~戒星の崩国~ 其の三 【二部 完】
――王国歴1501年 スルト地区 ルストリア国境付近
「久しぶりの帰投命令が出たと思えば……」
こんなこと言いたくないが、まったくもってやれやれだ。狭い馬車に揺られながら、向かいのクボーナーを見つめると、呼応するように現在の状況に関して説明を始めた。
「ウィルズ、現在スルト地区はルストリアに近づくにつれ暴徒が多くなっている。特に誤殺事故があったチュチョでは、現在も暴徒が暴れ回り、市民を刺激しないよう魔導兵士をあまり配置できないことも含め、闘争は激化する一方だ。さらに、この暴動の裏でザイルードの残党が散り散り逃亡を図って、それと遭遇した民間人にまで被害が出てる。それとな……」
「……俺への抗議も始まってきているか?」
スルトの血か。まるで差別する事が許されているかのような風潮だな。
「あぁ、ルストリア純血派と呼ばれる者達が各地で、ウィルズの出自に関して訴えを起こし、その者達に煽動された者達が更に訴えを起こし、混乱を起こしてる」
「叩けるものはなんでも叩く。哀れだな」
外では馬車の周囲を走る護衛の騎馬隊が走る音が響く。クボーナーは少し不安そうな顔をして、こちらを覗き込んで言った。
「何か考えがあるって顔だな?」
「考えはある。しかし、今は行動する時ではないな。まずは親父に喝を入れてやる」
路面が悪くなったのか、少し馬車が揺れる。向かいに座るクボーナーは、そんなことは気にせず、ニヤニヤと溢す。
「日に日に、お頭の若い頃に似てくるな」
「ん? なんか言ったか?」
「いいえ、何も」
まもなく、馬車はかつてルストリアへの国境要塞があった場所に着こうとしていた。
「ん? あれは……」
クボーナーが、見た方向に行商人を襲う野盗がいた。俺はすぐに走っている馬車の扉を開けた。
「クボーナー、民間人の避難と保護を」
「まさかウィルズ、こんなところで使わないだろうな?」
「さあな」
馬車を飛び降り、野盗集団の元に駆け寄ると、その集団はスルト軍の腕章を身につけており、その者達がザイルードの残党であることはすぐにわかった。
「おい、お前ら。しょうもない略奪はよせ」
そいつらに向かって言うと、二十名ほどいるザイルードの残党がこちらに向かってきた。
「これはこれは、スルト裏切りの筆頭、ウィルズ大佐じゃないですか」
そう言うと先頭に立つ初老の男が、ロングソードを携えこちらに近づいてくる。
「裏切り? 本当に愉快な思考回路だな。雑魚が粋がって戦争ごっこしてると思えば、今度は流言工作か?」
「はっ! 中央国はいずれ消える。貴様には二度目の亡国だな」
「元スルト軍の残党で、今はザイルードの残党に成り果てた貴様が、誰かを皮肉る立場か?」
周りを取り囲む二十名が、一斉に武器に手をかける。その様子を見たクボーナーは、護衛の騎馬隊に大声で号令を出した。
「おい! 民間人の保護を急げ! 大至急だっ!」
その号令を前に、残党が腰のロングソードを鞘から抜き、それを向けた。
「いいんだな? 俺に刃を向けた奴は全員殺す。必ずだ」
初老の男は、剣を掲げ周囲の仲間に号令をかける。
「こいつを殺して、ルストリア陥落の序章としてやるぞ! かかれ!」
二十名ほどであれば、どうにかなるか。
「待て! ウィルズ! まだ退避がっ!」
俺は待たずに、その場で足を踏み込む。すると、踏み込んだ足元に魔法陣が生まれそこから衝撃波が飛び出し、ザイルードの残党は簡単に吹き飛んだ。
「くっそ、何をした!」
初老の男のみがその場に踏みとどまり、こちらに向かって再び走り出した。なるほど、多少は戦えるみたいだ。何やらブツブツと詠唱を開始していたが、それでは間に合わない。
初老の男の足元に五十センチ程度の魔法陣が展開される。それは、奴の魔法では無く、俺のものだ。
「手向けだ。愛する母国の炎に焼かれて死ね」
『……エル・ガンズド』
真っ白な火柱が魔法陣から出現し、男を焼いた。やがて火柱が収まると、少しして、装着していた甲冑が空から降ってきて、カツンカツンと音を立てた。
すぐに、慌ててクボーナーが駆け寄ってくる。先程吹き飛んだその他大勢は、衝撃波で既に意識を失くして転がっていた。
「おい! 民間人に当たったらどうするつもりだったんだっ!」
