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秘密  作者: バウシー
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僕と「僕」

はじめまして「僕」です。

おはよう?こんにちは?こんばんは?どれかな?。

今日はいい天気だね。雨が降ってるけど。

君は元気?あまり元気がないのかな?

君はどんな顔で笑うのかな?泣くのかな?怖がるのかな?

「僕」と少しお話ししない?短い時間でいいから。

えっ、ダメなのかな?

えっ、まだ初対面だっけ?そうだったね。

じゃあ、せっかくなので、少し「僕」について自己紹介をさせて貰おうかな。少しでいいから付き合ってよね。

「僕」の年齢は今年で20歳、人の年齢で言うとそうなるかな。「僕」の性別は一応、男。あるのかないのかはわかんないけど。

僕には身体がないんだ。

だから、話すことは出来ても触れないんだ。

で、次が重要なんだ。

うん、重要なんだよ。そう、だからよく聞いてね。

えっと、「僕」には3つの秘密がある。

3つが多いか少ないかは分からないけどね。

誰にでも秘密くらいはあるだろうから大したことじゃないだろう。

秘密があることが重要なことじゃなくて、勿論その中身が重要なんだけど。

だけど「僕」のそれは誰かに言っていいことではないし、知られていいことではない。

「僕」の秘密を知っていて生きている人は1人しかいない。きっと彼と彼女だけが特別なんだと思う。まあ「僕」は誰かに話したりしないし、知るときは限られているけどね。

君は「僕」の秘密に興味があるのかな?それとも知ることが怖いのかな?どちらにしても知らないほうがいいこともあると思う。知ったらどうなるか、それは「僕」にも分からない。それを知られるとき「僕」は決まったあることを実行するだけだからね。

♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

僕は、今年で33歳になる。一応言うと性別は男、好きなのは女性だ。まぁ、残念ながらあまり縁はない。職場から自転車で10分程の裏野ハイツという古いアパートの106号室で1人暮らしをしている。職業は医師、専門は脳血管外科、内容を少し説明すると開頭しての手術による外科的な処置やコイルで脳内血管の動脈瘤に手や足の太い血管からカテーテルを通して患部を塞ぐのが主だ。去年でようやく6年が経ち、脳血管外科の専門医の資格が取れた。

手術は脳内を顕微鏡下で確認しながら行うため、体力や集中力、想像力、そして手先の器用さが必要だ。朝早くから結構夜遅くまで数件の手術を行っている。週に2日休みはあるが、当直も週に1度はあるし、休みの日でも携帯に呼び出しがあれば対応しなければならない。まぁ、ある意味では医師という職業はお給料が良いというだけで過酷で責任の重い職業でそこらへんのブラック企業よりよほどブラックだと思う。そんなだから、彼女が出来ないのだ。それは僕にも問題があるのだろうが。

そんな職業だが、代々医師の家系でそれが当然だと僕は思っていたから医師になることに何の違和感もなかった。父親はやはり同じく脳血管外科の医師だった。母親は僕を産んですぐに亡くなっているため僕は顔も知らない。仕事の忙しい父が僕を男手一つで育てることなどできないので僕は小さな頃からベビーシッターに育てられた。何不自由なく育てられはしたし、お金に困るようなこともなかった。父も僕が中学1年生の冬に突然亡くなった。それは僕が13歳になったばかりの頃で、お正月が明けて間もなくだった。

父が亡くなっているのを発見したのは、僕の家に来ている家政婦さんで、朝早くのことだった。その日の朝、いつものように朝食の用意が出来たことを父に伝えに行ったが、父からの返事はなく、何度か父を呼んだが返事がある様子はなかった。何か様子がおかしいと家政婦さんが父の部屋に入ると父はもう呼吸をしていなかったらしい。で、家政婦さんはそれを発見してすぐに救急車を呼んだらしい。

父は仰向けに寝た状態で、自分で何度も何度も繰り返して引っ掻いた傷が両首筋にあったらしい。表情はかなり苦しんだらしく苦悶の恐ろしい顔をしていたらしい。死因は突発性の心臓発作と救急で運ばれた先の医師に死亡診断書に書かれていた。毎日、朝早くから夜遅くまで働いており、過労が原因ではないかとのことだった。

