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ニャンコとワンコ  作者: とてとて
第1幕 幽冥ノ詩
7/60

=ΦωΦ= 変態と変人は相容れない

「うーわ、これもう降りたい」


 現場のひとつに着くなりハインは嘆いた。

 薄汚れた灰色の壁に手を突き、感じた面倒くささを隠そうともせずに溜息として吐き出す。この場にはハインの他には姐さんしかいないので隠す必要など元々なかったが。

 最初の通り魔被害が報告されたのは、街を覆う壁にほど近い東の一角だった。普段から人通りの少ないというか人などまったく来ないというそこを偶々通りかかった旅人が、最初の被害者だったそうだ。観光で訪れた街を散策中に起きた悲劇は、街の外には漏らされることなくお偉方によって秘匿されたという話だ。

 ろくすっぽ事件の調査もしないままに放置された通り魔はその後、街の住人も旅人も構わず無差別に襲い被害を拡大させている。

 被害者の数は10を超えた。

 にもかかわらず上はまともな対策もしないのだという。

 典型的な腐ったお偉いさんといったところか。

 キナ臭さしか感じられない事件に巻き込まれかけている。今ならまだギリギリ逃げ出すことは可能だろう。


 姐さんが鳴いてハインを呼ぶ。

 近寄らないようにしていた場所で、姐さんはハインが来るのを催促するようにもうひと鳴きした。

 通常ならば飛んで駆け寄るハインだったが、何度姐さんが呼んでもそれ以上そちらに近寄ろうとはしない。姐さんの鳴き声が聞こえていないとばかりに横を向いて、ぶつぶつと愚痴を吐き出すことを優先させた。

 それも無理のない話と言えなくもない。

 姐さんがいる場所、そここそが発現者が能力(ちから)を使用した場所に他ならなかったからだ。

(黒い残滓とか、マジやめてくれよ)

 内心で呻く。

 発現者だからこそわかる能力の残滓。中でも黒く見える残滓ほどたちの悪いものはない。


 そもそも発現者とは、形を持たないただの思想や概念でしかない“正義”を能力として用いることができる者のことを指す。発現した“正義”に統一性はなく、発現者の持つ“正義”が確かな質量と力を持つ。

 たとえばマーシャだ。彼女の“正義”はワンコだった。いや、正確に言うと違うらしいのだが、ハインの知る限りではワンコだ。

 発現者の能力の強さに老若男女の別はない。単純な強さは、発現者が持つ“正義”をどれだけ信じられるかに左右される。想いの強さこそが発現者の強さだと言われるのもこれに由来した。

 だからマーシャなんかは割と強い部類に入る。彼女のワンコにかける情熱は、ハインからしてみてもなかなか恐れ入るものがあったからだ。ワンコを愛し、ワンコに愛され、そしてワンコになりたいと本気で願っている。ニャンコ奴隷のハインが軽く引くくらい、ワンコになりたいと語るときのマーシャはノンストップだった。

(あいつのは驚くくらい真っ白だよな)

 発現者が能力を使うと稀にではあるが残滓が残る。発現者の意思とは無関係に規則性なくだ。

 能力を使用した痕跡として残滓を視ることが発現者にはできるのだが、この残滓だけで発現者の“正義”の本質が透けて見える。

 マーシャの残滓などは軽く感動できるくらいに真っ白だ。一分の歪みのないまっすぐな“正義”を発現しているのだと一目でわかる。本人を知らない人間でも、あの残滓を視ただけで良い印象を持つことだろう。

 反対にこの残滓だ。

 黒々とした色を持つ残滓などめったに見られるものではないが、一部のまっすぐさのない歪みだらけの“正義”を発現しているのだと、わかりたくもないのにわかってしまう。まず間違いなく忌避される類の残滓だ。

 灰色がかった残滓などはそう珍しくもない。現にハインの残す残滓はやや灰色がかっている。

 黒というのはそれだけで異常の表れだった。


「冗談抜きでSクラスなんじゃねぇだろうな」

 呻く。

 それこそ冗談ではない。

 犯罪史上に間違いなく残るだろうと言われているSクラスの犯罪者相手に、ただの旅人でしかないハインが敵うはずがない。自慢ではないが、腕っぷしにはそれほど自信はなかった。いくら発現者であったとしても、限界がある。

