マジョ=リナの魔法
褒めてあげる。
マジョ=リナさんからの、その一言で俺は地竜を倒した甲斐があったものだと、咽び泣きそうになった。
一方でボウ=ズはひくっと頬を引きつらせていた。
気持ちはわからんでもない。
これが例えばうちの村の村長からの言葉であれば「村長のくせに何様のつもりだ!?」と、鎮魂池にでも投げ込むレベルで腹を立てていただろう。
だがまぁ、相手はマジョ=リナさんだ。
麗しき胸の持ち主からの言葉だと思えば、頭の中で最上位の褒め言葉に置換することなど容易いものだ。最悪からの印象は払拭され、今ではもう俺と結婚して良いと思っているに違いない。うん。
「マジョ=リナさん! 地竜こんな感じですが素材集め的にどうですか?」
あんまり傷つけないで欲しいとのことだったので、脳天を目掛けて一突きで倒せるように頑張ってみた。癪ではあるが、俺一人ではこんな芸当は無理だ。ドン教官が足止めをして、ボウ=ズが陽動をしなければ、正確に頭を狙えなかった。
もしも、直前に地竜がこっちに気付こうものなら、俺は今頃地竜の口の中にいて尻から出ていたことだろう。
正味、息を殺しながら狙うのすげー怖かった。
ボウ=ズやマジョ=リナさんの手前、なんでもないことのように振舞っているけれど、手には汗がびっしょりなのだ。
「正直、これほど上質な素材が手に入るなんて思わなかったから助かったわ」
「それは良かったです!」
どうやらマジョ=リナさんのお眼鏡に適ったようで何よりだ。
「とりあえず、素材回収のために早いとこ解体しないっスか?」
「うむ。ボウ=ズの言う通りだな。いつ他の地竜が来るとも限らんからな」
二人の言う通り、見回りに出た若い地竜を倒したことで、いつ親の個体が出るとも限らない。それに血の匂いに惹かれて他の魔獣たちも来る可能性もなくはない。
「でも、ドン教官。解体した素材どうしましょうかね?」
「我らができる限り運ぶしかないが――ちと量が多いな」
「そうですね。マジョ=リナさん。どうしますか?」
ちらりと倒した地竜を見た。
何しろ若い地竜と言っても、大きさとしてはその辺の獣の比ではない。
筋肉自慢のドン教官がいても、運ぶには三人では大きすぎる代物だ。
――と思っていたら、
「それに関しては大丈夫よ」
そう言ってマジョリナは、荷物の中から畳まれた布を取り出した。
黒く染められた布には、黄金色の意図で幾つかの図形と文字が刺繍されている。
おそらく、これは魔法陣というやつだろう。
初めて見るそれに、俺だけではなくドン教官たちも興味深く見つめている。
「これは私が開発した収納用の魔法陣よ。解体した地竜の素材をここに置いてもらえるかしら?」
指示された通りに、剥ぎ取った地竜の牙や爪を魔法陣の上に置いた。
すると――薄く刺繍された糸が黄金色に輝いて、地竜の素材が魔法陣に吸い込まれるように消えていった。俺らは「おぉ〜」と消えたことに感嘆の声を上げた。
そこでふと疑問に思った。
「ちなみに、これって取り出せれるんですか」
「当たり前じゃない」
そう言って、マジョ=リナさんは布を裏返した。
そこにも面とは逆転した刺繍された魔法陣があった。
「表は収納。裏は取り出しの魔法陣で刺繍されてるのよ。だから、私が魔力を通せばこの通りよ。ほら」
同じように黒い布が黄金色に輝き、先ほど仕舞った牙と爪が徐々に現れた。
魔法というものを初めて見たわけだが、これはすごい。
この布一枚があれば、大きな荷物を運ぶ必要がなくなるではないか!
