17.母校を訪れて
「さて、次はここか」
春夏の家をあとにした僕は、彼女とともに3年間通った高校に来ていた。
結局、春夏の家でお昼ごはんまでご馳走になったから、もう夕方が近付いてきている。
そろそろ授業が終わって、生徒たちが帰宅する頃だ。
校門から様子を窺っていると、バラバラと生徒たちが出てきていた。
ちらちらとこちらを窺うように出ていく後輩たちの視線にいたたまれなくなる。
僕と春夏の担任の佐久間先生は美術部の顧問だ。
とはいえ、あまり熱心な先生ではなく、週に4日ある部活に、1日でも出てくればいい方だと、美術部のヤツが言っていた。
きっと今日も、部活には行かずに屋上でタバコを吹かせてサボっているんだろう。
職員室にいたら、他の先生に部活はどうしたんだとどやされるんだよと、こぼしていたのを覚えている。
とはいえ、仕事は出来るのだ。
教師としても優秀で、教え方は上手いし、生徒たちをノセるのもうまい。
たまに個展を開いたりもしているらしく、部員からの評価も悪くない。
たまにふらっと美術室に現れては、的確な指導をするから、それなりに尊敬されているらしい。
「よし、いくか」
あらかた生徒たちが帰った頃を見計らって、僕は母校に足を踏み入れた。
数ヶ月前まで毎日のように通っていたのに、なんだかもう懐かしく感じる。
校門をくぐってすぐにある校長の銅像に、義也がよじ登って怒られていたのを思い出して、くすりと笑う。
警備員室に行って、手続きをする。
大学と、一応持ってきた高校の学生証を見せると、書類に必要事項を書くだけですぐに入れてくれた。
警備員さんと顔見知りなのもあった。
佐久間先生を放送で呼び出そうかと言われたが、どうせ屋上だろうからと言えば、それもそうだなと言われた。
警備員さんがよく屋上で先生とダベっているのを見掛けたことを思い出した。
校内に入ると、さらに懐かしさが込み上げる。
4階建ての校舎。
1階は職員室や美術室や技術室などが占めていて、2階が1年生の教室。
で、学年が上がるごとに階も上がる。
1年の頃は上の階が恐ろしくて仕方なかったけど、3年になってしまえばこんなものかと拍子抜けしたものだ。
1階の売店には、よく義也と、メロンパンと焼きそばパンを求めて走ったな。
ゲットしたメロンパンを、春夏はいつも一口ねだってきたよね。
2階は、図書室か。
義也と春夏と百合でよく勉強したな。
……正確には、僕と義也が2人に勉強を教えてもらってたんだけど。
3階。
ついこの前まで通っていた教室。
ちらりと中を覗くと、見知らぬ生徒が楽しそうにおしゃべりしている。
ああ、僕たちも、放課後ああしてよくダベってたな。
僕の高校生活には、そのすべてに春夏がいたな。
あの頃は、本当に楽しかった。
幸せだった。
その幸せが、これからもずっと続くと、信じて疑わなかった……。
物悲しい気持ちになりながら屋上への階段を上る。
普段、屋上の鍵は閉められているが、その鍵の管理をしているのが佐久間先生なのだ。
つまり、屋上の鍵が開くということは、そこに佐久間先生がいるという証明になる。
屋上へと続く鉄の扉に手を掛けると、やはりかちゃりと音を立てて、扉は開いた。
そして、屋上の柵にもたれかかり、煙を揺蕩わせる男性が1人。
気だるげに宙を見やり、うまそうに煙を吐く。
だるだるのやる気のないジャージが、さらに気だるさを演出している。
「佐久間先生!」
僕が呼び掛けると、先生は一拍置いてから、ゆるゆるとこちらに目を向けた。
「ん?おー、秋冬かー。
久しぶりだなー」
先生はのんびりと答えると、タバコを携帯灰皿で消す。
一応、生徒の前では吸わない主義らしい。
先生は相変わらず無精髭を生やし、ボサボサの頭をしていた。
そんなんだから奥さんに逃げられるんだよ、とは言わないでおこう。
「お久しぶりです」
「おー、どうしたー?」
僕が恭しく頭を下げると、先生は無精髭を撫で付けながら用件を尋ねてきた。
「えっ、と、先月ぐらいに、春夏が訪ねてきたと思うんですけど」
僕がそう言うと、先生は無精髭を触っていた手をぴたりと止めた。
「……誰から聞いた」
そう尋ねる先生は、なんだかいつもと違って、少し怖い感じがした。
「あ、えっと、春夏の、お母さんから。
春夏が、先生に呼び出されて高校に行ったって」
「……」
「あの?」
「そうかー」
しばらく怖い顔をしていた先生だったけど、パッと元の気だるげな表情に戻った。
僕は何となく怖かったけど、とりあえず元に戻ったことに安堵していた。
「あいつは委員長だったからな。
ちょっと野暮用があって、来てもらったんだー」
「野暮用って、なんなんですか?」
「んー?
まあ、たいしたことではないさ」
先生は教えてくれるつもりはないみたいだ。
それなら、僕も手札を切っていくしかない。
「それは、春夏の悩みに関することですか?」
先生はまた表情を変えた。
今度は感情のない、無表情だった。
「……おまえ、どこまで知ってるんだ?」
その声は、僕が今まで築き上げた佐久間先生という人物像をぶち壊すのに十分すぎるほど冷徹な声だった。