父と僕は、同じ家に住んでいるだけで親子の交流というものはほとんどなく、父が亡くなっても僕はこれといって特に思うことはなかった。もともと父との接点はほとんどなく、顔を見るのは月に1度か2度くらいで、いないのと変わらない状況だった。

父は、何かあれば自分ではなく家政婦さんに言うようにと言っていたし、僕の方からも接点を持つことはなかった。要は、父は僕に何かあっても自分に言ってくるなという意味だったと僕は思ったし、はじめに僕に対して拒絶を示した父とそんなことをされてまで寄っていく僕ではなかった。

父も産まれて間もなく母親、僕からみたら祖母だが、を亡くし母親の顔を知らずに育ち、やはり10代の頃に父親、僕からみたら祖父、を突然亡くしていた。だから父も母と出会うまで家族というものを知らなかったのかもしれない。だから父は息子に対してどう接していいのか分からなかったのかもしれないという部分には同情の余地はあるが。それでも、僕は心のどこかで父を許せなかったんだと思う。何故、僕を息子として普通の家族のそれのように育ててくれなかったのかと。

僕は祖父母の顔も知らない。母の顔も知らない。最後の身内の父がいなくなり1人になった僕は、昔、父が経験したことを同じように経験するのだろうと思っていた。

父に関して言えばやはりどこか僕を避けている節があった。僕よりも朝は早く家を出ていき、夜は僕が寝た頃に帰ってくる。休みの日は自分の書斎から出てこない。普通の親子でされるような会話、休日の外出なんてものはなかった。遊園地なんかにも連れて行って貰ったことはなかった。学校の運動会や学芸会、授業参観などの行事には参加してくれたことはなかった。いつも代理で家政婦さんが来てくれていた。周りは実の父親や母親が来ているのを羨ましく思うこともあったけど、家政婦さんは僕に優しかったし、行事事の帰り道には喫茶店やファミレスで甘いもの、パフェやクリームソーダなんかを御馳走してくれたりもした。僕にとっては父よりも幼少期のベビーシッターや家政婦さんのほうがよほど家族に近いものだった。

父の御通夜や葬儀は、まだ子供である僕にはあまり出来ることはなく、家政婦さんや父の職場の人たちが滞り無く行ってくれた。僕は、棺に入った父を見ることはなかったが、最後は白衣姿で見送られたらしい。一応、形だけは息子ということで何度か頭を下げ挨拶なんかはしたが、僕は実際何も感じなかった。

父が亡くなり、数日後には冬休みが終わり学校がはじまった。僕の毎日は何も変わらなかった。家政婦さんはそのまま居てくれたし、父というか一族の財産はかなりの額があり、僕が大学を卒業するまでの費用は充分に用意されていた。

父の49日が終わった2月中旬から、僕に異変が起きる。僕は赤ちゃんの鳴き声を、オギャーオギャーという声を自分の部屋で夜寝ているときに聞くようになる。最初は、短時間だけで空耳かとも思ったが確かに僕には聞こえていた。近所に赤ちゃんがいる家はないはずだった。僕は夜遅くまで部屋で勉強していたので疲れからくる幻聴だと思うことにした。でもその赤ちゃんの鳴き声を毎夜、僕は聞くことになる。

月日と共に、赤ちゃんの鳴き声はいつしか単語に変わる。僕が中学2年生になった頃には、

─父、父…。

─ふたつ、ふたつ…。

というような単語が聞こえるようになった。聞こえる単語の数は徐々に増えていく。その聞こえる時間も日に日に長くなっていた。まるで、赤ちゃんが自分の頭の中で成長しているようだった。

受験を控えた中学3年生の冬には、

─父、お前、殺した…。

─お前、父、殺した…。

─お前も、殺される…。

と単語が羅列した短い文章が聞こえるようになる。他にもいくつか短い文章が聞こえるようになるが決して、気分の良い内容のものではなかった。正直、気味が悪かった。

合わせて、寝ているときに悍ましい夢を僕は見るようになる。僕は夢なんて見たことがなかった。

夢の中では、僕が自分の両手を父の首筋にあてて、力いっぱい首を締めている。父の顔はみるみるうちに苦しそうになっていき、僕の手を離させようと自分の手を首筋に持っていく。その手は僕の手をすり抜けて自身の首筋あたりに引っ掻き傷を作っていく。少しずつ力が入らなくなり、動かなくなっていく父。僕の手は力を入れることをやめない。父が動かなくなっても、父の首筋を絞め続ける僕の手。

