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師走を迎えたある日のこと、「お前、……今年は何を、……お願いすんだ。」リョウは恐る恐るミリアに訪ねた。
ミリアはテーブルに突っ伏すようにして、夕飯前に終わらせる約束となっている漢字ドリルに懸命に励んでいたが、ふと頭を上げて「お願い?」と問うた。まさか、もうサンタクロースの存在など端から信じなくなってきたのかとリョウは少々焦る。「ほら。サンタクロースへのお願いだよ。」それで思わず声が裏返ってしまった。
ミリアは首を傾げる。
リョウはまどろっこしくなって、「ほら、おもちゃか、ぬいぐるみか、それとも何だ。……何か欲しいもの、あんだろ。そろそろ、お願いするシーズンだろが。」そんなシーズンがあるのかは無論わからない。
ミリアは今度は反対側に首を傾げ、暫く考え込み、そして「なんも欲しくない。」と言った。
「欲しくないわけねえだろ!」リョウは思わず声を荒げた。「何だっていいんだよ! そうじゃねえと……。」つまらないだろうが、とは言えずリョウはさすがに逡巡し、「サンタクロースが困るだろ。」とぼそりと呟いた。紛れもなく、困っているのは自分である。
「でも、猫いっぱいある。」ミリアは眉根を寄せて、部屋の中を見回した。たしかに机の上だの、ベッドの上だのにはライブの度毎に精鋭たちが持って来る、猫のぬいぐるみでいっぱいだった。
――なんていうことだ。精鋭たちがプレゼントを買い与えるものだから、保護者として何も与えるものがなくなっているなんて。
リョウは理不尽な怒りに苛まれ始める。「……別にぬいぐるみじゃあなくたっていいんだよ。そうだな、たとえば……。」リョウは厳しく空の一点を睨み、そして、パッとひらめいた。「自転車はどうだ?」と叫ぶように言った。「ほら! お前この前美桜ちゃんちの庭で自転車貸して貰ってたじゃねえか。随分上手に乗れんだなあって俺は、正直たまげたぜ! だから今度は自分の自転車だよ、自転車! 小学生たるもの自転車がなくってどうやって生きてくんだよ!」
「……ミリア、死んじゃうの?」見当違いな答えにリョウは、ミリアの肩を揺さ振り、「違ぇよ! ほら、欲しくねえか? 自転車。そうだな、水色の自転車。ピッカピカの水色の自転車乗って、美桜ちゃんとどこでもひょいひょい乗って、お出かけすりゃあいいじゃねえか!」
ミリアの瞳に輝きが宿り出す。「水色……? お出かけ……?」
「そうだよ! まあ、さすがにバイクはまだ早ぇが、自転車だってすいすい乗れりゃあ気持ちいいじゃねえか! な!」
「自転車欲しい!」ミリアは遂に叫んだ。「水色のやつ!」
悲願の台詞をようやく言わせ、リョウは嬉しくてならない。思わずガッツポーズを取り、「よっしゃー! これで決まりだな! 今年は自転車だぞ! 自転車!」と叫んだ。
「お、お、お手紙書かなくちゃ!」
「そうだな、書け書け! 俺がサンタクロースに……、その、……届けてやっから!」リョウはそう言ってがははと笑った。
「サンタクロースなんていないんだよ。」
冬休みも間近になったある日、人気のなくなった放課後の教室でそんなセンセーショナルな話題を呈したのは、クラス一番の成績を誇る勇太であった。
ミリアも美桜も目を剥いた。ちょうど今し方、ミリアは美桜に自転車を貰うことになったという報告をすると、ミリアよりも美桜が歓喜し、それならば是非冬休みが明けたら自転車に乗って図書館に行こう、児童館に行こうと相談をしていたのである。
「……勇太君ちには、サンタクロース、来ないの?」同情とも悲しみともつかぬ眼差しで美桜が問うた。
「否、プレゼントは貰うけれど……。」
じゃあ、サンタクロースはいるんじゃないか、どうしていないなんて言うのか、とミリアは首を傾げる。
「だって、この前の社会の授業で……。」勇太は苦し気に言葉を紡いだ。「どうして、アフリカの難民の子どものところに食べ物や薬が届かない? 食べ物や注射がなくって、子どもが死んじゃうんだぜ? そんなのって、ないだろう。僕らのおもちゃよりそっちを優先させるべきじゃあないか。」
たしかに、とミリアと美桜はううむ、と唸った。先日、社会の授業で、世界には貧しくてご飯もろくに食べられなかったり、病気になっても治療をして貰えなかったりする子供が大勢いるということを学んだのである。ミリアはかつて、リョウと暮らすようになる以前、毎日のように腹を空かしていた経験を思い起こし、酷く胸を痛めたのだった。
「そういう子どもたちは、サンタさんにお願い、してないんじゃない?」美桜が言った。ミリアも傍でうんうんと頷く。なぜなら自分もかつて、父親と暮らしていた時には、サンタクロースに手紙を書くというお願いの方法を知らなかったがために、プレゼントを貰えなかったのである。