これほどの画期的な魔法があれば、旅の荷物に煩わされることなんてなくなる。
「便利だけど問題ないわけじゃないわよ。入れたもの順にしか取り出せないし、この布の大きさを超えられるものも入れられないから。それに魔法陣に込めた魔力が切れた時なんか目も当てられないわよ」
「魔力が切れるとどうなるんですか?」
「……今まで入れていた荷物全部が飛び出るわ」
「こわっ!?」
もしも、この重量の素材がいきなり出てきたりしたら、ぺちゃんこに潰れてしまう。
欲をかいてありったけの荷物を詰め込んだ日には目も当てられない惨状になることだろう。
「それに魔力切れを起こさなくても、この布が引き裂かれても同じことになるから、扱いにはくれぐれも気をつけてね」
「はっ!」
間違っても爪や牙で魔法陣が傷つかないように、そーっと物を置くように気をつけた。
また、液体も魔法陣の上におけば収納されるようなのだが、取り出すときに液体のまま取り出されるとのことだったので、地竜の血液は魔獣から作った収縮するタイプの皮袋に入れててから収納した。
そろそろ解体作業も終盤に差し掛かった頃、哨戒に出ていたドン教官が叫んだ。
「ヘイ=シ、ボウ=ズ! 撤退準備! 急げ!!」
「了解!!」
若い地竜が戻ってこないことに気づき、巣の方にいた地竜がやって来たのだろう。
ドン教官の焦りが混じった大声と少しずつ大きくなる足音から、それなりの数がいることを予感させる。
重要な素材はあらかた魔法陣の中に入れ終わって撤退準備が終わった。
魔法陣の布は破れたらまずそうなのと時間がないので懐に入れておく。
来た時と同じく背中に荷物を背負って、急いでこの場から撤収した。
逃げ始めて数分も経っていないが、地竜と戦った地点より高い場所に移動したことで、追ってきた地竜の全容がようやくはっきりした。
はっきりして目を疑ってしまった。
地竜が――多すぎるっ!
数体ぐらいだったらいいなと思っていたら、十数体で群れをなしていた。
さすがに、こんなの相手にしたら命がいくらあっても足りない。
同じことをドン教官も思ったのか、
「ぬぅ、流石にまずいな。《竜の渓谷》の出口まではまだ遠い。このままでは追いつかれてしまうかもしれん。全速力で走れ!」
号令を出して、俺もボウ=ズも全力を出して走り出そうとしたら――マジョ=リナさんの足が止まってしまうのが見えた。
「マジョ=リナさん何をしてるんですか!? 早く!!」
慌てて俺はマジョ=リナさんに逃げるよう促す。
もしや疲れてしまったのか?
ならば、マジョ=リナさんを抱えて接触を図るチャンスではないかと、意気揚々と駆け寄ろうとしたら、
「――わかってるから、少し黙ってなさい」
ひどく集中した彼女の姿に、言われるがまま何も言えなくなった。
マジョ=リナさんは杖を構え、こちらへ向かってくる地竜に向けて――唱え始める。
「我と友好結びし森妖精 其方の導きは森の標 其方の声は森の調べ 森に脅威が迫れし時 森を脅かすものに迷いをもたらすことを願わん!」
「これは――魔法?」
生まれて初めて魔法というものを見た。
マジョ=リナさんの杖の先から、森の木々のように深い緑の色をした小人のような妖精が飛び出し、地竜の群れに向かって歌を歌い出した。
――森の旋律とでも言えばいいのだろうか。
夜闇の森を歩くような、そんな孤独感を彷彿させる曲であった。
歌が終わり近くで聞かされていた地竜たちは突然――各々がバラバラの方向へと走り出していった。逆方向へと向かう地竜、渓谷の川へと向かって身を投げ出す地竜、岩壁に頭を打ち続ける地竜など、狂ったかのような有様だ。
「マジョ=リナさん、これは一体!?」
「簡単に言えば方向音痴にする魔法よ! 少しは時間を稼げるでしょ!」
なるほど。あれはそういう魔法だったのか。
方向音痴にする魔法があるとは驚きであるが、それにしても驚くべき効果だ。
「もちろんです! さすがマジョ=リナさん!!」