「当たらなかっただろ?」
しかし、何をやってるんだ親父は……。
――王国歴1501年 ルストリア アリーシャ城 軍務会議室
「これより緊急軍事会議を行う」
ムーア総司令官は、円卓に座るバルバロッソ、フィロン、そして俺を見つめ、会議を始めた。後方テーブルには、ミハイルを含む複数のパンテーラ、そしてクローリクではあるが、ジュラが同席していた。
「はっ」
ピタリと息の合った返事が、室内に響く。その響きが残ったままムーア総司令官は話し始めた。
「まずは既に決定された、俺とベガの処遇についてだ」
これにすぐ反応したのは、前日までシーナの国境要塞に配備されていたバルバロッソだった。
「ベガ大将はどちらに?」
それを受けて、ムーア総司令官はばつが悪そうに答えた。
「現在ベガは、ルストリアの存続に関わる重要な任務でここには出席が出来ない。俺から謝罪しよう」
やや、弱気なムーア総司令官を見てバルバロッソは、慌てて「そんな、やめてください」と答えた。
そんないつもと違う雰囲気を気にしてか、ムーア総司令官は口早に言った。
「では、改めて俺とベガの処遇についてだが、この先の話も踏まえてウィルズが進行を行う」
「はっ!」
これは、事前にお願いされていたことだった。裁かれた立場で、その裁きの内容を自身で話すのは説得力に欠ける為ということで、ベガ大将からの依頼であった。
「皆、この度の事件のあらましは理解しているな? 簡単に言えば、ムーア総司令官が判断を誤り、ベガ大将がその尻拭いに失敗し、その部下達に混乱が起き、内通者が現れ、ムーア総司令官はそれをフォローしきれなかったということだ。即ち、職務怠慢というやつだな。その不祥事が世間に露呈し、反感を買ったというのが現状だ」
ミハイルが、これに異議を唱えようと口を挟もうとする。
「待ってください、ムーア総司令官は……」
「おい。二度は言わない。黙って聞いてろ」
ミハイルは、失礼いたしました、と小さく答えた。俺は続ける。
「ルストリアの法に則って言えば、内通者は極刑、管理をする立場のムーア総司令官、ベガ大将は良くて投獄、場合によっては処刑。自身の過去についてべらべら話して部下を混乱させた隊長は、降格の上、謹慎といったところが妥当だ」
円卓を囲む全ての者達は、真剣な眼差しで聞いている。親父を支え続けた者達の真剣な眼差しだ。
「しかし、ファノリオス国王陛下は、この判断を下さなかった。この二人は軍務剥奪もなく、降格もしない。これまで通り、軍務に励むこととなる」
これを受けて、ジュラは「ふぅ、ラッキー……」と小さく溢した。
「しかしこれは、慈悲などではなく、現在のルストリアの危機的状況に、この二人を失っては立て直しが難しいとご判断なされたからに他ならない、これを踏まえて各自、今一度己の信念をよく見つめてみてくれ」
小さな沈黙が流れたが、俺は事務的に、報告を続ける。
「次に、内通者ステラの処遇についてだが、退役処分の後、余罪の追求を行い、特別独居房にて三年間の投獄となる。これは、本来であれば極刑となる反逆罪に対して、かなりの減刑が成された結果となっている。減刑の理由としては、ザイルード首謀者であるガーラントから情報操作を受け利用されていたという点と、ステラの証言により、ザイルード強襲が発覚し、事前に被害を減らすことが出来たという点が挙げられる」
おもむろにフィロンが挙手をする。
「ウィルズ大佐ー、ちょっといいかなぁー」
「なんだ?」
フィロンは立ち上がり、上等な羊皮紙をこちらに持ってきたので、それを受け取った。
「こちらに用意してある書類を見ていただけますかー、ちょっといろいろギリギリまで動いていたので、提出が遅くなってしまいましたー。ごめんねー」
「なるほど、用意してあった情報は少し古いものだったか。この書類によると、軍事医療研究所での功績から、国王陛下直々に特赦が出ている。……投獄は数か月が妥当か」
ジュラとミハイルは、顔を見合わせてニッコリと笑っていた。俺は当然、この処分を知っていたが、これには段取りが必要なのだろう。世間に対する対面上の裁きだ。
