第32話 ひ、非常識だぁあああ
白いローブの少女は、その姿を綺麗に映す程に波静かな水面に立ち、顔を曲げて不気味に微笑を浮かべる。それと同時に現われたのは複数の魔法陣であった。その一つ一つに凝集する遊離魔素が眩しく輝く。浮遊、攻撃準備、これを同時に何食わぬ顔で行なっているのだから、恐ろしいとしか言い様が無い。
しかもその浮遊魔法、水面が全く乱れていないのだ。って事は、あれは重力操作を。風の力を利用しているのなら、水面は波立つはずだ。そしてこの重力操作ってのは、浮遊系魔法の中でもかなりの高難易度を誇るモノである。
元々直感的に感じてはいたが、これにより彼女が並みの人間ではないという事が確認できた。もっとも、ここは異世界であり、元より彼女が並みの“人間”であるとは限らないのだが。例えば、魔族、とか。色々。
「あらぁ、どうしたの? こわぁい?」
などと、そいつはネットリボイスで問いかけてくる。それも、不気味な笑顔のまま。
怖い、凄く怖い。これを怖くないと言ったら絶対嘘になる。でも、漢ってのは、いつの時代もどこの世界でも、強がりたい生き物なのだ。そう、なんだけど、だけど……。
“高位魔法行使者なのでは?”。そう考えると身の毛がよだち、俺はライオンに睨まれたシカになってしまう。気を抜いたらオシッコ漏らしそう。正直に言ってあの声で罵られたい気はしなくもなかったが、とにかく怖かったし、ここは空気を読んでフツーに強がる事にした。
「はぁぁぁああん、コ、こきゅ……コワイ? なんだよそれ、美味ぇのか? ま、みゃ、まぁいいや。丁度、暇を持て余してたところだしな。さぁ、お嬢さん、一緒に遊ぼうか……グヘヘヘ」
「和人くん、そこでグヘヘはないわぁ……」
「ちょっとねぇ……」
呆れ顔でそう呟く、成神と塩見。
「舐められたものね、このアタシも。もっとも、その杖の持ち主じゃ……いいえ、それももう関係無いわね」
瞬き程度の凪、少女は遠くを見つめ、そう呟いた。いや、正確には、“そんな気がした”である。
その後、冷たい視線を俺に向ける。蔑む視線は好きだ、冷たい視線も好きだ。でも、これは嫌だ。温かみがまるで無い、絶対零度の視線。凍り付いていては意味は無いのだ。これは、“ありがたくない”。
「ぼくが行く」
「えぇ……大丈夫? 俺久しぶりにやる気出したのに……行く?」
「あの、あれ、デカイの、イライラする」
「あぁ、なるほどねぇ……よし! 行け!!」
「きょぬうぶっころがす」
そう言って一歩前へと踏み出した、雨飾千晴。温和な彼女がイライラしてる所なんて、久しぶりにみたような気がする。
魔装、着衣。周囲は光り輝き、綿のシンプルな普段着からヒラヒラで媚び媚びな魔法少女姿へ。そして、右手のバンデージが淡く光り、魔力を帯びて硬化する。それはまるで、燃えているように見えた。
「無法の悪党打ち砕け、正義の拳でフルボッコ!! 日々是精進!! 鉄拳の雨飾!!」
「そういうの止めろって先生に言われただろ、言ってる間にやられるからって!! しかも毎回忘れてて微妙に変わるだろ、口上! 向上心はないのか! 口上だけに!!」
身体強化魔法と低位重力操作系魔法を駆使し、軽々と、瞬時にその少女との間合いを詰める。瞬間、雨飾の右手は少女の左頬をとらえ、森へと追いやった。魔法で反作用を押さえ込み、飛ばされる少女を追いかけるように急加速。すぐさま追いつき、第二撃。第三撃。続けざまに、殴る、殴る、殴る。そしてまた、殴る。その度にローブの少女の描く軌道は変わり、鈍い打撃音が森に響き渡る。森ではなく、これは“腹に響く”と言った方が正しいのかもしれない。