妙に現実味のあるその夢。毎夜、僕ははっとなりベッドの上に飛び起き、自分の手を見つめる。何も変わらない僕の手。やはり夢か、とは思えなかった。僕の身体は変な汗を沢山かいていた。

受験の合格祈願と自分に嘘をついて、流石におかしいと思った僕はいろんなお寺や神社にお参りしたが毎夜起こる出来事は変わらなかった。声が聞こえることや夢のことについてインターネットで調べたり、厄祓いなんかに行ったりもした。いや、変わらないというより悪くなっていった。そう解決策はないように思えた。非科学的な現象を信じない僕だったが、流石に恐怖を懐くようになった。

もともと医師になることが将来の職業だと考えていた僕は、友達を作ることもせずに勉強に費やす時間が多かった。だから、毎夜僕の中の異物に時間を取られ、睡眠が多少少なくなったところで、そこまで学業に支障はきたさなかった。

無事に県内有数の進学校に入学できたし、高校でも部活や友達などに時間を取られず学業に時間を費やすことができ、すんなりと国立大学の医学部に入学できた。

赤ちゃんの鳴き声が聞こえるようになってはや5年。僕はそれを異物として考えていた。彼は会話が出来るようになり、僕に話しかけるようになっていた。そして字が書けるようになっていた。

彼は、僕をお前と言い、自分を「僕」と呼び、残酷な内容を僕に話しかけてくる。

─お前に「僕」が父親の首を絞めさせたんだよ。どうだった?人を殺す感触は?

─人殺しなのに医師を目指すの?

などなど僕を精神的に苦しめようという内容が多かった。意外にも一方的に話される内容は、僕の耳に確かに入ってくるのだが、あまり人に対して関心のない僕は耐えることができていた。

一度、僕は彼に聞いたことがある。君は何者なのかと。

─それは秘密だよ。君の一族は代々罰を受けなきゃいけないんだよ。

鼻歌混じりの嬉しそうな声で返事をくれた彼。この言葉は他の言葉に比べてより流暢で決め台詞のようだった。どうやら僕を苦しめることが彼の役目のようだった。それと一族って言葉の理由は僕には分からなかった。そう聞くことが出来る身内も居なかったし。

そして、彼が文字を書くとその文字が僕の身体に激しい痛みを伴って現れる。

─あ、い、う、え、お……

などと声に出しながら平仮名から彼は書き出す。その一画一画が僕の身体に刻まれていく。そこからは血が流れ出し、皮膚が刻まれ文字が浮き出てくる。

僕はギャーっと情けなく悲鳴をあげ、あまりの痛みに意識を失う。で、短時間意識を失って、起きると身体には文字はなく、血も流れていなかった。

─ ─ ─

僕が大学に合格したときの変化はもう一つある。合格が分かった次の日、家政婦さんは家に来なかった。朝、リビングにいつもあるその姿はなかった。僕は胸騒ぎを覚える。しばらくしてから家の電話が鳴る。電話の内容は僕が予想したものと同じだった。電話は、家政婦さんの所蔵する事務所からで、今朝方、家政婦さんはすでに息を引き取っており、それを家政婦さんの家族の方が発見したらしい。死因は原因不明とのことで謎だった。事務所の人は、代わりのものを派遣しますとのことだったが、僕は断った。

僕は、父が死んだときに感じなかった深い寂しさを感じた。その日は高校でも上の空で、学校が終わって家に帰ってもいつも居る家政婦さんはいなかった。僕は、はじめて人の死で涙を流した。死というもの、それはもう会えなくなるということで、ある意味で家政婦さんは僕にとって唯一の家族のような、母親のような存在だったんだと認識した。途端に、僕の中に途方もない寂しさが降ってきた。朝、感じたものとは違う寂しさが。それは、たぶん朝はぼんやりとでどこかリアルな感じがしなかったものが、急にハッキリと現実味を帯びたことの違いだったんだと思う。