「これはありがたいですな!」
「いいから早く逃げましょうよ!?」
涙目になってボウ=ズが言っているが、確かに魔法が掛かったとはいえ、まだ五体程度の地竜は残っている。
俺たちは引き続き走り出したが――
「それでも何体かこっちに来てませんか!?」
方向音痴の魔法のせいか足下はおぼつかない様子なのに、それでも真っ直ぐに向かってくる地竜がいた。
「効き目が薄かったのがいるみたい。それでもあと数分は効果は保つから今のうちに距離を稼ぐわよ!」
「はい!」
さっきまでとは違い、走れば走るほど地竜との距離が離れるのを感じる。
背中から感じる重圧が徐々に薄れていくのを感じた。
このままであれば、問題なく出口まで辿り着けそうだと思った時、
「きゃっ!」
「マジョ=リナさん!?」
横で走っていたマジョ=リナさんが倒れこむように転んだ。
俺は自分の迂闊さを恨んだ。
この辺りはゴロゴロと石が地面に落ちており、足場はかなり悪いものとなっている。兵士として悪環境でも走り抜ける訓練を受けた俺たちと違い、マジョ=リナさんは訓練など受けているはずもない。マジョ=リナさんが付いて来られる程度の速度まで落としたとはいえ、もっと気にかけるべきであった。
「マジョ=リナさん。大丈夫ですか!?」
「っつ! ……どうやら足を挫いたみたいね」
「走れそうですか?」
俺からの問いに、彼女は首を横に振った。
まずい事態になった。
まだ地竜と距離があるとはいえ、絶対の安全とは言えない。
いや、むしろマジョ=リナさんを抱えて走ることを考えれば、先ほどよりも走る速度が落ちてしまい、地竜には追いつかれるに違いない。
どうする?
考えている時間なんてない。誰かが時間を稼がなければいけない場面だ。
ぶるりと震えそうになったのを、腹に力を込めて止める。
――覚悟は決まった。
俺がここに残れば、少なくともマジョ=リナさんは助かる。
そう思って進言しようとした時――ポンと肩に大きな手が置かれた。
「ヘイ=シよ。こちらで地竜は私が引きつけておく。その間にマジョ=リナ殿を連れて逃げよ。これは上官からの命令だ」
「ドン教官……?」
頼もしさと威厳溢れる声が聞こえた。俺が女なら惚れているところだが残念。ドMの筋肉のおっさんに惚れる趣味は俺にはない。
「ボウ=ズよ! お前は私と共に来るのだ!!」
「え、ちょぉっ!? マジっすか!?」
完全にドン教官一人だけで足止めすると思っていたボウ=ズ。
ここまで不憫すぎると言葉にもならない。
「行くぞぉぉぉぉぉお――――――――――――!!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ――――――――――――!!」
ボウ=ズは、ドン教官に引きずられながら連れて行かれた。
さらばだボウ=ズ。お前の勇気を俺は忘れない。
――というのは冗談だが、足止めの人選としては間違っていない。
盾としてのドン教官が足止めしつつ、すばしっこいボウ=ズが地竜を撹乱すれば倒せはしないものの、逃げることは十分に可能だ。
本来ならば先輩の俺がボウ=ズの役目を果たすべきだろうが、マジョ=リナさんを連れて行くことを考えれば、ボウ=ズよりも体格と年季が勝る俺が残った方が安全。そう考えたのだろう。
こんな状況であるのに、冷静な判断を下せるドン教官には頭が下がる思いだ。
「マジョ=リナさん。行きましょう」
「……ごめんなさい。私のせいで」
「いいえ。ヒメ様の命令ですから、マジョ=リナさんのせいではありません」
最終的な責任は命令を下した人間にある。
俺は兵士になってそう学んだ。
あと、勘違いしてもらっては困る。
「それにドン教官は、あんな地竜たちにやられたりしませんよ!」
ニカッと俺が笑うと「……そうね。ありがとう」とマジョ=リナさんが、弱々しくも笑ってくれた。
絶対にこの人を守って逃げ切る。
それが、兵士としての俺の役目だ。