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路地を抜けて、一本隣の道に出た。そこは、今歩いて来た大通りとは打って変わって狭い、かつて居酒屋やスナックであった店が立ち並ぶ裏通りだ。電飾の施された看板が、今も寂しく立っている。倒れた自転車の車輪が、風に吹かれてカラカラと回った。
その道を辿って、さっきの数人組がいた方へ向かう。こういうときに備えて、発掘班はリヤカーに、いくらかの武器を携帯してあった。
猟銃や弾薬の数は少なく、とても全ての班に行き渡らない上、ハイブの警備にも必要なものなので持って来ることはできない。鉄パイプや金属バットという、平和な時代なら暴走族を思わせる得物ばかりである。力持ちのスーコは、ドアをこじ開ける用のバールを担いでいた。何をするにもヒザキがいないとダメなスーコだが、こんなときには頼りになる。
アキラが持つ鉄パイプの柄には、滑り止めにテーピングが何重にも巻かれてあった。既に緊張で、じっとりと湿っている。
誰も言葉を発しない。息を殺していた。
奴らがいた場所の真裏に来たところで、五人は一度立ち止まり、ノゾミの合図で建物に身を隠しながら大通りの方へ、ゆっくりと移動した。
いた。四人。
ノゾミの観察は正しかった。何やら談笑しているようだが、話の内容までは聞き取れない。その中の一人、鼻の下にナマズ髭を生やした男は煙草を吸っていた。
煙草は、今では高級嗜好品だ。発掘によって見つかることもしばしばあるが、取引で重宝されるため、アキラのハイブで吸う者は一人もいない。
見たところ、武器の類は持っていない。これならば、戦いになっても、武器と、一人多い分、こちらの方が有利だろう。
前を行くノゾミの肩から、いくぶん力が抜けたような気がした。
だが、武器を持っていないからと言って、ワスプでないことにはならない。
「おい!お前たち、何者だ!」
先にエルボがついたままのガス管を四人組に向けて、ノゾミが怒鳴った。
突然声をかけられて、四人が慌てて振り返る。
「逃げられないぞ!逃げたら殺す!いいな!」
どうやら、逃げる様子はない。四人は、まずいことになったという風に、互いに目配せし合っていた。
ノゾミが近づく。アキラたち五人も、武器を構えて後に続いた。
「もう一度訊く。お前ら、何処の者だ?」。十分に近づいたところで、ノゾミが訊ねた。「安心しろ。俺たちはワスプじゃない。ただ、この辺りを発掘で回っているだけだ。たまたま、お前たちを見かけたんで、ワスプではないかと思って、調べに来た」
四人がまた、顔を見合わせた。一人は相変わらず煙草を吸っている。あまり親しみのない、独特の臭いのする煙が流れて来て、アキラは顔をしかめた。
革のジャンパーを着た、ひょろりと背の高い男が、ポケットに手を突っ込んだまま、
「俺たちがワスプだったら、どうするっていうんだよ、オッサン」
その場に緊張が走った。
「オッサンじゃない。俺はまだ、29だ」。ノゾミがムッとして言った。
「そこじゃねぇだろ…」。ヒザキがボソリと言う。
「ワスプなら、一緒に来てもらう。俺たちに会ったことを仲間に報告されちゃ、まずいからな」
ハイブは隠れて暮らしているわけではない。ビルの周囲では小規模ながら農耕を行っているし、夜には幾分光も漏れているはずである。近くにワスプがいるのなら、その存在には、嫌でも勘付いているだろう。だが、野放しにもできない。この男たちがワスプなら、一旦は監禁して、おそらく殺すことになるだろうということは、この場にいる誰もが知っていた。
「ワスプじゃねぇよ。あんな奴らと一緒にすんな。俺たちは、この先のハイブのもんだよ」
「何処のハイブだ?」
交流こそないが、近隣のハイブが何処にあるのかは、知っている。それぞれに通称もあり、たとえばアキラたちのハイブは『ノイサン』と呼ばれていた。これは、ハイブの元になったビルの名前が『野井第三ビル』といったからだ。ショウゴがいた『ナインス』は、一階に入っていたスーパーマーケットの名前だった。他にも、地区や交差点の名前がついたハイブがある。
「お前らこそ、何処のハイブだよ?」
もちろん、言えるわけがない。
「訊いてんのは、俺だ」とノゾミが怒鳴る。「答えろ、何処のハイブだ?次、はぐらかしたら、ワスプと見なすぞ」
「…れ」
「何?」
「クタバレっつったんだよ、ハゲ!」
後ろに回していた男の手に、何かが握られているのが見えた。アキラは叫んだ。
「拳銃だ!ノゾさん!」
パンッと乾いた音がビルの間にこだまする。ビクンと震えたノゾミの体から、みるみる力が抜けて、ガス管を取り落としたかと思うと、その場に崩れ落ちた。
「うわぁ!」
何を考えていたのか、それとも何も考えていなかったのか、次の瞬間、アキラは鉄パイプを振り上げて、その男に殴りかかっていた。
パンッ!
