第六話 訓練
「遅い!もっと速くだ」
赤髪の女が怒鳴る。
この女は魔術師フレイヤ。
俺の師匠だ。
俺はというと、フレイヤに怒鳴られながら山道を走っていた。
隣ではハクが、余裕そうな表情でこちらを気にしながら走っている。
なぜこんな事をしているか、話は少し前に遡る。
早朝七時、約束通り山に到着するとフレイヤが入り口に立っていた。
「よし、時間通りだな。ではまず山中に入るぞ」
そう言って俺たちを先導する。
辿り着いたのは、昨日までのハクの寝床だった、あの大きなほら穴だ。
否、そこはもうほら穴と呼べるような代物ものではなかった。
綺麗に四角形に切り取られた床と壁、中には新品同様の木製机に椅子。
そして何より、広さが六畳ほどに拡張されていた。
「フレイヤ……もうここ、住めるんじゃないの?」
「だろ?まあ実際、昔はこうした場所を作って野宿したりしていた。まあ、今は金があるからわざわざそんなことは余りしないがな」
フレイヤは満足気な顔をして頷いたが、それはもう野宿とは言わないと心の中で思った。
それにしても魔術があればこんなこともできるのか。
便利すぎる。
大工いらずじゃないか。
でも、もし魔術が一般人にまで広まったら、色々な職業が必要なくなってしまうのでは、なんてことも考えてしまう。
そんなことを考えながら近くの椅子を引き寄せて座る。
「とりあえず、今日からここを拠点にする」
フレイヤはそう宣言し、そのまま続ける。
「私はエギルを探すのに加えて、魔物の駆逐と魔力変動の原因を探すために山や周辺を探査しようと思っている」
「色々と動くなら拠点は無い方が良いんじゃないのか?」
「私にとってはそうかもしれないな。だが拠点というのはアランとハクにとっての、という意味だ」
「あ、そういう事か。俺たちは付いていっちゃダメなの?」
「まだダメだ。この辺りには魔物もいそうだからな。ある程度鍛錬を積んでからだ。この辺りには私が結界を張っておくからよほどの事がない限り安全だ」
俺はその言葉に頷く。
しばらくは俺とハクはここを拠点とするらしい。
確かにそのほうが安全だろう。
そこで唐突にフレイヤが言う。
「どりあえずアラン。脱げ」
いやん。
フレイヤの言葉に頭がついていかない。
理解が追いつかないが、ただその言葉に従ってとりあえず上半身裸になる。
するとフレイヤは、近寄ってきて俺の胸やらお腹やら尻やらを触ってくる。
冷んやりとした手。
恥ずかしくてフレイヤを直視できない。
一通り触った後フレイヤは、ふっと鼻で笑った。
にやにやしながらこっちを見てくる。
もうお嫁にいけません。
「もういい、着ろ」
顔が熱い。
俺は今どんな顔をしているのだろうか。
きっと茹でダコみたいに赤くなっているだろう。
「アラン、お前には筋肉が足らん。体のしなやかさも足りていないとみた。いいか、魔術師にとって何より一番大事なのは肉体だ。なんでか分かるか?」
「健全な肉体には健全な精神が宿る、とかそういう話か?」
「いや、そんな哲学的な話ではなく、もっと実戦的な話だ」
実戦的な話、実戦……。
昨日のフレイヤと熊の戦闘を思い出す。
予想以上の速さだった熊。
そして滑るようになめらかだったフレイヤの動き。
「敵の攻撃に耐えたり、躱したりするため、とか?」
「そう、それで八割方は正解だ。魔術師と言うとどんなイメージだ?」
「んー。遠くから大きな魔術を放ったリ、みたいな?」
「いや。それがそもそも違う。魔術師が大規模魔術を使うことはほとんどない。なぜかわかるか?」
「味方も巻き込むから、かな」
「そうだな。それも正解だ。だが主な理由は、魔力の消費が大きく大規模魔術を使ったあと使い物にならなくなるからだ。魔術一発放って気絶する魔術師なんて使い物にならないだろ?笑いを取りたいなら別だがな」
「ああ!なるほど。確かにそうだね。魔術師が何人もいて、交代とかできるなら話は別だけど、そんなに魔術師がいるケースなんて少ないだろうし」
「そうだ。だから基本的に魔術師も、数メートルから零距離の範囲で小規模魔術を使って相手と戦闘することになる。そんな時に即死を防ぐためにも肉体を最優先で鍛えなければならないんだ。いくら治癒魔術があっても即死したら終わりだからな」