 黒い残滓の発現者――有名どころで言えば炎人(えんじん)リュートだ。彼の犯行現場だった場所を視たことがあるが、残された残滓のどす黒さに思わず吐き気を催したのを覚えている。人はあそこまで黒い感情を内包したまま生きていけるのかと疑ったほどだ。

 あの体験があったからこそ、ハインは黒い残滓を残すような発現者には何があってもかかわらないようにしようと心に決めたのだ。

 その決意を無視してまで付き合ってやる義理は、あの雌豚にはもちろんこの街にはない。

「こりゃ早いとこ街を出たほうが良さそうだな」

 乗り気のマーシャをどう説得するか、そこだけがハインの悩みの種だ。


 そういえば、朝起きたらマーシャが書置きを残していなくなっていたのを思い出す。犯人のお兄さんのところに遊びに行ってくる、とそれだけ書かれた紙は即座にくしゃくしゃに丸めて捨てたような覚えがある。寝起きだったのであまり覚えていないが。

 今までもちょくちょくと勝手にいなくなっていたので心配はしていないが、また妙なことをしていたらどう折檻してやろうか。


 早く来いとばかりに鳴いていた姐さんが諦めて足元にやってくる。見上げてくる顔は不満そうだった。

 苦い顔をしてしゃがみこむ。

「勘弁してください」

 こればっかりは姐さんの命令でも聞けなかった。

 黒い残滓が最悪な理由のひとつ、触れた者にまで感染するということだ。残滓を残した発現者の感情や思想に引きずられる。継続して影響を与えるわけではないが、その日一日は体調不良に苦しむことになるだろう。

 離れたここから視ているだけでも若干の影響が出てきそうだというのに、これ以上近づいたら本格的にやばくなりそうだ。


「……ちっ」

 舌打ちをして顔を上げる。

 肩の上に乗ってきた姐さんが注意を促すように一声鳴いた。


「おや、邪魔をしてしまったかな」


 建物の陰からぬっと誰かが姿を現す。

「こんにちは」

 姿を現したそいつは、穏やかな微笑を浮かべてそんな呑気な挨拶をしてくる。警戒するハインに気付いているのかいないのか、上質そうな絹のストールを風にそよがせ優雅な動作で一礼をくれた。

 軽く目を瞠る。

 そいつは修道服に身を包んでいた。

 見慣れていないわけではない。どこにでもいる一般的な修道服を着た、どこにでもいる普通の中年だ。眼鏡の奥で笑みの形に弧を描く黄色の瞳には知性的な色が乗っていた。

「……誰だ?」

「君と同じ、だよ」

 ネイビーブルーの髪を揺らし言ってくるそいつを、ハインは鼻で笑った。

 穏やかな口調と物腰とは裏腹に、身にまとう空気は一般人のそれとは異なる。

「同じ? お前もあの雌豚に雇われたとか言うんじゃねぇだろうな?」

「まさか。僕と僕の可愛い子どもたちの正義は他人の意思に左右されない」

「ふ~ん?」

 警戒は解かないながらも、その発言で目の前のそいつがどういう奴なのかはわかった。

 この街に根差しているのか、それともハインと同じ旅の者か、どちらかは知らないが、この街の事件を知って首を突っ込んできた第三者なのだろう。そいつの他にも人がいることを示唆していたことから、恐らくはなんらかの組織に所属する者と見て間違いない。修道服を着ていることと発言内容から想像するに、修道士と孤児たちによる組織だろうか。

