第10話 味噌か豆腐か、それが問題だ。
実に清々しい春の朝、俺は学園の地下で意識を喪失した。
なぜ、俺が意識を失ったのか? 原因は途轍もなく単純で、そして愚かだ。
……とりあえず扉を破壊しよう。
異常事態とはいえ、俺は高揚感に身を任せて人として有るまじき行為だった。普通は扉を破壊しようとなんて思わない。開けようと試みるかもしれないが、何も考えずに破壊なんてしようとするのは愚策でさえない。
そうなんだけれども、最近ではそれでも正解だったのかなぁと思っている。
ぶっ飛んだ意識の先に待ち構えていたのは、ロールプレイングゲームのようにモンスターが跳梁跋扈する世界。そんな世界に飛ばされてしまったら、ほとんどの場合は孤独に戦って生き抜かなければならない。けれど、同じくあの日に消えた幼馴染――成神久遠――と再開できて、現在、何とか日々を生きている。
1人には慣れているが、独りは堪える。それだけの事と言えばそれだけの事なのだが、それでも俺にとっては誰かと、特に幼馴染といっしょという事だけで十分に十二分に救われた。成神とそうして支えあって生活することにも、ある種、居場所を得たような気がして心地が良かった。
一見するとぬるま湯に浸かる、いや、溺れかけている生活に見えるかもしれない。
実際、溺れかけている。溺れかけてはいるけども、俺は妹や他のクラスメイトの安否に繋がる情報を常に求め続けている。
でもそれが無駄だとは考えていない、一切。情報を集めるためには地域に溶け込まなければならない。要するに、人付き合いは重要なのだ。
これがどうして意外と大変で、そして思ったよりもかなり楽しかった。
雑用やモンスター退治をし、その報酬として肉や野菜をいただく。まれに現金を貰ったりする。
因みに、通貨単位はゴルトとズィルバ。ゴルトは金貨、ズィルバは銀貨。10000ズィルバは1ゴルトで、物価から算出した貨幣価値はだいたい、1ゴルトが1万円といった所だろう。
その生活の中で交流を深め雑談から情報を抽出する。それを繰り返していたが、村では思ったよりも情報は得られなかった。
俺の村生活はおおよそ1ヶ月になるが、成神は俺より少しだけ長く、おおよそ3ヶ月といったところになる。魔法学校の全ての人間が同じ日に姿を消したのだけれど、俺と成神には約2ヶ月の時間差があるのだ。つまりそれは、同時間軸上に飛ばされるとは限らず、未だに時空を彷徨っている人間がいるという可能性が非常に高いということ。だからまだ飛ばされて来ていない人間の情報なんてそもそも存在しないし、仮にこの異世界の太古の昔に飛ばされた人間の情報も手に入れる事は困難だ。神話級の伝説でも残していれば、話は別だが。
しかし、まだ飛ばされてきていないのなら、出会える可能性も十分にある。それが何年先になるかは分からない。過去に戻ることは不可能だが、未来に進む……いや、待つことなら俺にも出来る。
ということで、今日もしっかりと確実に待つために、成神とふたりで村からほど近い街に来ている。当然買出しも兼ねてはいるが、主な目的はもちろん、情報の収集だ。そういう目的があるのならば行くべき所は当然、冒険者がもっともよく集まっている街の総合案内所ということになるだろう。
街の中心部に近いそこには掲示板が設置されている。張り出されている内容は、主に依頼、いわゆるクエストといわれているもので、冒険者はそのクエストをこなし、金銭を得て生活している。なので、ここには自然と多くの冒険者が集まるのだ。
クエストの他にも、仲間やギルドの募集広告、そして探し人、尋ね人の貼り紙などもあったりする。そこで今回は、その探し人の紙を貼りに来た。特定個人の情報は記載せず、あくまで曖昧にすることにより幅広く情報をかき集められるよう工夫した。例えば、見慣れない怪しい奴はいないか、などと。
作成した紙を手数料と共に受付に渡し、許可印を押してもらい、掲示板に自ら貼り付ける。
……とりあえず、今日すべき事は終了。
掲示板を眺める俺たちの後ろ、併設された酒場では、飲めや歌えの宴会が開かれていた。
アコーディオンの様な楽器を鳴らし、今まさに行なわれているのはどんちゃん騒ぎ。それは物凄く騒がしくて落ち着かないのだけど、こうやって人が集まって楽しそうにしている姿を見るのは嫌いではなかった。
改めて考えてみると、ここは異世界なのだな、と思わされる。皮製のアーマーやチェインメイルを着けて帯刀した人間が酒を酌み交わしている。異常なのが異世界の日常だ。
それも、まぁ、楽しくはあるのだけど。
「あぁ、手配書かぁ!? 兄ちゃんもよう、ウィィ、見慣れない顔だよなぁ!」