「違うよ。日本みたいに裕福な国は、貰える。だけど、アフリカみたいに貧しい国は、貰えない。そんなのっておかしい。つまり、サンタクロースっていうのはさ、」勇太は一息つくと、意を決して言った。「いないんだよ。」
美桜とミリアは互いに困惑の眼差しを向け合った。
「じゃあ、どうしてクリスマスの朝にプレゼントがあるの?」ミリアは問うた。「ミリアも美桜ちゃんも勇太君も、貰ってるじゃない。」
「サンタクロースの、ふりをしてるのさ。」
「ふり?」ミリアと美桜は挙って目を見合わせる。「誰が?」
「みんなのパパやママ。」
ミリアははっとなって口を覆った。
「ええ? そんな……。」美桜も唖然となって暫く黙りこくった。「……世の中の大人たちがみんなみんな嘘吐いてるってこと?」信じられないとばかりに言った。
勇太は静かに肯く。「嘘っていうか……、子供を嬉しがらせたいって思ってやってくれてるんだよ。だって、そのうちそのうちによってサンタクロースがどうやって来るかとか、そういうのだって、全然違ってるじゃないか。」
「でもうちは、去年、サンタクロースが来たんだ。」それまで黙っていた礼央が眉根を寄せながら言った。「夕飯を食べてる時。玄関からピンポーンってさ。礼央君今年一年間いい子にしてたから、プレゼントを持ってきたよって、言った……。」
「ええ、凄い!」ミリアは驚嘆の声を上げた。「ミリアんちは寝てる間に来てる!」
「うちも。」美桜も目を丸くして言った。
「それは……、パパやママが誰かサンタクロースに似てる人に頼んだのかもしれない。後は、子どもたちが寝静まった頃合いを見て、そっとパパやママが枕元にプレゼント置いてるんだ。」
ミリアの場合にはパパもママもない。とするとリョウなのだろうか、と訝ったがふとあることに気づいた。「リョウは、おうちに来たサンタさんに会ったって言ってた。……ミリアが手紙書いて、それを取りに来てくれたから、その時会ったって。」
「うちはさ、ママがサンタさんに手紙渡してくれるの。」
勇太は困惑したようにそっぽを向く。やはりこんなことは口にすべきではなかったのかもしれない。
「……でも、そんな人が本当に存在するのかな……。一軒一軒回ってプレゼントを枕元に置いて……、ある所では直接渡したりもして。そんなたった一晩じゃ絶対できない。だって、全世界に子どもは物凄い数がいるんだから。飢えている子どもだって……。」勇太はほうと長い溜息を吐いた。
「勇太君はサンタクロース、何でいないなんて、思ったの?」美桜が問うた。
「実はさ、」勇太は声を潜めたので、三人はそっと教室の隅に身を寄せ合う形になった。「僕、今年お願いしてたのが顕微鏡なんだ。でもそれがさ、たまたま一昨日リサと隠れん坊してて、パパとママの寝室のクローゼットの奥に入った時にさ、見つけたんだよ。」
「ええ?」美桜は思わず声を上げる。
「クリスマス用の包装がされててさ、多分、あれ、顕微鏡だ。結構大きかったし。それにその隣にもおんなじ包み紙のプレゼントが置いてあったんだ。あれはきっと、リサがお願いしてたバービー人形だよ。」
三人は黙した。
「でもさ。」美桜は眉間にしわを寄せて言った。「もしかするとサンタクロースが、当日は忙しいから、勇太君はいい子だし、絶対この子にはあげるって決めてて、だから、早めに来て、パパやママに隠しておくように言ったのかもしれない。当日、渡してねって。」
勇太は少し照れたように肯く。
「そうだよ。勇太君はさ、こないだ先生が手怪我してた時、プリント代わりに配ってくれたし、未希ちゃんがグラウンドで喘息になっちゃった時、先生呼んで来てくれたし。すんごいすんごい、いい子だもん。他の子はケンカもするし、宿題しなかったりもするから、サンタさんは普通の子はギリギリまでよーく観察してからプレゼントあげるかどうか決めなきゃなんないんだよ。でも勇太君はいい子だから、もう、絶対あげるってサンタさん、きっと……夏ぐらいには決めてたんだよ。」ミリアは捲し立てるように言った。
「夏よりずっと前。……もう、去年のクリスマスの次の日には決めてたかもよ!」美桜も拳を上げて同調する。
「だからやっぱり、サンタクロースは、いるよ。」美桜はそう結論付けて安堵したように、微笑んだ。
「そうだよね。だってお手紙通りのもの、くれるもん。」ミリアも満面の笑みを浮かべて「美桜ちゃん、帰ろ。」と言った。
二人のランドセルを眺めながら、勇太は礼央に向き合い、「変なこと言ってごめん。でも、もう少し観察を続けてみるよ。観察が大事だからさ。」と言った。
「勇太は観察得意だよなあ。」礼央が感嘆するように言った。「朝顔、ヒマワリ、瓜、観察日記、どれもこれもすっげえ出来だったもんな。」
「顕微鏡貰えたらもっと詳しく観察できる。」勇太はにっと笑って「あ、塾の時間だ。そろそろ行かないと。」
勇太が立ち上がるのと同時に、礼央も立ち上がって教室を出た。夕陽が差し込む教室を完全なる静寂が支配した。