 なんにしろハインには興味のないことだ。

 ただ都合が良い。


「なら良かった。俺はこの仕事、パスしようと思ってたんだ。お前が調べてくれんだったら気兼ねなく断われそうだ」

 肩をすくめて軽く言えば、そいつは意外そうに細い眉を跳ね上げた。

「それで君の正義は果たされると?」

「おいおい、この俺が正義のためにこの事件に絡もうとしてるように見えんのか? 悪いが俺はそんなできた人間じゃねぇんだ」

「発現者なのに?」

「それがなんの関係がある?」

 意図せず眼光は鋭さを増していた。

 そいつの気配を感じてからは発現者と知れる言動はしていなかったはずだ。気配を感じるずっと前から潜んでいたのでもない限り。

「そういうてめぇも発現者なのか?」

「ええ」

 少しの躊躇もなくそいつは首肯する。警戒心はうかがえなかった。

 目に見えて眉間にしわが寄っていくのが自分でもわかる。

 やけにあっさりと肯定したものだ。よっぽど自分の能力に自信があるのか、それとも底抜けの阿呆なのか。知性の色がうかがえる眼を見る限りでは後者はないだろう。


 舌打ちしたい気持ちを抑えてハインは耳の裏をかいた。

 この手の人間とは関わり合いにならないほうがいい。それは長年の経験からくるハインの勘だった。

「調べたきゃ勝手に調べろよ。俺には関係ねぇ」

 ひょいと肩をすくめて踵を返す。

 が、足はいくらも進まぬうちに止まることになった。


 今度は我慢せずに舌打ちする。肩に乗っていた姐さんが飛び降りた。

「集団リンチでもしにきたのかてめぇら」

 うんざりした気持ちをそのままぶつけるようにしてそいつを振り返る。

 向かおうとしていた道の先には別の男がいた。ハインよりはいくらか若い男だ。体格はハインよりもいい。反対側の道も念のため確認してみれば、そちらにも人がいた。こちらは女だ。どちらも気配は感じられなかった。

 この分ならば他にも潜んでいそうだ。

「ああ、ダメだよ僕の可愛い子どもたち」

 ぞくっと背筋が凍りついた。

 先ほどは普通に聞き流せたその呼称。その対象が道を塞いでいる彼らのことを指しているのだとしたら、寒いとかいう話ではない。若いと言ってもどちらも20代以上だ。子どもという呼称にはあまりにも相応しくない。しかも『僕の』とか言っちゃう辺り、もしかしなくてもちょっと危ない人なのではないだろうか。

「ひとつ訊いてもいいかな」

「あん?」

 眼鏡の奥で目が細められる。鋭くはないのに、こちらを見透かそうとする光を隠す様子はない。

 警戒するようにハインは構えた。


「――……君はどこまで逃げ続けるつもり?」


 息が止まった。

 足が半歩後ろに逃げる。

(なんだ、……こいつ。なんで知って――)

 足元から声。姐さんの鳴き声。

 ハインは寸でのところで能力を発現しそうになるのを堪えることができた。姐さんのおかげで。正直危なかった。後もう一歩、姐さんが鳴くのが遅かったら、まず間違いなくそいつの子どもたちとやらとの戦闘に突入していただろう。

 ぞっとしない。

 こんなところで売られたつまらないケンカを買ってつまらないことになったのでは敵わない。

 苦々しく表情を歪めてそいつを睨む。

「なんのことだ?」

 安い挑発には乗らずに不機嫌そうに返す。

 逃げる云々という話は誰にでも何かしら思い当たる節があるものだ。根拠のないカマかけだったのだろう――そう思うことにする。

「……どうやら勘違いだったようだね」

 そいつはにこりと微笑んだ。わざとらしく。

 何をどう勘違いしての発言だったのやら。


 そいつはハインの物言いたげな眼差しを気にせず、ふと空を見上げるなり緩く両腕を広げてみせた。

「さぁ、僕の可愛い子どもたち。この街で何を思い、何をする? 僕に見せておくれ」

 引いた。

 物理的にも精神的にも。

 ――え、なに。突然何言い出してるのこいつ。キモ。すごいキモイ。

 人目を憚らない意味不明なパフォーマンスに戸惑うハインを置き去りに、そいつは満足げに微笑んだ。

 本当に真面目に意味がわからない。目の前のハインがこんなにもわかりやすく引いているのに、いったいどこに満足できる要素があったのだろうか。それともそいつにとってそのパフォーマンスは時候の挨拶と同じ意味でも持っているのだろうか。

 どのみち気持ち悪い行動であることに変わりはない。

 こんな変人の発言に少しでも動揺してしまった先ほどの自分を殴りたい。


「ところでね」

 また引く。

 いや、別におかしな発言ではなかったが。

「君はこの街の名前を知っている?」

「あ? 名前?」

 また唐突な問いだった。

 というか先ほどのパフォーマンスに関するコメント一切なしで、別の話題にシフトチェンジするその神経が理解できない。

 単刀直入に言えば、怖いこの変人。

「慾望の街カーズナイト」

 勝手に話を進められた。

 街の名前なんかには一切の興味もないのだが、そう言ったとしてもそいつには通じないような気がした。

 助けを求めるように道を塞ぐ男に目を向ける。そいつの可愛い子どもたちとやらならば、そいつの対処法を知っているだろうと思ったから。変人に絡まれたときには恥も外聞も捨て去らなくてはならない。

