日常の居場所
――王国歴1490年 ルストリア シーナ リンデル 十三歳の春
ホランド院長と俺は、共にリンデルの中の宿屋へ到着した。
リンデルの宿屋は、ティース孤児院の目の前にある橋を渡って対岸にある。橋を渡る際に、魚が死んだような生臭い匂いが立ち込めていて、下を流れる川をのぞき込むと黄土色の川にはたくさんのゴミが浮かび上がっていた。
宿屋の近くには商店街があり、それなりに賑わってはいるものの、ルストリアとは明らかに毛色が違う。もしかすると、初めて来た街なので、変に警戒しすぎているせいなのかもしれないが、なんとなく怖い雰囲気がある。
院長は宿屋の前に着くと、入り口付近にある甕をのぞき込んだり、宿屋の周りをぐるりと一周したり、なんだかとても不審な行動をした。院長の神経質さは孤児院内でも存分に発揮されているので、この宿屋に対して何かしらの気になる点があったんだろうな。
別に院長に直接聞いてもよかったけど、それを聞くと想像以上に長い説明を受けることになりそうだから、今日は疲れているし、やめておこう。
中に入ると、一階は当然ながらロビーで、そこには宿泊者の名前を書く台帳が置いてある。院長がそれに書き込んでいる間、近くにある大きな振り子時計を見ていた。
振り子時計の重りは、その土地の気候や湿度なんかで、位置を変えて揺れの周期を調整する必要があるってランツ先生が言っていた。振り子が見えるガラス面のすぐ横、木枠の部分に何か傷がある。よく見ると、それは細かくつけられている。
「それは、ティースとアレッサが付けたものだよ」
突然後ろから声がしたので、驚きのあまり飛び上がってしまった。すぐに振り向くと、やせ細った口髭を生やしたおじさんが立っていた。
「驚かせてごめんよ、少年。すみません、お待たせしちゃって、ホランドさん」
「いや、我々も今来たところだ」
どうやら、あの口髭おじさんは、この宿屋の店主らしい。
「ティースというのは、孤児院の?」
「おや、ホランドさんも気になりますか?」
「少しだけ聞いてお終いにできるほど辛抱強い性格ではないものでね」
「ははは、それはそうですよね。私もです。ええ、そうです、あの向かいの孤児院の院長が幼いころに着けていた傷ですよ」
「見たところ、これは身長を測っていたのか?」
「そうです、私の父があの時計は年代物の良い時計だからやめろ、というのに毎日ここに来て測っていたんですよ」
「そうか、それでアレッサというのは?」
「アレッサはティースの幼馴染で、妻です。ティースから聞きませんでしたか?」
「いや、配偶者については何も」
「そうですか、とても仲が良かったんですが、今からちょうど一年前に人攫いにあっちまったようで」
「……」
「ああ、すいません、こんな子供の前で!」
「いや、いい。少なくとも虚実でなければ聞いても問題ない。しかし、故意的に聞かせる必要もないな。気遣いありがとう」
「ええ、ええ。本日はうちの中の最高級の部屋を用意しましたので、是非ごゆっくりなさってください」
子供扱いされたことには、少し思うところがあるけど、まあ実はさっきエリクから少し話を聞いてしまっていたので、俺もあえて口を開こうとは思わなかった。
しかし、普段の院長であれば「質素な部屋でいい」とか言って断りそうなものだけど、院長も今日は疲れているってことなのかな。
部屋の中に入ると、院長は羽織っている軍服のような上着を入り口のハンガーラックにひっかけて、年季の入った木彫りの椅子に腰を掛けた。俺も同じように、院長の向かいに座る。部屋の大きさはディー・エヌ孤児院の教室の半分ほどの広さで、明らかに二人ではもてあます部屋だった。
壁にはトナカイの頭部のはく製が飾られていて、その目を見るとなんか少し怖い感じがした。奥には寝室があり、魔法風呂も完備されていた。しかも、風呂にはシャワーがついていて、明け方と夜中にお湯が出るらしい。さすが最高級だ。
「あ、院長、コーヒーでも貰ってきましょうか?」
「いや、いい。ああ、私の持ってきた鞄の中に瓶詰の水が入っている。それをとってもらおうか。お前の分も取るといい」
「わかりました」
入り口のハンガーラックの下に置かれた、革張りの四角い鞄から、瓶を二つ取り出し院長の前に置いた。鞄の中には少なくとも十本ほどの瓶が入っていた。
これだけでもかなり重かったと思うけど、何か水にこだわりがあるのかな。
「さて、ミハイル。今日の感想を聞いておこうか」
「はい」
まあ、お願いして付いてきたわけだし、当然感想を求められるだろうとは思っていた。しかし、ランツ先生ならまだしも院長に言うとなると、ただ感じたことを言うだけでも緊張する。
