異世界勇者のもたらしたもの。それは『食』!
十五歳の時に村を出た俺は、晴れて王国の兵士になれた。
村に居た頃は、何となく兵士になるのはとても難しいことだと思っていた。
何せ王国を守る兵士だ。
騎士様程ではないにしても、それなりに選ばれた奴しかなれないと思っていたら、驚くほどあっさりと兵士になれた。
というのも、勇者様が召喚されて以降、魔王軍との戦いも激しさを増し、年中人手が足りていない状況なのだという。
そんなわけで、入団試験とかそんなものも全くなく、あっさりと兵士になれたのであった――だったらどんなによかったことか。
実際には兵士『見習い』であり、一年以上の見習い期間を経た後に正規の兵士になれるのだと入団した時に説明を受けた。
一年という期間は短くもあり長くもある。
その間で兵士の素養であったり、覚悟だったりを試して正規の兵として登用する制度なのだと聞いた。それだけに、王国を守る兵士というのは重要であり、軟弱な人間には務まらないことは容易に想像が付く。
全ての説明を受けた後、俺は内心ではほくそ笑んでやった。
村を出た時「俺、絶対立派な兵士になるから!」と言って村を出たのだ。
試験の突破だけが不安の種だったのに、たった一年我慢すれば兵士になるのだ。
やめる理由など何一つ見当たらない。
あの村長でさえも「ワシが若い時に使っていたものだ。持って行けぇぇい!!」と餞別を渡してくれた。そんな村長の熱い一言に思わずホロっときてしまった。普段あれだけ奇行が目立つ耄碌ジジイだと思っていただけに、村長はやっぱり村長なのだと感心してしまった。
村長は布に包まれた長物を――俺に手渡してくれた。
手にずっしりと来るこの重さ。おそらく中身は剣だろう。
何を言わなくとも村長の声が聞こえてくるようだ。
きっと村長は俺に立派な兵士になれと言いたいに違いない。
男同士にしか伝わらない魂の繋がりが――この手の中にあった。
俺は包みを剥がし、中身を取り出す。
そして、構えてみた。
しっくりと手になじむ木製の持ち手の棒を手に、天から地へと真っ直ぐに取り振り下ろす。何度も何度も繰り返した動作だ。村長が過去に使っていたのだろう。硬い地面に突き刺し、金属部は赤茶けた錆が見える。手で擦れば土がはらりと落ちた。
村長がくれたもの。
それは――ボロボロの鍬だった。
……俺も十五歳になり、もう大人の仲間入りを果たした。
たとえ頂いたものが期待と違っていたとしても、贈り物は笑って受け取ること。
それこそが大人の礼儀だということはわかっている。
だから、俺は「村長。大切に使わせていただきます」と言った後――月夜の映える夜遅くに鎮魂池に出向いて鍬を捨ててやった。
これから旅立つ前途ある若者にゴミを贈るとは、まったくどういうことなのだろうか。
やはり、村長の頭はどうかしていたに違いない。
一瞬でも、あんなジジイを見直して損した気分になった。
そんな心温まるエピソードを経て、俺はその研修期間を経て晴れて兵士見習いから脱して兵士になることができた。
同じ時期に入った連中なんて百人ぐらいいたはずなのに、最後の方には十人以下になっていたことから、その厳しさを推し量ってもらいたいものだ。
憧れていた兵士という職業に就けた。
その時の喜びとは格別のものであった。同期の連中と共に正規の兵士になれたことを喜び、酒を酌み交わし、この国を魔王軍から守ろうと誓った。
まぁ、当初の目的である、美人で胸の大きい嫁さん探したい下心は酒を飲んでも吐かなかったがな。
思い出となる誓いは綺麗なままでいい。
そうして、兵士となって数年も経って給金も貯まり始めた頃、見回り中に美人で胸の大きな娘さんを悪漢から助け、そこから二人は恋に落ちて結婚へ――
「そうなってるはずだったのに、何で俺は未だに独り身なんだ!?」
酒杯を持っていた手をテーブルに「ガンッ!」と叩きつける。
