【三部 始】新章
三部は「Wizards Storia外伝~天諭の豊刈~」をお読みいただいた方が、より内容が理解できると思います。もしよろしければ、そちらもお読みいただけると幸いです。
――王国歴1502年 十二月 ミクマリノ プラウダ城 場内
「さて、今年もあと二日ですか、時間の流れは早いですねぇ」
ヴィクトは、私室で物思いにふけっていた。
時間にして十五分程度だったが、多忙を極めるヴィクトからすれば至高の時間であった。現実に戻り、いつも通りベルガーに世間話をしようと語り掛けたが、昨日ベルガーに任務を与え出払ってもらっていたことに気が付いた。少しそれを恥ずかしく思いながらも、激動の一年を考えれば無理もないことであった。
ヴィクトは机の上に乱雑に積まれている新聞の山から、昨年の新聞を迷うことなく取り出し、椅子に掛けるとパラパラとめくりだす。新聞の一部は丁寧に切り抜かれた跡があり、それは積まれた山の新聞も同様であった。新聞の切り抜かれた箇所には、カッツェと呼ばれる画家の絵画が複写されており、これを収集していた。
「ふう、あと三手、いや、四手か。山場としては、その後か……」
そう呟く視線の先に新聞の山があり、昨年独立したミクマリノと、そこに合併を果たしたシーナに関する記事が見える。ヴィクトは、壁に掛けてある豪華な飾りの鏡の前に行き、自身の顔に触れる。そして、顔の角度を何度か変え、何かを確認しているかのようだった。
「流石チャンゴの特異、いや禁忌魔法だ。この年月を経ても、元の顔に戻ることはなく、ヴィクトとして加齢している。実に素晴らしい」
机の新聞の山、その頂には最新の新聞が積まれており、その見出しは「英雄ヴィクトのキセキ」と書いてある。どうやらこれは「軌跡」と「奇跡」をかけた見出しのようだったが、これに対し、偶発的なものに頼った試しがないヴィクトとしては、やや不愉快であると感じていた。
ヴィクトは、思い返す。未来を導き出すのに必要なのは、新たな物語ではなく、過去の事象。
意図した複数の事象が重なり合い、現実となったこの一年を――
――王国歴1501年 ミクマリノ プラウダ城
ミクマリノ独立宣言が大陸全土に伝わり、その後を追う様に、皇帝レオンチェヴナの名がありとあらゆるところで噂、口伝、新聞、出版などで取り上げられ、大陸はその名でひっきりなしになった。
本来であれば俗世から切り離された辺境の村でさえ、この噂を聞きつけ、大きな街にその真偽を確かめに行くほどである。これには理由があり、ミクマリノの前国王レオニードは、万人平等という思想を持っており、交通インフラが整っていない辺境の村や、迫害されている異民族を救い、暴力による争いを大きく減少させた王であった。
その為、大陸全土の異民族達はミクマリノに対して好印象を持っていることが多く、その息子であるレオンチェヴナが皇帝として立ち上がったニュースを聞きつけ、これを機にミクマリノとの交流を増やそうと考える者や、移住をしようと考える者が続出した。
大陸の注目の的であるレオンチェヴナは、全てヴィクトの筋書きに乗ることでここまで強大な国力と地位を手に入れたといっても過言では無いが、国王に成りたてであった第一次大陸大戦の時であればまだしも、既に二十四歳のという年齢に達している為、このヴィクトという得体のしれない傑物が自身のレールを全て構成し、方向を示唆している事実に少しの違和感と、少しの申し訳なさを感じていた。
それが理由で、ミクマリノ独立に対する思想を二年前ヴィクトから聞いた時から、毎日欠かさず大陸に存在する全ての新聞に目を通し、幼いころから学んでいた経済学、帝王学を再度学びなおし、独立に備えた。
側近であるギークに、十年ぶりに嫌いだった剣の稽古をお願いすると、最初こそ驚いていたが、快く応じてくれた。この日も、鉄の間と呼ばれる修練室で木剣による稽古をつけてもらっていた。
「やっ! はっ! はぁあ!」
レオンチェヴナが木剣を振るうが、ギークはそれをひらりひらりと躱していく。しかし、それを見てレオンチェヴナは、長い足を駆使して足払いをするとギークはそれを飛んで避ける。お次は片手で火球魔法を放つが、宙に浮いたギークは体を猫のようにひねりまたしても躱す。
「ちぇ、今日は、うまくいくと思ったのにな」
レオンチェヴナが息を切らせながらぼやくと、ギークは汗一つかかずにこう言った。
「いえ、今日のは相当良かったです。まさか、対空を狙ってくるとは……」