家政婦さんが亡くなったことで、死というものを実感した僕は、父が死んだ原因が自分にあるのではないかということ、彼の言葉が本当ではないかということだった。何よりも妙に現実味を持つ夢が、今更になって更に現実味を持った。死に行く父のもがき苦しむ顔が頭から離れなくなった。そして、やはりそう考えると辻褄が合う。僕は、両手を見つめて、この手が僕の父を殺したんだと人を殺めた事実が僕に重くのしかかった。流石に、18歳の僕は父に対して懺悔の心を持ったし、表現の仕様のない感情が湧き出した。たぶん、その感情は人を殺めた人にしか分からない感情なんじゃないかと思う。人を殺すのはこういうことなのかと妙に納得してしまう僕。

家政婦さんが死んだ日の夜も彼の声は聞こえた。

─家政婦さんも死んだね。

─家政婦さんもお前が殺した。

─お前に関わる人、これからも死ぬんだよ。

クックックッと楽しそうな笑い声とともに聞こえてくる彼の声。僕は、腹が立ったが彼に言い返すことくらいしか出来なかった。

黙れ、黙れ、黙れ!っと僕は彼に対して何度も叫んだが、彼は僕の声を無視して、笑いながら繰り返して言ってくる。まるで、僕の声なんか届いていないみたいだった。

僕なりに考えた結果、僕は家を出ることにした。大学は、家から少し遠かったし、通えなくはないが家族も居らず、自分の世話をしてくれていた家政婦さんもいない。何より家を離れれば彼の声が聞こえなくなるのではないかと考えたからだ。

僕は、高校を卒業すると共に家を出た。少ない荷物、衣類関係と勉強関係の物だけを持って。引っ越し先は、大学の近くのアパートだ。大学には、歩いて5分程の割と綺麗な1ルームの小さな部屋。トイレとお風呂は別れていて、コンロは一つだった。必要な家電と家具は近くの電気屋さんと家具屋さんで買い足した。冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、ベッドと机と必要最低限のものだったが。あとは少しの私服と入学式用にスーツのセットを買った。

結局、家を出た日も彼の声は聞こえた。家を出て、引っ越してもそれは変わらなかった。

─引っ越したんだ。残念。「僕」から逃げられないんだよ。

─「僕」から逃げたかったの?酷いな。

クックックッと楽しそうな笑い声と共に聞こえる彼の声。相変わらず変わらない彼の声に、僕は諦めるしかないのかと思った。そして、彼は何度も文字を書いたし、その度に僕は悲鳴をあげて苦しんだし、血を流し意識を失った。そして朝が来て起きると僕の身体には傷や血が流れた跡は残っていない。それも変わらなかった。

4月に入り、入学式を終え医大生になった僕。僕の生活はほとんど変わらなかった。変わったのは、朝御飯がコンビニになり、昼と夜の御飯が学食になり、休日はだいたい近所の学生向けの食堂で食べることが多かった。勉強は、大学の図書館かアパートで行い、追加でしないといけなくなったのは掃除と洗濯くらいだった。

大学の6年間と研修の2年間、僕の生活はそんな感じだったが、日々彼は成長しているようだった。彼の声が聞こえるのは変わらなかったが、話し声は流暢になり、話す文章は長くなり時間も長くなった。書く文字には漢字が含まれていき、それ以外の行動もするようになった。ときにボールを投げたり、ときに木の棒を振り回したりと。彼がボールを投げると僕の身体中のいたるところにボールがぶつかった衝撃が伝わり、痣になる。彼が木の棒を振ると僕の身体に線状の痛みが走り、蚯蚓腫れができた。そんなふうに彼にとっての遊びみたいなことが僕にはいろいろな苦痛をもたらすのだった。まぁ、僕の苦痛は字を書くのとさほど変わらなかったが。