「続いて、ミハイルの処分だが、マグナ・ディメントの子孫である、ということに刑罰はない。むしろ、これは被害者であると言えなくもない。ミハイル自身が罪を犯したわけではないからな。だが、部隊長としてマグナ・ディメントの名前を出し、混乱させた罪は犯した。よって、ミハイルはとある任務に就いてもらうことで、これを免責する。非常に厳しい任務だ、覚悟しておくように」
「はっ!」
ミハイル、お前の抱えているものは理解しているつもりだ。だが、越えることのできない試練は人生において訪れることはない。と、言ってやりたい気持ちはあったが、言うのも野暮だな。
「そして、今後の事態に備え新たなパンテーラとして、ジュラを昇格させることとなった。異論はあるか?」
ジュラは、その場で立ち上がると敬礼の姿勢をとり言った。
「ありがたき幸せ。必ずやご期待に応えられるよう尽力します」
なんだ、珍しく少し緊張しているようだな。俺の横に居るバルバロッソが喜んでいるのは、顔を見なくても分かる。
「では、これにて諸々の処遇報告を終了する」
親父は頷くと、改めて会議を取り仕切る。
「では、本題だ」
帰還の道中で、ある程度の情報はもらっていた。ミクマリノの独立とシーナの合併、全てヴィクト総帥の仕組んだ事である可能性。そうなんだとしたら、誰がどう考えても争いの匂いしかしてこない。
「これより軍事強化、及び防衛ラインの再構築を行う。東と南の国境要塞に常駐魔導軍を厚めに配置。そして、スルト地区とミクマリノを繋ぐ国境要塞の手前には、拠点を築く事とする。この地点を攻められれば、スルト地区エレンス山への侵入が容易になる為だ。また入国証に関しても再申請、再発行が必要だ。もうあそこは完全な他国だからな。これに関しては、ベガが指揮を務める」
そう、隣国ミクマリノはもう従属国ではない、改めてそれは脅威だと認識しなければならない。ルールや法など関係ないのだ。こう言う意味での『自由』ほど恐ろしいものはない。
「軍の拡大も必須になる。志願兵だけでは追い付かないため、一時的徴兵制を取る事とする。しかし、今の混乱の中これを行えば国内の治安回復は遅れる。時期は改めるが、そのつもりでいてくれ」
「はっ!」
「バルバロッソ、それを踏まえて兵士強化訓練の見直しを立案しておいてくれ。ある程度見込みのある兵達の戦闘訓練には、俺の直属部隊を使え、あいつらには伝えてある。何人かの新兵も連れて、近いうちに到着するそうだ」
「ストラークスをですかっ!? こりゃ俺も気合を入れ直さねば!」
バルバロッソは興奮して鼻息を荒くしているが、無理もない。
ムーア直属部隊『ストラークス』、昔から親父と組んできた超精鋭部隊だ。俺も若い頃に、彼らに死ぬほど鍛えられてきた、もうそれは本当に地獄の様な訓練だったが……五体満足なのが奇跡だったと今でも思う。俺が知る限りで、ストラークスを越える戦闘集団を見たことが無い、親父より年上の者もいるが誰一人として衰えを感じる事はない。と言うか、年々益々強くなっている気さえするのだから、ハッキリ言って化け物の域だ。一個小隊で千人相手に出来るなどと、噂されているが、あながち間違いではないだろう。
ここ数年の平和が続いた時代に、一時的解散をし、各地に散っていると聞いていたが、今回の事で招集されたようだ。
「ウィルズ、クボーナーにも一旦ストラークスに戻るように伝えておいてくれ」
「承知しました」
「皆、日々の訓練を怠るな、平時など無いと思え。いつ、何が起きてもいいようにな」
『はっ!』
「では、解散!」
全員起立し敬礼をし、これをもって緊急軍事会議は終了した。
――同日 アリーシャ城 西キープタワー
「ここだと思ったよ。親父」
親父は、考え事をする時、いつもここに来る。少しやつれた顔の親父はこちらに向かって苦笑いをした。
「ウィルズか、さっきはすまなかった。本来は俺の仕事だったが」
「そんなことは気にしなくていい。親父にはもっと気にするべきことがあるだろ」
「ああ、そうだな。今後のルストリアの方針を練らなくてはならない」
「そうじゃない。親父は、親父の方針を考えるべきなんだ」
驚いた表情でこちらを見る親父。相当に参っているのは確かなようだ。
「俺の?」
「国王が親父を降格させなかった、処罰させなかったのは、何も対処の為だけじゃないと思うぜ?」