「そういうのは、冷や汗の一つでもかく演技が出来るようになってから言ってもらえる?」
「いえ、いえいえ、本当に、すごかったです。本当に。あの、その、すごかったです」
今更になって冷や汗が出てきたギークであったが、ギークは人を褒めることが本当に苦手で、こういった時になんと言っていいのか困惑していた。
長らく共にいるレオンチェヴナは当然そのことを理解していたが、狼狽えるギークはこんな時にしか見ることが出来ないため、その様子を横目で見て満足すると、待機していた執事の持っていた上質なタオルで顔を拭い、室内にある椅子に腰を掛けた。
「しかし、知れば知るほどその差を感じてしまうな」
レオンチェヴナが言うと、ギークは慌てた様子を見せたので、レオンチェヴナは続ける。
「いや、そうではない。ヴィクトのことだ。当然、ギーク、お前の剣術に対しても同じことを思っているが」
「はぁ」
露骨にテンションが下がったのを感じたが、レオンチェヴナは再度口を開く。
「毎日、勉学を行い、過去の歴史書を読み漁り、魔法の訓練を行う。その繰り返しをするうちに気が付いたのだ。仮に、私が毎日、眠ることなく書物を読み漁り訓練を行ったとて、ギーク、お前の暗殺術を習得することは出来ないだろう」
「それは、まあ。しかし、レオンチェヴナ様には全く必要の無い技術ですし、知る必要もありません」
「知る必要がない、そんなことは無い。暗殺術を知れば、暗殺を回避する方法が身に着く。私が暗殺術を行わなかったとしても、知る必要がある。それをより手っ取り早く知るには実践が一番だ。しかし、私にはその手段がない」
「私が、お側に居ますので、暗殺術を知る必要はありません」
ギークは、レオンチェヴナに対して少し心配そうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。当のレオンチェヴナは、立ち上がると体に着けていた簡易的な甲冑を外し、その場にガシャンガシャンと脱ぎ捨てた。
「ギーク、話は逸れてしまったが、ヴィクトの話だ。私は、あいつの手腕を高く評価している。その半面で、この国を守る気持ちから、あいつに全権を預けて良いのか迷う気持ちもある。誰かの頂点に立ちたいと思う気持ちは無いが、この国の民や、大陸の人間を守るのが私の宿命であり、使命だと思っている」
ギークは、真っすぐな瞳でレオンチェヴナを見つめると、深く頷いた。
「その為に、私はあらゆる政治を学び、ヴィクトの言うことや、行動を理解するべく励んでいるのだが、困ったことに、ヴィクトの行動、言動、計画を上回る発想が出てこないのだ。恐らく、算術で言うところの最適解を既に出されてしまっているのだと思う。傑物、というのはあいつのような人間を指すために作られたのではないかと思う。私は幼い頃、政治や軍事のための傀儡とされていた経験がある。それについては、反省する面もあるが、致し方なかったと開き直っている部分もある。しかし、今のこの現状はどうだ。再び、ヴィクトの傀儡となろうとしている。しかし、ヴィクトの指す正しき道の前ではそんなことなど、どうでもよいと感じてしまう。それほどまでに『正しい』という言葉には魔力が宿っているのかもしれんな」
――――
当人であるヴィクトは、朝から晩まで会議を行い続ける一か月をこなしていた。
とある一日の予定で言えば、朝は最高幹部であるヴァルヴァラに騎士団の動向に関する打ち合わせを行い、団員をどのように扱うかを指示する。ミクマリノ国内は比較的内紛や、闘争は少ないため、常に待機している騎士団が二、三割いる。今回の指示では、戦力として有力な騎士団員は通常通り城の警護や、国境要塞の警護、国内の犯罪の取り締まりを行ってもらい、残りの団員はチームを組み、シーナのスラム街へ調査に行ってもらう。当然危険の伴う任務であったが、元シーナ軍の面々もこれに合流することにより、大規模な調査が行われることになる。
この調査は、救済を踏まえた活動で、チームに一人は治癒魔法と薬学に精通する者を入れており、体調が優れない者などがいれば、その場で治療することが出来る。
昼前になると、シーナを含む国内のコミュニティのトップ、町長や、村長などが次々に来城し始める。日替わりで様々な地区の人間が集められ、ヴィクトがその町や村の問題点を聞き、解決方法を教示した。そして、昼食の時間になると、ラミッツの有力な貿易商や、シーナ地区の有力な貿易商がやってきて、会食を行う。ルストリアと仲の良いラミッツの国民はミクマリノに対して反発しているかと言えばそんなことはなく、彼らが心配しているのは商売のルートが一つ消えてしまうことで、それを危惧した有力な貿易商はこぞってヴィクトとの会談を望んだ。
