稽古
――王国歴1496年 ディー・エヌ孤児院
ランツ先生の葬儀から六日が経った。
俺は明日の午後に兵舎へと戻る。久しぶりの孤児院の生活は俺を少し懐かしく、少し悲しくさせた。
最初の三日間こそホランド院長が直接教鞭を執っていたのだが、ここ三日はルストリア軍に呼ばれ、何かの打ち合わせをしているとかで不在になった。そこで、この三日間ランツ先生の代わりに教鞭を執ってくれたのは、俺と対して歳の変わらないレイニーというルストリア軍見習いの研究員だった。レイニーは、フィロンさんよろしくなかなかの変わり者だったが、とても頭が良い。
俺とシエルもレイニーの授業に協力したり、他のクラスの面倒を見たりと、なかなかに忙しい生活であった。どうあっても、完璧にランツ先生の穴を埋めることは難しくて苦労続きだ。
廊下の床を洗う洗剤はどこだ、とか、生徒がぶつかってズレてしまった振り子時計の重りの位置や、花壇の花の水やりの量など、細かな部分から、生徒の破れた洋服を縫う裁縫作業や、ルストリア会計部に提出する資料の作成など、三人で取り組んでもどこかでミスや漏れが起きて、それが翌日に引き継がれ、といった具合で、あっという間の三日間になった。
孤児院は、一階が教室や院長室、医務室、図書室など教育に関する部屋と、低年齢層の住まう部屋があり、二階には青年部の個室と教員の個室がある。今俺がいるのが、ランツ先生が使用していた私室であり、この一週間この部屋で寝泊まりをしていた。
孤児院は既に定員いっぱいで、ゲストルームを作ることなどもちろんできない。そうなると、如何に悲しい別れであっても、その部屋をとっておくことなど出来ない、ということだ。
とは言え、俺としてはランツ先生のデスクや、壁に飾ってある野鳥の絵画、棚に詰まっている様々な学術本とレシピ本、そのどれにも触れることは出来なかった。出来ることなら、ここに泊まることを避けたかったぐらいだが、孤児院の夜間は様々なハプニングが起きるため、ここに寝泊まりすることを余儀なくされている。
ハプニングとは、主に夜泣きとおねしょだ。夜な夜な泣く子に付き添ったり、おねしょで目が覚めた子供の寝巻をかえて、布団を新しいものに代えて、汚れた布団を簡単に洗ったりする。
汚れた布団をそのままにすると、匂いが取れなくなり、結果的に布団自体の寿命が縮まってしまう。当然、夜泣きを魔法で止めることは出来ないし、魔法で布団を作ることも出来ない。
魔法とは、万能ではない。改めて、そう思う。
ふと壁にかかった時計を見る。時刻は夜の九時。子供たちも寝静まり、外ではフクロウが泣いている。いや、あれはミミズクか? どちらでもいいか。というか、ミミズクとフクロウって何が違うんだ? きっとランツ先生なら、すぐに答えてくれるんだろうな。そんなことを考えながら魔導書を眺めていると不意に、部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「ミハイル、起きているか?」
その声はホランド院長だった。
「はい、起きています。今扉を開けますね」
扉を開けると、麻で出来た身軽な服を着たホランド院長がいた。
「もう帰られていたんですね」
「ああ、遅いぐらいだ。先ほど帰ってきて軍服を脱いできたところだ」
「そうですか、確か今日はルキウス大佐と会談でしたっけ?」
「そうだ、それが長引いてこの時間だ」
院長はそう言うと、俺がいるランツ先生の部屋を覗き込んで言った。
「ミハイル、お前は今確か魔導書と長剣をメインに戦っているんだったな」
「ええ、そうです」
「そうか、なら、長剣とそこに飾ってあるロッドを持って一緒に来い」
「え?」
「久しぶりに少し、稽古をつけてやる」
「こんな時間からですか?」
「いいから来い」
――アリーシャ城 修練場
アリーシャ城に向かう道中、そこまで口数が多いわけではなかったが、俺がいない間、子供たちはシエルとレイニーがフォローしてくれるということは聞けた。何故、突然稽古をつけてくれることになったのかは、何となく聞けなかった。
アリーシャ城の修練場は様々なところに設置されており、現在俺たちがいるのは、アリーシャ城西部の、城壁の中にある修練施設だった。
この場所は、正規の軍人であれば誰でも使うことが出来て、普段であればこの時間でも二、三人はここで修練を積んでいる。また、ここの壁はアリーシャ城と同様の仕組みで出来ていて、魔法を受け付けない作りになっている為、魔法の修練にも最適だった。
部屋の作りは、奥に物置部屋があるだけで、この部屋から城内に向かうことは出来ない。万が一、アリーシャ城が戦地になった場合、この場所は敵兵を幽閉する牢屋として使うことも出来るようになっているそうだ。
「さて、と」
部屋の中心に立つ院長は、入り口付近に立つ俺の方を振り向いて言う。
「どうして突然、稽古をつけられるのか全くわからない、という表情だな」
「ええ、まあ」
「私は、お前のその流れに身を任せる態度は決して嫌いではない」
「……」
「例えば、クライヴなら稽古に呼び出されれば、如何に距離をとってしまう私を相手にしたとしても、
何故今更稽古をつけるのか、と聞いてくるだろう。スノウや、シエルなら尚更だ」
「俺は院長が……」
「院長が言っていることなら間違いがないと? お前はつくづく甘いな」
「それは院長を信よ……」