再び銃声が響く。
だが、弾丸はアキラをとらえてはいない。いち早くヒザキの投げた金属バットが、拳銃を持った男の腕に直撃していた。
振り下ろした鉄パイプに、確かな手ごたえがあった。男は、拳銃とは反対側の腕で鉄パイプを受けた。
「ギャアァァ!」。そのまま男は、腕を抱えて地面に転がった。折れた。
拳銃を持った男がやられたので、残りの三人は慌てて逃げ出した。
「逃がすな!」。ヒザキが叫ぶ。
そのうち二人の前に、スーコが立ちはだかった。1m30cmはある、大型のバールがうなる。一撃目が一人の頭をとらえ、そいつは、指から紐が抜けたヨーヨーみたいに吹っ飛んだ。二撃目はもう一人の顔をかすめただけだったが、バールの先が、男の頬骨から口まで、深く切り裂いた。
顔を裂かれた男は、「ヒィ!」と悲鳴をあげて一目散に走りだし、スーコがそれを追いかけた。
煙草を吸っていた男は、反対方向に逃げていた。もう既に、その姿は見えなかった。
「ノゾさん!ノゾさん!」。ケンジが、ノゾミの頭を抱いて必死で声をかけていた。その手と服に、べったりと血がついている。「どうしよう…。血が、血がこんなに!」
ノゾミの服の、胸のあたりが真っ赤に染まっていた。意識もない。
電話も救急車もない。あったところで、病院も医療技術もない。助からないことは、火を見るより明らかだった。
ヒザキがやって来て、ノゾミの首に手を当てた。
「脈が弱まってる。もうダメだ」
「なんだと!貴様ぁ、ヒザキィ!」
ケンジが逆上して、ヒザキの襟を掴んだ。チェックのシャツに血が付いた。ヒザキは、その手を振り払い、立ち上がった。血が出そうなほど、唇を強く噛んでいた。
あの拳銃を持っていた男が、折れた腕の痛みに耐えながら這って逃げようとしていた。
「アキラ」。ヒザキが低い声で言った。「殺せ」
「え?でも…」
相手はもう、戦うどころではない。こうして、ろくに逃げることもできないような者を殺すことは、アキラには到底できなかった。
「そいつは、ノゾさんを殺した。生かしておくことはできない。殺せ」
「いや、こいつはハイブに連れて帰るべきだよ、ヒザキ。まだ、本当にワスプかどうかもはっきりしないんだ。それに、ワスプだとしても、生かしておけば、こいつらのアジトや、人数なんかを聞き出せるじゃないか」
「なるほど…」と、ヒザキはアキラに歩み寄り、その手から鉄パイプをむしり取った。「一理ある」。そして、這って逃げようとしている男に近づき、ゴルフクラブみたいに振り上げた。
アキラは思わず目を背けた。
グシャ。
ヒザキは、繰り返しそこに鉄パイプを振り下ろした。卵の殻を潰したみたいな音が、何度も何度も聞こえた。