第60話 眼球は潰されたくないので。
なんだろう。
支払いを終えて帰路に就こうとする俺たちを、目を細めた店の主人が引き止めた。彼は人の良さそうな、獣人族の大柄の男だ。
「ねえちゃんよぉ、ちょいと待ちな」
彼の笑顔は多分、営業スマイルではない。それはナチュラルで、嫌味の無いものだった。
しかしいくら人は良くても、彼は泣く子も黙って敬礼するほどの獣人族。目つきに関して言えば、獲物を見据える猛獣のそれなのである。
正直、すんごく怖い。
現に俺は、こうして身体を硬直させている。
遺伝子に刻まれた太古の記憶がそうさせているのだろうか、単に俺がビビリなだけなのか。
俺が怯え気味に“な、なんですか!?”と応答すると、俺の怯えを察したのか殊更に表情を綻ばせた。
ありがとう、ごめんなさい。
気を遣ってくれたのは凄くありがたかったのだけれど、余計に怖い。笑いながら怒る人みたいだった。
でも、彼は本当に人が良いのだな。
他人との関わりを、繋がりを、彼は心底大切に思っているのだろう。
人を見た目で判断してはいけない。そう改めて感じさせられた。
うんうんと心で頷いていると、彼は聞き覚えのある台詞を放って寄越した。
その台詞は、あまりにも唐突で衝撃的であった。
「まさかな。いやいや、あのセリフをここで……。あ、あの、聞こえなかったので、すみません、もう一度いいですか?」
「なんでぇ、姉ちゃん。俺の声がそんなに素敵だったってかぁ!? いいぜいいぜ、何度でも聞かせてやらぁ! “ここで装備していくかい!?” どうでい、どうでい?」
“ここで装備していくかい?”
彼は確かにそう言った。
「まさかこんなところで、アレを! コレ、アレだよな、アレ。成神、コレはアレだよな!?」
「うん、アレでしょ。ドラゴンなんたらの防具屋さんの決まり文句。知ってる知ってる」
「そうそう、それそれ。ドラゴンファンタジーな。成神とも、よく一緒にプレイしたよなぁ。あー懐かしい!」
「私はほとんふぉ観てるだけだったけどね。和人熱中してたもんね」
「まぁ、確かにな。何かスマンな。しっかしすっげぇ懐かしい。友達ともさ、レベル上げを競ったり、クリアタイムで競ったり。楽しかったなぁ。これはもう青春の1ページを彩ってるよね。確実に彩ってるよね、青春の1ページだよ! ドラゴンファンタジーは青春の1ペェージィィ!」
「うるさいなぁ……もう……」
第一弾が販売された当初、学校を休む子供が続出したらしい。しかし、その子供たちは次の日には何食わぬ顔で登校してきた。
もちろん、そういう彼らは風邪を引いていたわけでは無い。ドラゴンファンタジー……略してドラファンを購入するために学校を休み、列に並んでいたそうな。
実際にそのナンバリングタイトルは人気があった。休み時間はそのゲームに関する話題で持ちきり。“クラスでプレイしてない人はいないんじゃないか”って思ってしまうほどだ。
まぁダウンロード販売なので、列に並ぶために仮病で休む奴はいなかったけども。
「ドラゴンファンタジー、あぁ、懐かしいなぁ。あの頃は友達も多かったなぁ、懐かしい……懐かしいなぁ……」
「なんでぇ、姉ちゃん。ドラゴン狩りに興味が?」
己の回想でセルフ凹みをしていると、主人がするりと会話で滑り込んできた。
「ドラゴン狩りかぁ。まぁ、そういうわけじゃないんですけど、ドラゴンがいるんなら見てみたいですね。というか、“なんでぇ、ねえちゃん”ってなに? 枕詞なの?」
「マクラコトバってなんでぇ? 古代語か?」
「ん、まぁ、気にしないで」
「おう……。一時期なぁ、この町もドラゴン討伐で賑わっていた事もあるんでい。でもなぁ、ある日ぴたりと出現が止まったらしい。冒険者も減って、こちとら商売上がったりよ! ここだけの話だがなぁ、はっきり言ってドラゴンに戻ってきてほしいって、俺は思ってるぐらいでぇ」
「MMORPGで言ったら、“ドラゴン退治クエスト”かな。なんか凄い経験値とお金貰えそう」
しかし、ドラゴンと言えば付き物なのは、“焼かれる村”である。
ドラゴンを見てみたいという気持ちはあるが、そいつは危険なモンスターだ。遭遇しない方がいいに決まってる。
「そういうわけなんで、これからもこの店をヨロシクな。定期的に沢山買ってくれ!」
「定期的には無理だけど、まぁ必要になったらこの店にくるから」
「俺の生活のためだ、来い!」
エリクサー的な回復アイテム、なーんてものでも売っているなら定期的に来てもいいが、防具や服などはそうそう買い換えないからなぁ。
“はいはい、気が向いたらね”と言いつつ、俺は試着室のカーテンを閉めた。
「さてと、着替えま……ぬっ!?」
試着室の大きな姿見には、妹に少し似た女の子が映っている。
自分が女になってしまったという事を、忘れかけていた。
服を脱ごうとボタンに手をかけるも、なんだか悪い事をしているような気分になってそれをはずす事は出来ない。
まずい。いくら頭で大丈夫だと考えていても、心は、こに入る人間を俺でないと認識しているのだ。女性の衣服を脱がす経験が豊富な男子ならばまた話は違ってくるのだろうけれども、残念ながら俺は経験が豊富とは言えない。
というか、“そんな経験は無い!”と断言出来る。
しっかし、こう、中身と身体が合っていないってのは、なんとも気分がよろしくない。自分という存在が、揺らいでさえ入るようだった。本当に、変な気分だ。
「なぁ、成神ー。なんか変な気分になってきたー」
彼女は“変な気分!? ああもう! ちょっと入るわよ!”と勢いよくカーテンを開け、瞬時に中へと入ってきた。
忍者かな?
「忍者、なんで!?」
「なんでじゃないわよ、うるさいわね。私が着替えさせてあげるから、とにかく眼を瞑っていなさい。出来ないなら眼球潰すわよ」
「えぇ……でも、自分の身体だよ、自分の身体。なんで見ちゃいけないの?」
「あんたが着替えられなくなるからでしょ!」
そう言って彼女は俺のタイを解いた。
そして素早く、それを俺の目を隠すようにきつく結んだ。
「なになに、眼球潰す気? 誰か助けて!」
「次騒いだら、眼球マジで潰すわよ」
「ぐっ」
俺は、無言で頷いた。