守
「美味だ…。」
思わずそう呟いた。米は既に冷えていたが、それでもなお、美味しさは失われていなかった。それに、程よく味付けされた塩が、食欲を倍増する。その味をもっと味わいたくて、よく噛んで食べた。味が口全体に広がる度、幸福感に包まれる。しかし、手のひらサイズのおにぎりは、すぐに無くなってしまった。当たり前だ、食べれば無くなる。もっと食べたい、心の奥底からそう思った。この優しく懐かしいようなこの味を。
雛乃の方を見た時に気付いた、俺の目の前が何故かはっきりと見えない。
「凄い勢い…少しは空腹は満たされた…?って、あれ結城君、どうして泣いとるん?」
雛乃は、目をパチクリさせて俺を見た。
「泣いてる…?俺が…?」
俺は、自分の左の頬を触った。確かに濡れていた。そして、右側の頬も触ると、そちらもやはり濡れている。その濡れている場所を辿っていくと、俺の目があった。雛乃の言う通り間違いなく俺は、泣いていた。泣いていると気付いて、余計に涙が出てくる。
なんで…泣いてるんだ…?どうして涙が止まらないんだ?
「おにぎり…のせい?」
そう言うと、雛乃は視線を落とす。
そんな悲しそうな顔をしないでくれ…違う、俺は…嬉しいのに…。
そう伝えたかった。だが、喉が震えて、上手く声に出す事が出来なかった。それくらい俺は泣いていた。何故、泣いているのか俺自身が分からなかった。何故、こんなに泣いてしまっているのだろうか?さっきのおにぎりに懐かしいような感覚を覚えたのと関係しているような気がした。
その時だった、遠くで誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「危なーーーーーーい!!!!!」
その声は必死そのもので、俺に恐怖を植えつけた。
そして、大きな車がこっちに向かって突進して来ている事に気付いた。大分至近距離に来ていて、逃げる余裕も無さそうで、足もすくみ、俺は動けなくなってしまった。
この勢いでぶつかって来られたら…俺は…死んでしまう。俺だけじゃない、雛乃も死ぬ。俺は、雛乃を見た。すると、雛乃は、平然とそこに立って、大きな車に向かって手を向けていた。
何をしてるんだこいつは…?
それにしても、余りにもゆっくりと時が流れているように感じる、事故の瞬間はスローモーションになるって聞くけど…。こんなにもゆっくりなのか?さっきまで、凄い勢いでこちらに向かって来ていた車が、まるでカタツムリのように、ノロノロとこちらに近付いて来ていた。そういえば前もこんな事が…あの時も、雛乃が…。前を思い出している場合じゃない!今は逃げなければならない。
そして、今なら…逃げられる。俺はそう確信した。
足はもうすくんではいなかったが、震えていた。だが、ここで震え続けている暇は無い、速く逃げよう!
「おい、雛乃!逃げるぞ!何してんだ!」
相変わらず、雛乃はさっきと同じように、まるで、車を抑え付けているかのように手を伸ばし続けていた。
「うん…、ちょっと疲れるけど…仕方ないよね。」
何を言ってるんだこいつは?呑気か?
生命の危機に瀕しているのに、逃げようとする感じが微塵も無い雛乃が少し怖かった。だが、このままでは…。俺は、雛乃の腕を握ってそのまま道一直線に走り抜けた。




