明哲
――王国歴1502年 ルストリア ディー・エヌ孤児院
私はムーアと話し終わったあと、石守の状況を確認するべくグライアンスの森へと向かう予定だった。しかし、ムーアとの会話でとある疑念が生まれたのでそれを解決するべくディー・エヌ孤児院のホランドを訪ねることにした。
孤児院のある通りに差し掛かると、子供たちの元気な声が聞こえてくる。この元気な声はホランドが生み出しているものだと思うと、全くもって偉大な人間であると思う。
私は、頻繁にここを訪れることは無いが、通りがかりに寄ったりするくらいには気軽にここを訪れる。いや、これは強がりか。そもそも、私の行動の範囲にこの通りは無い。私が何かに迷っている時や、考えが煮詰まった時にここを訪れているのだ。私は、孤児院の扉をノックする。
「はいはい、なんでしょうか。って、ベガ大将! 院長ですね、いつも通り院長室で何か書き仕事をしていますよ。こちらへどうぞ」
そう言って、私を案内するのはシエル先生だ。
かつては、ミハイルやクライヴと幼い頃を共にした女性だ。彼女は、一度軍学校に入学し、一年足らずで孤児院に舞い戻ったという経歴を持つので、私もよく知っている。女性での入隊は非常に稀であったことと、成績も良好であったことが印象に残っている。だが、どうやら軍学校に入学したのは、孤児院の生徒を最低限守る為の知識や技術が欲しかっただけのようだった。
当時は、そんなことをするくらいならホランドから直接教わったほうが早いんじゃないか、と思ったが、彼女には彼女なりの信念やこだわりがあるのだろう。そうこう思い出しているうちに、院長室の前に案内された。シエル先生が扉を叩きホランドに呼びかける。
「院長、ベガ大将がいらっしゃいました」
そう言うと、扉が開き、ホランドが現れた。
「ベガ大将、お呼びいただければいつでも城に伺います。わざわざ、こちらに来ていただくなんて……」
「たまたま前を通りかかったんでな、顔を出させてもらった」
私はいつも通りの口実を口にすると、ホランドは中へと案内した。シエル先生は、その様子を見て少しだけ笑い、教室の方へと戻っていった。
中に入ると、ホランドと私は応接用のソファーに向かい合って座った。座って間もなく、ホランドは立ち上がり、既に淹れてあったコーヒーポッドを持ってきて、私の前のカップに注いだ。
「ちょうど今、淹れたところなんですよ。ベガ大将はタイミングがいいですね」
「二人の時には大将は必要ないと言っているだろう、ホランド」
「そうでしたね、ベガさん」
もう、ホランドとはずいぶん古い仲で、長らくベガさんと呼ばれていたこともあって、大将は少々こそばゆい気持ちになる為、外聞が無い状況に限ってだが、当時の呼び方のまま維持してもらっている。
「ところで、ベガさん。今日は何の御用ですか?」
「たまたま前を通りかかったものでな」
「ほう、それはまた。ではベガさん、何を考えながらこの通りを歩いていたんですか?」
「はは、大したことではないんだがな」
と、ここまでが大体最初の定型文で、私は本題に移る。
「英雄ヴィクト、ですか」
時刻はまもなく昼に差し掛かろうとしていた。外を走り回る子供たちは、教師の指示で集められ、孤児院に戻る。お昼の食事の準備をするのだろう。
私は、まず初めに、ミクマリノ総帥であるヴィクトの話題を投げかけた。軍の機密などもある関係でおいそれと誰かに相談をすることは、非常に繊細な問題ではあるが、ホランドは軍の関係者と言えば関係者であるし、なにより、ヴィクトの情報に関して言えば、軍としても一般市民が知りえる情報以上のものは持っていないというのが正直なところだった。ホランドは、自身の左肩を右手で揉みながら口を開く。
「英雄ヴィクト、この戦と魔法が跋扈する世界においては時代の寵児と言っても過言では無い男ですね。一方で、政治はどうなのか、と言うと、こちらの方でも過去に例を見ない良政を行っているように見えます。実際、シーナ地区のスラムは三分の一に縮小したとの話ですし、救われた人間も多数いるのでしょう」
「……その通りだ。だが……」
と、私が話そうとするのをホランドが遮って話す。仮に私が上官なら相当失礼にあたることをやっていると思うが、彼は話を先回りする癖がある。
「だが、過去には第一次大陸大戦を引き起こした首謀者であるとされており、この度のミクマリノ独立も彼が企てたものではないかと、推測するのが妥当である、と、いったところですね」
