13.白紙
湖に隣接する駐車場にタクシーが止まる。
隣に座っている春夏はうきうきした顔で車窓の景色を楽しんでいた。
僕はその隣で、そんな春夏の姿を見ながら微笑んでいた。
ああ。
またこの夢か。
今日は初めから夢だって分かった。
明晰夢だっけ?
車から降りると、夏の日差しが容赦なく僕たちを照り付けた。
でも、湖からの風がひんやりしてて、不思議と不快な感じはしなかった。
湖の畔に2人で立つと、春夏がいつものセリフを口にする。
「キレイだね」
「春夏の方がキレイだよ」
おや?
いま僕、声に出してた?
春夏が目を真ん丸に見開いてこっちを見てる。
やっぱり言ってたんだ。
これは過去の記憶の整理じゃないのかな?
僕の願望?
ああ、それにしても、真っ赤な顔した春夏は可愛いな。
「秋冬……」
「ん?」
少しして顔色が戻った春夏はうつむいてしまった。
僕は機嫌を損ねちゃったのかなと、おろおろする。
自分の夢なのにと、どこかで苦笑する自分もいる。
「どうして……」
「えっ?」
いつも、ノイズがかかってよく聞こえなかった声が、今日はクリアに聞こえる。
僕はそれに驚きながらも、春夏の一言一句を聞き逃すまいと耳に神経を集中させた。
「どうして、」
春夏は続きを言うのをためらっているようだった。
何度かもごもごと口を動かしたあと、表情の抜け落ちた顔をこちらに向けた。
一切の感情を感じさせないその表情に、僕はそら恐ろしさを感じていた。
あんなに慣れ親しんだ春夏の顔が、まるで別人に見えたんだ。
そして、その顔のまま、ゆっくりと口を開く。
「どうして気付いてくれなかったの?」
その声は、春夏のものとは思えないくぐもった声をしていた。
「うわぁっ!!」
僕ははぁはぁと息を切らしながら、ベッドから飛び起きた。
夢だと分かっていながら、空気の流れさえ明確に感じられるその情景に、僕はすっかり青ざめていた。
寝間着は汗でびしょびしょだ。
「……シャワー浴びるか」
今日はバイトもないから、春夏の日記に書いてあった情報を元に、またいろいろ出歩こうと思っていたけど、特にアポイントメントがあるわけではなかったから、どう過ごすかは自由だった。
脱衣所で服を脱いで洗濯機に投げ込む。
だいぶ洗濯物も溜まってきたから、どうせならと、ついでに洗濯機を回す。
「……春夏」
シャワーに打たれながら、夢の内容を思い出す。
やっぱり、春夏は僕に気付いてほしかったのだろうか。
それとも、これは僕の夢だから、僕が気付いてあげられなかったことを悔いているだけなのか。
何となく、その両方な気がする。
僕に知られたくないと思いながらも、春夏はやっぱり僕に気付いてほしかったんじゃないだろうか。
「ふう」
汗を流すと、気分も落ち着いた気がする。
さて、まずはどこから行こうかと考えたけど、シャワーを浴びて冷静になったのか、僕は再び床に腰を下ろした。
春夏の日記の続きを読んでみようと思ったのだ。
昨日は高梨教授のところに行って、ろくな話が聞けなかった。
せめて、ある程度の見通しを立ててから出向いた方がいいんじゃないかと思ったんだ。
「さて、と」
僕は春夏の日記に手をかける。
昨日見たページまで開いて、次のページをめくる。
「ん?あれ?」
が、次のページは白紙だった。
僕はめくり間違えたかなと思って、前のページに戻ってみたけど、そこには昨日の日付が書かれていた。
それなら、春夏が1ページ飛ばしちゃったのかな?
そう思って、さらに1ページめくってみた。
「……また」
だが、次のページもやはり白紙。
その次も、そのまた次も、どれだけページをめくっても白紙が続いた。
春夏はここまでしか書かなかったのだろうか。
結局、そこから先は最後までずっと白紙だった。
「…………」
なんだか、突然に春夏との繋がりをぶつりと切られた気分だった。
僕は白紙のページを見なかったことにして、春夏の日記を机の引き出しにしまった。
きちんと鍵をかけて、それをズボンのポケットに入れる。
「……出掛けよう」
頭の中にくっついて離れない白紙のページのことを忘れるように着替えを済ませると、僕は家を出た。
道をとぼとぼと歩きながら、どこに向かうかを考えていなかったことに気が付く。
昨日の春夏の日記に書かれていた情報で、僕が行うべきことは4つ、いや、3つか。
佐々木さんに連絡先を聞いて、兼次さんのことを聞く。
春夏のお母さんに話を聞く。
そして、高校の佐久間先生に話を聞くことだ。
さて、まずはどこから向かうか。
佐々木さんは、バイト先を訪ねた方が早いかな。
授業もあるだろうし、あの広いキャンパス内で彼女を見つけられる自信がない。
高梨教授の研究室には、昨日の今日でまだ行きにくいし。
そうなると、佐々木さんを訪ねるのは夕方か。
佐久間先生も同じかな。
日中は授業があるから、まともな対応は望めない。
そうなると、春夏のお母さんか。
一番気乗りしない場所だけど、仕方ない。
道順から言っても、一番近いのが春夏の家だ。
僕は意を決して、春夏の家に足を向けた。