第18話 この屋敷はヤバイ。
ゴブリンの果てた場所、いや、塩見との再開を果たした所からはどれほどの距離を歩いたというのだろう。足が棒になるほどではないにしろ、木の根這う山道に少しばかり疲れてしまった。
塩見リコたち3人の住処へ歩を進め、かき分けた草木は数を知れず。それと同時にその度に、増えたカバンの木の実も数知れず。
その量たるや実に大したもので、数えるよりも計った方が、その膨大さを正確に知る事が出来るであろうほどであった。
いや、計る事さえ意味は無いのかもしれない。とにかく多い。よって今心配すべきはその量ではなく、木の実の身の安全である。
多いということはそれだけで、彼ら自身の重みで潰し合う。その糖分を含んだ甘い汁がカバンの布地に吸われてしまっては、その時点でジャムの夢は霧散してしまうだろう。
きっと成神は悲しい顔をするに違わない。それは俺も同じで、それどころか涙さえ流しかねないだろう。今まで楽しんだ苦労は一体何のためだったのか、と。
キイチゴの喪失はみんなを不幸せにする。
せめて耐水性の非常に高い、ようするにビニール袋のような物があればその実を破壊されても再利用は可能だろう。むしろ潰す手間が省けるというものだ。
こうしている間にもキイチゴは増えていく。
……イタズラをするモンスターが出始めてから、この山に木の実や野草を採取しにくる人間が極端に減ったらしい。それ故に、今この山には相当数のお宝が眠っているのだろうな。
美味しいジャムが作れる。そう考えると、棒になりかけてた足が少しだけ軽くなった気がした。
成神も俺と同じなのか、足取りはスキップでもしているかのようだ。
それに気付いた塩見は、半笑いの顔で口走る。
「ずいぶんと上機嫌だねぇー、2人とも。こちらまで楽しくなっちゃうよ」
「そりゃまぁ、そうだよー。だってだって、こーんなにもキイチゴが沢山収穫出来たんだから。楽しくしない方がウソになっちゃうよ」
そう言いつつ、成神は得意げにその赤色や橙色の宝石を塩見に見せ付ける。
見せ付けられた当の本人は、その量の多さに驚きを隠せないでいた。
「すっごいわね、その量! 街のマーケットで買ったとしたら……、そうね、大体3000ズィルバーと言ったところかしら。結構高いのよ。この山のベリーは甘くて美味しいし、あのゴブリンのせいで流通量もすごく減っているからね。ん~!! そうだ! それを街のマーケットで販売してみない? 結構稼げると思うわよ。モンスター退治よりもね」
「え~、それはちょっと……、だめかなぁ。だってさ、これ、みんなで食べる為に採ってるの。甘くて美味しいジャムにもなるし、そのまま食べても美味しいし。あとは、和人がケーキを作ってくれるから……それが楽しみ」
「なるほどねぇ。加工すれば商品価値が高まって、3000ズィルバーの何倍にもなるわね。さすが、私の友達、なっちんだわ」
「え~、加工しても売らないけど……。ジャムもケーキもみんなで食べた方がいいよ。すごく楽しいし、かなり嬉しいし、いっぱい心がぽかぽかするはずだもん。絶対そっちの方が幸せだよ」
「よしっ、ここで補足情報を出しておきますか。さっき言った3000ズィルバーですが、それがあれば美味しいお肉が何キロも買えちゃうんですよ。お肉ですよ、お肉。それが食べ放題ですよ。はぁ~、最高、バーベキューでも出来たら最高だね! グヘヘへ」
ゲス顔塩見による補足情報。
――その瞬間、成神の脳内ではキイチゴスイーツと肉汁たっぷりバーベキューが天秤へとかけられた。
が、やはり現時点ですぐに食せる目の前のキイチゴの比重が大きかった。剣道の面打ちの如く、その天秤のうではキイチゴ側へと振り下ろされる。
その間、わずか6秒。
「クッ……今回は、肉は無しの方向で……いこうと思いますっ!!」
判断が遅いなぁ。この食いしん坊・成神久遠さんは優秀な軍師にはなれそうにない。
「そっかぁ。なんかゴメンね、悩んだよね、キイチゴ凄く美味しいもんね。しかたないね」
「うん、めちゃくちゃ美味しい。わたし、ストロベリーより好きかも!」
「あ、わかる~。酸味が無いのが物足りないけど、その分甘くて美味しいんだよねぇ……」
肉も美味しいんだよなぁ。
ここで俺が肉を食べたいと訴え出る事も出来たとは思うのだが、成神と塩見が余りにもキラキラキャッキャッと輝いて、乙女フィールドなんかを展開してしまうもんだから諦めるしかない。
キイチゴは上手い。それは確かだ。自らをそう納得させようと試みたものの、肉をガツガツ食べたいという欲求が払拭される事はない。
「あぁ~あ、これは独り言なんだけどぉ、木苺のソースを使った肉料理って絶品らしいなぁ~。フランス料理のジビエみたいな料理、あ~、肉があれば味わえるのになぁ」
「なっちん、あれは無視していいわ」
「う、うん。こ、これは独り言だけどぉ……お肉は今度でいいやぁ~今はお菓子の気分だよぉ」
……独り言で返すとはな、かわいいなヤツめ。
「アイニードミート。ミートニードミー」
「彼、たんぱく質が不足して錯乱状態になったのね、もはや意味が分からないわ……。かわいそうだけど、最初から錯乱状態みたいなものだし、肉を与える必要は無し。ま、これは独り言だけど」
「塩見、おほっ、ぉまえ、サラッと酷いこと言う! ちょっとゾクってしかけたけどさ。もっと言――」
次の瞬間に俺の丹田へとねじ込まれたのは、成神の拳であった。
「ドゥンヌッ! ヌッ……」
妙な叫び声と共に、俺は膝からガクンと崩れ落ちる。
「あぁ~これはキター、久しぶりだわ……ありがとうございます、いや、これダメだな、色んな物がでちゃうかも……出てない? 出てないよね? 出てたら回復魔法かけて、ねぇおねがい。おしりに一番効くヤツ。あ、キイチゴ落ちた、拾わないと」
「あっはっは、なっちんのフォーム完璧だわ」
「ふふーん、そうでしょう、そうでしょう。なれてますからね、このわたし」
キイチゴの時よりまぶしく、彼女はドヤったような気がした。
「あ、着いたわよ」
そんなこんなで、塩見のおウチが視界に入ってき――、それは“ウチ”と表現するには少々立派過ぎる屋敷である。恐らくは貴族が住んでいた屋敷なのだろう。ただ、その“屋敷”の上にもう一つ言葉を付け足した方が正確に彼女らの住処を表現できる。
その言葉とは、“お化け”であろう。
「え、塩見さん、これ、本当に3人で住んでるの?」
「そうよ。確かに広すぎるわね、3人じゃ」
「うん、そうなんだけど、そうじゃなくて、3人以外にも存在感の薄い人いない?」
「あはは、なに言ってるの和人。私たち3人だけよ。モンスターなんかあらわれないわよ」
そう笑って見せる。その言葉に嘘偽りは無さそうであるが、どう見ても呪われた没落貴族の屋敷にしか見えず、“これは出る”と確信を持っていえるほどに湿った空気が重苦しく纏わりつく気さえしてきた。
この屋敷はヤバイ。




