第一章 雨の音
数年前に書き始め、クライマックス辺りで筆を折った作品です。少しでも反響があれば最後まで書いてみようか思います。コメント・評価が作者の励みになります。一言でも構いません。頂けると作品を書く力になります。
「我は潔白なり!!」
雨が降りしきり、あまつさえ雷も轟く六月の朝。夏服の学生服がおよそ似つかわしくない筋肉質な大男が、教室の壇上にて熱弁を奮っていた。物好きな群衆が周りを取り囲んで、楽しそうに、やいのやいの言っている。
稲光が照らす大男の顔は、どこまでも劇画調に成り果てている。なにやら不穏な空気を纏いつつ、文字通り世界が変わろうとしているかのようだ。
「理由もない! 証拠もない! ただあるのは我が難問を解いたという事実のみ! これを不正というのならば《出るクギが打たれる》というものではないのだろうか!」
《クギ》じゃなくて《クイ》だ、などと腰を折る不届きな聴衆はいない。
「いいぞー、馬鹿のチャンピオン」
善良なクラスメートの野次が飛ぶ。教室は、先ほどから演説を行っている大男が生み出した渦にすっかり飲み込まれていた。確かに勢いと威力がある。無いのは脈絡くらいである。この学校を覆う雲によって広がる暗い影を振り払うほどの威力だ。
大男は声のする方々に軽く手を挙げ、
「みなの声援、有難く頂戴する! もう一度聖職者の方々に抗議する――」
などと良いように解釈してさらに声を張り上げる。
「吾輩は潔白ナリよ!!」
奇天烈な言い方だ。これでは武士型ロボットである。
大きく教室が沸いたところで、彼はさらに機嫌を良くして何やら主張を続けている。僕も事の行く末を知りたくて、わざと遠目から見物を続けていた。小柄なため、野次馬に紛れると前が見えなくなるのだ。
柔らかな気配を感じた。油断すると思わずドキリとしてしまいそうだ。横を見ると、女の子に見紛うほど綺麗な顔をした男子生徒が立っていた。僕よりもさらに小柄だ。彼の後ろには少女のような小さな影がすうっと伸びている。それが少し揺れるくらいに笑いながら僕に話しかけてくる。
「本校史上初、らしいよ」
「神田のこと?」
僕が壇上の大男を指すと、美少年は頷く。
「この間の初めての中間試験でね、八科目中七科目0点だったんだってさ。留年どころか中学校に送り返すぞって言われたらしい」
僕は思わず声を出して笑ってしまった。美少年は処置なしといった具合で肩をすくめ、
「あちらも一度出した手前、もう引き取りたくなんかないだろうしねえ」
「こら! すべて聞こえてるぞアリー! 人を不燃ゴミみたいに!」
神田は演説を一時中断し、こちらに向き直った。美少年は決して動じず、
「あぁ、ごめんね。燃えるもんね」
微笑を湛えている。神田はみるみる悔しそうな表情になり、大きな体を震わせた。
「くっそー。可愛い顔して冷徹な奴だ。この、ヨーロッパの不良少女が……!」
神田がこの美少年、有馬雄一郎を形容する際に用いられる言葉として、このように《ヨーロッパの不良少女》というものがある。直木賞作家の小説の主人公のようだが、これがなかなか言い得て妙なのだ。少年ではなく、《少女》としたところが真に神田のファインプレーで、そして枕に《ヨーロッパの》と付ければ、それは辞書を引くより早くハーフである彼の説明となる。
『アリー』という通称で呼ばれ親しまれている理由も良く分かるというものだ。
僕は変わらず微笑んでいる《不良少女》に訊く。
「しかし、なんでまた神田は自らの潔白を訴えているんだろう。0点は阿呆ではあるけど罪ではないじゃないか」
「行き過ぎた無知は最早罪とも言えるけどね」
壇上から「おい」と響き聞こえたが、アリーは楽しそうに続けた。
「一科目だけ点を取ってしまったのがまずかったんだ」
僕は首を傾げる。
「世界史で3点を取ってしまったのが、逆に不正を疑われる原因になったってことさ。平たくいえばカンニングだ。といっても四択の《エ》を正解しただけだったんだけどね。神田はカタカナを書けてはいけないということらしい」
なんとも情けない角度でカンニングを疑われたものだ。『神田が正解するのはあり得るのか』と職員会議の議題に上がり、満場一致で『否!!』となったのだろうか。なるほど、それはさすがに不憫である。
「うわーん! 皆でよってたかって俺をいじめて! 0点だっていいじゃないか神田だもの」
名言めいた言葉をまき散らし、神田は聴衆を煽った。いつしか歓声が沸き起こり、「ビッグフール! ビッグフール!」とコールが教室に響いた。「大バカ! 大バカ!」と言っているのである。冷静に考えたらこのクラスはなんか色々おかしい。
「お前ら何やっているんだ」
担任教諭が教室に入ってくるなり、怒鳴り声をあげた。聴衆は蜘蛛の子を散らすようにあっという間に消え去り、神田一人が残った。
「またお前か。朝っぱらから問題を起こさんでくれよ。ただでさえテストの件で学年主任から始まって教頭から校長まで、偉い人たちオールスターズに大目玉をくらっているんだぞ」
教諭は肩を落として今にも泣きだしそうである。成人男性の涙はできれば見たくない。
「先生、チャンスを、俺にチャンスをください」
神田は胸に手を当て、殊勝顔をして言った。
「何だ、名誉挽回の考えでもあるのか」
胸を張り答える。
「次の体育でやり投げの世界記録出しますから! 富士山の七合目に我が校の旗ごとやりを突き刺しますので! 校名を全国に轟かせます!」
「いや、後半何言ってるか全然分からなかったぞ。なんだその末恐ろしい取引の内容は! これ以上うちの高校の名を貶めないでくれ」
クラスが笑い声に包まれたところで良いオチがついた。教諭は呆れて手で払い、席に着くように促した。神田はすがるような目配せをしたが、やがて諦めて肩を落としながら席に戻っていった。僕の前の席である。
座るや否や小さく呟くのが聞こえた。
「くそう。エベレストかK2辺りにしておけばよかったか……」
新手のミサイルのようなものだ。国際問題に発展するので止めて頂きたい。
ほんの少しでもストーリー・登場人物たちに興味が湧いた方はコメントお願いします。続きを書くか決めたいと思います。
他作品も掲載しておりますので、良ければご清覧下さい。