「ティース先生のように会話をしながら行う授業もあるんだな、と思いました。そして、それは、幼年組や成年組などを分けずに一クラスで行う授業で、とても良いことだと思いました」
と、我ながら簡潔にまとめることが出来た感想に満足していると、院長は顎に手を当て、何かを考えてから言う。
「そうか、お前にとって何か良い刺激になったなら良い。私が提唱する教育論とは違う教育方法、進んだ教育方法が確立されていくのは素晴らしいことだと私も思う」
院長の提唱する教育論には、遊びの時間がない。授業は静かに聞くものだし、質問に答えられなければ恥ずかしい思いをする。これを実践するディー・エヌ孤児院は、他の孤児院よりも優秀な生徒が多く、軍人の輩出もとても多い。その一方で、授業から落ちこぼれてしまう生徒も多い。これは、授業に一度遅れをとってしまうと、その次の授業から入り込むことが難しいからだと個人的には思う。
確かに、院長自ら補習を行ったり、ランツ先生がそれを行ってくれたりと、フォローの体制も十分にある。それでも、俺も自分の魔法の検査のために一日授業を休んだりすると、翌日それなりに苦労する。その度に先生を呼び止めて補習をお願いすることが申し訳なく感じてしまう、というのが本音だ。
それに対して、ティース孤児院の授業は全体的に緩やかで、授業以上のことを学びたければ課外授業を行ってもらう仕組みだった。更に、クラスにはある程度の序列があって、うちの孤児院でいう青年組のような子供たちが幼年組の補習を行ったりしていた。
これは先生が一人で切り盛りする孤児院には必要不可欠な仕組みなのだろうと思った。互いに助け合う孤児院。俺には理想の孤児院にも思えた。
「あとは翌日か」
「あ、あの、院長、こんなこと聞いちゃいけないんでしょうけど、ティース孤児院は合格しますよね?」
「まだ今日の段階では何とも言えないな」
「そ、そうですか。そうですよね。すみません」
「なんだ、ミハイル珍しいな。お前がこうやって聞いてくるなんて」
「俺は、この孤児院のティースさんや生徒たちはとても良いと思います」
こんなことを言って何になるわけでもないけど、俺が院長に言うことによって少しでも印象が良くなって、認定に傾くかもしれないのなら言っておこうと思った。
「そうか。よくわかった。ありがとうミハイル。今日は、疲れただろう。今日起きたことや感じたことをノートにつけて、ランツから預かってきたこの宿題を終わらせたら早めに寝るといい」
疲れた、ってことは理解していて宿題を取り出す院長は、机の上にそれを置き、自分の書き物を始めた。俺は、何か言い返そうと思ったが、教師になるのであれば必要な行為であると思い、黙って宿題を終わらせてベットに潜った――。
ベットの中で思い出す。あの後のエリクとの会話を。
「この孤児院、昔はママ先生がいたんだ」
「へー、ママ先生か。うちにはいないな」
「つってもティース先生の奥さんなんだけどな」
「先生の! へー、結婚してるんだ」
「ミハイル、ちゃんと聞いてたか? 昔はいたんだ」
「というと、今はいないのか? どうしてだ?」
「人攫い、だとさ……。ママ先生が街に食べ物の買い付けに行って、そのまま帰ってこなかった」
「……」
「先生は、この国のそういう側面を根本から改善するためにも、俺たちを立派な大人にするんだ、なんて元気な素振りしか見せなかったけど、先生は無理していると思う」
「そっか。でも俺から見てそうは感じなかったけどなぁ」
「んー、ミハイルは鈍感そうだからわからんだろうが、この孤児院にいる仲間たちの中には同じように感じてる奴はいっぱいいる」
「そっかぁ」
確かに、視線や他人の動きに敏感なエリクに比べれば相当に鈍感かもしれない。
「まあ、それもこれも今回の査定がうまくいけば認定孤児院になってルストリアから支援金が入る。そしたら、この部屋の修繕だのなんだの言う前に、助手の一人でも雇えばいいのさ。そうすれば、先生も少しは楽になるだろうぜ」
「ふふ、エリクは優しいな」
「優しくなんかねぇよ。俺たちは親をもっていない。そんな俺たちを子供にしてくれる人が困っていれば、それは助けないとだろ。これがなければ俺たちは親無しに逆戻りさ。よく、無くしてから気づくものがある、なんて言うけどさ、俺たちは元から何も持ってない。得てから気づいた人間なんだ」
「そう、かもな」
正直、考えたこともなかった。俺は物心ついた時には孤児院に居たし、自分がどこから来たのかもよく知らない。左右を見ても同じ境遇の人ばかりなので、肉親がいない、という感覚はあまりなかった。エリクは、外の世界を知ってから孤児院に来たから、俺とは少し違う視点を持ってるんだな。