その通りだと思い納得する。
魔術の理論から考えるに、治癒魔術というのは治癒力を活性化させたりするものだろうから万能では無さそうだ。
実際どの程度活性化できるかにもよるが。
それにフレイヤの言った通り即死したらその時点で終わりだ。
魔術と言えど人を生き返らせることはできないんだろうから。
フレイヤはあの熊を軽々と倒していた。
魔物の中にはあれの何倍ものサイズやスピードを持つものもいるだろう。
今の俺では想像もできないような、そんな魔物が。
そんな敵を近距離で相手にするには、やっぱり肉体が鍛えられていることは必須だろう。
「……と言うことで、走るぞ!」
そして、冒頭に戻る。
午前中いっぱいは魔術ではなく肉体トレーニングをするそうだ。
とりあえず、と言って俺は山を越えた逆側の麓まで走らされている。
鬼メニューだ。
ちなみにフレイヤは魔術で横を飛行しながら指示を飛ばしつつ、ついてくる。
魔術っていいな、と心から思う瞬間だった。
結局麓まで走って帰ってくるのに時間がかかり過ぎて、帰ってきた所で筋トレを一時間ほどやり、午前中のトレーニングは終了した。
そこからは昼をはさみ、次は簡単な剣の型と組手をやることになる。
「剣の型までやる必要があるの?」
「やる必要があるかと言われると微妙だな。だがやっておいた方がいいことは確かだ。それに剣士になるための訓練は、理想的な体をつくる上で役立つという事情もある。まあこれに限ってはどうしても嫌だと言うならなしにしてもいいが?」
「いや、やっぱやるよ」
確かにフレイヤの言うことも一理あると思った。
もし魔術師が剣士のような素早い動きをしたら、これ以上に怖いものはない。
「剣を差してるってことはフレイヤは剣も使えるのか?」
素振りをしながら質問する。
初めての素振りというのもあってか、こうやって会話してないと腕が痛すぎて心が折れそうだ。
「ああそうだ。一応、剣だけでも戦えるぞ」
「そうなんだ。剣士とか冒険者とかって階級とかあるの?無いと強さとか分かりにくそうだけど」
「あるぞ。剣士、魔術師、冒険者にはそれぞれ階級がある。剣士は下から下級、中級、上級、剣聖級、剣王級。魔術師も同じようなもので、下から下級、中級、上級、魔聖級、魔王級。冒険者だけ少し違うな。下からE級、D級、C級、B級、A級、S級だ」
魔王級ってなんだか禍々しいな。
悪の支配者って感じだ。
「ちなみにフレイヤってそれぞれどのくらいなんだ?」
「剣王級、魔王級、で、S級冒険者だ」
「嘘だろ……」
俺は唖然としてそれ以上言葉が出なかった。
最強クラスじゃないか……。
だがよくよく考えてみると頷けた。フレイヤの仇は世界最強の魔術師と言われる男だ。
だったら同じくらいかそれ以上の強さがないと勝てないだろう。
想像以上の強さに驚いたが、頼りになるし、心が踊りもした。
何せフレイヤを目標に頑張れば世界最強クラスになれる可能性があると言うことだ。
男としてこれ以上ワクワクすることは無い。
フレイヤ曰く、魔術師にとっては強い敵と闘う上で、身体強化という魔術が必須らしい。
名前の通り身体を強化する魔術で、細胞にエネルギーを与える事で、身体能力や防御力を飛躍的に上げるらしい。
また、剣士にはいらないのかと言うとそうではなく、強い剣士というのはみな、意識的もしくは無意識的に身体強化の魔術を使っているらしい。
そういうのも含めて言ったら、剣士、魔術師、冒険者全員に必須とも言えるようだ。
そんな事を考えているといつの間にか素振りの回数は百に達していた。
「よし、とりあえず素振りは終わり。次は組手だ」
素手での組手。
こちらは変に気を使わず本気でできる。
俺の素手でフレイヤが怪我をすることなんて絶対にないんだから。
フレイヤと向き合い、合図したところで組手が始まる。
俺の身長が155センチくらいに対して、フレイヤは170センチくらい。
身長の差はそこまでではない。
だがこうして向き合うと威圧感が凄まじく、たったの15センチの差とは思えない。
威圧感に圧倒されて動けないでいると、フレイヤの方が動く。
だが目に見える。
恐らくスピードを落としてやってくれているのだろう。
