹も空いたし、母さんのと合わせて三つ買っていこうか」
ドナートはすぐ横を通った親子の話し声が聞こえてきて、任務中にも関わらず自身の妻や子を思い出す。地元の小さな祭なら一緒に行ったことがあるが、このように国をあげての祭りごととなると、ドナートは職務上家族を連れてくることは出来ない。ドナートは、職務と家庭と二つの使命を抱えている。
退役した後に、ゆっくり家族で行こう、なんて家庭内で話しているが、そもそも退役まで生きている補償は無い。加えて、現在反抗期真っ盛りの息子のカイルが、自分と一緒に出掛けるのは何歳までなのだろう。更に言えば、その後、カイルが家庭を持ってしまえば、いよいよ家族で祭に出かけるのは絶望的になってしまう。退役した後ですら希望は薄い。
そんなことを考えながら、警備をしているうちに、辺りは夕日が落ち暗くなってきた。この、日の落ちかけが最も犯罪や、テロが起きる時間帯なので、周囲の警戒を更に強めた。
すると、どこからかヴィクトと、ヴァルヴァラが魔導騎士団を引き連れ、民衆の前に姿を現した。
「んー、ふふふ。おやおや、こんなに愛する大陸の民衆が集まっているなんて、なんというか圧巻ですねぇ。まるで、スルトの軍勢のようだ」
と、ヴァルヴァラにだけ聞こえるようにヴィクトは言う。するとヴァルヴァラは、表情も変えずに言う。
「それ、不謹慎です、周りに聞こえますよ」
「ふふふ、ジョークですよ。ジョーク」
「ならつまんないです。テンション高すぎじゃないですか?」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよぉ。とは言え、テンションの問題で言えば、ヴァルヴァラ、あなたも大概ですよ。ふふふ」
「それは、そうです。この日の為に全てを準備してきたんですから」
シーナが誇る新年を祝う祭典は、いくつかの儀式で成り立っている。まず、日が落ちてから原魔修道院の巫女が鐘を鳴らす。そしてそこに集まった民衆は、その鐘が鳴っている間にその年に起きた悪い出来事を口に出す。鐘を数回鳴らした後に、原魔修道院の巫女達数名で、その鐘に変性魔法をかけ、ゾーゲンと呼ばれる金属製の球体を作り出す。そのゾーゲンを祠の中に納めて、新年を迎える。
というのが一連の儀式であった。この儀式を行うことにより、同じ過ちが自身の身に降りかからないようにする、という意味がある。この年は、ミクマリノが独立してから初の、他国を招く一大イベントであるため、原魔結晶石を司るのはルストリアだけではない、という主張の為に、ミクマリノからヴィクトが直接、ゾーゲンを祠に納めることになっている。
「では、行きましょうか」
「はい、ヴィクト様」
ミクマリノの国旗が印された箱の中に、大人が両腕を伸ばしたほどの大きさの金属製の球体ゾーゲンを、魔導騎士団四人がかりで収める。収めた箱の四隅に付いている取っ手のような部分を握り、ヴィクトと司祭を先頭とする一同は祠の中へと進んでいった。
ドッドヘブルの麓の祠の入り口は、砂埃が舞っていて視界が悪かったが、十メートルもするとクリアな視界へと切り替わった。
「楽しみですねぇ、ヴァルヴァラ。いよいよですねぇ」
ドットヘブルに、強風が魔物の叫び声の様な音を出しながら、ビュンっと吹き抜けた。
お読み頂きありがとうございます。
励みになりますので、いいねやポイント評価を頂けますと幸いです!
小説のプロローグCG映像を公開中です!
是非見てみてください!
https://youtu.be/Jhc0wLs5Z9s