戦いは森の中。視認する事はできないが、打撃音は続く。
一瞬の間の後、池に再びの水しぶき。爆弾でも落ちてきたのかと思う程の規模で、一部は俺たちにも襲い掛かる。
森より小走りで駆け戻る雨飾。彼女は少し息があがってはいるものの、汗一つかいていない。彼女にとってはあのような非常識な動きは余裕なのだろう。
普段している大食いは、きっと無駄なんかじゃない。そうだよな、食ってるのに胸に脂肪がつかないのだから、どこかで消費しているのだ。その“どこか”ってのが、今回はあの動きなのだろう。
本人は気にしてるらしいので、本当は胸の方にカロリーが行ってあげてほしいのだけど……。こう言ったらまた、塩見リコに“事件です”って言われてしまうなぁ。
なんだろ、雨飾の戦いぶりに不安が一切無かった。見る限りでは、圧倒的なのだ。だから少しだけ俺たちにも余裕がある。とは言っても、何かあったら加勢しなければならないが。とにかく今は、俺たちが出ても邪魔になるだけだ。
少女の着水点。その水中で花火が炸裂したかのような煌めき。直後、地面が僅かに振動をする。そして三度、水柱が……と、思ったが、それは間違いだった。その光った一点にみるみるうちに池の水が集まり、球体を成しつつある。少女の重力操作魔法だろう。その少女は球体の真下。そこでこの非常識な事態を起こしている。
雨飾は臨戦態勢のまま後退、数秒間様子を伺い、再び目標に直走る。ふわりと身体をひねらせ、その片脚で彼女の全力を少女に叩き込む。少女はよろめく。にも関わらず、詠唱を続ける。続けざまの攻撃を物ともせずに、ついに球体が極大を迎える。
正確な大きさは分からない。ただ、体育祭の大玉の数十倍の体積……、いや、大玉が比較対象では小さすぎる。なぜか? 非常識な程に馬鹿デカいからだ。
こんなもんぶちまけられたら、すっごく危ない。どうなるか分からないけど、すっごく危ない。
よし、逃げよう。
「あぁ、これはヤバイっす。雨飾、行くぞ、逃げるぞ! お前らも逃げろ、森に逃げろ!」
森に入れば、樹木や草が波消しブロックの代わりになるかもしれない。そうなってくれればこっちの物で、あれはただの流れるプールと成り果てる。ちょっと楽しそうでさえある。
「ウェーイ!」
「和人くんなんで楽しそうなのぉおお?」
「馬鹿なんでしょ、きっと、大馬鹿なのよ」
「でも私もちょっと楽しくなってきましたー」
必死に逃げる、俺、そして3人組。その後を、戦闘を離脱した雨飾が追ってきた。
「ごめん~、倒せなかったぁ……」
「はぁはぁ、気にするな。お前は良くやったよ」
「そういってくれると、ぼくうれしいよ。というか和人くんちょっと息あがってるぅ、お肉たくさんたべないとだめだよー、スタミナスタミナ。今日はお肉をたべよー」
「分かった分かった、今日は肉な。よくやったから、あそこで肉パーティーな!」
満面の笑みになる雨飾。彼女は本当に食べる事が大好きなのだ。それなのに栄養不足なのだ、主に胸――転んだ。余計な事を考えていたのが原因だろう。俺は、地表に露出した木の根に足を取られたのだ。
「俺を置いて先に行け!! ここは俺が引き付ける!」
“じゃあ後でね”と軽めに俺を置いてけぼりにし、4人組は走り去る。流石の俺も、精神攻撃には弱いのか、ちょっとだけ傷付いた。
地鳴りとも思える低い振動。激しい川音のようなものも聴こえてくる。放たれたのだ、あの球体が。




