王女様? それとも女王様??
今すぐドン教官の胸ぐらを掴んで「どうなってんのぉぉぉぉ!?」と叫びだしたい衝動に駆り立たれるが、そんなアホな態度をヒメ王女の眼の前で取れるはずがない。
城からの任務という栄誉に浮かれていたら、まさかの王女直々の依頼だなんて夢にも思わなかった。この筋肉ヒゲオヤジ何を考えてやがる。
その王女が涼やかな笑みを浮かべて、翠玉の色をした瞳でこちらを見た。
「そちらの方たちがドン=エムの教え子ですね?」
「はい。まだまだ荒削りですが、教えがいのある連中です」
これは褒められているのだろうか。多分、褒められているはずだ。
ドン教官から挨拶をしろと言われたので、大昔に習った礼儀作法を頭の片隅から思い出しながら言った。
ギクシャクと片膝をついて、右手を胸に当てながら述べる。
「ヘイ=シと申します。王女殿下に出会えたこと光栄に存じます」
これで良かったはずだ。多分。
とりあえず、誰からも何も言われないので問題ないだろう。
ドン教官から「兵士たるもの礼儀の一つも覚えずどうするか!」と礼儀作法を叩き込まれていなかった危なかった。これが兵士にとって何の役に立つのか不明であったが、本当に役に立つ日が来ようとは思わなんだ。
同じようにボウ=ズもガチガチながらも挨拶を終える。
たった挨拶一つだけでも何が不敬になるかわからない緊張感に、呼吸をすることさえ躊躇われてしまう。そのぐらい兵士にとって王女様というのは位が高く、拝謁するなんて夢のまた夢のような出来事なのだ。
「面を上げなさいヘイ=シにボウ=ズ。あなた方の顔をよく見せてくださいませ」
ヒメ王女が椅子から立ってこちらに寄ってくる。
王女の側に控えていた側仕えが「ヒメ王女!」と声を掛けて王女の行動を止めようとする。
側仕えの行動としては適切だ。
こっちはしがない平民の兵士だ。王族の方が立って近くに寄るなどあってはならないはずなのに、王女はニコリと笑って有無を言わさず側仕えをたしなめた。
そのままヒメ王女は俺たちまであと一歩という距離まで近寄った。
ふわりと花の香りが舞い鼻腔をくすぐる。
王女の背丈は小柄ながらも、こちらが膝をついているため見上げた状態となっている。
その王女が俺たちを間近に見て言った。
「なるほど。中々に良い目をしていますね」
じっとヒメ王女がこちらを見る。
……何故だろうか。
いつもならこんなにも見つめられたら「もしかして、俺に惚れてる!?」ぐらい思うはずなのに、そんな思いが全く湧かない。
それどころか、肉食獣に睨まれているかのような錯覚すら覚える。
いや、相手は王女様なのだからそれが当然だ。
これが畏怖というやつに違いない。きっとそうだ。
王女様が肉食獣のような殺気を放つわけがない。
ここは礼儀正しくヒメ王女に挨拶するのが無難だろう。
「ヒ、ヒメ王女よりお褒めいただき身にあま――……ぶはぁっ!?」
挨拶の途中で――側頭部に衝撃が走った。
そのまま勢いよくゴロゴロと転がって、俺の体は壁にぶつかって止まった。
一体何が起きたのかわからずに混乱する。
目に映っているのはヒメ王女の白く美しい脚が見えていることぐらいだ。
まるで俺を蹴り飛ばしたかのような姿勢で止まっている。
というか、蹴り飛ばしたのはヒメ王女だった。
「ヘイ=シ先輩っ!?」
ボウ=ズが心配してこっちを見る。
馬鹿野郎。よそ見している場合じゃないと言いたいが声が出ない。
ドン教官によって結構鍛えられているはずなのに、ピクリとも動かない。
……どんだけの力で蹴られてるんだこれ!?
