第27話 アストっちゃう?
彼女はステッキに付着した汚れを丁寧に洗い、それから静かに眠りについた。それっきり目を覚ます様子も無く、熟睡に落ち込んで30分は経っただろうか。俺はそんな成神の横で、未だ寝ずにいる。俺が遠足を楽しみにして眠れないのではなく、本当の本当にただなんとなく、理由など無い。もしかしたら柄にも無く感傷に浸りたかったのかもしれないが、俺に限ってそれはないだろう。
あぁ、眠いような、眠くないような。
物音で成神を起こしてしまわぬよう、そろりと、足音を忍ばせ部屋を後にする。
月明かりに埃舞い立つ、蝶の羽音さえもノイズと化す、このこの静けさ。俺はこれをもの寂しく感じる。人が、音が、熱が無くなっただけで、どうしてこうもこの空間を寂しく感じてしまうのだろうか。しかし、これほどにものを考えるに相応しい空間も無いだろう。
まぁ、特に何か悩み事などがあるワケではなかったのだが。あるとすれば、“どうやって喉を潤そうか”だろう。
そうだ、あそこへ行こう。あそこといっても、デリケートなアソコじゃない。総合案内所併設酒場だ。酒場とは言っても、俺は酒が飲める年齢でも、そしてそのつもりも無いので、欲しているのは名物の果実酢ドリンクだけであるが。
もっとも、現代社会の法律が異世界にまで及ぶワケでもない。しかし、ここの法律もまた、俺たちが飲酒する事を許してはいないだろう。いや、分からんが。
窓口内で退屈そうに新聞を読む店主に、“ちょっと出掛けてきます”とつげ、俺は併設酒場へと向かった。店主の小さい“おうっ”という答えが何故か妙に気持ちが良かった。
街灯に薄く照らされた街。ところどころ民家から漏れる出る洋灯の薄橙も、またその街を彩っている。有機ELの街灯が煌々と照らす色の無い現代とは、まるで違う。これらの優しい色がちょっと幻想的にも思え、成神を連れてこなかった事を悔やむ。
時計で言えば午前0時をまわった所だろうか、夜を忘れた酒場ではいまだに宴が行なわれている。大きなグループで大型の依頼でもこなしたのだろうか、とも思ったが、店員に聞いてみると“毎日こんなもんさ”という言葉が返ってきた。
毎日同じ人が同じ時間まで飲んでるわけではないのだろうが、なんと言うか、“内臓大丈夫かなぁ”ってちょっとだけ心配なんかしてしまう。この世界にまともに手術が出来る医者がいればいいのだが。
腰掛けた席は、昼間と同じ。オーダーも、昼間と同じ。成神は、隣には居らず。たった人一人の熱が無いだけで、こんなにも寂しく感じるんだなぁ、って。客の喧騒も、昨日と同じなのに。
そうだ、今度は夜の街の風景、成神にも見せてやろう。その時は、泥のように眠る日じゃなければいいなぁ。
目の前に置かれたこの果実酢、口にし鼻腔を抜けるフルーティー。瓶に注いでもらってお持ち帰りしてあいつに飲ませてやろうかな、って考えた。それをカウンター内の少し離れた店員に伝えると、“おう、いいよ”と原液を売ってくれた。店員が言うには、水で薄めたものは長持ちしないからそのまま持っていけ、とのことである。確かに、水なら宿でも家でも手に入る。ここの水が特別というわけでもないので、再現は十分に可能だ。分量も教えてもらえた、これでいける。
「ありがとな、おっちゃん」
「おう、いいって事よ。あれだろ、お前のこれに飲ませたいんだろ~フゥゥゥウ」
小指を立てるおっちゃん。きっと、恋人だと言いたいのだろう。
「違うよ~、おっちゃん。クラスメイトだよ」
「くらすめいと……? なんでい、そりゃ。まいいや、分量は教えたとおりな」
「へーいい」
家……否、宿屋へと戻る。店主に少しだけ果実酢をご馳走し、部屋へと。ちなみに、店主は水ではなく度数の高い蒸留酒で、あのシロップを割っていた。
いや、構わないけどさぁ……、店番大丈夫? 酔っても介抱できないよ。
扉の前。そろりそろりと、細心の注意を払って扉を開ける。“よしよし起きてないな”と思ったのはコンマ数秒。視線をベッドへと持っていくと、成神が自らのベッドに正座をし、ジトーッとした目でこちらを睨んでいた。
あぁ、これはアストル・コリジョンの刑かなぁ……。砕かれるなぁ。
「ぐっ、成神……。アストる? アストっちゃう……? ここでやったらまずいよ、宿壊れ――」
「バッカ、今日は独りにするな」
「おう……、そ、そうだな。お土産買ってきた、果実酢原液。割ってやるからな、飲むか?」
「うん……のむ」
とりあえず、大災害回避。セーフである。よかった、修理費は払わないですむ。今請求されたらやばい、100ゴルドくらいかな、ズィルバーで言うと1,000,000くらい。大体100万円ほどにはなりそうで、想像しただけでも震える。何年ただ働きだというね、恐怖。もちろん、予想請求額の根拠はないけども、切がいい100万くらいは請求してくるような気がする。俺だったらそうする、例え実際の修理費が5~60万であっても。