「ああ。第一次大陸大戦時、ミクマリノ国王は相当に幼かった、よって、これを企てた者は、参謀の誰かであると考えるのが自然だ。年齢を重ねた今、ミクマリノ独立をレオンチェヴナ国王が発起したとしても不自然ではないが……」
私は、淹れてもらったコーヒーに口をつける。やや酸味のある若いコーヒーのにおいがした。ホランドも同様にコーヒーを飲み、ソーサーにカップを置くと、口を開いた。
「そうですね。逆に不自然という意味では、この話にヴィクトが全く関わっていない、というほうが不自然でしょうね」
「そうだな、ヴィクトが全てを操っているとして、一体何が目的なんだろうか。この大陸の覇者になろうとしているのか」
「可能性は捨てきれませんが、私ならその可能性は捨てますね。なんとも矛盾した言い回しになってしまいましたが、大陸の覇者になれるタイミングは既に二度ほどありました」
「大陸大戦と、ザイルードか」
「ええ、第一次大陸大戦の際に、ラミッツが落ちかけています。もし、私が大陸の覇者になろうとするならば、この好機は逃しません。仮にルストリアと対立することになろうとも、シーナか、スルトどちらかと組んで、本格的に進軍しラミッツの王都を占領し、民衆を人質としてルストリアと交渉することも出来ました。協力して制御するのが難しいスルトがルストリア軍によって落ちた後で、シーナと組んでラミッツを占領するのが妥当でしょうか」
ホランドは、もしかすると、民衆以外の交渉材料を推測しているのかもしれない。当然、現在軍職に就いていない彼には知る由もない情報ではあるが、バーノンやヴィクトの間で確かに原魔結晶石を盾に作戦行動を起こそうとする動きはあった。それは現実のものにはならなかったわけだが。
「そうだな、改めて自分以外の人間の言葉で振り返ると、如何にあの大戦が危機的な状況だったのかが良くわかるな」
「しかし、それは行わなかった。何故でしょう。ミクマリノに国としての力が足りなかったから? それもありそうです、当時は幼王レオンチェヴナが即位して間もない頃で、民衆への求心力が弱まっていた。加えて、ミクマリノという土地の問題もありました。大陸東に位置するミクマリノですが、大陸内で武器の流通をほとんど独占する武器商会の本拠地があるラミッツは大陸の西です。その間には、スルト、ルストリア、シーナのどれかの国を経由する必要があり、流通量は必ず把握されてしまいます。よって、軍事的な動きをとって武器を集め始めれば、すぐさま注意の目が向けられてしまいます」
「ミクマリノとしては自国で武器を開発したいところだろうが、製鉄に必要な水は十分にあるものの、鉄の原料である鉱物はスルトがほとんど独占していて、準備もままならなかっただろうな」
「そうですね。武器自体も流通の際に経由する国があれば関税をかけられてしまい、更に輸送費などもかかる。ミクマリノと言う国は、この大陸で最も攻戦に不向きな立地にあると言えるのかもしれません。だとしても、私は疑問を感じざるを得ません。もしも、大陸を掌握するつもりであれば、あれほどの好機に動きがあっても良いのではないかと。もしかすると、我々が気付いていないだけで、何かしらの動きが水面下に起きていたのかもしれませんが」
相変わらず物事の整理がうまい男だ、と感心しつつも、私は私の視野から見えたミクマリノについての動きを考える。本来であれば、既にホランドも推測しているであろう、原魔結晶石についての事実を述べたくなるが、当然そこは伏せて言葉を紡いだ。
「私も、それは十分に考えた。考えたが、ヴィクトが行ったことは、スルトを唆し、シーナを唆し、戦を企てたことと、その後、その情報を一部ルストリアにリークし、戦を終わらせたこと。その後の後処理としてギークをスルトに向かわせ、スルト最後の王バーノンを殺害し口封じをしたこと。シーナの幹部もその全てが行方不明ということを考えれば、こちらもヴィクトが消したと考えるのが妥当だろう。この戦によって、ミクマリノはシーナという国を管理下に置き、国力の増強を行うことが出来たはずだ」
「もしも、私がシーナと言う国を管理下に置くということだけを念頭に置いた動きをするのなら、こんな非効率的なことはしませんね。もっと他の理由があったはずです。まあ、これを判断するにはいち院長の持っている情報では不足しますね。次の話に移りましょう」
「ザイルードの件か」
昨年起きた、ルストリアへのテロリズム。