兵士見習い一年。正規兵士となって二年。計三年ほど経ったはずなのに、嫁どころか未だに女の子の影すら見当たらなかった。おかげで嫁さんのために貯めていた金は、こうして酒場での食事と酒に消えていく毎日だ。
「ヘイ=シ先輩。毎回同じこと言ってて悲しくならないんスか?」
「うるさいよボウ=ズ!」
悲しいから酒を飲んでいるんだ。
大体毎回とは何たる言い草だ。毎回とは一日に百回ぐらいの頻度で言うことだ。一日に一回酒の席で話す程度なんぞ多い内に入らない。
俺の未来設計では今こうして一緒にいるのは美人な嫁さんだったはずなのに、何が悲しくて坊主頭の後輩と酒を飲まなければならないのだ。
目の前にいるこいつは、今年正規兵になったばかりの後輩ボウ=ズだ。
仕事も終わったので、いつも通りに飯を食いに誘っている。宿舎でも飯が出るには出るが、外で食う方が美味いし出会いの確率も上がるし良いことづくめだ。
「まぁ、落ち着いてくださいよ。といっても、下っ端兵士がそう簡単にモテるわけないじゃないですか」
「え、何でよ? 俺たち国を守る兵士だぞ。兵士ってカッコイイ結婚したい職業の上位じゃないの?」
「あんたどこまで兵士に夢見てんですか……」
やれやれとボウ=ズがため息をついた。
「いいですか? 確かに俺たち兵士は国に雇われてますけど、いつ死ぬともわからぬ身ですよ? 指揮する立場になるならともかく、いつ前線に駆り出されるかわからないとくれば、女の方が尻込みしますって」
「何、だと……?」
そういうことだったのか。
だから、俺がいくら女の子に告白してダメだったのも、それが理由だったのか!
「あと、単純にヘイ=シ先輩がっつき過ぎっス。あれじゃ、なびく女もなびきませんよ。たまに、俺の方にまでヘイ=シ先輩が気に入った女の子から苦情来るんスから勘弁してくださいよ」
「馬鹿野郎! 男が愛を語るのを控える理由なんて一つもないね!」
こっちだって適齢期に入っているから焦っているのだ。
十五歳の時に村を出てすでに十八歳になったのだ。村の同年代の男たちからたまに結婚したという報せが来る年頃なんだぞ。
「まぁ、ヘイ=シ先輩が良ければ別にいいんスけどね。あ、お姉さんビール一つ」
「くっ、次こそ絶対にボインの嫁さん見つけてやる。あ、枝豆も追加で」
ジョッキにあったビールがいつの間にか空になっていた。
話が弾むと酒もうまい。つまみもなくなる。大人になってよかったと思えることの一つだ。
そして、お姉さんがビールを持ってきてもう一口。
「くぅ〜、うまい!」
「塩茹でした枝豆って何でこんなにうまいんスかね〜」
いやはや本当にな。
王国に来てから知ったことだったが、勇者様たちが召喚されてから王国の食事場がガラッと変わったのだ。
何でも彼らの国で作られていた料理が広められ、今ではもうすっかりと馴染んでしまったのだという。
「こんなうまいものを教えてくれた勇者様に乾杯!」
「かんぱーい!」
このビールという酒もその一つだ。
勇者様の一人である白滝味見様は食に詳しく、王国の食事に画期的な改革をもたらしたのだ。
しかも、異世界の料理を教えたのみならず、王国では見向きもされなかった食材を食べる方法を教えてくれたり、農業の生産量を上げる工夫を授けてくれた偉人だ。
そんな彼は勇者パーティではトレジャーハンターとして活躍していると聞く。
「あ、先輩先輩。見てくださいよ! 今日はウタ=イテさんがいますよ」
「おぉ〜本当だ。今日はついてるな」
店内からゆったりとした音楽が流れる。
ウタ=イテさんは王国の酒場で歌う流しの歌手だ。
王国の酒場はたくさん存在するので、こうして彼の歌を聴くけるのは多くても月に一回あるかないかなので、良い時に来たものだ。
「いい曲っスよねー」
「まったくだなぁ〜」
彼が弾いている楽器は何と言っただろうか。そうだ思い出した。ギターという楽器だ。
そして、彼が今歌っている曲は『上を向いて歩こう』という、勇者様方の世界で大人気だった曲なのだという。
何でもウタ=イテさんは、勇者様の一人である音尾奏様に直接師事を受けたのだという。勇者様と直接関わりを持てるなんてうらやましすぎる。
