第3話 ありがとうございます。
どうやら気絶してしまったらしい。誰だかわからないが迷惑をかけてしまった。そして訪れる尿意。それは生理現象であって、このような異常事態であっても誰に対してでも平等に、時に残酷に訪れる。
……トイレ行こうっと。
ベッドから起き上がり、キョロキョロと部屋を見渡した。
変わった内装だ。和風ではない、洋風ともまた違う。例えるならばファンタジー映画のセットなのだが、こんなにも物好きな部屋が学園にある訳がない。
よって、ここは学園の保健室ではないと言う事が俺の中で確定した。しかし、粗雑なテーブルにオイルランプ、淡くオレンジに燃える暖炉、漆喰らしき壁。いかにもといった様相で、非日常な空間が広がっている。正直好きだ、こういう内装は。
どこの部室なんだろ、もしかしたら学園寮か?
物好きな内装だ。
廊下に出てトイレを探す。
大体トイレってもんは、廊下の先も先、一番奥の扉の向こうにある。……はずである。
「しっつれいしま――」
それはダンジョントラップ。扉を開け放った瞬間迫る、荘厳な装丁。「失礼します」と言い終わる前に、本は眉間へとヒットした。
そして間髪をいれずに、夜空を引き裂くかのような叫び声。
裸などは見ていない。しかし、これはきっと、恐らく、多分、ラッキースケベなのだろう。せめてパンツを見たかったとは思ったが、それでも対価としては払い過ぎだ。
「クッ……ぐぉお……」
「いやぁ!!」
「あのさぁ……、ラキスケだからってこれは過剰防衛――」
顔を上げようとした瞬間、次に眉間にヒットしたのは布の生地。足。
「ありがとう……ございます……」
ドサッ、という擬音がピッタリだろう。俺はその場に倒れ込んだ。
あれぇ……。
目を覚ますと、そこには知らない……いや、さきほど見た天井がある。
横の気配に視線を向ける。その気配の主は、見知ったクラスメイトであった。ポニーテールがそれなりに似合う成神久遠、幼馴染だ。今は何故か制服ではなく、質素な綿布の服を着ている。
「あんたも飛ばされて来たのね」
「は?」
「だから、ここに。異世界に」
現代人がよく飛ばされる場所。それが異世界。
普通だったら信じられないが、学園の人間がその異世界に飛ばされた……飛ばされて来た、と言うのならば、あの状態も頷ける。
「あぁ、マジか。異世界ね。で、原因は? どうやったら帰れるの?」
「それが分からないってーの! もう2ヶ月もこの状態、嫌になるわよ! というか飲み込み早っ!」
俺が2ヶ月も気を失っていたとは思えない。きっと、飛ばされた場所、時間にバラつきがあるのだろう。
現代からは消えたが、まだここ飛ばされてない人もいるかもしれないし、既に老いて死んだ奴もいるのかもしれない。
早く妹を助けたいが、なんだか凄くややこしいなぁ。
「あんたも手伝いなさいよ、私の……その……見たんだからっ!!」
「見てないですけどねぇ……」
本の代わりに繰り出される、笑顔で殺意を込めた拳。
「ホント、痛いです……ありがとうございます……」
「は?」
汚い物でも見るかの様な冷たい視線。
「まぁいいわ、モンスター退治、手伝いなさい。」
成神は昨日、足をくじいた。現在も痛みが続いており、戦うことは不可能だとのことだ。そこへ丁度いいタイミングで俺が現れた、と。
「何をすればいいんですか、女王様」
「女王様じゃないけどね、とりあえずアンタに魔法をかける。いわゆるエンチャントね。ただし今回は武器ではなく肉体を強化するの」
ドーピングだよな。
「それって危なくないの……?」
「モンスター相手に練習したよ。発狂したけど。でもあんたは人間でしょ、強い意志を持ちなさい、きっと大丈夫。いけるわ」
無茶苦茶だなぁ。
だが、話を聞いてみると相当事態は切迫していた。迫り来るモンスターは多くは無いが、かなり凶悪な種族らしい。恐らくこのままだと、戦士でも魔法使いでもないこの村の人間は皆殺しにされる。
俺にとってはこの村の人間は全くの他人。正直なところ知った事ではないのだけれど、成神が2ヶ月間もの間お世話になったのだ。その恩は忘れてはいけない、そう思った。
「はぁ、分かりましたよ、女王様。やるよ、やってやりますよ」
「ありがとう、悪いわね。でも、次に女王様って言ったら殺すわ」
少しの高揚感と共に、俺と成神は村の広場へと向かった。
武者震いなのか恐怖なのか分からない、少しだけ震える俺たちを、村人は家々から見守ってくれていた。
面倒ではあるが、守るしかなさそうである。