第1話 覚めた瞬間、遅刻を確信。
「この天井知ってる……!」
俺は自らのつぶらな瞳をゆっくりと開けたんだけど、目に入ってくる光景は見慣れている天井であった。
当然だ、ここは俺の家なのだから。
目をこすりつつ視線を窓へと移すと、そこから差し込む光の梯子が部屋に舞うホコリを舞台照明の如く照らしているのが見えた。
とても幻想的ではあったのだけれども、これは他人には見せられないだろう。だって、この部屋の雑然たる成りが成せる技であり、俺の怠惰の結晶であるから。一緒に住んでいる唯一の家族である妹に、以前この光景を誇らしげに見せてやったら、“おにいちゃんの部屋ホントホコリっぽい。なんか変なにおいがする。掃除しないさいよね”怒られた事を憶えている。
……すまぬ、臭くてすまぬ。
その梯子の勾配がすごく急なんだが、それってつまりは太陽がかなり高く上がっているって事なんだよね。そして昨日は日曜日だった。ってことは、導き出される答えは……。
うん、うん! これはこれは、なかなかの遅刻具合。濃密でスパイシーなこの遅刻は、前年度の遅刻を上回る逸材。通常はこれ、諦めるしかねぇ。生活指導をしている体育教師に殺されても文句は言えないから、テンションだだ下がりになるだろう。
だがしかし! 遅刻マスターソムリエの俺は、逆に今の状態を清々しいとさえ感じている。だってこれ、お昼も近いし遅刻とかそういうレベルじゃない。開き直る方が精神衛生上正しい。
でも、休む事だけは、許されない。遅刻マスターソムリエは遅刻のマスターソムリエであり、ズル休みのマスターソムリエではない。であるからして、清々しくも濃厚でスパイシーな遅刻を味わいつつ、今は焦らず急いで学校へ向かうべきなのだ。
俺の本気、見せてやる!
こういう時、あのゲームみたいな瞬間移動魔法が使えたら楽なんだろうな。確かその名前、ラールとか言ってたかな。唱えたら即時発動、次の瞬間には目的地。そんな便利な魔法だった。ただ、アレには一つ欠点があって、ダンジョン内で唱えても目的地へは移動出来ない。天井に頭をぶつけてしまうからね。
痛いだろうなぁ……、画面が揺れるくらいの勢いで頭ぶつけてたし。
そんなラールもモチロン悪くはないんだけど、俺はダンジョン内でも問題無く使用出来るテレポートの方がいいなぁ。シュンッ! って移動してみたい。
どちらにしろ、俺にとっては喉から手が出るほどに欲しいものである事には間違いは無い。安心して遅刻できるのですよ、瞬時に移動が出来るって事は。憧れます。
そうなんだけどねぇ、瞬間移動系の魔法は、かなり高位の魔術師にしか行使出来ない。だから、俺には無理。
そうさ、俺には徒歩がお似合いなんだ。お天気お姉さんに見送られ、朝練に出た妹が待つ学校へ向かうのだ。それが俺の身の丈。
ん!? お天気お姉さんに見送られ……!? おいおいおい、テレビの電源をオフにするのを忘れたぞ!
これは相当マズイ状況だと言える。これが妹にバレたらまた怒られてしまい、最悪の場合、夕飯を抜かれる。
こういう時、瞬間移動系魔法が使えたら楽でいいのにぃ!!
「あぁあぁん、もうううう、怒らるぅぅうう。それはそれでぇ~」
そう。国立魔法学園一年生の俺、桐生和人は、乙女のようなテヘペロドジっ子なのだ。でもヒロインじゃないので、食パンをくわえて曲がり角で主人公と額を勢いよくぶつける事もない。でも今日は、パンの代わりにあれをくわえてる。9秒チャージが謳い文句のエネルギー補充飲料。シトラス系の爽やかなグッドテイストなゼリー飲料だ。
ちなみに俺はチャージに20秒くらいかかる。20秒チャージマン・桐生和人。
「おい俺、休み扱いされるまで時間がねぇんだろ? でも安心しろ、俺が絶対間に合わせる……間に合わせてやるからよぉ!! お天気お姉さんのばかやろぉ!」
副腎からはコレでもかと言わんばかりに、アドレナリンが分泌されているのだろう。俺の周囲を流れる風景が、少しだけ遅く感じる。まるで何か魔法でも使ったかのようで、“本気だしたら20秒チャージしてる間にテレビの電源落としてからバス停に行けるんじゃね?”と俺のテンションをさらに押し上げた。
これが俺の移動系魔法じゃい!
そして訪れる、ド定番の曲がり角。ここは人通りがほとんど無い裏道ゆえに、俺はいつも減速せずに走り抜けている。だから今日も同じように――、そうそうエンジン音エンジン音。綺麗な音だよね、ぶろろろろってさぁ。
ん? エンジン音? 今日に限ってトラック……?
まぁ、死ぬわけにはいかないのでありまして。俺は極フツーに停止し、極フツーにトラックをやり過ごし、念の為に安全確認をしっかりして角を曲がった。
その際、美少女転校生がいないか周囲を見回したが人っ子一人いなかった。それによる若干のテンションの低下はあったが、それでも依然として平均よりも高い水準を維持している。
バスはさらにもう一本遅らせるはめになったが、元々遅刻ゆえに焦りはない。とりあえず、休み扱いされない時間までに登校すればいいのだから。
なので、校門までゆっくりと歩いてきた。しかし、様子がおかしかった。
校門は開けっ放し。それでいて、門番のの生活指導の教師さえ見当たらない。俺としては壁をよじ登って侵入する手間が省けたことで喜ばしいのだが、少し気味が悪かった。
テロリストでも侵入したのかなぁ。
見渡す限りはテロリストを確認できず。テロリストだったら、俺が雷光の如きスピードで捕縛してやるのになぁ。まぁ、実績は妄想の中だけですが……。
玄関を入ると、やはり静かな空間が広がっている。しかし、これは別段おかしな事でもない。今は授業中のはずなのだから。
ただ、余りにも静寂が過ぎる。空間中の動という概念がすっぽりと抜け落ちた、言うなればこれは音の闇。そんな不安になるほどの静けさだ。
もしかしたらと思い、俺はそのまま体育館へと向かう。何か集会でも行なわれているのであれば校舎に人がいない事にも説明が着くのだが、どうだろう、何か行なわれているだろうか。
淡い期待ってのは往々にして裏切られるもので、まぁ、見事に誰もいなかった。それに、気にかかることが一つ。集会が行なわれていないだけならまだいいんだけど、なんと、体育で使用したと思われるものが出しっぱなしだった。
うちの国立魔法学園の鬼・生徒指導の体育教師は、こういう事には特に厳しいはずだ。だから、使いっぱなしなんてありえない。
人が突然消えるなんて、あり得ないよな……。