第41話 それは転げ落ちるように……。
窓ガラスを拭き、廊下の端から端までを掃除する。それは単純かもしれないがとても大変な仕事だ。それを一ヶ月のうちに数度となく繰り返す。これはもう、戦いだと言っても差し支えはない。
庭木の剪定、近所のおばさまとの井戸端会議、食料の買出し。これもまたそれと同様に戦いである。
で、それをやっているのがメイドさんや庭師さんじゃなくて……。
「和人さま、少々お待ちください。あの角まで掃除いたしましたら、すぐに向かうので」
そう話すのは、魔王ごっこ……否、魔王候補養成ギルド代表兼領主・ハミルカル。自称、魔王軍元将軍。俺たちはハミちゃんと呼んでいる。
ハミちゃんがなんで、領主としての仕事以外もせっせと働いているか、というと、多少の資金難ということもあるらしいのだけど、一番の理由は“楽しいから”であるらしい。
割りと面倒見のいい人だというのは以前から知っていたが、ここまでくるとちょっとおかしいのではないかと思わされる程である。働き者なのはいいが、本業以外で色々やるのはちょっと……。
だって、来客への対応、書類の目通し、その他色々。領主としての仕事もかなりあるはずなのだが、それでも彼は掃除を止めない。どうしても外せない用事があった場合は別らしいが、基本的には掃除等は彼がやっている。もちろん、館内全てを独りでやることは出来ないので、ある程度はメイドさんや庭師さんに手を借りているようであるが。
メイドさんに話しかけた際、こう言っていた。“楽なのはいいんですけど、申し訳ないですし、少し困りますね”と。そりゃそうだ。しっかりと給金を払っているはずなのに、自分で仕事を奪ってしまうのだから。それに、何もしないでいると時間の流れが遅く感じるのだろう。何かしていた方が、時は早く流れる。スマホ等の携帯出来る娯楽があれば暇潰しもできるだろうが、この世界にはそれが無い。
そういえば、こちらの世界に転移した際に一緒に飛ばされて来た携帯、電源切りっぱなしであった。基地局なんて当然存在しなくて、それはネットワークから切り離された文鎮みたいなものなのだから。それに、いつか必要になった場合、少しでも電気が残っていてくれないと利用が出来ない。
もっとも、この世界であの携帯端末が必要になることなんて、ありえないとは思う。だって、電子機器だもん。こちらには、原始的な電灯さえも無い。どこかで雷の研究を行なっている学者くらいはいるだろうけど、電気を電気として扱ってる人間はいないだろう。
昨日、女子5人での狂乱の宴が行なわれた際、どいつかが携帯を“魔導具”と言った。まぁ、撮るだけだと役には立たないのかもしれないが、これも人が科学で実現した願いの結晶なのだ。この世界の人間からしたらそれは奇跡みたいなもので、魔法となんら変わらないのだろうな。その魔導具の事を話しているノウァちゃんの笑顔は実にキラキラしていたのを憶えている。
まぁ、昨日の夜の事で、しかも、かなり衝撃的な出来事だったわけで、憶えているのは当然だ。
“角まで”掃除を終えたハミちゃんが、大きな身体を揺らして小走りで部屋の前に止まる。もちろん、直接見えるわけではなく、足音からの推測である。でも、ドシンドシンと大きな音を立てる人はハミちゃんしかいないので、間違いはない。
直後、扉が叩かれる。
「ただいま掃除終わりました。和人さま、失礼いたしま――なっ!? いないですぞ!」
扉の裏側に隠れています、俺。
「じゃあああん、こっちでしたぁ~!」
「うわぁあああ和人どのぉおおおおおどこにいらっしゃるのですかぁああああ」
「こっちだって!!」
「ゴホンッ! しょ、少々取り乱してしまいましたな……。失礼いたしました、魔王さま」
椅子へと腰掛ける。
「それで、なんか用なの?」
「用という程のものでもないのですが……。あれからどうでしょうか、その指輪」
「う~ん、特に何も無いかなぁ。ただ、魔法を使った時にちょっとじわぁ~って温かくような気がするけど」
「その際、何か声が聞こえませんでしたかな?」
「そうだねぇ……聴こえたような。会話をしたけど、あれってなんだろ。で、なんか、お前の父親だ、とか言われたんだよ。不思議体験」
「それですよ、それ!! 先代魔王様の声ですぞ、和人さま! やはりあなたはカタルタゴの正当な王位継承権者であらせられる!」
いつになく興奮気味の、ハミルカル氏。ひとしきり騒ぎ立てた後、彼は話を始めた。
「それでは、早速行っていただきますぞ!」
「なんだよ急に、どこに行けばいいのさ?」
「どこ……といいますか、“本格的な修行に”ですぞ」
ちょっと面倒だったけども、まぁ、少しだけ面白そうだなぁとは感じた。ただ、どこに行けばいいのか分からないのが、ちょっと怖いのだ。世界の果てを目指したり、とか、そんなの終わらない旅路イヤですよ。
