第55話 会敵
俺たちは旅路を終えたのだ。それは、とても長いものであった。
なんて、正直に言うとそこまで大層な旅路ではなかったのだけれども、森で出会った高位魔術師の知り合いに襲撃を受けたり、天候が良過ぎて暑かったりと、思っていたよりも大変な旅だったことは間違いないだろう。ともあれ、無事に薬を調合してもらう事とになって、本当によかったと思っている。あの薬の効果がすぐに表れるとは思わないが、とりあえずは一安心と言ったところだろう。
そして、今は捨てられたと勘違いしていた成神久遠、塩見リコ、芦尾志月、雨飾千晴、この4人のクラスメイトの追及の魔の手から逃れようと、屋敷にある物置き部屋に身を隠している。
高窓から差し込む光は、薄い絵の具のように白い筋を引く。ここは、少し埃っぽいのだ。薄暗いのでよく分からないが、物が溢れるこの部屋は、その少しの埃っぽさと薄暗さで俺の心を多少なりとも落ち着かせてくれているようであった。ただやはり、いぜんとして屋敷には足音や怒号にも似た声が響いている。無断で数日間家を空けたのだ、彼女らの気持ちも理解出来ないではないが。しかし、こうも騒がしくしているのに、ハミちゃんはなんで彼女らを叱ってくれないのだろうか。
「ドスドスうるせなぁ、あいつら。すっげぇ響いてるじゃねぇか。ハミちゃん、奴らを注意してくれよぉ……」
「あはははは。でも、私こういうの好きですわ。楽しいです」
「まぁ、確かになぁ。楽しいっちゃ楽しいけどな。俺もさぁ、ばあちゃんちでよく遊んだよ、かくれんぼや鬼ごっこで。親戚の子が集まってたからさぁ、人数も多くて楽しかったなぁ。すっげぇノスタルジア」
「和人さまもそうなんですね。私も子供の頃、客人の子らと遊びましたわ」
「おぉ。こんな広い屋敷じゃあ、隠れるのも探すのも大変だろうな。でも、その分楽しかったろうな」
「ええ、みな熱中しておりましたわ。その時もすごく騒いだりしちゃいましたが、父は叱る事はしませんでしたわ」
「元将軍だけど、怖くないのな」
屋敷を散り散りに探し回っているのだろう、断続的に“あっちには居なかった”や“○○ちゃんはそっち探して”とか聴こえてくる。これは部屋を出るに出られん。
逃亡者って落ち着く暇も無いのだな。これならば、逃亡するより刑務所に居た方が気が休まるのではないだろうか。少なくとも、食い物には困らないのだし。ちなみにこの部屋にも何か食べ物ないかなぁとノウァちゃんに聴いてみたら、“物置部屋にはまともな食品置いてませんの”と岩塩で出来た置物を差し出された。まぁ、食べられなくはないけど、違うんだよなぁ。それに塩分過多だし。
“探せぇ! やつは屋敷の中だぁ!”だとか聴こえてくる。やばいなぁ、奴ら興奮してる。狩りを楽しんでやがる。
ドアに耳を押し当て、廊下の様子を伺う。部屋をしらみつぶしに調べているのだろう、片っ端からドアを開けているようだ。一度だけハミちゃんの、“や、やめてくだされ成神殿!”という声が聞こえたような気がした。そこはちゃんと叱って欲しいのだが。ハミちゃんは上に立った事のある人なんだから、ここは威厳を見せ付けてやって欲しいものだ。“こら! 成神殿! 家の中は走り回らないで頂きたい!”みたいに。
扉の重く激しい開閉音が次第に遠ざかっていく。隣の棟へ向かってくれたのだろうか。しばらくはこの部屋も安全そうだが、この戦に勝利は存在するのだろうか。というか、隠れていても疲弊するばかりなのではないだろうか!?
行かなきゃ。とにかく、行かなきゃ。
まず俺たちは詳しいあの旅の顛末をハミルカル氏に話す必要がある。だから、まずはハミルカル氏の書斎へ。それが終わったら、魑魅魍魎の跋扈する屋敷を俺だけが抜け出して、何食わぬ顔で正門から戻る。“何日も置いてけぼりにして!”と責められたら、“独りで薬草取りに行ってた”と説明。これでいい。ノウァちゃんはまた違う場所に用事があったという事にしておこう。
「というわけなので、俺はハミルカル氏のところに行くから、ノウァちゃんはまずあいつらを探して何食わぬ顔で“大変だったですわ~、王都に挨拶に行ってましたの。和人さまはどこにいらして?”とでも言ってくれ。俺はその間に顛末と事情を話して、外に出るから。しばらくしたら正門から戻る。これで大丈夫だ」
「了解ですわ」
「うん、じゃぁ扉開けるから、先にいってまずは奴らを探してくれ」
かしゃり。重厚な錠前の作動音。
ゆっくり、ゆっくりと……その扉を開ける。誰もいない事を確認して、ノウァちゃんをこの薄暗い物置部屋から出てもらった。
「頼むぞ」
小声だ。
「はいですわ」
少々の嬉しさを滲ませつつも、小声で応対。そしてすぐに、ゆっくりと、今度は扉を閉めた。
息をゆっくりと、吐く。
自分の鼓動が聞こえるような気がする。なんだろ、オークと戦った時よりも緊張してるのかも。別に、成神たちに恐れを抱いているわけじゃない。わけじゃない……はずなのだけど。心臓が高鳴っているのだ。
明らかな緊張が、この場を支配していた。
耳を澄ます。
“あぁ! ノウァちゃんだぁあああ!”
早速だが、会敵したようだ。だが、聴こえてきたものはそれだけである。会話をしているようではあるが、あまりに小さ過ぎて聴こえてこない。
想定外に早い会敵。聴こえない会話。これでは出るに出れないではないか。




