第56話 全て鈴木のせい。時々本田のせい。
俺達がいた場所からでは想像すら出来なかった世界に、1人の男子高校生、“俺”が置き去りにされた。
ここは、異世界のとある場所。
亡命政府として設置された町。
そのほぼ中心に在る領主の邸宅。
さらに言うとするならば、その片隅の更に片隅。つまりは物置小屋である。
先ほどまでその領主ハミルカル・バルカ氏の娘、ノウァちゃんと一緒に潜んでいた。
上等な香水の残り香。足跡。笑顔。それらを残して死地に旅立った。
なんて、それは少々大げさ過ぎだろうか。
彼女が行なった扉の開閉により、ここは先ほどにも増して埃が舞っている。それが天使の梯子に触れた瞬間に輝きを放ち、“あぁ綺麗だなぁ”と俺を感動させた。
この輝きは、何時か見た。多分、俺の部屋で。
もちろん、調度品などのグレードはこちらの物置小屋の方が、段違いに高い。しかし、この埃舞い輝く光景は、俺の記憶の奥底にあった光景だ。
懐かしい。
そう、既に“懐かしい”。
ほぼ毎朝数年間見続けてきた、その光景が既に懐かしさを憶えるモノになっていた。
ここへ来たのは数ヶ月ぽっち前の事だけど、新しい世界で目まぐるしく変わる状況で、ありえない事を経験した。密度がとても濃かったのだろう。途轍もなく昔に感じられるのだ、それが。
今は特に密度がとんこつラーメンの汁のように、とても濃い。
いつ発見されるか分からない、足音に怯える時間。
今は彼女らは井戸端会議に夢中だけど、俺を探し回る足音は本当に怖かった。コツコツとドアの前を通り過ぎる度に、俺のメンタルはガリガリと削られていくようであった。クトゥルフ的には、“SAN値が下がる”と言った所だろう。
まぁ、正気を失う程に追い詰められてるわけでもないし、仮に捕まっても死ぬわけでもないのだけれども、普段よりも時が濃密に感じられた。
「えーそうなんですの?」
「そーなんだよ、あいつはねぇ~」
「あははは。やっぱり和人だね」
「バカでしょ、ほんっと」
内容が有るのか無いのかさえ分からない談笑が、今もまだ続いている。
会話は断片的にしか聞き取れなかった。
でも、俺の名前も出てきているし、成神の声だったし、俺を馬鹿にしている会話なのは明白である。
断片的にしか聞き取れなかったが、きっと俺の事を馬鹿にしているのだろう。名前出てきてるし。
なんか腹が立ったので今すぐ問い詰めたいが、罠の可能性も考慮して今は我慢。ここは我慢。ぐっと堪えるんだ、俺。
「でね、起こしに行ったんだけど、おねしょしてたの。あはは、ウケる」
やめろ……やめろ……。
殴られるのは嬉しいけど、そういうメンタルに効果が絶大な攻撃は好きじゃない。もちろん、内容によっては言葉による攻撃も好きではあるのだけど。
おねしょは、まぁ、治る時期には個人差があるワケで、そこを弄るのは良くない。
まぁいいや。4人組のひとり・校内新聞記者の塩見もこの世界では無力。
なぜならば、この世界に国立魔法学園は無いのですから。
「あははは、マジかー。メモメモ~! 今度ね、あの案内所に学園通信を掲示させてもらえる事になったからさ、それ、書かせてもらうわ」
耐えろ……。
ぅぅ、まぁ、いい。あいつらがそれで楽しめるのなら、涙を飲もう。
だって、彼女ら5人組の談笑って、とてもいい物だぁ、って思ってるから。推奨されるべきもの、とさえ。
ノウァちゃんは成神と似てた。
同年代の友達がいなかったから、彼女は寂しい思いをしていた。
でも、ああしている今は、とても幸せそうに見える。それが成神と重なるのだ。だから、彼女らの談笑に水を差すのもなぁ、と思わされてしまっている。
俺のメンタルが微妙に削られているのは、とりあえず置いといて……。
やはりノウァちゃんは、俺が与えた指令をすっかり忘れ去っているようなのだ。
まったく、困った物です。
たしかに、“自然に会話をして自然な流れで自室に誘導”とは言った。だが、それを真剣に追及するが故に彼女は“魔物”に食われたのだ。
ミイラ取りがミイラに、とは違う……のか? だけども、そんな感じである。いや、深淵を……。分からんが。そんな感じだ。
とにかくここから出てハミルカル氏の書斎に向かわなければいけないのだが、何せ5人組がどこにいるのか分からない。
談笑の反響から察するに扉を開けてすぐコンニチハ、という事態は避けられそうだが、場所が確定しない以上どのルートも非常に危険であることに間違いは無い。
であるなら、高窓から出て下の階へ降りるという方法も……。
ただ、こっちは本当にマジで命の危険がある。
だって3階だもの。落ちたら痛いでは済まないはずだ。良くて骨折。高度な回復魔法で何とかなるが、該当するモノを扱えるのは5人組のひとり、芦尾志月だけである。
あぁあ、こんな時魔女のほうきでもあれば、ピューって飛んで書斎の窓から“ハミちゃんの書斎にダイレクトアタック! ドォォオオオオオン!”と安全に入室するんだけどなぁ。
もちろん、窓は開ける。硝子を砕きつつダイナミックに入室するつもりはない。当たり前だ。品は無いし常識も無いけど、無法者じゃぁないのだから。
ここは、一か八か。とりあえず外に出てみよう。
この部屋が、“井戸端会議”の場から死角となっていれば、セーフ。
ドアの開閉をあいつらに察知されたら、アウト。
捕まっても死ぬわけじゃない。落ち着いて。息をゆっくり吸って、ゆっくり吐いて、スー……ハー……。
それにである、拷問を受けるならそれはそれで俺としては嬉しいので、どっちにころんでもまぁいいか、といった感じである。気楽に行こう。
とは言ったものの、やはり僅かな音さえも発さないよう、細心の注意を払う事にする。
不安定な高性能爆薬を扱う、爆弾処理班のような心境。爆竹を解体して銀色のキレーイな火薬を集めた事はあるが、もちろん、爆弾処理の経験は無い。当たり前である。でも、ソレくらい、音を含めた全ての振動には気を配る。
ギッ、ギッ、ギッ。
ギィィィィ! とはならぬよう、小出しにする。教室での放屁と同じだ。もちろん、放屁の経験は無い、なんて事は無い。何度かある。バレそうになった際には鈴木君の所為にした事もあった。鈴木君は本田君に責任を転嫁して喧嘩になったりしてたが、今となってはいい思い出である。
それにしても、異様に疲れる。やはり、意識はしないが精神的に追い詰められているのだろうか。
一旦、深呼吸でもして、心を落ち着かせよう。
その判断が間違いだった。
キラキラと輝いて綺麗だなぁって先ほどまで思っていた埃が、まさかこの俺に牙を剥く事になろうとは……。