曲がりなりにも兵士として鍛えた自信が砕けていくのを感じる。
「あら、私から目を放すことを許した覚えはありませんよ?」
「ほぁっ!?」
同じようにボウ=ズの腹めがけて王女の蹴りが炸裂した。
完全にいいものをもらってしまっている。俺と同じようにボウ=ズの身体が壁にぶつかった。端から見ると俺もああなったのかと思うと余計に痛くなる。
けれど、それ以上に怒りが湧いてきた。
王族といえど、さすがにこんな理不尽な目に遭わされる覚えはない。
起き上がってヒメ王女に感情を隠すことなく睨みつけたところ――
「まぁ! その眼良いですわ! そんな反抗的な眼ゾクゾクしちゃいます!!」
「ひぃっ!?」
三秒も保たずに目を逸らした。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!!
あんな嗜虐的な眼初めて見た。完全に獲物を痛ぶることに喜びを見出している。
絶対に反抗してはならないと本能が告げている。
即座に従順な姿を見せるべく頭を垂れた。完全降伏の姿勢である。
「は、ははは……。ヒメ王女もお戯れが過ぎますよ。それで、あの、ドン教官。これは一体どういうことでしょうか?」
いくらなんでも、呼び出されて顔見知りっぽいドン教官が、知らされてないわけないだろうと思って尋ねてみた。
「うむ。二人ともすまぬな。ヒメ王女はこれからの任務を依頼するにあたって力を見たいと言い出してな」
「いや、それだったらもっとやりようがあるでしょう!?」
わざわざ王女が俺らを蹴る必要なんてどこにもない。
せめて、城勤めの騎士と試合をするとか色々腕を試す方法はある。
「こちらにも色々と込み入った事情があったのだ。後で説明してやるから我慢しろ。それでヒメ様。こいつらの力はどうでしたかな?」
ドン教官がそう聞くと、先ほどまでの苛烈な王女の姿は影を潜め、優しげでほわほわした雰囲気に戻った。人格が変わったと言われても信じてしまいそうなほどだ。
何だって上に立つ人間は変人が多いんだ。
村長然り、ドン教官然り。
村どころか、この国は本当に大丈夫なのかと心配になる。
「そうですねぇ」
悩む素振りを見せるヒメ王女。
そりゃそうだろう。力を見たいと言われても、実際は王女様に蹴り飛ばされただけだ。ようやくボウ=ズも気絶から立ち直ったようで、ドン教官から事態の説明を受けていた。まぁ、十中八九不合格だろうと思っていたら、
「合格です」
「はっ……?」
その言葉を聞いて、思わず変な声が漏れてしまった。
「だから合格です。さすがはドン=エムの教え子ですね。よく鍛えられています」
その意味がわからず、どういうことなのかを聞いたら、
「あなた方は今こうして気を失わずに済んでいるではありませんか。正直、明日まで気を失っていてもおかしくない程度で蹴ったのですよ」
そんなことを言われた。
もう何から驚けばいいのかわからない。
そもそも、人の気を失うような蹴りを放てる一国の王女がどこの世界にいるというのだ。ここにいるよ畜生。
「ふっ。ヒメ様の蹴りはどうだった? ん? 痺れただろう?」
「……まぁ、えぇ、はい」
鼻息を少し荒くしてドン教官が同意を求めてきた。うぜぇ。
この満足げに笑っているヒゲが教官でなかったら殴っているところだ。
殴ったら地獄の筋肉特訓が始まっちゃうしな。
「では、納得されたようなので本題に入りましょうか」
色々あって忘れかけていたが、当初は任務をもらいにここを訪れたのだ。
すでに疲れ果てていたので、さっさと任務を聞いて切り上げたい。
この話が終わったら酒場で一杯やって休みたい。
そして、ヒメ王女は言った。
「あなた方に任せたいことはですね――『魔女のお手伝い』です」
この任務が、俺の兵士人生にとって最大の転機ともなるとも知れず、酒場でビールと枝豆を食べることしか考えていなかった。