30.見る者と見られる者
春夏の大学の研究棟を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
「さむっ!」
僕は吹きすさぶ風に身を縮こませたが、百合は着込んでいたおかげで、そこまで寒さを感じていないようだった。
「……」
「……」
「……」
「とりあえず、2人にはアリバイがあったし、協力できそうで良かったね」
顎に手を当てて考え込む百合に、間を保つように話し掛ける。
「……そーね」
だけど、百合は心ここにあらずといった様子で、考え事に集中していた。
「そういえば、百合はしばらく周りをキョロキョロしてたね。
あれは、何かを探してたの?」
「……ああ、あれはね」
百合は少ししてから、ようやく話の内容が頭に到達したかのように顔を上げた。
「隠しカメラとか盗聴機がないかと思って探してたのよ」
「え?」
「ほらこれ」
百合はそう言って、計器のついた、トランシーバーみたいなものを鞄から取り出した。
「近くに盗聴機があると反応するんだけどね。
音がしちゃうから、そこはパパに改造してもらって。
鞄の中をちょいちょい覗いてるのがバレないためと、隠しカメラを探すために、キョロキョロしてたってわけ」
たしか、百合のお父さんは無線とかが好きなんだっけ?
「な、なんでそんなことを?」
「言ったでしょ?
私は秋冬以外は誰も信用してない。
あの2人が本当に犯人を探そうとしていても、それを犯人にウォッチされてたら意味がないのよ。
情報が筒抜けだからね。
犯人の候補には、あのゼミの学生だっているわけだし」
「……佐々木さん」
「そ。
つまり、たとえ、あの2人が信用できたとしても、あの場で話した全てを安易に信用は出来ないってわけ。
ま、あの2人もそんなことは分かってるでしょうから、情報が漏れるようなことはないんでしょうけど」
「……そっか」
少し複雑だけど、僕は百合が、教授と兼次さんのことは信用しようとしていることが分かって嬉しかった。
「さてと、実際、犯人候補の3人以外は、警察がアリバイがあると判断する程度にアリバイがあるわけだし、そうなると、やっぱりその3人が疑わしくなるわね」
「……でも、やっぱり考えられないな。
その3人の中の誰かが犯人だなんて」
「……気持ちは分かるわよ。
でも、現実はそんなものなのよ。
テレビなんかでもよく言ってるでしょ?
『そんなことをする人には見えなかった』
って。
人間、お腹の中では何を考えてるかなんて分からないものよ」
「……そっか」
分かってはいたつもりだけど、そうやって言葉にされると、なんだか悲しい気持ちになる。
「ま、例外は秋冬ぐらいじゃない?」
「へ?
僕?」
百合が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「秋冬の頭の中は分かりやすいからね。
最初に春夏。
で、そっからずーっと春夏で、最後にまた春夏だから」
「なんだよそれぇ!」
「あははっ!」
百合が楽しそうに笑う。
僕は図星を言い当てられた気がして、顔が赤くなるのを感じた。
見るからに落ち込んだ僕を、百合なりに励ましてくれたんだと分かってるけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ま、とりあえずは順番に話を聞いていきましょ」
「え、あ、危なくないかなぁ。
もしかしたら、犯人かもしれないんでしょ?」
春夏を、人を殺した……。
「大丈夫よ。
犯人だからこそ、下手なことは出来ないわ。
犯人は自分が犯人だとバレたくないから、事故死に見せ掛けたの。
教授たちが探ってる中、私たちに何かをする勇気は犯人にはないわ」
百合はそう言って、僕の顔を真っ直ぐ見つめた。
「それに、それだけのリスクを払ってでも犯人を見つけたい。
その覚悟があるんじゃないの?」
「あ……」
そうだ。
僕は、自分がどうなっても構わないから、もし春夏を殺した犯人がいるのなら、それが誰なのか知りたい。
そう思って、春夏の日記を元に、春夏の足跡を追ったんだ。
「……うん。
そうだね」
僕は百合の顔をしっかりと見返して頷いた。
「……よし」
百合はそれに頷くと歩きだした。
「まずは春夏のお父さんから当たりましょ。
秋冬。
春夏のお母さんに、私たちが話を聞きたがってるって、春夏のお父さんに伝えてもらってくれる?
アポが取れ次第、話を聞きに行きましょ」
「分かった」
僕は百合を家まで送りがてら、春夏のお母さんに連絡した。
春夏のお母さんは少し驚いていたけど、話を通してくれるとのことだった。
「じゃあ、連絡が来たらまたメールするね」
「おっけ。
会えるのが遅かったり、向こうが話を拒否したら、とりあえず先に佐々木さんを当たりましょう」
「分かった……その、義也は最後なの?」
僕がそう言うと、百合は複雑そうな顔をした。
「……そうね。
正直、義也は近すぎて、逆に話が聞きづらいわ。
それに、私も義也が犯人だとは思えなくて。
あいつは、本当に秋冬のことを思って、秋冬が事件を探るのを止めようとしてる気がするの。
犯人だから、事件を調べられたら困るから、とか、そんなことじゃない気がする……」
「……百合」
百合は義也と付き合っていた。
きっと、僕が知ってる義也とは違う面も知っているんだろう。
その百合がそう言うんだから、ホントにそうなんだと思う。
「……そうだね。
義也は最後にしよう」
「……うん」
百合を送り届け、僕も自分の家に着くと、部屋のドアの取っ手には、見慣れたコンビニの袋が下がっていた。
中身は見なくても分かる。
「……律儀な奴」
僕はふっと笑って、おでんの具を確認しながら鍵を開けて、部屋に入った。
「ったく。
引き出しに鍵なんてつけてるから、どんな大事なものを隠してるのかと思ったけど、たいしたものはなかったな」
秋冬がドアの取っ手に掛けられたおでんの袋を見つけた頃、義也は1人、夜の帰り道を歩きながらぼやいていた。
その手には、2本の合鍵が握られていた。
秋冬の部屋の鍵と、その部屋にある引き出しの鍵。
「てっきり、春夏の事件に迫る大事な何かがあるかと思ったんだけどなー」
義也はのんびりと呟くが、その目はまったく笑っていなかった。
「秋冬は分かってない。
この事件を追うことが、どれだけ危険なのか。
俺は、あいつに危ない目に遭ってほしくないんだ」
そう呟いて、義也は寒々しい夜の闇に消えていった。
秋冬の部屋に入り、出ていった義也。
しばらくして家に帰ってきた秋冬。
そして、そんな2人を物陰から見つめていた女性。
義也も秋冬も、その佐々木優香の存在に気付くことはなかった。