昼過ぎからは、原魔修道院の院長との面談があり、大陸保全のために原魔結晶石を守っていこうということで多額の寄付金を約束した。夕方からは、国の宰相達を集め、ルストリアとの直接的な貿易は避け、シーナ地区のスラム街北部の街ゾマを復興し貿易街として再生し経由することで、ラミッツを中心に積極的に交易を行っていこうという話を始め、スラム復興に向けた策を授けた。
夜になってからは、現在シーナ地区に出向しているドナートへの指示書や、ウィレムに対しての暗号書類、翌日訪れるであろう各町の町長に向けた指示書などを作成し、シーナ地区の調査で上がってきた報告書を読み、今後の計画に支障が無いかを精査した。
分刻みの予定を追い、シーナ地区の状況改善や、ルストリアとの関係性の設定を行っていくヴィクトであったが、それを見ていたギークは不思議な気分であった。
「どうしたギーク。そんな呆けて」
シーナ地区の国境要塞まで指示書を届けに来ていたギークは、ドナートと昼食をとっていた。
「ああ、悪い。いや、ヴィクト様のことで、少し考え事をしていた」
「そうか」
ドナートは口数が少なく、無口であると思われがちではあるが、執行人と呼ばれていた時代は確かに無口であったが、それは職業柄であり、本人の気質としては別にそういうわけではなく、友人であれば、普通に話すし、普通に笑うこともある。無口と言われるのは、出くわす人間が圧倒的にうるさいことが多かったからである。
「しかし、ヴィクト『様』……か」
「ドナート、そんな軽口も既に笑えないほど、ヴィクト様は力をつけているぞ。気を付けた方が良い」
「そうか、そうだな。だがギーク、あまりにお前の順応が滑らかであることが、面白くてな」
「俺が反発したところで、レオンチェヴナ様の為になるとは考えられないからな」
「それも、そうだが」
「……しかし、いや、やめておこう」
「ヴィクト『様』の思惑についてか?」
「ああ、今までの行動からして、独立後もっと大きな陰謀めいた何かを行うのではないかと思っていたが……」
「まあ、確かに健全すぎるな。今、行っているこの政治だって、スラムを復興し全ての国民の貧困を救おうとする動きだからな」
「そう。あまりに健全すぎる」
「だが、策謀を巡らせるのはその実力が相手より劣っている時に使う戦術であって、今は国家が大きくなり、文字通り王道を行くことが正しい判断なのだろう」
ギークは、ドナートの言う「正しい」という言葉に反応する。
(正しいということは、支持されるということなのだ。ヴィクトは、最後まで正しい行動をしてくれるのだろうか)
――王国歴1501年 シーナ地区 マアル城
シーナ地区北東部は、多くの富豪達が贅の限りを尽くす富豪街であった。ヒー・リケイトと呼ばれる富豪街は、街の灯が消えることは無く、日中夜問わず賑わっており、シーナ軍に厳重に守られたこの街は大陸内で最も安全な街と言われたこともあった。
一方で南西部に広がるスラム街の治安は大陸内最低で、人の住める場所ではないと揶揄され、そこに住まう人間は、人として扱われることは無かった。そんな、危険と安全が入り混じる国ではあったが、その危険が安全に踏み込んだことは過去三度以外に無い。しかも、その三度のうち二度は同一人物による犯行である。
その人物の名は「ウィレム・ハウアー」
前国王であり、現シーナ地区管理者であるウィレムは、第一次大陸大戦の際には城の地下牢に幽閉されており、先代の国王が愚行により処刑された際に、ミクマリノから幽閉されている罪人は不問であるとされ釈放される。
シーナでは古くから「正当性を含む過剰防衛」という定義があり、これは富豪がスラムの住人に対して、危険性があると判断した際に、過剰な暴力や、一方的な制裁、個人的な処刑を合法化するものであった。元はと言えば、金品を窃盗するスラムの住人たちに対して、捕らえて裁判所へ連れて行く行為そのものがリスクであると判断された為であるが、それはやがてスラムの住人への一方的かつ合法的な迫害の刃と変化していった。
ヴィクトはこの法を皮肉り、ウィレムが殺害した富豪百余名に対してもこの法が適用されるとし、幽閉されている罪人を全て開放し、この法律を撤廃するように意見を述べた。
