異世界勇者と無関係の兵士
ツッと背中に汗が流れるのを感じる。
獣型のときとは違い、黄金の毛並みはそのままだがふさふさとした毛皮はだいぶ減っている。除毛薬に頼らずとも、これならば俺たちの武器が十二分に通じそうに思える。
なのに、俺たちはジリジリと後退せんばかりに気圧されている。
「ほう、肌で我が強さを感じおるか。それでいい。くれぐれも油断なんかしてくれるなよ?」
無論、そんなことは先刻承知だ。
体躯は筋肉の名を欲しいままにするドン教官よりも二回りは大きく、巨体であるはずなのに鈍重さを一切感じさせない。
柔と剛。人と獣の両方の良き筋肉を兼ね備えたかのような、まさに理想とでもいうべき完璧な身体がそこにあった。
……ドン教官に毒されて筋肉評論家みたいになってきた感があるな。
「魔獣型は多数相手にする場合になる形態だ。人獣型は我が認めた武人と戦うことを決めた時になる姿だ。其方たちは――我がこの姿で戦うに値する」
ゴクリと喉が鳴った。
魔獣型と言った先ほどの姿は、つまりは本気ではなかったということか。
強さが全くの未知数のジュウ=オウと、どう戦うかを逡巡していたら、
「……は、ハッタリっスよ! 人の姿なら俺の早さに付いて来られるわけがないっス!!」
バカ野郎。そんな噛ませ犬みたいな台詞を吐くんじゃない!
雰囲気にあっさりと呑まれたボウ=ズが恐怖を忘れるかのように先走った。
双剣を携えてジュウ=オウの周りを高速に駆ける。残像すら見えそうなほどのボウ=ズの本気の走りは、確かに俺たちの中では一番身軽で速い。
だというのに、俺にはもうあいつの未来が手に取るようにわかる。
その証拠に、
「人獣型になった我が脚を舐めてもらっては困るな」
「ガハッ……うそっスよね?」
「最高速度は魔獣型に劣るが、瞬発力と切り返しならばこちらの姿の方が上だ。残念だったな。頭が寂しい戦士よ」
「あ、頭が寂しいとか関係ない……っス…………」
ほらな。
あっさりとボウ=ズの速さを上回ったジュウ=オウが、ボウ=ズの掴みやすい坊主頭をガシッと掴んで地面にめり込ませた。頭部に衝撃を受けたせいか、ボウ=ズがあっさりと意識を失い倒れ伏せた。
自業自得もいいところだ。あれだけ小物感を出すとかこいつ本当バカなんじゃないのか?
だが、ボウ=ズ。お前の命は決して無駄にしない。
ジュウ=オウがボウ=ズを倒した瞬間からドン教官と俺は距離を詰めていた。
奇しくもボウ=ズは完璧な囮役を務めてくれたのだ。
「お命頂戴っ!!」
ドン教官の凶悪な槌が脳天めがけて振り下ろさる。
人型になったことで魔獣型よりも頭の位置が地面に近い。普通の人間ならトマトのようにぐちゃぐちゃに潰れそうな一撃だ。
なのに、
「悪いがその程度で我の命はやれんな」
ジュウ=オウは、さも当然のようにドン教官の槌を掴み止めた。
魔獣型と違って人獣型は人と同じような手があり、細やかな動きが可能みたいだ。
しかし、それで終わりだと思うな。
背後を取っていた俺は、加速した全体重を乗せて心臓めがけて剣を突き刺す。
完全に無防備な背中。殺ったと確信した瞬間――
「冷静な判断だが、獣の五感を甘く見たな」
俺の剣の刀身をジュウ=オウの尻尾がグルグルと包んだ。
あと一歩という所まで迫ったのに、剣先がピクリとも動かない。
「……っぐぁぁぁぁ!!」
動きを止めた俺たち二人を、ジュウ=オウは鋼鉄のように握り固められた拳で思い切り殴った。衝撃が腹部に走り、身につけていた鎧など何の気休めにもならずに破砕される。
殴られたのに痛みはしない。
いや、違う。
俺の頭が痛みを感じることを拒否している。
永遠とも思えるような少しの時間宙に飛ばされ、ようやく地面へと倒れ落ちるた。
それと同時に痛みが復活し、あまりの激痛に息すらままならない。
「ヘイ=シ!?」
マジョ=リナの声が遠くに聞こえる。
気を失わなかったのは幸いなのか地獄なのか。
指先一本たりとも動けない状況に絶望感が目の前を横切る。
「我を相手にここまで戦ったこと褒めてやろう」
ザッ、ザッ、ザッと一歩ずつジュウ=オウが歩いてくる。
……あぁ、そうか。俺はここで死ぬのか。
冷たい石畳の上で羽虫のように横たえて死ぬ。魔王軍幹部のジュウ=オウ直々に褒められたのだ。俺の人生にしては上出来なぐらいだ。