「どういうことだ?」
「親父、しっかりしてくれよ。今のルストリア軍、ひいてはこの国の色は良くも悪くも親父を映す鏡みたいなもんだ。親父が迷えば、この国だって迷う。親父が判断し、決断したからこそ、ステラやミハイルは救われたんだ。そのついでに大きな苦難が現れた。だったらその苦難を打倒するだけじゃねぇのかよ?」
少しだけ間をあけると、親父は場内に響き渡るんじゃないかというような大声で笑った。
「……あっはっは! 言ってくれるな。息子に言われて気づくようじゃ、俺もまだまだだな」
「あぁ、まったくだよ」
「この、クソガキめ。どうだ? このあと久々に手合わせするか」
「大丈夫か? また落ち込む要素が増えるかもよ」
「そういう台詞は、一度でも俺に勝ってから言ってもらおうか」
二人で笑い合ったあと、修練場へと向かっていった。
――王国歴1501年 ルストリア南西部 グライアンスの森
ルストリアの国土の南西に位置するグライアンスの森には、大陸内で人々が口々に噂する、有名な伝説がある。それは、この森には自分と同一人物が居て、その者と出会うと自身の身に不幸なことが起きると言うものだ。そんな不吉な森に、ベガは訪れていた。ベガは森の奥、霧が立ち込めてきたところで突然立ち止まり、何やら詠唱のようなものを行い始めた。
ベガの詠唱に反応して、森の木々が輝きざわめく。それを確認し、森の奥へと入っていった。不思議なことに、奥へ進んで行ったはずのベガは、すぐさま霧の中から出てきて、来た道を戻り何処かへと行ってしまった。これは、石守独自の防衛装置であり、森の外へと出ていったベガは幻で、実際にはベガは石守の住まう里へ森の奥深くへと歩を進めていた。なお、一つ目の結界で詠唱を行ったが、石守の里へと向かう最中も、詠唱をし続けなくてはならない。それが途中で中断してしまったり、間違えてしまえば、結界の外へ放り出されてしまう。
輝く木々の隙間を、詠唱を行いながら縫って歩いて奥へと進んでいくと、突然人工的な建物が立ち並ぶエリアが現れた。向こうから、三人の男達がベガを歓迎し案内を始めた。
十軒以上ある建物の背後には、巨大な魔法結晶石が無造作に置かれており、今まさに輝いているものから、ぼんやりと光っているもの、全く光っていない石碑のようなもの、様々にある。
迎えの三人に導かれ向かったのは、このエリアの中心にある、きれいな半円形のドーム状の建物だ。
半円形の建物は扉がついておらず、代わりに強力な結界が入り口に施されている。石守に関わる人間は皆、フロートフランタと呼ばれる魔石を体内に仕込んでおり、これがこの里では身分の証明にもなっている。そして、その魔石が結界に反応し、入室の際に解除される。先日、ディー、クライヴをここに送った際に二人もこの魔石を体に仕込んでいる。仕込むと言うと大層なもののように聞こえるが、実際は親指ほどの大きさの魔石を経口接種することで、体内に入った魔石が臓器に癒着し、仕込みが完了する。
また、この魔石は様々な臓器に深く絡みつくように変化する為、生きたまま取り出すのは難しく、また魔石の所有者が生命活動を停止すると、ただの石ころになってしまう。つまりは誰にも奪うことが出来ない最高峰のセキュリティとなっている。
ベガは慣れた様子で建物の中に入っていく。この建物は、石守の里の主導者オグズ・エルリクが管理している。『ゴーべ・ククル』と呼ばれる石守の最高機密施設である。この施設では、石守になる為の試練や、大陸の原魔結晶石の状態を見ることが出来、これらは全て魔法の力でのみ稼働する。
「連日、ご苦労。ベガ」
建物の中に入ると、すぐに声をかけてきたのは、白いローブに身を包んだオグズ・ウルゲンであった。石守の人間は基本的には争いごとに関して無関心であるが、それは決して戦闘が行えないわけではない。魔法の技術で言えば、表舞台に立っている大陸の人間など相手にならないほど、卓越した技術をそれぞれが持っている。しかし、それを対人に行使することがほぼ無い。彼らは、原魔結晶石に関わる異常が起きない限りは、人々の移ろいに無関心なのだ。