第一次大陸大戦時には、目の前のホランドが相手取り、敗走した者達で構成された組織ザイルードであるが、未だにその影響は残っており、当時の恐怖や、ルストリアへの不信感を募らせる者も少なくない。ホランドは立ち上がり、ポッドを持ってくると、私のカップと、自身のカップにおかわりのコーヒーを注ぎながら言った。
「そうです、ザイルードのテロが起きた際に、既に独立を決めていて、かつシーナとの合併の目途がたっていたのなら、そのタイミングで戦争を起こしても良かったはずです。仮に、戦力がルストリアよりも劣っている、十分ではない、と判断するのだとしても、ルストリア内部にザイルードがいたメリットをみすみす逃す必要は無いように感じます」
「その言い分だと、君もザイルードはミクマリノの差し金だと思っているのか」
「当然でしょう。その後の流れが綺麗過ぎますからね。独立、合併の流れが段取りを組み過ぎている。私は結果論が好きではありませんが、結果として現状があるのであれば、この現状を作り出すための動きにしか見えません。もっとも、それを渦中で体感した人間にはわからないように、幾重にも謀略が張り巡らされていますが」
「そうだな、しかし、今になって思えば、私は気が付けたかもしれない。そう思うこともある。それくらい、ザイルードの件には不自然な点が多い」
「その通りです。首謀者であるガーラント、彼のことは戦場で実際に見たが、戦闘に対して柔軟な思考を持ち合わせていることは確かですが、どう考えても策謀を企てるタイプでは無かった。同郷であるステラ君を捨て駒として使って、白兵の長であるクロード君を落とすまでは理解が出来る。それならば、ミクマリノは間髪入れずに大規模に歩兵を投入し、白兵戦を強いるべきだ。魔導兵はどうあっても消耗戦に弱い、相当数の被害が出るが、ルストリアは大きくバランスを崩したでしょう」
「その点が奇妙ではあったが、この度の独立を見て、ヴィクトという男はこれまで如何に慎重に策を講じてきたかを思い知らされた。夢を描くのがうまいのではなく、理想を現実にするのがうまい、そんな印象を受けた。そんな男であれば、ザイルード襲撃後、ルストリアが国としての求心力を低下させることを見越していたのではないかと、思う」
「……まあ、それもこれも推測の域を出ませんけどね」
ホランドと会話をしていくうちに、少し頭が整理できた。あまり長居も出来ないので、最後に今後についての話に触れておこう。
「ホランド、君から見て……」
「言いたいことはわかっています。今後の動きに関して、ですね」
「ああ、その通りだが、その人の話に被せる癖を……」
「ミクマリノに移住する者が増えています。教育機関も独自のものを使うということで、独立後にディー・エヌ孤児院は締め出されてしまいましたが、最後に聞いた話では、相当数の学校を建設し、寮を併設すると言っていました。これにより、通称レオニード方式と呼ばれる国民管理が加速するでしょう。これが適応されてくるとなると、魔法素養の高い人間を幼い頃からスカウトすることが出来るようになり、軍事力の強化が期待できるでしょう。また、シーナ地区に市場が開設されましたが、これはラミッツとの貿易を活性化させる効果があり、これによりミクマリノが長らく抱えていた問題である。武器や兵器の不足を解消できます」
「つまりは、ヴィクトは」
「ええ、十中八九大きな戦争の準備をしています」
「やはりそうか……」
「ミクマリノ独立、ということだけでは断言できなかったのですが、ミクマリノに移住する人間に対して、簡易的な審査のみで受け入れを行っている様子を見て、この国は大きくなろうとしているのだ、という意思を感じました。国が大きくなれば、必然的に必要なものが生まれる。土地、あるいは資源、これらは必須になります。スラム地区を改善し、全土が人の住める環境になったとしても、そんな偉業を達成した者が君主の国に行きたいと思うのは民衆の当然の反応です。そうなれば、必ず不足するものが出てくるでしょう」
「また奪い合いが始まるのか……」
「始まるんじゃないですよ、既に始まってるんです。ベガさんもわかっているんでしょう。この大陸の人口がどうなっているのかを。子供が大きくなって、靴を履き替えるように、国も大きくなれば土地を広げていく必要があります。しかし、この大陸はどうでしょう。一体どの靴に履き替えればいいんでしょうかね」
「……それを考えるのが調停者としての役目なのだとするならば、大層な職務をもらったものだ」
