34.電話
「ちょっとお腹すいたわね。
朝ご飯食べてこなかったのよね」
春夏の家を出て道を歩いていると、百合がお腹を抑えながら、ぽつりと呟いた。
「そうだね。
僕も、緊張して食べる気が起きなかったから」
「あ~、そうね。
秋冬、結婚の申し込みをする時みたいにガチガチだったもの」
百合がその時の僕の様子を思い出したのか、くすくすと笑いだした。
「ええ!?
そ、そんなだったかなぁ?」
僕が照れながら頭をかいていると、携帯にメールが届いた。
「あ、佐々木さんからだ」
差出人は佐々木さん。
じつは先ほど、佐々木さんと義也の2人にメールを送っていた。
『いま百合と2人でいるんだけど、少し話せないかな』
と。
2人とは、いろんな組み合わせで遊んだことがあるから、別にこんな感じの呼び出し方で十分だった。
今日は大学はないはずだし、予定がなければすぐに返信があると思っていた。
「まあ、義也はもともとルーズだし、優香が先だと思ったわ」
百合がそう言って、携帯の画面を覗き込んでくるので見せてあげる。
百合は佐々木さんとも仲が良かったから、よく知っているんだろう。
佐々木さんからの返信では、いまバイトの休憩中で、昼ピークが終わったら上がるから、14時ぐらいからなら大丈夫と書いてあった。
「あの子もよく働くわねえ。
秋冬みたいに一人暮らしってわけでもないのに」
「まあ、きっと推し?にお金をかけてるんだよ。
よくライブとか行ってるみたいだし」
佐々木さんはある男性アイドルユニットの大ファンらしい。
CDやライブはもちろんのこと。
さまざまなグッズもコンプリートしたいらしく、そのためにバイトを頑張っていると聞いたことがある。
前にその話題になった時に、そのあまりの熱量に驚いた記憶がある。
「そーねー。
あの子は現場もコンプしたいタイプみたいだからね」
百合が呆れたような顔をしている。
そういう百合はロックが大好きだ。
おもにCDで聞いているようだが、来日コンサートなんかがあれば死ぬ気でチケットを取りにいってる。
『商店街の古書店でジジババに囲まれて育つと、それに順応して、古き良き日本の音楽が好きになるか、その真逆になるかのどちらかなのよ』
と言っていたことがある。
どうやら百合は後者だったようだ。
「ま、とにかく、それならちょうどいいわ。
優香のバイト先の喫茶店でご飯食べながら待たせてもらいましょ」
「いいね、そうしよう」
今から佐々木さんのバイト先に向かえば、着くのは12時半ぐらい。
ご飯を食べて、ゆっくりコーヒーでも飲んでれば、ちょうどいい時間になるだろう。
それに、あそこのパンは美味しかった。
パスタもオススメらしいから、少し楽しみだ。
「兼次君。
あまり根を詰めすぎても良くないですよ」
春夏の大学の、ゼミの研究室。
そこで、高梨教授は研究に余念がない兼次に声をかけた。
「……分かってます。
ですが、この研究だけはどうしても完成させたい。
それが、あいつに対する手向けだから」
「……そうでしたね。
あなたは、橘君の研究を引き継いだんですよね」
「……」
兼次は教授の呟きには答えず、パソコンに向き直った。
「!」
そんな兼次の元にメールが届く。
「教授。
あいつからです。
あの2人が橘の父親と接触。
その後、佐々木、須藤の順に話を聞くつもりのようです」
「……はあ。
仕方ありませんね」
兼次の報告に、教授は溜め息をついて、備え付けの電話の受話器を持ち上げた。
「ああ、先日はどうも。
くだらない牽制や探り合いはやめにして、そろそろ腹を割って話しませんか?
……ええ。
……ええ。
そうです。
このままでは、彼らが危険だ。
はい。
では、詳しくはまた……」
「……やれやれ。
面倒なことばかりだ」
電話を切った義也は溜め息をつきながら、百合の家でもある古書店に足を踏み入れた。