まぁ、彼は元々の実力もあったようで、音尾奏様が魔王討伐に出られた後、王国で歌を歌って勇者様方の活躍や民を元気付けているとのことだ。
また、音尾様は魔王軍との戦いで疲弊した町々を訪れては、吟遊詩人として勇者様の活躍やご自身の出身の歌を歌って楽しませているようだ。
さすがは勇者様パーティといえるエピソードの一つだ。
「おう。やっているかね二人とも」
酔いもいい感じに回り始めてきた頃、上から渋い声が聞こえてきた。
「ようやく来ましたか。ドン教官」
「お先やってるっス〜」
「そのようだな。どれ私も一ついただくとしようか」
そう言ってドン教官は度数の強い酒を頼んだ。
グイッと一口でグラスの半分ほど飲み干し、満足そうな顔をする。
「うむ。うまい」
この人はドン教官だ。
俺とボウ=ズがいる小隊を率いる隊長兼教官で、筋骨隆々の体と豊かな口ひげをしている。
最初、この人と出会った時はあまりの筋肉と男臭さに卒倒しかけたのに、今ではもうすっかりと慣れてしまった。
慣れって恐ろしい。
「つーか、ドン教官聞いてくださいよぉ〜。またヘイ=シ先輩が女にモテたいってうるさいんっスよ〜」
「うるさくねーよ。女にモテたいってのは男の常だろーが。あんまり生意気言っていると髪の毛毟り取るぞ」
「剃ってる髪の毛毟るとか悪魔ですかアンタ!?」
悪魔じゃねーよ。兵士だ。
そして、兵士の先輩の命令は絶対なのだ。
俺だってそんな理不尽を乗り越えてきたのだから諦めて先輩風を吹かせろ。
「モテたいという動機自体は別に否定せんよ。だが、真の男になりたいのであれば、お前らに足りないものがある」
「足りないものですか?」
何だろう。筋肉とかじゃなければ良いな。
ドン教官を見ていると冗談じゃなくそう言いそうで怖い。
「うむ。丁度良いから二人に聞こう。お前らにとって女の好きな部分はどこだ?」
酒が丁度よく回ってきたのだろう。男の酒にありがちな話題が出てきた。
真の男に必要な話題なのか全く分からないが、こういった話は嫌いじゃない。
女の好きな部分って、もちろん決まってるじゃないか。
「胸です」
「俺は尻っスね」
間髪入れずに俺とボウ=ズが全然別々の部位を答えた。
「……はっ。尻とかねーわ。男が最後に求めるものは乳だろうが。たわわに揺れる届きそうで届かない二つの果実。それを掴み取るのが男の醍醐味だろうが」
「……先輩といえどこれだけは譲れないっスね。どんな生き物の雄だって女の尻追っかけてここまで来たんスよ。尻こそ最高っスね!」
男にとって譲れない戦いがある。それが今日だ。
この坊主頭の後輩は何もわかってはいない。
男は女を追いかけるもんじゃない。掴み取るもんだ。
何の熱意が俺たちを突き動かしているかわからないが、胸派か尻派かの議論が熱を帯びてきて、話し合いでは収拾がつかなくなってきた。
なので、最終手段である第三者の意見を取り入れることにした。
「ドン教官は胸派ですよね!?」
「いや、尻派に違いないッス!!」
そう言って叫ぶ俺たちをドン教官は「ふっ」と笑って冷ややかな目で見た。
「ふっ。だからお前たちはいつまでたってもマンマボーイなのさ」
いつになくダンディズムあふれるドン教官が言う。
「いいか。女で一番素晴らしいのは脚だ。特にスラリとした脚の女に尻を蹴られるのが男の幸せってやつだ。真の男になりたいのだろう。ん、どうだ。今度良い店に連れて行ってやろうか?」
胸でもなく尻でもなかった。
というか、ドン教官にとっての真の男の像が心配になった。
「……いえ、あの、遠慮しておきます」
「……心の底から勘弁してほしいッス」
さすがにまだそんな上級者ではない俺たちは謹んで辞退した。
ドン教官は「ボーイたちにはまだ早かったようだな」とグイッと火のように熱い酒を喉に流し込んだ。
ドン教官――本名ドン=エムの性癖はマゾだったことを今更ながら知ってしまった。
本当にどうしてこんな人が教官役を務めているのだろうか。