覚悟を決めて目を閉じる。
ザッ、ザッ、ザッ。足音からジュウ=オウが俺のすぐそばまで来たことを悟る。
そしてジュウ=オウは――俺を殺さずそのまま通り過ぎて行った。
どういうつもりなのか、それはすぐにわかった。
「ただの兵士にこれだけの力を授けるとは恐るべき魔女よ。魔王様の未来に災いを呼ぶ者は――今この場で命を絶ってくれよう」
「……はんっ。あんたごときに私の命くれてやるほど安くないわよっ!」
気丈な物言いなのに、マジョ=リナの声がか細く震えて聞こえた。
それは――ダメだろ。
俺の命なんかいくらでもくれてやる。
でも、その人だけはダメだ。ダメなんだ。立ち上がれよ俺。ここだろ。ここで全力を出さずして、いつ全力を出すんだよ。俺はアホでクズな男だよ。そりゃ勇者様に憧れて軽い気持ちで兵士を目指したよ。そんなバカがようやく本気で守りたいって思えた人なんだよ。この世界に勝手に召喚されたんだぞ。それで元の世界に帰りたいって寂しそうに笑うんだぞ。
そんな人を見捨てたら――俺は一生俺を絶対に許せそうにない。
ギリリと奥歯を噛み締め力を込める。
痛みなんか知るか。今はどっかに消えていやがれ!
「俺の惚れた女に手を出すんじゃねぇよっ……!!」
肺から振り絞るように声を出す。
震えてる脚なんざ気合いと筋肉で止めろ。立ち上がって満足するな。相手を殺すつもりで睨みつけろ。ドン教官がよく言っていただろ。気合で負けていたら誰にも勝てないって。
今がその時だ!!
震える脚に力を込め、ギリギリの状態であろうと俺は立ち上がることができた。
そんな俺の姿に、ジュウ=オウの瞳は驚きに満ちていた。
いや、むしろ喜んでいるようにすら見える。
「ほう。だかが一兵士が見上げた根性だ」
そんな俺を見て、ジュウ=オウが感嘆に満ちた声で讃えた。
「それにしても惚れた女か。では、立ち上がった褒美に其方に五分くれてやろう。その間に愛しき者との別れをすませるがよい」
相も変わらずジュウ=オウは獣の王としての風格を漂わせる。
ただし、その言葉に俺は礼を言わない。
俺はマジョ=リナの元へと歩き出し、ジュウ=オウは俺たちの視界から外れ建物の陰へと歩いて行った。
「あんた身体は大丈夫なの!?」
「あー今のところは大丈夫っぽい感じ」
精神が肉体を凌駕しているので、痛みは本当に感じていない。
後でどうなるかは考えると怖すぎるので考えないようにしている。
「でさ、マジョ=リナ。俺の話ちょっと聞いてくれるかな?」
これまでにない俺の真面目な様子に、マジョ=リナは何か言いたげであったが、言葉を飲み込んでコクリと頷いてくれた。
出会った瞬間にプロポーズをしていて今さらな感じがあるけど、改めて言葉にしようと思う。
「俺さ。マジョ=リナのことが好きなんだ」
「……私に惚れたって、本当に本気だったの?」
「うん。マジで惚れてる」
やっぱり冗談に思われていたのか。
いや、冗談に思われても仕方がないようなことをしていたかもしれないが、俺は至って本気だった。
そして、これからはもっと本気になる。
「いつか私は――元の世界に帰るわよ」
「知ってる。でも俺、マジョ=リナのことが好きだから、ちゃんと手伝うよ」
そのジレンマにより、この旅の中でかなり悩みもした。
けど、ようやく覚悟が決まり、肚が据わった。
「だからさ、決めたんだ」
この先の未来を。
俺がどうしたいのかを決めた。
それはわかってしまえばとっても簡単なことだった。
「俺は君にきっと君に惚れてもらえるぐらい、すげー兵士になるよ。そしたら、マジョ=リナ帰らなくて済むでしょ?」
できもしない不恰好なウインクをしながら言ってみた。
するとマジョ=リナは「あは!」と笑って目尻を拭った。
そんなに不細工な顔をしていたのか俺は。
だけど、その甲斐はあったみたいだ。
マジョ=リナは、初めて見る優しい顔をして微笑んでくれた。
そして、
「だったら勝ちなさい。絶対に勝たないと許さないわよ!」
「もちろん」
マジョ=リナからの叱咤激励に、俺の体に活が入った。
相手が誰だろうか知ったことか。絶対に勝ってやるさ。
この役目は誰にも譲ってやるものか。
異世界勇者と無関係の兵士が――絶対に君を守る。
タイトル回収しました