そんな中で、オグズと呼ばれる一族は、外界との接触を担当しており、必要があれば人に対しても魔法を使い、滅びを与える。このオグズと呼ばれる血縁者の長こそ、オグズ・エルリクであり、エルリクは恐ろしい程の長寿である。大陸の歴史から見れば浅いが、それでも彼は四百年は石守の主導者として存在している。
これは当然、禁忌魔法によるものであるが、石守に禁忌という認識はない。正しくは「我々以外は使えない魔法」に分類しているだけである。その多くは古代から口授されてきたものが多く、長い年月で失われたり、古代人の血が薄まり適正者が居なくなった事で、その数は減少している。エルリクの扱う長寿魔法も、正しく使えるのは徐々に減り、オグズ一族の未来は途絶えようとしている。
しかし、石守達はあらゆる滅びを見守る立場、としているため、このまま緩やかに衰退していくのであれば、それが原魔結晶石の導きである。と考えている。
随分昔、まだベガが子供だった頃、グライアンスの森付近で落雷事故に遭い、全身は焼け焦げ、頭部も著しく損傷してしまった事がある。瀕死のなか悶え喘ぐベガを、その時たまたま通りかかったエルリクが気まぐれで治癒魔法をかけ、生死の結果は見ずにその場を立ち去った。幸運にも魔力の素養があったベガは、エルリクの高等治癒魔法に何とか耐える事ができ、一命を取り留める。しかし、その時の後遺症により脳が異常発達を起こし、記憶が消えない体質になってしまう。更には、老化が通常の人間の何倍も遅い身体にまでなってしまった。
月日が流れ、ベガが青年くらいの姿になった頃、グライアンスの森付近を歩くエルリクを見つけ、思わず呼び止めて言った。
「あの時は、ありがとうございました! 貴方のお陰で命が助かりました。ずっと、ずっと探していました」
エルリクは驚きを隠せなかった。まさかあの幼い子供が助かっているとは、考えていなかったからだ。もしかしたら、これも原魔結晶石のお導きかもしれない。そう思ったエルリクは、ベガを石守に迎え入れ、オグズとは違う形での外界接触者としてベガを育て、大陸各地でスカウトをする役割を与えた。
「ウルゲン、お久しぶりです。どうですか? 二人の調子は」
ウルゲンは、近くにあった水晶のようなモニュメントに魔力を込めると、そこにはしゃがみこんでいるディーと、壁にもたれかかるクライヴの姿があった。
「昨晩から瘴気の部屋に閉じ込めて、魔力の過剰接種訓練を行なってもらっている。この調子なら早い段階で結晶石の調整訓練に移れそうだ」
水晶を覗き込むベガは、二人の体を案じ、心配そうに尋ねた。
「二人は、石守になれるでしょうか?」
するとウルゲンは、少しだけ怪訝な顔でベガに言う。
「クライヴくんは、まあ問題ないだろう。臓器の中にそれぞれ別種の複数の魔力が内在していて、これらが魔法の発現や、魔力の絶対値の底上げを手伝っている。これほどまでの才能は、私の長い経験の中でも数えられるほどしかいないな」
そう言うと、ウルゲンは水晶から手を離し、ベガの方に向き直ると話を続けた。
「ディーくんは、はっきり言って五分五分だ。反射魔法の素養は申し分ないが、彼は戦士として肉体を強化し続けたことが枷になっている。例えば、水を飲みたいと考えた時に魔法で水を動かして取ってくるのがクライヴくんなら、ディーくんは、バケツを持って山に汲みに行くということを日常的にやっていたのだ。魔法は生き方に強く結びつく。そういった日常的なことからゆっくりと、変化をつけてあげればいずれは大成するだろうが……」
ベガは着けていた眼鏡を外し、眉間に指を当てて言った。
「残念ながら、我々には時間がありません」
「その通りだ。これを急激に行うということは、本人にかなりの負担がかかることが想定される。一度踏み入れば抜けることは出来ない石守の宿命とは言え、彼の命を無駄にすることに……」
少し不安そうなウルゲンに、ベガは言う。
「彼は、ディーは、ルストリア軍内で最も努力を重ねている者です。ルストリア軍の誇りにかけて断言しますが、彼は必ず乗り越えます」
ベガは確信していた。確信してるからこそのスカウトではあるが、それよりもその努力を、その姿勢を、その信念を誰よりも信じているベガの心からの言葉であった。
「それはそうと、何やら大事な話があるのだろう? エルリク様は奥だ。行ってくるといい」
「では、私はこれで。彼らの事、宜しく頼みます」