大学の1.2年生は一般教養と生理学や解剖学といった内容で3年生からは人体解剖学と生理学の実験の実習がはじまった。人体解剖学は実際に、検体を解剖する授業だ。人の頭を矢状面に半分に切って中身にランドマークをつけたり、腹部を開いて臓器を取り出しスケッチしたり、重さを測ったり、動脈や静脈、神経の走行を確認していくといった内容だった。生理学の実験は蛙やマウスを使ったもので、蛙の胸部を開いて心臓に半田ごてをあてて血管を焼き心筋梗塞を起こし、その心電図をとったり、マウスの臓器を取り出してその働きを確認するような内容だった。周りの学生たちは、特に人体解剖や蛙の頭を専用の鋏で切って殺すときなんかに吐いたり倒れたりしていたが、僕は平気だった。5年生からは、大学病院で医師についての実習と研究室に入った。病院実習はいろんな科を巡り見学や医師の手伝いをするもので、研究室は卒業論文に関するものだった。僕が病院実習で興味を持ったのは脳血管外科で、研究室も脳についてのもので卒業論文もそれについてだった。6年生からは国家試験の対策授業が本格的にはじまった。

僕は無事に国家試験を通り2年間の研修がはじまった。この研修は数ヶ月毎にいろんな科に入り実際に診察や当直医、手術の立会いをしていくものだった。少しだがお給料をもらうことができる。ある程度は希望が通るもので僕は脳血管外科と心臓外科、整形外科の3つを回った。最終的に僕は脳血管外科を専門に選んだ。僕がこの科を選んだのは彼の問題もあったのだが。ちなみに大学時代、僕に彼女は出来なかった。

そして、僕は脳血管外科の専門病院に就職した。就職と同時に大学の近くのアパートを出て、病院の近くの古い単身用のアパートを借りた。アパートは裏野ハイツといいコの字型の二階建ての木造の建物だった。ワンフロアに8部屋ありそれが2フロアで全部で16部屋。僕の部屋は106号室で玄関を入るとすぐに洗濯機置場があり、左手側に小さなコンロが一つだけのキッチンがあり、その隣に冷蔵庫を置くスペースがある。玄関から見て右手側にはトイレへのドアと浴室へのドアがある。奥には6畳ほどの部屋が1つあり、窓を出ると両隣を衝立で区切られたベランダが見える。ベランダからは中庭部分の木々が見え、その奥には駐輪場があった。部屋の中の家電と家具は大学入学時に買ったものをそのまま使った。職場までは徒歩だと少し遠いため自転車を利用した。朝早くから夜遅くまで帰らない僕は、両隣の105号室と107号室の人に会ったことがなかった。夜中などにテレビの音なんかが聞こえてくるので、人がいることは確かなようだが。

僕は、大学入学時に家を出てから一度も実家には帰らなかった。大学2年生の成人式のときも帰らなかったし、お盆やお正月にも帰らなかった。父の御墓参りにも行かなかった。それと母親代わりのような存在の家政婦さんの御通夜や御葬式にも行かなかったし、その後にも御墓参りなんかにもやはり行かなかった。

就職してからも僕と「僕」の関係性は変わらず続いており、変わらず彼も成長しているようで彼の話す内容は単純なものから複雑なものに変わっていったし話す時間も長くなっていった。そして僕に向けてくる無邪気な悪意は明確な悪意へと変わっていった。僕が大学5年生くらいから、彼の声が聞こえるようになって10年が経過した頃から、彼は僕の身体に釘を刺し、それをトンカチで叩いたり、ノコギリで僕の身体の腕や脚を順番にギコギコと切断したりと僕にいかに苦痛を与えるかを楽しんでいるようだった。流石にそんなことが毎夜繰り返されていくと不思議と耐性が出来たのか僕は激痛の早い段階で意識を手離すようになっていたし、精神的にどこか壊れてしまったようでもあり彼に対してあまり恐怖を感じなくなった。毎夜、朝が来れば僕の身体はもとに戻っているし彼は居なくなるとそれだけが唯一の救いだった。

僕だって彼から逃れる術を探した。大学時代から今に至るまで何人かの有名な霊媒師に除霊を依頼したり医学的な見地から論文を調べたりもしたが方法がないことだけが分かった。何をしても毎夜彼は現れた。僕は諦めるしかなかった。