窓の外、孤児院の広い庭に再び子供たちが一人、二人と出てきて整列し始めた。どうやら、午後の活動が始まったようだ。午後は眠くなってしまうので、簡単な運動や、体を使った勉強をしようと二人でカリキュラムを組んでいた時を懐かしく思う。
実際軍学校でも、若手の教育をする際には、このカリキュラムの効果は絶大だった。私と同じように、外の様子を見ていたホランドが、世間話よろしく先ほどよりもくだけた様子で語り始めた。
「そもそもの話で、英雄ヴィクトともてはやされているようですが、この風評こそ、人の心の浅ましさを感じます」
「人の心の浅ましさ、か」
「本来戦争とは憎むべきもので、この戦争に携わったもの全てが咎を背負います。背負った咎の頂上にいるのが、民衆が俗に言う英雄です」
「人は咎を直視出来るほど、強く出来ていないからな」
「その通り。ただ、直視できないのであれば、目を伏せれば良いだけの話です。やがて、戦争とは愚かしい行いだと気づくものも多く現れるでしょう。しかし、人間は自身の咎に目を伏せるだけではなく、口を開きます。その口からひねり出される話は、多くが美談です。我々は多くを害したが、多くを救った、そう言って虚実入り混じる逸話が、英雄と言う幻想に重なり、英雄信仰が生まれていくのだと考えます」
「それでも、守る為に必要な力は存在する。ルストリアはそうやって存在している」
「そうですね、でもこの話をよく理解しているから、ルストリアでは英雄信仰が生まれなかったのではないかと思います。私もかつて英雄と呼ばれた身ではありますが、その呼び声は酷く幻想的で、刹那的でした」
「ヴィクト、レオンチェヴナ国王の手腕が為せる、英雄信仰というわけか」
「まあ、かくいう私も、入隊した息子のことを『人殺し部隊に所属した』とは決して言わないわけなので、いよいよ私も民衆の一人になったというわけかもしれませんが」
「ははは、まあ、そんなものだろう。理想が必ず現実になるのなら、私はこんなに頭を悩ませていないよ。グラムはどこに配属された?」
「今スルト地区ミクマリノ間国境要塞に配属されているはずなので、このままいけば主戦場になりますね」
「心配か?」
「心配は心配ですが、あいつの命に対する心配と、誰かに迷惑をかけていないかの心配が半分と言うところですね」
「そうか。私から見れば、心配する要素は少ないように思える。父親譲りの風格と知性を持ち合わせている」
「だから、心配なんですよ。誰かの話を遮ったりして気分を害したりさせてないか……」
「あ、自覚していたのか」
「……」
「さて、そろそろ行くかな。少し頭の整理がついた。例を言う。ホランド、ありがとう」
「滅相もないです。今までも、これからもルストリアは頭を悩ませ、切り抜けていくんですね。そんな大切な頭が、こんな形で会いに来てくれることを心より嬉しく思います。ベガさん、あなたの悩む日常が、先の闇を払い、巡り巡って今日この日に我が院の子達が笑って生活が出来ます。また、通りすがった時には是非寄ってくださいね」
――王国歴1502年 ルストリア郊外 南西部 バルトア区
ルストリアの王都から、馬を使って一時間ほど南西に向かったところにバルトアという村があった。ここは、人々が暮らす村、というよりも観光施設のような役割が強く、実際ここに働きに来る者の半分は王都から来ている。
西のラミッツから旅をしてこようが、南のシーナ地区から旅をしてこようが、あと一時間で王都に着くというのに、わざわざここで宿をとろうとする者は少なく、この村の施設に用事があるものしか、ここには訪れなかった。この村の歴史は非常に浅く、四十年前に突然溢れた温泉を囲み付随する商業施設が作られ、村という形になった。しかし、その肝心の温泉も僅か二年で枯れてしまい、現在は、魔法による温浴施設がかろうじて存在し、活気もあまりない。
そんな状況を打開するべく、王都から徐々に住宅を建て進めていき、簡易的な塀を立て、ルストリア王都の一部になったのが、現在のバルトア区であった。
廃墟となってしまえば犯罪の温床となってしまう可能性が高く、現在ラミッツとの貿易はルストリアにとって重要なライフラインとなっていたため、急遽ではあるが王都を延長した。その場しのぎの政策に思えたが、道があり、住宅があり、警備兵が歩くことにより、治安の乱れはほとんど起こらず、現状、バルトアの住人を救ったと言える。
そのバルトアの寂れた街並みの一角に、一際活気のある酒場がある。「ジーラ」という看板が店の前に立てかけられており、毎日磨いているのか、非常に艶っぽく輝いている。店主によると、息子の呼び名を店の名前としたのだとか。
