9.電車
キラキラと太陽の光を反射する蒼い湖。
真夏のはずなのに、どこかひんやりとした感じのする湖畔に、白いワンピースを着た春夏が涼やかな風に吹かれて立っている。
「キレイだね」
そう囁く春夏は、僕にとってきっと、世界で一番キレイだ。
「そうだね」
なんてことを言えたら、どんなにカッコいいだろう。
せめて夢の中でくらいカッコつけさせてくれよ。
と思った瞬間、これが夢なんだと気が付く。
「…………たの」
とたんに、春夏の声にノイズがかかったように聞こえなくなる。
なんて言ってるんだ?
春夏。
教えてくれよ。
「……で、……たの」
今日は、いつもより春夏の声が聞こえる気がする。
それでも、言葉の端々しか聞き取れない。
耳を澄ませば澄ますほど、春夏の声が遠くなる。
ああもう!
ちゃんと聞かせてくれ!
「……はっ!」
夢の中で声を荒げたところで目が覚めた。
春夏の夢を見ると、いつも汗だくになる。
窓からはまばゆいばかりの日差しが射し込んでいる。
たしか予報では、昨日とは打って変わって暑くなるらしい。
今日は出番はなさそうなコートをクローゼットに戻し、いつもの襟付きシャツを取り出す。
汗をかいたから下着も変えてからシャツを着る。
今日は朝から夕方までバイトだ。
バイト先のオーナーは僕が大学生なのを知ってるけど、人手不足だから平日でも普通にロングシフトで使ってくれる。
バイトのあとは、春夏の教授に話を聞きに行ってみようかな。
そんなことを考えながら、僕は家を出た。
きちんとカギをかけてから一階への階段を降りる。
あれ?そういえば、いつの間にかカーテンを開けてたな。
春夏の夢のことを考えすぎてて、いつ開けたか覚えてないや。
その時の僕は、それ以外のことにも気が付いていなかった。
カギを開けずにドアを開けて外に出たことにも。
ベッドの下の日記の位置がずれていたことにも。
「ふう。
暑いな」
夕方、バイト先のコンビニでは、また義也がおでんを買っていった。
この暑いなか、よく食べるな。
バイトが終わって外に出ると、夕方だというのにまだ暑さを感じた。
この季節は暑くなったり寒くなったりの繰り返しで、なかなか安定しない。
寒いからとコートを出せば、次の日には七分袖でも暑かったりする。
昔はそれが好きだった。
冬に向けて一歩一歩歩んでいる気がして。
先に生まれた春夏に追い付ける気がして。
でも、今はこの季節が一番嫌いだ。
春夏から一番遠い季節が。
その移り変わりが、僕に春夏を早く忘れろと追い立ててくるようで。
「え、と、春夏の大学のある駅は、と」
僕はバイト先からまっすぐ駅に向かった。
春夏の大学がある駅名を探し、ホームに着くとすでに電車が来ていたので、慌ててそれに乗り込む。
「ふう」
無事に席も確保できて、ようやく一息つけた。
春夏が相談したかもしれない教授って、いったいどんな人なんだろう。
「秋冬くん?」
「へっ?」
ぼーっと考え事をしていたら、隣に座っていた女性に声をかけられた。
「あ、えっと、佐々木さん?」
「やっぱり秋冬くんだ!
久しぶり~」
彼女は佐々木優香さん。
春夏の大学での友人で、春夏に紹介されて何回か会ったことがある。
「その、御愁傷様、です」
「あ、いや、こちらこそ」
佐々木さんが恭しく頭を下げる。
僕もつられて返したけど、こちらこそってなんだ。
御愁傷様って、けっこう心にくるんだな。
「なんか、痩せたね?
大丈夫?」
佐々木さんが心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「うん。
大丈夫。
義也がしょっちゅうおでんをデリバリしてくるから、ちゃんと食べてるよ」
「あ、そうなんだ。
義也くんらしいね」
ちなみに、佐々木さんは義也とも面識がある。
僕が春夏の友達と会うのに、緊張するからと同席してもらったからだ。
「今日はどうしたの?
たしか、秋冬くんのおウチって、こっちじゃないよね?」
「あ、うん。
春夏の大学に行こうと思って。
春夏のゼミの教授に話を聞きたくて」
「ああ。
高梨教授ね。
たしか今日は、放課後は研究室だったと思うよ」
高梨教授って言うのか。
「いきなり行くのもなんだし、私から連絡しとこうか?」
「えっ!いいの?」
そういえば、佐々木さんは春夏とゼミも一緒だったな。
「うん。
いま送っちゃうね」
佐々木さんはそう言うと、スマホをいじりだした。
教授にメールを送ってくれるようだ。
「あ、返信きた。
『わかりました。大丈夫です』
だって」
「良かった。
ありがとう」
「いえいえ。
私はこれからバイトだから一緒に行けないけど、場所は分かる?」
「あ、た、たぶん」
「ふふ。
はい、これ地図ね。
写真撮って。
で、ここが高梨教授の研究室がある棟だから。
そこの3階の突き当たりだよ」
「あ、うん。
ありがとう。
助かるよ」
僕は佐々木さんが表示した大学の見取り図をスマホで撮影し、教授の研究室の場所を教えてもらった。
その後、僕は佐々木さんに何度もお礼を言って、電車を降りた。
彼女は2駅先のパン屋でバイトしてるらしい。
今度、お礼がてら行ってみよう。