就職先の病院では、脳血管外科の専門医になるため先輩の専門医について指導を仰ぐ毎日だった。朝早く出勤し、7時からはカンファレンスがあり、それが終わると病棟の患者さんの具合を確認して回り、9時からは外来の診察がはじまる。午後からは日に3〜4件の手術に入る。ときに急患で深夜に手術をすることもあった。僕の職場での毎日はそんな感じで慌ただしかった。手術に関しては脳出血や硬膜下血腫なんかの頭を開頭して血腫を除去するものや脳腫瘍や脳膿瘍などの患部を摘出するもの、クモ膜下出血などに見られる動脈瘤を患部まで血管内をカテーテルを通し、その中をコイルを通して動脈瘤を塞いでいくものなんかが主だった。

僕は、朝の巡回や外来の診察などの人とコミュニケーションを取るのは苦手だったけど医師と患者という立場での会話はそれほど苦ではなかった。手術の技術を磨くのは逆に興味が持てた。幼少期からピアノを習っていたことやプラモデルなんかを組み立てるのが好きだった僕は手先の器用さには自信があったし、手順をおって淡々と進めていくものは僕にあっていたんだと思った。目の前には人の命があるわけだけど、それを救いたいとかを考えるんではなく、ただ僕は患者の一部分を見ながら、手術をいかに速く丁寧に行なえるかを考えるのが好きだった。まぁ、それが可能かどうかが命に関わるのだが。

病院は1階部分に受付、5つの診察室、レントゲン室、CT室、MRI室、検査室があり、地下1階には薬剤室、3つの手術室、霊安室があった。2階、3階が病棟で患者さんが入院していた。2階に重症患者が多くSCUは201号室だった。4階部分は理事長室、院長室、医局、食堂があった。僕は、午前中を1階の診察室で過ごし、午後からは地下1階の手術室で過ごした。

入職してからの僕の変化は、霊的な体験をすることが多くなったことだった。それが、彼と関係しているかは分からないが。

ある日は、SCUで僕をただ見つめるおじいちゃんやおばあちゃんを見たり、エレベーターに乗ろうとしたらドアが開いた途端に沢山の手が千手観音像の手の部分のように現れたりなんかした。確かにSCUでは沢山の人が亡くなっているし、エレベーターは運搬用も兼ねているので仏さんを運んでいるしで、経験してもおかしくないかなと思った。見えるだけなんて僕にとっては彼に比べれば大したことはなかった。

僕は「僕」から逃れる術はなく、医師として働きはじめて3年が経過し職場での仕事に慣れてきていた。僕は29歳になり、彼の声が聞こえるようになって16年が経っていた。彼にも少し変化があった。僕の質問に答えてくれることがあるようになった。

─何か知りたいの?

と笑いながら言う彼に僕は聞いた。

父の首を絞めたのは僕なのかと。

すると彼は、やはりクックックっと笑いながら

─そうだよ。君の父親も自分の父親の首を絞めて殺したし、君のお祖父さんもそう。代々、産まれるときに母親を殺して産まれ、ある程度大人になったら父親を殺すようになってるんだよ。

唖然とする僕に彼は続けて言う。

─因みに、「僕」の存在を知った人も君は殺してるんだよ。あの家政婦さんとか君が相談した霊媒師さんたちもね。あははははは。

彼は僕に楽しそうに教えてくれた。

それと、もう一つ大きな変化があった。

そう彼は僕が意識を手離したあと、僕の身体を動かして出掛けているようだった。僕が、それに気付いたのは朝起きた時に両足の裏に草を踏んだ跡の緑色の汁が付いていたからだ。外に出てどこかの草叢の中を歩いているようだった。

僕が彼にどこに出掛けているのか聞いても、

─それはまだ秘密だよ。

と楽しそうに彼は答えるだけだった。

ある夏の日の夜、やはり仕事が遅く日を跨ぐ前に家に帰った僕。日を跨いで1時間くらいしてからいつものように彼は僕に話しかけてきていた。僕と彼がやり取りを、と言っても彼が主に話し続けるだけだが、たまたま僕の部屋のベランダの前を男性が通った。開けられたカーテンの隙間から男性は僕の部屋を見てしまった。運のない男性なのかもしれない。

