日常
痛い、痛い、放せ、放せとくずりながら、無理やり引きずられて歩いている内に、あっという間に家の前まで来てしまった。
「もう、いいだろ、放せよ。」
俺がそう言うと、山吹はやっと、俺の腕を放してくれた。
腕は、まだじんじんと痛む。まじで、山吹怖い。
「お婆ちゃん、結城君をずっと心配しとったよ。前みたいな事があっちゃいけんって。」
山吹は前を向きながら、呟くように言った。
表情は見えないが、夕焼けに照らされた山吹は、切なそうに見えた。
「確かにあったけど…、それは俺が中学3年の時だ。偶然似てただけっていうか…そんなに気にする事じゃないだろ。」
そう、中学3年の時、俺は大切なものを失った。今この時だけを思わせてくれた、昔の事なんて気にしなくさせてくれた人だ。失った時、俺はあの体育館での時のように、頭を押さえながら、叫び続けていたらしい。俺には、その時の記憶が無い。
きっと、俺はあまりにショックで、そうなっただけだと思っている。
今回の事とは、あまり結び付けたくない。似てるけど、状況が違うと思うからだ。
「その時の結城君を元に戻してくれたのは…お婆ちゃんだよね?」
「…。」
俺にはさっきも言ったように、その時の記憶が無い。だが、目が覚めたら婆ちゃんが俺を抱きしめていた。わざわざ、東京にまで来て、一体何をしてたんだろう?と当時の俺は思ったものだ。
その時、婆ちゃんは『正秋、広島に来たいって思ったら、すぐに来んさいよ。』と言った。
その言葉の意味が理解出来たのかと言えば、正直今もあまり理解出来ていない。
中3の進路選択の時、俺は何処か遠くに行くのなら、広島に行きたいと思った。
多分、そう思ったのは、婆ちゃんも爺ちゃんも居たのもあるし、何より、婆ちゃんの言葉がずっと脳内に残っていたからだと思う。
今思えば、ある意味誘導的なものかなとも思う。
「結城君が飛び出していった後、凄く…。」
突然ガラッと玄関の扉が開いた。
「正秋、帰って来とったんか。こんな所で男女二人で突っ立って、何しとんじゃ。木曜日は、畑仕事を手伝う日じゃろうが。行くで。」
爺ちゃんは、そう言うと、家の横にある畑に行こうと、籠を準備していた。
あ~忘れていた。色々あり過ぎて忘れていた。
だが、その前に、こっちの事を済ましておかねぇと。山吹怖いし。
「爺ちゃん!婆ちゃんは!?」
「台所で飯作っとる。」
「すぐに用事済んだら、行くから!…山吹、もう帰ってていいぞ。俺は、そこまでチキンじゃねぇから。」
山吹だけに聞こえるように、最後の部分だけは静かに言った。
「うん、じゃあね。」
そう言うと、山吹は、ゆっくりと歩みを進めていった。
ったく、こいつは俺の保護者か何かか?
このままだと、クソチキンでクズになっちまうからな、漢を見せる時だ。
俺は、家に入り、靴を脱いだ。
家の中には、美味しそうな香りが充満していた。今日の飯は、カレーだろうか。
台所は、玄関入ってすぐ横にあるから、玄関でいつも、何を作っているか基本的にわかる。
台所を確認すると、婆ちゃんがいつものようにそこに立っている。
カレーの入った鍋をゆっくり時計回りにかき混ぜている。
「今日の飯、カレーなんだ。」
婆ちゃんは、ようやく俺に気付いたらしく、こちらに振り向いた。
「あ、正秋お帰り、そうよ、人参を玉葱を大量に貰ったけぇね。他にも野菜炒めも作ろう思うてね、今爺ちゃんに、キャベツ取りに行ってもろーとるんよ、正秋行かんでいいんね?」
婆ちゃんは、もう朝の事は気にしていないのだろうか。もし、そうだとしても、俺は、漢として謝る。
「婆ちゃん、今朝の事、ごめん。」
唐突に、その話題を振り出してしまったが、ようやく言えたと心がスッキリした。
「…別に婆ちゃんに謝らんでも、婆ちゃんより雛乃ちゃんに謝ったほうがええじゃろ、ほんま、あんたは。」
苦笑いを浮かべながら、ガスコンロの火を消した。
雛乃?あいつ雛乃って言うのか…。そういえば俺、あの時…。俺の頭には今朝の頭痛の時、俺が発した言葉を思い出した。俺は、雛乃の間違いなく言った。俺は、何故あいつの名前を知らないのに…。
「いや、わしに謝るのが先じゃ。」
背後から、どしーんと響くような声がした。
同時に俺から血の気がさーっと引いていくのを感じた。
「あっ…。」
爺ちゃんは、ゆっくりと大量のキャベツが入った籠をどさっと下ろした。
「まぁまぁ、爺さん、そう怒らんと、キャベツ多すぎじゃわ~。」
俺の人生最大のピンチに、婆ちゃんは救世主のように割って入った。
「虫やら狸やらに食われちゃいけんじゃろ~、じゃけぇ、近所の人に配るんじゃ。」
「はぁー、じゃあ、人参と玉葱くれた横田さんに、2つあげようかね~、あと…雛乃ちゃんにも二つあげよう。」
爺ちゃんが、すっとクールダウンしてくれたことに俺は、内心かなり安堵していた。
「正秋、これ今から雛乃ちゃんに、渡してきてーや。」
「は!?俺が!?俺、あいつの家なんか知らんよ!」
「道教えちゃるけぇ、さっさと行く!」
面倒くさいけど、いつもの日常、それをまた感じ取る事が出来た
気が、してたんだ。