話しかけてきたのは顔見知りだが、これはくだらない酒浸りの酔いどれジョークだ。
「冗談はよしてくれよ、おっちゃん」
「はははっ、すまねぇすまねぇ! 今日は、にいちゃんはのまねぇのか?」
お酒の事だろう。今日は、というか、一度も飲んだ事はない。
……本当は付き合いで飲んだ方がいいんだろうなぁ。
未成年はお酒なんて飲んではいけないのだと丁重にお断りをすると、なんだよという顔をされてしまった。この異世界で未成年の飲酒が禁止されているかどうかは分からないが、おっちゃんは一応聞き入れてはくれた。
俺は少しの空腹感を覚えた。腹の虫が鳴る程ではないにしろ、村からは徒歩だったため小腹くらいは空く。バスでもあれば良かったのだけれど。
この酒場では、酒の肴として、結構いろんな種類の料理が出されていた。周りのテーブルには、どれも美味しそうな料理が並んでいた。
ただ見た限り、白米は無い。
この国では主に芋と小麦が栽培され主食とされている。どちらも嫌いではないのが不幸中の幸いだと言えるが、やはり白米はあって欲しかった。
「お米なんてないですかね?」
冗談交じりに酒場の店員に尋ねると、「なんだそれは!?」という答えが返って来た。どうやらこの世界には白米は存在していないらしい。
どうしてもそれが食べたい、というわけではない。がしかし、ツヤツヤの白米を具沢山の味噌汁でいただくという何気ない幸せを忘れられないでいる。
成神もそれを感じた事があるらしく、味噌の代用品などを探したが見付からなかったと話していた。
食べ物があるだけで幸せだ、そう自分に言い聞かせた。
愛想がいい店員に、メニューにあった鳥と思われる肉の串焼きと、この世界で育てられた麦で作られた麺類をオーダーした。
他の冒険者が頼んだものを観察していると、どうやら麺類はラーメンみたいなものであった。何故か、チャーシューらしきモノまで乗っている。
美味そう。
成神はそのラーメンのようなものとは別に、魚の蒸し物を頼んだ。
成神に尋ねると、どうやら酒蒸しみたいなものらしい。アルコールは調理時に飛ぶため、俺たちでも問題無く食べられる。なぜ彼女がそれを知っていたかというと、たまに街に来てはお礼としてもらう現金を貯めてここで食事をしていたらしい。
一般的には、自分へのご褒美なのだろう。実に女の子らしいといえる。
出来ればスイーツなんかが食べたいのだろうけど、流石にそれはここには無いみたいだ。
そうだ。タマゴや砂糖、牛乳が手に入ったら、小麦粉を利用して何か作ってやろうと思う。イースト菌を利用する通常のパンの他にソーダブレッドの類もあるようだから、その重曹を利用してきっとショートケーキくらいなら作ってやれる。
スイーツに目の無い俺は気恥ずかしさからそれを買いにはいけず、自分でケーキなんかを作ったりしていた。もちろん、このことは誰にも言った事はない。
出来れば携帯端末でレシピを確認したいが、ショートケーキくらいならなんとかなる。ただ、イチゴは無い。作れるのはイチゴ無しショートケーキだけだ。
成神は美味しそうにうどんをワイルドにすすっている。俺の視線に気付くと、どこかのお嬢様かよと突っ込みたくなくくらいにお上品に食べだした。
「いや、普通に食ってろよ。自然体のお前がいいと思うぞ」
「ゲホッ」
成神が咽る。そして俺を睨む、紅潮した顔で。
何をそんなに赤くなるまで怒っているのだろうか。誰だって自然体が一番なのだから、それを言っただけなのに。
「まったく、もう……」
と、小さく彼女は呟いた。表情は前髪で遮られ、うかがい知る事は出来なかった。
食事を終え、総合案内所を後にする。
食事中に得られた情報は二つ。
一。この世界には警察という物は無い。その代わりに国が総合案内所で自警団を組織させ、治安を維持している。
二。冒険者はギルドに所属する事が出来、所属するギルドごとに強化出来るスキルは違ってくる。剣士ギルドなら剣術スキルを、錬金術師ギルドなら化学スキルを、魔術師なら当然魔法スキルを、といった具合に。
三。ここの隣国に魔王と呼ばれる存在がいるらしく、国境周辺で散発的に小規模な衝突が発生しているらしい。モンスターが村を襲ったのも、それではないのかとのことであった。
隣国に飛ばされたクラスメイトもいるかもしれない。しかし、相手が魔王となると、今のままでは返り討ちにされる事は必死。となれば、俺もギルドに所属して鍛錬しないといけないだろう。
「頑張らないとな!」
と、自らに言い聞かせるように叫んだ。
「うん、そうだね。まずは大豆の類を手に入れて、土壌を改良して……」
「うーん……! 味噌かな!? それとも豆腐かな!?」