ウィレムが解放されると、スラムの希望の星であり、英雄であるウィレムを次代の王にしようという動きが強まった。シーナは、民主主義の国家であり、国王でさえ投票制を用いるちぐはぐな国である。
汚職を行って処刑された先代の国王の二の舞を踏まないように、国内で様々な声が上がった。また、今までは文字が読めず、書くことが出来ないスラムの住人には投票権が与えられていなかったが、今回はミクマリノ軍がサポートを行い、スラムの調査を行ったことで例年の三倍以上の投票数が集まった。富豪達は、自身の身に危険が及ばないように、ウィレムの王位継承を阻止するべく動き出すのかと思われたが、その逆で、大陸全土の目がある為、自身の潔白をアピールするために、わざわざウィレムに投票したと言い触れ回ったり、スラムに支援物資を送ったりと様々な方法で、ウィレムに取り入ろうと考えた。スラムの住人とは別の意味で、富豪衆も生存能力には長けている、と言える。
そういった経緯を経て、ウィレムは国王になるのだが、国王になって最初に行ったのはミクマリノ来訪である。目的は、ウィレムが幽閉されていた時に関りを持っていたのが当時参謀長であったヴィクトであった。ウィレムは、助けなど求めていなかったし、別段困ってもいなかった。牢屋にやってくる兵士が暴力を振るうこともあれば、食事に汚物をかけられていたこともあった。
そんなことはスラムでは別段珍しいことではなく、ウィレムからすれば寧ろ「この程度で心を折りに来ているのか」と考えると、そんな悠長な考え方をするシーナ兵に心底苛立ちを覚えた。
そんな最中に、いくつもの勲章を着けた服を纏ったヴィクトが現れる。
「これから戦乱の世になる」更に「ウィレムが次の王になる」とも言った。
それに対してウィレムは呆れて言う。
「昼間から酒でも飲んでるのか? 戯言も大概にしろ」
ヴィクトは薄っすら笑うだけで、何も言わずその場を後にした。その後、ウィレムはヴィクトの予言通り事が運ぶと、その真相、思惑が気になって仕方なくなった――。
――王国歴1501年 シーナ地区 富豪街
現在、ウィレムはスラムの復興と、富豪の解体作業を並行して行っている。
シーナが合併したミクマリノは、中央国のルストリアと対立する形になっている。この対立は目に見える争いなどが起きていない為、国民一人一人の意識としては何も変わらない日々に感じる者も少なくない。実際、ミクマリノ独立宣言と、それに伴うシーナ合併の後、ミクマリノはルストリアに対して何かを行うということは無く、自国となったシーナの状況の改善に努めることになる。
ここで言う状況の改善の手順とは、まず領土の半分以上を占めるスラム街に対してメスを入れることではなく、その逆、富豪達の立場の解体を行ったのだった。
具体的には、富豪の行っている仕事の検閲と、その検閲内容による税率の改定であった。仕事の検閲により、富豪が何故、富豪となっているのかが詳らかになるのだが、そのほとんどが親の代から続く利権を使った商売で、驚くことに彼らは自身のコミュニティへのコネクションに関税をかけ、紹介のし合いで利鞘を取っていることが判明した。
つまり、商売とは名ばかりで、実際の商品を扱うことすらなく、互いが互いに依存しあい、紹介料を共有し合っていた。
シーナ国内で高い地位を築いていた富豪のほとんどは、これらに該当し、それよりも低い地位の富豪たちは、人身売買や違法薬物の流通を管理する団体の元締めであり、彼らは上の富豪からコネクションを購入し、商売を行っていた。
この健全ではない状況に対して、ミクマリノは実態を明文化出来る者以外には、とても重い税金を課し、従わない者は、所持している財力に関わらず投獄を行った。残った勢力のある富豪は、シーナで古くから行われている畜産を管理する富豪や、健全な医療関係者、他国との輸出入を実際に行う貿易商くらいである。
兼ねてから、貧富の格差について改善策を思案していたウィレムであったが、此度の合併に乗じて、ミクマリノの力を借りつつ、状況の正常化を図るのであった。
合併前から現在に至るまで、ミクマリノから最高幹部であるドナートがウィレムの身辺の安全を確保している。ウィレムはドナートに対してコミュニケーションをとろうと試みる。ある種、中立的な立場であるミクマリノから見て、現在のシーナはどう映るのかを知りたかったのだ。
「ドナート、この政策だが、市民の反感を買う想定がある。それでも強行するべきだろうか」
