2013年 1月と2月
2013年1月某日
以前よりはなぜか風呂好きに戻っていた寅蔵。
元はと言えば、多分風呂に入るのはあまり嫌いではない。
彼の故郷には
♪ 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで~
という人の歌もあるくらいだし。
それでも寅蔵じしんは働きものだったので、さすがに朝からはやってはいなかったが、以前から、寝る、飲む、風呂に入る、この三つをこよなく愛していた。
直腸ガンを患って抗がん剤を飲みだした頃からは「酒がまずくなった」と言ってあまり度を越した飲み方はしなくなっていた。
また、風呂も、ストマになってから「傍から見られたくない」という思いが強くて、温泉などにも行きたがらなくなったのが、風呂嫌いになったきっかけだったようだ。
ここにきて、まだ大好きなのは『寝る』ことくらい。
しかしそれも、身体が動けば寝るよりは何か外仕事している方がマシだったのかもしれない。
この日も、日中から風呂に入る、というのでヨシコは湯船に湯を張って、服を脱ぐのを手伝ってやった。
休日の昼さがり。日中はほどほどに暖かくなったのでちょうど車の掃除を始めたばかりで、ヨシコはていしゅとふたり、家の外に出ていた。
掃除の最中、ふと、寅蔵がまだ出てきていないのに気づいたヨシコ、心配になって風呂場に行ってみる。
寅蔵は仰向けに風呂桶に入っており、気持ちよさそうに目をつぶっていた。
と、思ったのだが、どうも様子がおかしい。
ヨシコが何度か呼びかけると、ようやく薄眼を開けて「出られん」と言うでは。
寒くならないようにと風呂の自動沸かし直し機能を作動させていたため、湯の温度は41度にキープされていた。それが災いしたようだ。身体が自由に動かせなくなっていたため、いざ出ようと思った時にはすっかり、湯あたりしていたようだった。
ヨシコはあわてて表にいるていしゅを呼び、ふたりでどうにか寅蔵に手を貸して、浴槽から引っ張り出してベッドに運んだ。
脈が早く、息も苦しそうだ。
水を少しずつ飲ませたが起き上がることができないので、ヨシコはとりあえず救急車を呼んだ。
運ばれた総合病院で少しゆっくりしているうちに、寅蔵の姿勢がしゃんとしてきた。
特にこれという処置もなく、よかったですね、おだいじに、の声に見送られ、寅蔵は自分で歩いてヨシコの車に乗り込んだ。
ヨシコが「だいじょうぶ」と訊くと、「決まってんだろ」と平然としている。
今までひとりで風呂に入っていて出られなくなったということはなかったので、やはり身体の衰えはかなり進んでいるようだった。
風呂に入る時には必ずこまめに見守ること、湯が熱くなり過ぎないように注意すること、出入りの際には必ず手を添えること、等々……ヨシコにも反省する点が多い。
家に帰ってから真剣に、風呂に入れる時間や方法を検討しよう、とヨシコは改めて決意。
それにしても、あまりにも危機感のない寅蔵の様子に、無事帰って来られた安心感もあって、ヨシコはつい声を荒げた。
「そんなにボンヤリしてると、今に溺れちゃうよ!」
すると、その時に限って、打てば響くように寅蔵はこう答えた。
「そんならそれでいい」
今思えば、それが覚悟だったのかなあ、と、ヨシコは後から何度もなんども考えてみた。
2013年2月某日
湯あたりからほぼ一ヶ月後、寅蔵は、やはり、風呂で溺れてしまった。
あれからかなり気をつけていたにも関わらず、ヨシコが夕飯の支度で目を離した、ほんの十分の間のことだった。
レスキューが来る間、家族で出来る限りの蘇生はしてみたが、やはりすでに間に合わなかったようだ。
苦しげではなく、眠っているかのような穏やかな表情だった。
いつも「病院大嫌い」と言ってはばからなかった寅蔵は、最期まであまり長い時間病院の世話にならずに、すいっと現世から旅立って行ってしまった。