「信用して? 何を信用する? 大陸大戦の元英雄だからか? 幼い頃から面倒を見てくれているからか? あるいはお前の上官と俺に関係性があるからか?」
「そんな、俺はそんなこと考えたりしません!」
「まあいい。疑問が無いのなら、言葉はそこまで必要ではない。さあ、構えるんだ」
「……何故、こんな」
「ははは、今になって疑問か。まったくもってお前はやれやれだ」
俺は、困惑しながらも剣に手をかける。そうしなければ、最早話は進まないのだろうと思ったし、それよりも何もかも見透かしたような言い方をする院長に正直腹が立った。
「そうか、とりあえず構えるか。それなら、お前に戦う理由をやろう」
院長は、近くに置いてあった木剣を手に取り言った。
「今日の会議で、クライヴの兵士としての永久凍結が決まった」
「は?」
「今回の任務でクライヴは、独断専行作戦放棄という重罪を犯した。大きな犯罪を止めたという功績は残ったものの、やはり過去の経歴から、クライヴは危険だ、ということが明らかになったということだな」
「――そんな! 過去は、過去じゃないですか。今のクライヴは国の為になろうと必死だ。ましてやランツ先生の意思を引き継いで……きっと、あいつは変わろうとしている!」
「一兵卒が、声を挙げた所でどうなる?」
「それは……」
「私は、力が無い者の声こそ耳を傾けるべきだ、と教えたが、それを鵜呑みにしろとは教えていない。時に、力が無い、という事実こそ罪である場合がある」
「何が、言いたいんですか」
「言ったまんまだ。力が無い癖にイキがるな、と言っている」
「院長、俺はいつまでもあの時の俺じゃない。今はクローリク所属のミハイルです」
「そうか、そうだったな。お前の上官が可哀想で仕方がないよ」
「なら、試してみたらいい」
「当然だ、その為にここまで来た。格下のお前は、当然その長剣を振るっていい。魔法も自由だ。私を殺すつもりで来い」
「出来るだけケガをさせないように心がけますが、くれぐれも死なないで下さいよ。同胞殺しは重罪なので」
「はっ、たまには面白いことを言う。まあいい、本気で来い」
俺は、低く重心を作り、すばやく院長の懐に踏み込んだ。院長の木剣を取り上げるか、破損させ、倒したところで剣を突きつければおしまいだ。軍師としては名高いホランド院長だが、実戦においてその実力は大したことはない、と本人も言っていた。
どうやら、俺が孤児院に居た時と変わらぬ実力だと思って舐めているんだろう。いち早く、この不愉快な問答を終わらせ、クライヴの元へ行こう。
「フィラ」
院長が小さく魔法名を呟くと、木剣を切り上げようとした俺の目の前に小さな魔法障壁が張られ、その障壁が額にぶつかると俺は体制を崩した。更に、院長は木剣で俺の腕を狙う。院長も俺と狙いは同じようだ。俺は素早く手を引き、後方に飛びのく。
「フィラ」
院長が再び魔法を唱えると、今度は飛びのいた俺の踵に障壁を作り出し、俺はそのまま尻もちをついてしまった。院長はすかさず木剣を俺の胸を狙って突き刺してくる。
俺は転がりながら回避し、回転の勢いを使い立ち上がる。しかし、立ち上がってすぐに見えたのは自分の頭と同程度の火球だった。
「フィラ!!」
俺も障壁を張って、それを防ぐが、目の前でかき消えた火球のすぐ後ろには院長が駆け寄ってきており、恐らく変性魔法を纏った左手で障壁をかき消し、右手に持った木剣で俺の左肩を叩きつけた。
「ぐっ!」
あまりの痛みに思わず声が出る。咄嗟に折れやすい鎖骨への軌道を避け、肩の部分で受けたが、比較的筋肉の多い肩で受けても尚、骨が折れたのではないかと思うほどの腕力を感じた。現場から離れても、筋力は衰えていないということか。
再び、木剣を振り下ろすが、俺はそれを左手の杖で受けて、右手に持った長剣で反撃した。院長は、後ろに下がり、そのまま俺から距離をとった。
そして、体制を立て直す俺に言う。
「お前の両親が罪を犯し処刑された時、お前はまだ幼かった。ドガイとノガミが死んだ時、お前はまだ幼かった。ランツが死んだ今、お前は幼いのか? クライヴが軍務に就けなくなる今、お前は幼いままか?」
「……何が言いたいんだ。はっきり言ってくださいよ」
「なら、はっきり言ってやる。お前の罪の意識はまやかしだ。過去に縋って今を生きることが出来ない、呪いがお前にかかっている、いや、違うな。お前は、お前が不幸になることを望んでいる」
「……」
「望んで受ける罰では罪は洗い流せない。お前の中にある澱みは、お前自身が作り出した幻想でしかない」
「あんたに、何がわかるって言うんですか!」
「わからないさ。お前が特別であろうとするから、周りもお前を特別に扱う。今のお前の感傷は、お前が理解されない状況を望んで生まれたものだ」
「努力はしたっ!」
「……。そうか。ならば、何も言うまい。そろそろこの稽古を終わりにしようか」
そう言うと、院長は木剣をこちらに向けて構えて、もう片方の手には魔力を集め始めた。
俺は、覚悟を決めた。
詠唱を始める。
「諸事万端……」
唱え始めた瞬間――足元に鋭い痛みが走る。
咄嗟に足元を確認すると、俺のふくらはぎに鋭利な傷がついており、そこから血が噴き出た。正面を向き直し、後ずさりしようとしたが、駆け寄ってきた院長に額に一撃入れられ俺は気を失ってしまった。
気を失う直前、部屋の奥の扉が開き、フィロンさんが出てくるのが見えた。
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