「ウィレム様、私は答えを持ち合わせておりません」
「お前の私見でいいんだ、どう思う?」
「どうと言われても、市民の反感を買いそうな政策だな、としか」
「……わかった、下がっていろ」
ドナートは頭が固く、政治に関する助言はほとんど得ることが出来なかった為、ウィレムは一人で頭を悩ませていたが、それを加味した助言書がヴィクトから定期的に送られてくるため、シーナの浄化の足が止まることは無かった。
シーナ地区の中心、富豪街から程近い位置にとても高い丘がある。この丘は、山というより崖の集合体のような場所で、頂からはシーナ地区を一望できる。この高い丘は、人気が無く、シーナ地区には珍しく人工物がほとんど無い。
それもそのはずで、シーナは元々高地であり、加えてこの丘は西のラミッツから吹く偏西風と、東のミクマリノから吹く季節風がちょうどぶつかり、竜巻と言っても過言ではないほどの強風で、立っているのもままならない状況なのだ。数多くの冒険家がこの丘の登頂に挑んだものの、その多くが命を落としている。
その冒険家の持ち物が大陸西部のラミッツまで飛ばされたというのは、この丘を象徴する逸話である。その脅威は魔法で風を遮蔽しながら進んだとしても、規則性の無い強風を的確に遮蔽するのは至難の業で、余程の使い手で無い限りは登るのは難しいだろう。
この丘は、ドッドヘブルと呼ばれシーナの言葉で「死の丘」という意味である。
遠い昔、シーナに貧富の差が無く、皆が皆自由に生きていたころ、青々とした草原が風にたなびき、人々が「碧の盾」と呼んだ広大な大地があったが、利便さ優位にそれを切り崩し、唯一原型をとどめているのが「死の丘」というのはなんとも皮肉な話である。
ここまで魔法が浸透したこの大陸で、人間は未だ天候を左右することは出来ず、自然の前では無力であることを、その丘の名で明確に示していた。
だがドッドヘブルに、年中人が寄り付かない、というわけでは無い。年に一度、一週間だけ、強風が止むのだ。そして、強風が止んだ時に初めて、この丘の真の姿を拝むことが出来る。この丘の正体は、原魔結晶石を保管する祠。その日は、王国歴における一月一日から一週間、新年の始まりにあたる。
催事などは生活に余裕のある富豪達の住まうヒー・リケイトでしか行われないような風潮ではあるが、新年を祝うこの祭りは大陸全土で行われるポピュラーなものであり、その中でもシーナ、ラミッツの新年祭は人気が高い。
スラムに対する差別や弾圧を行う富豪達もこの日ばかりは、国外からの有力者たちが訪れるということもあり、体裁を保つために目立った差別を行わない。また、この祭の出し物の一つである盛大な食事は、富豪達の寄付であり、これもまた国外からの目を欺く手段の一つである。スラムの住人たちはそれをわかった上で食事にありつこうと祭に現れる者や、富豪からの汚れた手心など受け付けない、という普段通りの生活を行う者、様々であるが、少なくとも、この祭りの中では貧富の差をあまり感じることが出来ない不思議な場となっている。
この祭に乗じて、テロリズムを行おうとする輩が毎年現れるが、それに対して大げさなまでの警備網をシーナ軍が執り行う為、年々数は減り、昨年はただの一人も現れなかった。これは、ヴィクト、ウィレムによる「過剰防衛に関する法律」の撤廃が大きく響いていると言われている。つまりは、富豪が行う浅はかな体裁が、国王やその頭脳によって実を伴った誠意ある行動に変化してきたということだ。
このことは、大陸内に数社の大手新聞社が各誌大々的に取り上げた為、大陸の各地でこの偉業はあっという間に認知され、シーナのイメージを大きく変えた。大陸内の歴史を研究する有識者からは「王国歴の大きな転換点」と言いせしめるほどに、この事実は偉大なものとして人々の記憶に残った。
この独立後の見事な政治に、大陸は「ミクマリノ総帥ヴィクトはこの大陸に現れた英雄である、そしてそれを束ねる皇帝レオンチェブナは歴代最高の王である」と、大いに沸いた。数か月前に起きた、ルストリア国内で発生したザイルード襲撃事件、そこから見えたルストリア内部の闇、伴って起こった従属国の離反。平和から遠ざかり、嵐が巻き起ころうとしていた大陸の空気を、英雄ヴィクトが見事に収め、凪を呼んだ形となる。
静寂の死の丘から新年の日の出が昇り、大陸は穏やかな新年を迎えた。
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