そう告げると、ベガは奥の建物の中に消えて行った――。
――王国歴1501年 ミクマリノ プラウダ城 銀の間
ミクマリノの王城である、プラウダ城は、建物自体はルストリアの半分ほどであるが、敷地はルストリアの倍以上あり、庭園や、人工的に作られた川が複数あり、華やかな城である。また、ルストリアと同時期に建てられたということで、魔力を仕組みとして使う施設も複数あり、防衛に関しても整備がされている。そんな城の中、最高位の会議室、銀の間では、ヴィクトの到着を心待ちにしている最高幹部達の姿があった。
まもなくヴィクト総帥がこちらに来られるようだ。ついでにベルガーも戻ってきて、最高幹部全員が久し振りに集まる。俺は、こういった公の場に出ることはあまりないので、そういう意味では十七年ぶりに再会する者もいる。
「ギーク、今日の夜少し時間はあるか? 話したいことがある」
そう言って近づいてきたのは、軍学校からの仲であるセラフィマだった。セラフィマは、女性でありながら九割以上が男性の軍学校を主席で卒業し、そのまま最高幹部まで上り詰めたエリートだ。最高幹部の中で俺が最も信頼を置く者であり、所謂友人のような立ち位置でもある。
「ああ、構わないが、どうした?」
セラフィマは、眉間に皺を寄せながら、俺に耳打ちをした。
「この国の存続に関わる重要な話だ……総帥に関して――」
セラフィマが話している最中に入口の扉が開き、ヴィクト総帥とベルガーが入室してきた。
「やあやあ、皆さんお揃いで。こうやって全員が揃うのは何年振りでしょうねぇ」
にこやかなヴィクト総帥は、非常に機嫌が良く、楽しい酒を飲んだ後のような屈託のない笑顔を全員に見せた。
そして、ヴィクト総帥の挨拶にあった何年振りという質問に対して、真面目に答えるベルガー。
「三年振りです。ヴィクト様」
ああ、そう。と、たいして興味を持たないヴィクト総帥が、私の目の前にやってくる。
「ギーク、首尾はどうだ?」
「はっ! ぬかりなく」
「それは素晴らしい。素晴らしい仕事が重なって、私の仕事は成立していく。そして、その仕事が重なってレオンチェヴナ様の覇道が切り開かれていく。形容し難い清々しい気持ちになりますねぇ」
それは、その通りだ。今のこの状況も、全てはレオンチェヴナ様の為。ヴィクト総帥は、俺との会話を終えると今度は向かいにいるセラフィマの元へと向かった。
「セラフィマ、お前のルストリアとの外交により得る情報はいつも助かっています。セラムはお元気ですか? 久々に会いたいですねぇ。確か、もう十歳かそこいらでしたか」
「はっ! ご厚意痛み入ります。我が愚息も度々ヴィクト様に会いたいと申しておりました」
「前回はかけっこで負けてしまいましたからねぇ、今度は頭を使うものでリベンジしたいですねぇ」
続いては、武骨な剣士ドナートの元へ。
「ドナート、シーナへの出向お疲れ様でした。この度のシーナとの合併はお前の働きによるものが大きい、この感謝はお前に与えるシーナ地区の領土の大きさで答えることにしよう」
「はっ、ありがたき幸せ」
次は、害悪のエゴール。
「エゴールは、ああ、いつも通りですね。ま、いずれあなたの狡猾さと暴力が必要になるかも知れません。変わらず鍛錬に励んでくださいね」
「くくく、必ず来ますよ。私の力を欲する時がね」
不敬なその態度にベルガーが、足早に近寄っていく。
「なんだ、その態度は、ヴィクト様がお声をかけてくださっていると言うのに。死ぬか?」
エゴールの目の中にあるルーン文字が光る。
「あ? やってやってもいいぞ、腰巾着」
エゴールにとってよくあることであるが、争いを起こそうとするその様を、ヴィクト総帥が割って入り制止する。
「やめなさい、二人とも。私にとって二人とも欠けては困る大切な同士です。仲良く、穏便に」
続いて、魔導騎士団団長ヴァルヴァラ。ヴァルヴァラも女性だ。
「ヴァルヴァラ、魔導騎士団の統括お疲れ様です。統治を進める上であなたの力は必須です。これからもどうかご助力を」
「め、滅相もございません。尽力させていただきます」
慌てふためくヴァルヴァラは、全身白銀で出来たピカピカの甲冑に身を包んでいる。
「ところで、その格好は?」