「えぇ、修行? 意味あるのかな、俺に資質があるとは思えないんだけど」
「確かにそうですなぁ……あ、いや、失礼しました。だからこその修行なのです」
「そこは否定してよぉん、ハミちゃん。いいえ! あなたには資質があります! とかさぁ」
申し訳無さそうに、“ははは”と笑わせてしまった。なんか、こっちが申し訳無い気分に陥ってしまう。ごめんなさい。
「しかしですな、あなたからは資質といいますか、独特の匂いがするのです」
「えっ……クサイ……? ちゃんとお風呂入ってるんだけどな……」
「いえ、違います、身体のにおいではありません。お連れの皆様とは違う固有魔素を放っているのです。それも、我々のよく知っているお方の……」
「まさか、アハハ、ちょっとごめん笑った……。まさかとは思うけど、それが先代魔王さまの……?」
「その通りでございます。特殊なオーラや感覚とでも申しましょうか、言葉にはし難いものなのです。おそらくはそれに反応したのでしょう、魔王さまの固有魔素の結晶とも言えるその指輪が」
え、ノウァちゃんは指輪に残留思念が宿ったモノ、って言ってたんだけど、本当は魔力の塊なんだ。ノウァちゃんが言ったようなものだと、例えば、魔剣と呼ばれるモンがある。あれは、元々ドコにでもあるような素材に残留思念や固有魔素が宿った物らしい。でもこの指輪はどうやら違うらしい。
魔力の結晶って……なんかヤバくない? 本当の話ならヤバくない?だって魔王の魔力の結晶でしょ? 暴走しないのかな、グワァアアアアア! ってさ。
でも、それはそれで中二病的には燃える展開ではある。
「そうじゃの、中二病乙。しかしまぁ、息子よ、お主に力をくれてやってもよい。貸すのではない、くれてやる」
「キター!! 声キター!! ていうか思考読んでるぅぅぅう! 恥ずかしいから止めて!!」
「安心せい、誰にも言わぬぞ。特に、お主が連れの者の名を呟きながら独り寂しく夜に――」
「ワーッ! ワーーーッ! フウゥゥウウ~ワーオ! ワッワワッ、ワーオ!」
とりあえず、指輪外した。
「こいつはとんでもねぇ呪いのアイテムだ……。ちょっと火口にぶっ込んでくるので、後はよろしく頼む」
指輪の声はハミちゃんにも聞こえていたらしく、その表情は驚きと喜びに満ちているように見える。
「ま、待ってくだされ、それですぞ、かっ、かかかっ、和人さま……それって、その……それですぞ! 実に素晴らしい」
「お褒めに頂きまことにアザーッス……。でもちょっとこの指輪マグマにぶっ込んでくるので……すんません……」
改めてよく見てみると、やっぱりこれってあれとあれが同じアレだよなぁ
「そいうえばさ、この王笏と同じ材質っぽいけど、これもその魔王様のなの?」
目立たないように所持していたあの王笏をハミちゃんに見せると、彼は有名な落語家のように椅子から転げ落ちた。いらっしゃい。
「こ、ここ、これはあぁああ一体ぃぃいい」
「どう見ても王笏っすね、王笏。でもこれ、指輪もらう前に持ってたよ。なんか材質似てるけど」
「黒くて固くて……先代魔王様の物である指輪より大きい。惚れ惚れいたしますぞ、和人さまの王笏! ちょっとそれ触らせていただいてもよろしいですか?」
「その言い方なんか気持ち悪いからホント止めてほしい」
「話は聞かせてもらった!!」
と、飛び込んできたのは、国立魔法学園校内新聞記者・塩見リコだ。
「ほらなぁ、だから止めてっていったのに!」
彼女の誤解を解くのに要した時間、約30分。無駄な時間であった。がしかし、これで校内新聞に妙な噂が載ることもなくなった。安心した。もっとも、現代世界に帰れなければ、載るにしても載らないにしても特に意味は無いのだけど。
「どっちが攻めか気になったんだけどなぁ……そっかぁ、勘違いかぁ」
「うん、すごい勘違い。しちゃだめな勘違いだよ」
「分かった。自分の中だけで楽しむ」
「うん、まぁいいや、自分の中だけで楽しんでね……。本とか出したら即効で炎系魔法でブワァァだからね」
誤解は解けてはいなかった。塩見がこういうの好きなのはなんとなく分かっていたが、まさか自分が対象にされるなんて思いもしなかった。なので、ちょっとだけ困惑している。
ま、いっか……。
「それで、本格的な修行ってのは、今までどおりのクエストやちょっとした頼み事の遂行ではいかんのけ?」
「いえ、基本的には今までと一緒でいいですぞ。しかしですな、少しだけ難易度を上げた方がいいでしょうな。例えば、収穫依頼に関して言えば、ジャガイモよりも難易度の高い、柔らかい果実を選んだ方がいいでしょうな」
「えぇ、細かいし地味。なんかもっとこう、圧政をしくどこどこの王をやっつけろ、とか、そういうのかと思った。逆にやる気なくなるわ」
よし、独自に修行をしてやろう。ハミちゃん驚かせてやろう。また椅子から転げ落としてあげたい、面白かったし。凄く。