─あっ、丁度いいや。お前に見せてあげるよ。

クックックっと楽しそうな笑い声が響く僕の部屋。

次の瞬間、僕の両目は天井にあるようだった。下には僕のではない部屋が見える。下に見える部屋は僕の部屋と壁の色、広さ、窓やベランダが同じでこのアパートの別の部屋だてすぐに分かった。

僕の両目には、ベッドの上に仰向けになっている男性。男性はまだ若いようで30歳前後に見え、スーツ姿だった。きっとサラリーマンなんだろう。男性はプルプルと身体を震わせる。どうやら金縛りにあっているようで動きたくても動けないようだった。

男性の目の前には中学生位の男の子がノコギリを持って立っている。そう彼だ。

男性は、彼を見て首を横に振ろうとし、小さく動かない口を動かす。まるで、やめてくれっと叫ぶように男性の姿は僕には見えた。

遠慮なく、彼は右脚の大腿部辺りをギコギコって口ずさみながらノコギリで切断していく。男性は苦悶の表情を浮かべる。男性が意識を失いそうになるとノコギリを動かすのをやめる彼。

彼は、時間をかけて楽しみながら右脚、左肘、左足、右肩と四肢を切断していく。途中からあまりの出血に彼の意識は朦朧としているようだった。

僕は、何度も何度も繰り返しやめろやめろやめろ!っと叫んだが、彼はやめなかったし、それを聞いて余計に楽しそうだった。

僕が見たくないと両目を瞑っても、その様子が余計鮮明に脳に直接光景を見せ付けられる感じで見ないようにすることも出来なかった。

最後に彼は、

─仕上げだよ、ちゃんと見てね

っと笑いながら言う。そしてノコギリを男性の首にあててギコギコと楽しそうに口ずさみながら切断した。沢山の血を流している首と四肢を切断された男性の姿が白いシーツが敷かれたベッドの上にあった。

─こんなふうにね、みんな恐怖に怯えながら苦しんで死んで逝くんだよ。ねっ、楽しいでしょ!ははは。

彼は本当に楽しそうだった。

次の日、朝起きると僕はいつものように自分の部屋のベッドの上に寝ていた。何事もなかったようだったけど、昨晩の光景が僕の脳には焼き付いていた。

僕はこの日は休みで、珍しく職場からの急患対応での呼び出しの電話もなかった。

アパート全体が朝から騒がしくて、やはりこのアパート内の誰かに何かがあったんだと思った。

死のう…。それだけを考えていた。きっと僕が死ねば彼も死ぬだろう。彼を何とかしなければいけない、それが使命のように思えた。もうこれ以上、人を殺すのも御免だし、あんな光景を見るのも御免だった。

天井の梁にロープを硬く海老結びにして輪っかを作り、部屋の椅子の上に乗り、ロープの輪っかの中に首を通す僕。そして椅子を蹴り飛ばした。

吊られた状態の僕の首はキュッと勢いよくロープに絞められて行く。これで死ねる、っとそう思ったときロープの上の方が鋭利な刃物で切断され、床に落下する僕。

パターンと背中に響く衝撃とゲホッゲホと激しく咽せる僕。死ねなかった。

次に考えてたのは包丁で頸動脈を切ること。キッチンから包丁を取り出して、浴室に入り鍵を掛けた。浴室の鏡の前で右手に握った包丁で左の頸動脈を勢いよくスパッと切った。一瞬、痛みを感じたが血が流れてこない。もう1度包丁を握り直して左の頸動脈を切断したが変わらなかった。

─お前が簡単に死ねる訳ないだろう。もっと楽しもうよ。どうせ殺されるんだから。あははははは。

彼の冷たい冷ややかな声が僕に聞こえた。

何で死なせてくれない。頼むからもう解放してくれ。

─ダメだね。そうだろう、まだ全然苦しんでないんだから。まだまだ足りないでしょ。あははははは。

彼の声が聞こえた。

これ以上、僕にどうしろというのか。ただただいるはずのない神に僕は救いを求めているような気分だった。




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