「あ、これですか、これは先の大陸大戦で汚名を知らしめたシーナのマティアスさんの仮装です!」
「……それは素晴らしい! ユーモアは大好きです。ただしその仮装は、この城内だけにしてくださいね。色々と問題がありそうなので」
こういった形でヴィクト総帥が一通り挨拶に回った。本来であれば、我々がヴィクト総帥の元にそれぞれ挨拶に行くのが筋であるが、この最高幹部六名は、主義主張に大きな違いがあり、派閥がある為、どちらが先に声をかけるだとか、そういう小競り合いを避ける為に、ヴィクト総帥の計らいで、皆が集まる時の挨拶回りは最早定番になっている。
派閥は二つあり、セラフィマ率いる保守派と、ベルガー率いる改革派だ。簡単に言ってしまえば、レオンチェヴナ様、ひいてはミクマリノ王室に対して忠誠を誓っているのが保守派で、改革をし、国土の拡大や、より多くを求めようとする者達の集まりが改革派だ。セラフィマ派にいるのが、セラフィマ、ドナート、そして俺。ベルガー派にいるのが、エゴール、ヴァルヴァラだ。この二つの派閥はヴィクト総帥を通じてバランスが保たれているが、俺としてはレオンチェヴナ様が安泰であればどちらでも構わないというのが正直なところだ。
「さて、ご挨拶も済んだところで、そろそろ国王陛下の元へ向かう時間ですねぇ」
そうこうしている間に、会議の時間となった。
「あの、私にお褒めの言葉は……」
戸惑うベルガーだが、周りは誰も反応をしない。
「まさか、ヴィクト様、私のことをお忘れに? いや、私はヴィクト様にとって無くてはならないもの。当たり前に存在しているものなのだ、例えば陽の光や空気のように。つまり私の存在意義は、空気のようにかけがえのないものに! ついにっ! ここまで!」
あまりにも大きな独り言に、ヴァルヴァラがつぶやいた。
「気持ち、全部、口に出てる」
――同日 王の間
「ヴィクト、それにみんなも集まってくれてありがとう。おもてをあげよ」
女性とも男性とも言えない、神秘的な顔立ちの国王陛下は、ヴィクト総帥を見つめているようだった。それも当然、我が国はヴィクト総帥の手引きにより独立したのだから。
「いえ、レオンチェヴナ国王陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
「ヴィクト、前置きは良い。既に、報告を受けているが改めて、ルストリアでの出来事について皆の前で話してくれるか」
「はい、それでは……」
ヴィクト総帥の話を、レオンチェヴナ様は真剣な面持ちで、時々神妙な面持ちで聞いていた。
「と、ここまでがルストリアでの会議の内容でございます」
「……そうか、ご苦労だった」
ヴィクト総帥の横にピッタリとくっついているベルガーはここぞとばかりに、次の議題へ移す主導権を握りにかかった。
「ヴィクト様、それでは……」
ヴィクトはそれを遮るように、レオンチェヴナに跪き、言った。
「レオンチェヴナ国王陛下、畏れ多くも陛下に進言をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだ? 言ってみろ」
「これより、国王陛下の名を廃し、皇帝としてその名を大陸に宣言することを進言させていただきます」
皇帝、すなわち王の中の王。レオンチェヴナ様が、皇帝か。ヴィクト総帥は、深々と頭を下げ、更に進言を行う。
「この度、ルストリアの失態、シーナとの合併により、我々は力をつけました。大陸に住まう全ての民は、心が揺らぐことでしょう。そこで、レオンチェヴナ国王陛下が皆に救いの手を差し伸べ、より良い平定の形を示すことで、本当の平和が大陸に訪れることでしょう。そんな、レオンチェヴナ国王陛下は既に王の器では収まりきらないのです。王の中の王、他国の王とは比べものにならない御力を示すためにも、皇帝を御名乗りいただきたい」
レオンチェヴナ国王陛下は、この発言に大して驚くこともなく、ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回し、最高幹部の顔を一人一人見ると、静かに力強く宣言した。
「よろしい、今から皇帝レオンチェヴナと名乗ろう。皆、変わらず、いや前にも増して働いてもらうぞ」
