32.新たな犯人候補
「それは……」
春夏のお父さんはそこまで言うと、顎に手を当てて、考える仕草を見せた。
「……すまないが、秋冬君と2人にしてくれないか?」
そして、顔をあげると、百合とお手伝いさんのことを順番に見た。
「かしこまりま……」
「えっ!
なんでよ!?」
お手伝いさんがお辞儀をして出ていこうとすると、百合が待ったをかけた。
「すまない。
どうしても彼と2人で話しておきたいことがあるんだ」
なんだろう?
春夏のお父さんは、とても真剣な顔をしている。
「……百合、ごめん。
あとで話すから」
「……わかったわよ」
僕に言われて、百合はしぶしぶ、お手伝いさんと一緒に部屋を出ていった。
「……さて」
春夏のお父さんは改めて僕の方に向き直った。
僕も姿勢を正す。
「まったく。
なんなのよ、2人して私を除け者にして!」
玄関の近くまで来て、腕を組んで怒る百合を、お手伝いさんがくすくすと笑って見ている。
「旦那様は昔から肝心なことを言葉に出さないお方でしたからね。
そのせいで、春夏お嬢様とも、よく衝突なされてました。
旦那様の素晴らしさをご理解いただけていれば、お嬢様もあんなことには……」
「……由恵さん?」
百合は穏やかに笑みを浮かべるお手伝いさんの顔を見つめた。
「私は初めは、百合さんも怪しいと思っていたんだよ」
「え!
百合が!?
まさか!」
百合に限って、そんなこと!
「そう。
だが、それは私が、春夏の具体的な友人を彼女ぐらいしか知らなかったからだ。
アリバイもあるし、彼女の人柄を知った今、そんなことはないと言えるよ」
春夏のお父さんはふっと笑った。
僕はいつも仏頂面のおじさんしか見たことがなかったから、こんな優しげに笑うのかと、意外な気持ちになった。
「それで、そのあとも警察と協力していろいろと調べてね。
あ、そうそう。
教授のところに行ったのなら、彼らが犯人だと思っている人物は聞いたのだろう?」
「え?
あ、はい」
「私も、だいたいは彼らと同じ結論だよ。
佐々木優香と、須藤義也だろう?」
おじさんは教授たちと同じ人物を挙げた。
「え?
あ、聞いてたんですか?」
「いや、アリバイがない人物を探せば自然とそうなる。
だが、君のリアクションで、彼らが探っているのがその人物だと確信したよ」
「……あ」
僕はハメられたのか。
「いや、騙すようなことをして悪かったね」
おじさんはたいして悪く思ってなさそうに笑った。
べつに隠しておかないといけないわけではないけど、こういうやり取りで油断しないようにしないといけないな。
「私の方ではもう1人。
怪しいと思って、調べている人物がいる」
「え?
だ、誰ですか?」
僕はごくりと唾を飲む。
「由恵さんだよ」
「え?」
「だから、彼女には部屋を出てもらったんだ。
百合さんには、由恵さんに怪しまれないために、一緒に出てもらった」
「そ、そんな……。
なんで、お手伝いさんが?」
僕はお手伝いさんのことを思い出す。
僕と春夏のことも気にかけてくれて、いろいろ手伝ってくれたり、気を利かせてくれたりした、とても優しい人だ。
「事件当時、彼女はまだウチで仕事をしていたんだけどね。
その時はちょうど、コンビニに買い物に出ていたんだよ。
私が警察の人間に電話をかける前に、買い忘れをしたと言ってね。
私と妻は警察と電話で話していたことでアリバイが証明されたが、彼女はコンビニの監視カメラに姿が映っていたことで、そのアリバイが証明されたんだ」
「そ、それなら!」
アリバイになるはずじゃあ……。
「でもね、彼女はそのあと、ウチには戻ってないんだよ」
「え?」
「彼女は車で移動していたんだが、コンビニを出たところで、旦那さんから連絡を受けたらしいんだ。
これから緊急出動で湖に向かうことになったと。
彼女の家は犬を飼っていてね。
その日は旦那さんがエサをやる予定だったらしいんだが、残業になりそうだということで、エサだけやってきていいかと、由恵さんからウチに連絡がきて、私が許可したんだ。
その後、自宅で犬にエサをやって、再びウチに戻ろうと言う時に、旦那さんから連絡を受けたんだ。
湖に落ちたのが、春夏だと……」
おじさんは、最後の部分で苦しそうに言葉につまった。
「で、でも、それならお手伝いさんには無理なんじゃ……」
「ああ。
だが、私はそもそもコンビニに行ったということから嘘なのではないかと考えている」
「え?」
「じつは、コンビニの監視カメラは型が古くてね。
正確に顔までは分かっていなかったんだよ。
だが、その日の彼女の服や帽子、カバンを持っていて、同じような体型をした女性だったことから、それを彼女と断定したんだ。
だから、何者かに替え玉を依頼しようと思えば、アリバイの偽造は不可能ではないんだ」
「そ、そんな、なんでそこまで……」
あの優しいお手伝いさんが、そこまでのことをする理由が分からない。
もしそうなら、の話だけど。
「動機や、その何者かについては警察で調査してもらっているが、特定するには至っていない。
もしかしたら、ただの私の思い違いかもしれないから、警察もそこまで人手を割けないからね。
だが、君も知っての通り、あの湖までは電車では時間がかかるが、車ならそう遠くない距離にある」
たしかにそうだ。
あの湖に電車で行くには、在来線を何本か乗り換えて、ぐるっと大回りするように行かないといけない。
僕と春夏は電車で行ったから、なんだか長旅のような感じがしたけど、車ならわりと早く着く。
「そしてその時間は、彼女がコンビニに行かずに、車で直接ウチから湖に向かった時に、十分移動可能な距離なんだ」
「そ、そうなん、ですか」
そこまで言うと、おじさんは眉間に寄せていた皺を緩めた。
「まあ、あくまでそれが可能だという憶測だ。
個人的には、彼女がそんなことをする人物には思えないし、可能性の1つというだけだ。
先出の2人とともに、その3人を私は調べているということだけを頭に置いておいてくれればいい」
「……はい」
僕がそう言ってリビングの入口を見ると、お手伝いさんがこちらを見下ろすように、ドアの向こうから覗いていた。