 が、男は無情にも首を横に振った。どこか悟りを開いたような、そんな顔をしていた。こいつも被害者なのか。

「そもそもなぜこの街が慾望の街と呼ばれているかだけどね」

「聞いてねぇから」

「それはこの街の成り立ちに大きく関係しているんだよ」

 まさかの無視。

 よろめくようにしてハインは後退った。


 経験上、話の通じない手合いに対する処置は、ある程度ならば心得ている自信がハインにはあった。姐さんに出会いニャンダー教の布教に乗り出す前までは、そういった手合いだけに限らず厄介な連中との付き合いがあったからだ。

 なのにどうだろう。この外部からの音声一切シャットダウンっぷりは。

 話が通じない相手でももう少しこちらの話を聞いてくれた。その上でこちらの話を無視して語りだすわけだが、なんらこちらにアクションを起こさずに話を継続させるなんてことはなかった。

「この街は“正義”に根差していない」

「聞いてねぇよ」

「根底にあるのは“慾望”なんだ」

「もう勘弁してくれ」

「本来ならあり得ないことだけど、それを可能にしているのがこの街の特性なんだよ」

「あーあー聞こえないー」

 耳を塞いで声を上げるも、そいつの口は閉じる機能を失ってしまったらしい。何が楽しいのか、つらつらと訳のわからないことを垂れ流している。

 妙なのに捕まった。

 せめて精神的ストレスを和らげようと姐さんに視線を落とす。どんなときでも姐さんは麗しい。


「――そこで、『彼』の影を踏んでね」

「……――『彼』?」


 知らず反駁した単語で、そいつの無駄な口上は止まった。

 視線を感じて顔を上げる。

 そういうことか、と今さら悟ったところで遅かった。そいつの穏やかに見せた微笑が、ハインの発言を待ち構えていたことを物語る。

 ただの変人ではなかった。

 苦々しくもハインはそれを噛み締めた。


「つまり、お前らの狙いは通り魔じゃないってことか?」

 せめて()(せん)。そいつが口を開く前に問いを舌に乗せる。

「そういうことになるね」

「ただの通り魔じゃねぇってことだな?」

「そうだね。ただの通り魔事件というだけでは終わらないだろうね」

「……なるほど。よくわかった」

「なにが?」

「お前、旅団だろ?」

 眼鏡の奥の目が細められる。笑みを濃くしたのか、ハインの真意を見通そうとしているのか。

 意識してハインは眉間に力を込めた。

 攻め手を変えたのは凶と出るか吉と出るか。


「意外と物知りなんだね」

「意外は余計だボケ」

「ふふ、そう。僕らは“正義”の旅団アーグルトン。ここへは『彼』を追ってきた」

 隠す気はないらしい。

 くるりと踵を返し、どこか聴衆を意識した動作で両腕を広げてみせるそいつ。先ほどのパフォーマンスと同じだ。

 違うとすれば、その演説内容の意味不明さだろう。

「僕に聞かせておくれ、幻想の詩を」

 前言撤回。絶好調に意味不明だった。

「お前はいったいなにを言ってるんだ」

 思わず口を突いて出た言葉は、大方の予想通り軽やかにスルーされた。


 頭が痛い。

 ハインもたいがいな性格をしている自覚はあるが、ここまではぶっ飛んでいない。はずだ。絶対。たぶん。

 かぶりを振り、男に塞がれている道へと足を進める。邪魔をされたとしても、延々そいつの意味不明な言動に付き合うよりは疲れなさそうだ。

「また会おう」

「絶対ぇやだ」

 背中を追う呼びかけに脊椎反射で拒絶を返す。

 そいつはなぜか楽しそうに笑った。

「ああ、そうそう。可愛らしい子犬が一匹、藪に首を突っ込んでしまったようだよ」

「あ?」

 立ち止まり振り返る。

 そいつはハインの視線を受けて、柔らかく微笑んだ。どうにも演技かかったような鼻につく動作で。


「好奇心に殺されるのは何も猫だけではない。この滑稽な舞台に立ってしまったら、簡単に降りることはできないんだよ、ハイン・リヒティ」


 最初に姐さんが、次いでハインが男に塞がれていた道を駆け抜けた。

 口の奥で歯が軋る。

「さぁ奏でよう。幽冥の詩を」

 最後に聞こえてきたそいつの言葉は、最後まで意味不明だった。


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