全員がその場に跪き、忠誠を誓う姿勢を取った。この時、ヴィクト総帥、ベルガーに関しては不明ではあるが、それ以外の全ての人間が、皇帝レオンチェヴナという強烈なカリスマにあてられて、人を越えた超越者のような存在感を覚えていた。
――同日 プラウダ城下町
その後、細かい今後の方針などは各自ヴィクト総帥からの指令書に従うということで、解散となった。ヴィクト総帥は、皇帝レオンチェヴナの名をより効果的に広めるべく画策を進めるとのことだ。十七年前、あるいはその前からヴィクト総帥の手腕は理解していたが、この速度感で独立国を実現させ、世論を味方につけ、策謀を巡らすその頭脳には恐れを超えて感動すら覚える。とは言え、なんとなく好きにはなれないのだが。
俺は、セラフィマの話を聞く為、昔からよく使っている酒場に訪れていた。既に待ち合わせ時間を三十分は過ぎているが、セラフィマは時間にルーズなところがあるため、そこまで気にせず一人で飲むことにした。そこに、セラフィマの部下であるガリオンヌが慌てて入ってきたのは、更に三十分過ぎた後であった。
「ご、ご報告……です。ギーク様……セラフィマ様が……セラフィマ様が……」
セラフィマが自害した。その知らせを受け、すぐさま身投げしたという、プラウダ城南部にあるウィーカーツ湖に向かった。既に、引き上げられた後であるが、どうやら手首を切ったあとに身投げを行ったらしい。同様に急いで駆けつけたヴィクト総帥の姿がそこにあり、緊急ではあるが、最高幹部が再び集まり、手厚く弔うこととなった。
「何故、このタイミングで自死を……」
そう呟くヴィクト総帥の言葉はもっともで、ましてや、私と会う約束だってあった、何より十歳の子供セラムを置いて、自害など考えられない。
俺は、何か疑念のような、何か陰謀めいたような、払拭できない何かが頭をよぎったが、敢えてこれを発言しようとは思わなかった。もし、この疑念が確かなことであれば、この周りにいる最高幹部やヴィクト総帥の前で発言すること自体間違っているからだ。
俺は死ぬわけにはいかない。レオンチェヴナ様のために、余すとこなく命を使わなくてはいけない。それ以外の行動概念に囚われてはいけない。しかし、セラフィマ、何を話そうとしていたのだ。ヴィクト総帥に関してと、彼女は間違いなくそう言っていた……。
――王国歴1501年 ミクマリノ プラウダ城 ヴィクト私室
プラウダ城の周りには、幾つもの川が流れており、複数の棟が隣接するプラウダ城は、棟から棟の移動の際、橋を渡る必要がある。最高幹部の私室はプラウダ城を守るように散り散りに棟を隔てて配置されている。これは、防衛の意味合いでもあり、現にヴァルヴァラの私室はルストリアやシーナに近い南西部に位置している。
そんな中でも、表立って戦闘を行うことはなく、参謀の意味合いも強いヴィクトの私室は東部、謂わば大陸の最東部に位置していた。ここは、希少価値の高いマジックアイテムや、国宝を管理する宝物庫が地下にあり、最高機密と英雄ヴィクトを一括で守護するヴィクト直属の親衛隊が守護をしている。ヴィクトの私室は機密性に富んでおり、外に会話が漏れることは絶対にない。
これは、空間魔法の使い手であるベルガーが施した魔法で、これによりヴィクトの私室はこの世にあってこの世に無い、完全に断絶された世界になっている。そんな中で、ヴィクトはベルガーと密談を交わしていた。
「ヴィクト様、ついに計画が始まるのですね」
「ええ、かなり遠回りになってしまいましたが、始まりますねぇ」
「しかし、セラフィマは何の情報を握ったのですか?」
「それを……知りたいですか?」
「……やめておきます。私も処刑されてしまっては堪りませんから」
「よろしい、では、ベルガー。次回予告しておきましょう」
「はっ!」
「貧困、差別、虐待、復讐、後悔、様々な負の連鎖が、一つの結果に結びつこうとしている。それを担う国民の秤が急速に傾き、規律を司る国の終わりが始まる」
――パンッ!
手を打ち鳴らし、薄ら笑いを浮かべてヴィクトが溢す。
「戒星の崩国……いよいよですねぇ」
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