「さて、今日も張り切っていくかねぇ!」
そう言ってジーラから出てきた女性が、店の暖簾を持って外に出てくると、たまたま通りかかった知人が声をかける。
「お、今日も元気だねぇ。こんな寂れた地域でも、アリサの声が聞こえりゃ幾分かましだぁな!」
アリサと呼ばれた女性は、にこにこしながら言う。
「あらー、ゴーンさん、最近羽振りがいいみたいじゃない。今晩あたりうちで金を落としていきなよー!」
ゴーンと呼ばれた男は、額の汗を拭いながら言う。
「流石、地獄耳だねぇ。だが、今夜は駄目さ。南東部のルーメルンででかい商談があるんだ。次に来れるのは、うーん、いつかなぁ」
「わからないもんだねぇ。去年、発注をミスって、ラミッツからナイフを五百本買っちまって、うちの店で遅くまで飲んで『首つるしかねぇ』って泣いてた男とは思えないよ」
「はっはっはっ! これで田舎に帰っちまった妻と娘が帰ってくれば言うことねぇんだけどなぁ!」
「その前に、うちのつけを払ってからね!」
「次来るときには倍払ってやらぁよ!」
などと、談笑するとゴーンはせわしなく走り去っていった。ゴーンは、個人で行う武器商人で、去年発注ミスによりナイフだけではなく大量の武器を買い込んでしまい、その支払いが出来ず、取り立てから逃げ続ける日々を繰り返していた。
人気のあるところでは、取り立て屋に見つかってしまう可能性が高い為、この辺境の地に宿をとり、しばらく生活をしていた。しかし、今年に入り、スルト地区ミクマリノ間国境要塞の戦がじわじわと火の手をあげるようになると、それに呼応するかのように内紛が頻発し、あれよあれよと言ううちに国内での武器の需要が高まり、たまりにたまった在庫が定価の倍以上の値段で全てはけて、更なる注文が殺到するという事態になった。
アリサは、店の前の掃除を終え、看板を綺麗な布で念入りに磨くと、店の中へと入っていった。店の中には、壁一面にルストリア国軍の肖像画が所狭しと張り付けられており、その中でもジュラの肖像画はダントツで多かった。中には、入隊当初のレアな肖像画も飾られており、アリサが相当なファンであることは明白であった。
店内の椅子に腰かけ、夜の営業に向け、机に大量に積まれたニンニクの皮をむき始める。このニンニクは、ジーナの名物である筋煮込みに使うもので、かつて息子が大好物だったものだ。息子は物心がつくと、口臭がつくのを嫌がり食べなくなってしまったが、息子は落ち込むと時々ふらりと現れ、筋煮込みをねだるため、毎日欠かさず作るようになってから、その匂いでつられた酒飲み達が集まるようになり、バルトアで一大ブームを巻き起こした。
黙々とニンニクを剥くアリサであったが、指先に紫色の斑点があることに気が付いた。あまりにも小さく、初めは気にも留めなかったが、よく見ると細かい斑点が、柑橘などに生えるカビのように、針ほどの大きさでいくつもある。明るいところで見ようと、店の外に出たところで、突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れてしまった。
「大丈夫ですか!!」
何者かが駆け寄ってくる音が聞こえた。どうしたものか、自身の体に力が入らない。目は? 目は開きそうだ。ゆっくりと目を開くと、そこには肖像画で見たことのあるベガ大将がいた。これは、夢だろうか?
「この、この症状は……。ジュラのお母さま。わかりますか? ベガです。意識はありますか?」
「だ、だいじょ……」
困った、声が出ない。せっかくベガ大将がいらっしゃっているのに。ジュラに恥をかかせてしまう。お茶をお淹れしなくちゃ。
「わかりました、今、医療班を呼びます。このまま安静にして」
少しずつ冷静になってきた。私は、ベガ大将に膝枕をされているんだ。ああ、なんてこと、ベガ大将の隊服が汚れてしまう。ああ、ジュラに恥をかかせてしまう。
「ああ、ジュラ……」
それから、私は半日ほど意識を失った。その間に夢を見た、思い出したくもない嫌な夢。
夫が蒸発し、シーナからルストリアに亡命した時、幼く小さなジュラが私を抱きしめ「母さんは僕が守る」そう言ってくれた。でも、その小さな体は血まみれで、私はジュラを抱きしめ返し、何度も何度も頭を撫でた。そして間もなく、私の腕の中で息絶えた。
ああ、誰よりも頼もしく、愛おしい私の子。どうして、死んでしまったの……。
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