エリクは、目の前で走り回る子供たちを見ながら言った。
「もし、この孤児院が無くなったら俺たちは終わりだ」
「そんなことないだろ。シーナにはうちの孤児院もあるし、他にもたくさんあるって聞いたよ?」
「まあな、でも他の孤児院は既にいっぱいだって話だ。そうなると、俺たちは仮設住宅みたいなところに押し込まれる。そこの定員もいっぱいになれば、何かが優位な奴しか残れない場所になる。つまり、俺たちは終わりだ」
エリクは俺と同い年くらいなのに随分としっかりとしている。同じ孤児院育ちであるのに、エリクは確固たる自分の考えを持っている。
それに比べて俺は、大戦で経験した人を助ける行為と、普段面倒を見てくれる先生に対する思いの間で、将来成りたいものが揺れていて、その確認でここに来た。そう思うと、突然エリクが大人に見えてくる。
その大人びたエリクがこちらを向いて口を開く。
「ま、本当言うとさ、俺はここから離れたくないだけなんだ。俺は、この孤児院が好きだし、思い出もたくさんある。この家が無くなったら、人より少ない良い思い出が根こそぎ無くなっちゃうような気がしてさ」
「それは……わかる気がする」
「なんか、急にこんな話しして気持ち悪いな。わりい」
「いや、そんな事ないよ。違う国の子供達の事を知れて、良かったと思ってる」
「そっか。最初はルストリアのいけ好かないガキだと思って一言かましてやろうと思って近づいたけど、ミハイルは不思議な奴だな。うまく言葉にできないけど、お前には聞いて欲しくなっちまった」
「そりゃどうも。……認定、されるといいな!」
「ああ、先生はこの日のためにたくさん準備してた。きっと大丈夫だ!」
その夜、俺は夢を見た。
その夢では俺は教師になっていて、何故か子供のままのシエルやクライヴ、スノウに授業をしていた。まじめに話を聞かないクライヴや、まじめなふりをしてノートに絵を描いているシエル、真剣に取り組むスノウを見て、三人に適した授業の方法を考えている。
すると、そこにランツ先生がたくさんのランチを持ってきて、窓から教室を飛び出し走って逃げる、という夢だった。昼に見たティース先生の授業を見て、俺は自分が教師になる想像をしたんだろうと思った。
自分で言うのもなんだが、単純な奴だな。
――翌朝
朝の八時になると、ここリンデルでもルストリアと同じように原魔修道院の鐘が鳴る。普段ではこんな時間まで寝てることはあり得ないんだけど、なんだかんだで疲れてたんだな。
「おはよう、ミハイル。幼年組の支度をする必要がない分、今日はゆっくり寝れたようだな」
「あ、おはようございます、ホランド院長」
院長は既に着替えを済ませており、いつでも出られる準備が出来ているようだった。俺は慌てて着替えをしようと持ってきた鞄から服を取り出した。
「ミハイル、そんなに急がなくていい。まだまだ時間はある。とりあえず朝食を摂ろう」
そう言われて、リビングに行き机を見ると既にバケットが並べられていた。院長は俺を待ってくれていたようで、二人で朝食を食べることになった。
考えてみれば、俺が院長と朝食を食べることは日常だ。毎朝、院長が出張などに行っていなければ一緒に食事を食べる。でも、院長がいなくなったらどうだろう。たまに院長が不在の朝食は少し寂しいと思う。ランツ先生が、腹を壊して入院した時の朝食も寂しかった。もしディー・エヌ孤児院が無くなって別の先生になったら、俺はきっと悲しい。
エリクが言っていたことは、こういうことなのかもしれない。
ドガイさんが酔って殴りつけた壁の傷も、ノガミさんが書いた院の看板も、ランツ先生が飾った野鳥の絵画も、院長が設置してくれた井戸の汲み取り機も、そのどれもが無くなってしまうとしたら、とても嫌な気持ちになる。それこそ、今までの自分の人生が失われていくような感覚になるだろう。
そんなことを考えていると、向かいに座る院長が心配そうに声をかけてきた。
「どうした、パンがまずいか?」
「いえ、そんなことはありません。おいしいです」
「そうか」
「……」
「9時になったら、孤児院に向かう。まだ急ぐ時間じゃないが準備をしておくようにな」
院長はあっという間に食事を終えており、荷物を持ってロビーへと降りて行った。窓の外を見ると、人々の生活は始まっていて、家族連れや、一人で歩く者、行商人、馬車の御者が道をぞろぞろと歩いていて、彼らもまた自分の居場所を守るために生活しているのかな、と思った。
ティース先生にとって、勝負の二日目が始まろうとしている。
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