指教
――王国歴1496年 ディー・エヌ孤児院
あれから、どれくらい経ったのだろう……頭がひどく痛く、目を開けるのが辛い。
気が付くと、孤児院の医務室のベッドの上で俺は寝ていた。
「む、目が覚めたか」
そう言って近づいてくるのは院長で、先ほどとは打って変わって柔らかい口調になっている。
「い、つつつぅ」
思わず声が漏れてしまった。起き上がってふくらはぎを見ると、既に止血されていて、処置は済んでいるようだった。
「既にフィロンにお願いして手当は済んでいる。傷も塞がっている」
「え、あ、はい」
確か、俺は院長に負けて……。
「お前の魔法を止めるためとは言え、加減が出来なかった。すまない」
「いえ、そんな……」
そんなことより、状況が掴めない。気を失う前に見たフィロンさんは確かにあそこにいたのか。
でも何故?
「近く、パンテーラの人員補充のための昇進会議が行われる。その会議にお前の名前が出た」
「え? 俺はクローリクですよ」
「そうだ、しかし、フィロンが名前を出した以上、可能性が出てきてしまった」
「フィロンさんが?」
「ああ、お前の魔法は戦局の重要な場面で使うべきだ、という主張のみで名前を出していてな。ハッキリ言ってその主張でお前がパンテーラになる可能性は限りなくゼロだ」
あたりまえだ、ろくに実戦経験も無い、俺が大軍を率いて戦地に向かうなんて、絶対に無理だ。
「だが、完全にゼロではない以上、手を打たなくてはいけない。そこで俺は、フィロンを呼び、その素養が育っているか、はっきりと見てもらおうと思ったわけだ」
「それで、あの稽古ですか」
「うむ。まあ、それ以上に俺がお前の稽古をつけたいという気持ちもあったんだがな」
「俺に、稽古ですか」
「お前も知っている通り、現在ルストリア軍のパンテーラは人員が不足している。その理由は、スルト地区の管理に人員を割いているから、という面と、後進が育っていないから、という点がある」
「そうですね、それが理由で年々昇進のスピードが上がっているとは聞いていました」
「そう。つまり、今回の昇進は無くなったものの、近い将来お前は高い確率で昇進し隊を率いて戦地に向かう、ということだ」
いずれ来る、ということはわかっていた、しかし、それはどこかで遠い未来のような気がしていた。
「今回、ランツが死に、クライヴは軍務において重大な違反行為を行った」
「そうだ、クライヴは!」
「ああ、凍結のことか、あれは嘘だ」
「嘘!?」
「そうだ、ああでも言わないとお前は本気にならないだろうと思ってな」
「そんな……あんまりですよ! 院長」
「まあ、嘘、とは言っても、クライヴが重大な違反行為を行ったことは確かだ。しかし、それは俺とフィロンが掛け合って、今回の功績と共に帳消しにしてもらっている」
「……よかった」
「だが、次に何かあった時には本当に凍結になるかもしれないな」
「そんな……」
「ランツは死に、俺もいずれは死ぬ。そんなときに、家族を守ることが出来るのはお前だけかもしれない」
「……」
「その時にお前が弱いままだったら、誰よりもお前が後悔することになる」
だからこその『稽古』というわけか。
「お前の実力は現在の階級の中では上位に食い込むだろう。そのまま励むと良い」
「でも、俺は院長に……」
「ああ、あんなものはただの手法だ」
「手法?」
「相手が実力者で自身を脅かす可能性がある場合は、相手を挑発し行動を単一化させる。そして、相手の決め手を見極め、その決め手を挫いたあとで決着をつける。これは、格上と戦闘する方法に記してあったと思うが」
「あ、確かに」
「まあ、こんなことはどうでもいい。それよりも、俺が気になっているのはお前の強さの定義だ」
「強さの定義?」
「そうだ、強さとは、単に武力のことだけではない。こと、魔法が跋扈するこの世界においてはな」
「心の強さ……とかですか?」
「そこまで大層なことは言っていない。心など皆弱い。私だって、決して強くない」
「院長が?」
にわかには信じがたいが。
「まあ、人の心は他人にわかる部分とわからない部分に分かれているんじゃないかと思う。私はお前の両親に対する思いはわからないが、お前のおかれている境遇に関してはわかる部分もある。お前も、私に対してわかる部分とわからない部分があるだろう?」
「……」
「話が逸れてしまったな。今私が言いたいのは、人間としての強さについてだ。人間一人が強くてどうにかできる程、この大陸は甘くはない。ならば、どうするか」
「群れる。統率された軍隊こそ強さの象徴ということですか」
「まあ、遠からずだ。私の思う人間の強さは、誰かに寄り添い、誰かに寄り添われ、それを許容し、拒絶し、共生していくことこそ人間の強さであると思う」
「……」
「そんなうまくいくわけがない、という顔か? そうだな、その通りだ。しかし、人と一定以上に距離をとり続け、事あるごとに自身の体を損なわせる魔法を使いたがるお前は、あまりにも人の世と離れてしまっている」
「……」
「私との戦闘を終わらせるために禁忌を使おうとしただろう?」
「……」
「私に勝つために、対価のわからない魔法を使おうとするお前の精神性は、弱いと言わざるを得ない。座学で満点だろうが、誰より武力を有していようが、結局はそれを扱う精神性が重要なのだ。暴発する武力は、ただの危険物でしかない」
「俺のこの魔法は、呪われた両親から授かった呪いの力です。その力を大切になんかしたくないんです……」
「そうか、だが、それはお前の世界での話だ。私は、そんなことでお前に死んでほしいとは思わない」
「俺は、誰かの期待に応える余裕なんかありませんよ」
「では現実的な、実害を提示しよう。お前がその精神性で戦地に行くと、お前もろとも部下が大勢死ぬ。その実害を出さないように心掛けろ」
「……」
「お前は力をつけなくては、お前を知る大切な仲間を守ることは出来ない。今回のクライヴの件でもわかるように。しかし、力をつければそこには責任が生じる。その責任から逃げることは誰も許さないだろう」
「……」
「お前に限って軍務のことを甘く見ているわけはないと思うが、それでもまだ甘かったな。お前は既に進退の判断をすることが出来ない場所まで来ているんだよ」
「……」
「……お前の魔導書を持つスタイルは、お前自身が魔法に依存している証拠でもある。これからは、格闘でも使用可能なそのロッドと、剣で戦うと良い。慣れれば魔法も安定して使えるはずだ」
「でも、これはランツ先生の……」
「生前ランツは、その長いロッドを使わなくなっていた。ただ飾っておくだけなら、お前が使ってやれ」
そう言うと、院長は部屋を出て行った。
俺は人の為に行動し、命を賭して贖罪を果たそうと思っていた。
それは今もそうなんだ。そうなんだが、なんだろう、俺は、何を思っているんだろう。
俺しかいない医務室の時計は、カチカチと音を立てて動き、肩は熱をもってジンジンと痛んだ。
ホランド院長……それでも俺は生きているべきではない存在なんだ。この命は呪われている。
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