勇者様がいる王国で兵士になれば明るい未来が開けると思っていたのに、現実は坊主な後輩と筋肉のヒゲオヤジと酒を飲んでいる。
転職しようにも今更どうしようもない現実に泣きたくなった。
そんな酔いも良い感じに回ってきた頃、酒場の他の客から歓喜の悲鳴が聞こえた。
「うぉっ。何だ何だ!?」
気になって周りの声を聞くと、どうやら勇者様の活躍話のようだ。
勇者様たちは魔王軍討伐に出ており、王国に巣食う魔王軍の幹部を退治しに、騎士隊を率いて出たのは記憶に新しい。どうやら一戦を繰り広げ、見事に魔王軍幹部の進撃を退けたとのことだった。
誰も彼もが魔王軍に負けてなるものかと勇ましい雄叫びを上げていた
「しっかし、さすがは勇者様たちっスよねぇ」
「だな。王国騎士でも魔王軍幹部と戦ったらただで済まないからな」
そもそもの話、王国騎士で勝てるようだったら勇者様たちは召喚されていないというわけだ。
そう考えると勇者様方がいない間よくぞ持ちこたえなと言える。
「ふむ。今回は化野学様がご活躍されたようだな」
「稀代の軍師であり画期的な道具を創り出す錬金術士ですね」
化野様は魔王軍と戦うための道具を王国騎士に与え、策を弄すことで手強かった魔王軍をことごとく討伐してきた。勇者様の中では最も集団戦に向いている方だ。
ただの一兵士の俺にしてみれば、策を弄すとか発明とかの頭脳労働はまるで無理だ。できる気がしない。
そんな化野様は勇者様パーティの中では冷静沈着の代名詞を冠しており、冷ややかな雰囲気に憧れる女性は後を絶たないとの噂だ。
「手負いの獣は牙をむく。恐らく後のない魔王軍は決死の覚悟で挑むことであろうな」
カランとドン教官のグラスに入っていた氷が冷ややかな音を立てる。
俺とボウ=ズはゴクリと喉を鳴らした。
ドン教官は若かりし頃は、魔王軍とも戦った経験があると聞く。
それだけに年長者からの、その言葉はどこまでも重く響く。
だが、それは――勇者様が現れる前の話ならばだ。
「ところがどっこい、こちらには切り札があるっスからね!」
「あぁ。王国最強とまで言われる勇者の中の勇者――剣勇気様が俺たちには付いている!!」
勇者パーティの最後の一人である剣勇気様。
剣聖とまで呼ばれるほどの剣の達人であり、その実力は本物だ。
曰く、召喚された間も無い頃に騎士団最強を破った。
曰く、魔王軍に虐げられる者が一人でもいれば駆けつける。
曰く、多くの魔物に囲まれた絶体絶命の状況下も切り抜けた。
眉唾物だと思っていた噂だと思っていたが、実際に兵士になったことでそれが誇張された噂でないことを知った。それどころか世間にすら出回っていない事実すらもあるとのことなので、本当に勇者様の偉業には驚かされてばかりだ。
「いよーし! 俺も勇者様のお役に立てるようがんばるぞ!!」
「先輩! 俺も頑張るっすよ!」
「ふっ。若者とは無謀な夢を見がちだが、嫌いじゃないぞ」
まぁ、とは言っても下っ端兵士が前線に行けるわけではないので、普段の仕事の通りに見回り仕事が主な任務だ。
ただ、勇者様の話を聞くと血がたぎる。
もう少し大きな任務など与えられてみたいものだ。
そんなことを思っていたら、
「では、そんなお前らに朗報だ。明日はこの私と城へ来い。我が隊に指名で任務が与えられることになった!!」
ドン教官が威勢よく言った。
兵士が城に行くことなど、そう多くはない。
城の周りは騎士階級のもので固められているので、下っ端の兵士は詰所に通っている。
それだけに城まで行って任務を与えられることは名誉であり光栄なのだ。
「いよっしゃあぁぁぁぁ! これで俺も勇者様に一歩近づける!!」
「マジっすか!? おおおお、俺が直接任務を与えられるなんてっ……!!」
その朗報に喜び気を良くした俺は、ドン教官が飲んでいた強い酒を注文しグイッと景気付けに飲んだ。
これが大人の味かと思ったら嬉しくなるどんどん飲んだ。
飲んで飲んで飲んで――吐いた。
どうやら俺が真の男になる日はまだまだ遠そうである。