飛んできた右手の突きを左手を添えて進路を変更させ、躱す。
だがフレイヤはそのまま体を回転させ、死角から左踵を放ってくる。
間に合わない。
それだけは分かった。
次の瞬間、フレイヤの踵が俺の背中に華麗に入る。
「ぐぇっ!」
俺は情けない声を出しつつ、軽々と吹っ飛ばされる。
手加減はしても容赦は無しのようだ。
「アラン、初心者にはありがちなんだが、攻撃してきた拳を見過ぎだ。相手を客観的に見ろ!とにかくもっと視野を広くして、相手の全体を常に視界に入れることを意識しろ。最初は少々ぼやけるだろうがそれでも構わない」
結局、組手ではタコ殴りにされただけだった。
でも体の動かし方や、近接戦のセオリーについてはなんとなくだが分かった気がした。
少し休憩を挟み、次はお楽しみの魔術の時間だ。
フレイヤが新しく長椅子を生成し、拠点の入り口よりも少し外側に設置する。
どうやら魔術の訓練は座りながらやるらしい。
「魔術において重要なのは、イメージだ」
そう言って水を生成する。
不思議なものだ。
まるで空間が裂けて、そこから水が溢れ出ているようだ。
「これは、実際には水分子をいくつも結合させて圧縮して液体にしてるわけだ。だがまあ、分子自体は目に見えない。だからイメージが重要となる。見えないものを手探りでやって体に染みつけるんだ」
「ほらやってみろ」と言ってフレイヤは道具袋から指輪を取り出し、放ってくる。
透明の魔石、最初はこの『ノーネーム』で充分らしい。
目を瞑り、イメージする。
指輪を通して分子に作用するのを感じる。
その中に一際大きな軍団を見つける。
大量の何かが、蠢いている。
そんな感覚だ。
土の中、樹木の中、大気の中、そして……俺の中。
これか?半信半疑ではあるが、それを掌の上に集めるよう、意識する。
そしてその密度を急速に上げる。
更に魔力を媒介として大気に干渉し、その通り道を作り上げていく。
「あっ、それは違っ……!」
いきなりフレイヤが叫んだ事により、集中力が切れて固めていたエネルギーが霧散する。
堰を切ったように掌から何かが飛び出していくのを感じた。
バチッ、という独特な音がした後に黄色い稲妻が走る。
俺は反動で椅子から勢いよく飛び落ちる。
コンマ何秒か遅れて発生する凄まじい爆音。
恐る恐る視線を前に向けると白煙が立っており、木々が何本も薙ぎ倒されていた。
「……今のは、電気魔術だ。最も制御が難しいと言われる魔術の一つだが……」
「植物とかの中にもたくさんあって、水分子だと思ったんだけど」
「ふむ、どこにあるかなどと感じられるのか。稀にそういう奴もいるらしいが……」
「じゃあ、もしかして才能あるって事か!?」
俺はついつい有頂天になってしまう。
「まあ、多少はな。だがそれで努力を怠ったら意味がない」
「ああ。わかってるよ」
そう。
俺は知っている。
最後には努力した者が勝つ事を。
多少才能があるのは少しフライングできてラッキーくらいに思っておけばいい。
慢心は怠惰の感情を生む。
大事なのはこの先だろう。
「じゃあフレイヤ、大量にあったやつって何なんだ?」
「それは……恐らく電子だろうな。どんな原子や分子にも存在するからな。しかし、師弟揃ってマイナーな電気魔術が得意とは珍しいものだな」
「なるほど、電子か。忘れないように、今度は規模を抑えるよう意識しながら、もう一回やってみる」
フレイヤが頷くのを見てもう一度集中する。
今度は立ち上がってやることにした。
何だか少し気だるい感じがしたが気にしない。
さっきのものを、もう一度掌に集める。
もちろん集めすぎないように細心の注意をかけつつだ。
一回やったからか、先程よりはスムーズに集めることができた。
掌の上で膨大な量の電子を操作し、そして放つ。
すると、またも轟音が鳴り響く。
なかなかうまく制御することができない。
そう思った瞬間に、体がフラフラし、立ち続ける力を失う。
自分が地面に倒れると理解する。
目の前が、真っ暗になる。
「あー、エネルギーを使わせすぎたな……」
暗闇の中で、聞き慣れた心地よい声がそんな事を言った気がした。
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