Uo・ェ・oU 幽霊相手に探偵ごっこ
ワンコ視点回
「わかったっす!」
腹這いになっていたベッドから起き上がり、部屋どころか部屋の外にまで響き渡る大音量で喜色の声を上げる。なぜかマーシャのベッドで丸くなっていたニャンコが、うっとうしそうに目を開けてすぐにまた寝の体勢に入った。
むぅ、と不満げに唇が尖る。
ワンコ派のマーシャのベッドを不法に占拠するニャンコの図々しさには、毎回呆れるばかりだ。お兄さんに抗議しても一向に改善されないため、最近ではマーシャも諦め気味である。
それはともかくとして、気分を切り替えてマーシャは顔をにんまりと歪めた。
マーシャの手の中には一枚の紙切れ。一番目立つ部分には大きく『狂王子』とプリントされている。街に入って最初に出会った犯人のお兄さんにもらったビラである。
犯人があのお兄さんだとわかっているのに事件が起きていなかった。お兄さんにはどうやら事件がすでに起きていたとわかったらしく、そのヒントがこのビラにあるとだけ教えてくれた。どうせなら事件そのものをズバリ教えてもらいたかったが、基本的に意地悪なお兄さんに求めても徒労に終わるだけだ。
この部屋を自警団のお姉さんにもらってからずっと――もちろん夜は寝たが――睨めっこしていたマーシャであったが、ここにきてようやくわかった。
さっそくお兄さんに褒めてもらおうと部屋を見渡す。
「あう」
お兄さんはいた。部屋の隅っこに。丸くなって。
どうやらまだ起きていないらしい。
ちなみに、自警団のお姉さんはマーシャとお兄さんのふたりに一部屋ずつ用意してくれようとしていた――自警団でアパートを借り上げているものの、住んでいる人は少ないから部屋は余っているらしい――のだが、マーシャとお兄さんが揃って一部屋でいいと断ったため同室である。
マーシャがまだ未成年のためひとりにさせて問題が起きたら面倒だし、ニャンコ一筋のお兄さんがマーシャに対して変な気を起こすことなど天地がひっくり返ってもあり得ない、というのがお兄さんの主張だ。マーシャもひとりは寂しいのでお兄さんの主張に全面的に同意しておいた。
おかげでベッドがひとつしかない部屋で、お兄さんの寝る場所は床である。
ニャンコをベッドで寝かせられるのならば、自分自身がどこで寝ようが気にしないのがお兄さんだ。さすがどこに出しても恥ずかしいニャンコ奴隷。
その髪の先で枝分かれした先の先までニャンコ愛でできているお兄さんが羨ましくもある。
マーシャも早くお父さまを見つけて、死滅した毛根に至るまでお父さま愛で過ごしたい。そして一緒にワンコを愛でて暮らしたい。
それはともかくとして、お兄さんが寝ているのならばマーシャができることは何もない。
「せっかくマーシャわかったのに」
再びベッドに腹這いになってビラを見下ろす。
プリントされた内容は、何度も読み返したため改めて読み返す必要もなく頭に入っている。役者名だけは覚えられなかったが、演目内容だけならば完璧に説明できる自信があった。
そのタイトルからわかるように、狂王子と呼ばれる王子様がなんかすごいことしてすごいことになるらしい。
――うん、本当はなんにもわかっていない。
パタパタと足をばたつかせる。退屈だった。
「そうだ!」
勢いよく体を起こす。また迷惑そうにニャンコにいちべつされたが、そんなことを気にするマーシャではない。お兄さんが起きていたら激しく文句を言われただろうが、残念ながらお兄さんの意識は未だに夢の中だ。
「マーシャだけで犯人のお兄さんを追い詰めればいいんす!」
まさに名案だった。
これならマーシャがやりたかった、犯人はお兄さんっす、を誰に邪魔されることなく堂々と言うことができる。
思い立ったら即実行がマーシャの信条だ。ベッドから降りていそいそと身支度を整えると、お兄さんに書置きを残してアパートから飛び出していった。
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開きっぱなしになっていた口を閉じる。
初めて見た劇場はマーシャの予想を大きく上回り、思わず圧倒されるほどのでかさを誇っていた。今はやっていないのか、入口から覗いても照明は灯されておらず暗い。閑散といった空気を醸し出す劇場は、どこか寂れて見えて無駄な不安感をマーシャに与えてきた。
ぶるりと武者震い。
お気楽思考のマーシャと言えども、まったく怖がらないというわけでもないのだ。
「犯人のお兄さんは中にいるっすかね?」
だからと言ってそこで引き返さないのがマーシャだ。
手にしていたビラを改めて見下ろし、うんとうなずく。
何度注意深く読み返しても、ビラに書かれた情報は変わることがない。
公演日が五年前。
マーシャが実家を飛び出す前に既に終了している演目である。こんな過去の演目のビラを配るなんて犯人のお兄さんは相当悪い犯人だ。文句を言ったところで反論はできまい。
「悪い犯人のお兄さんは強制的にわんわんワンダーランドの一員にしてやるっす」
鼻息荒く今後の方針を決定する。
お兄さんがいたらニャンダー教の教徒にするとかなんとか言って邪魔をしてきただろう。そう思うと、やはりお兄さんの起床を待たずに飛び出してきたのは正解だったようだ。
さすがマーシャ。自画自賛。
にんまりする口元を引き締めて、マーシャは劇場の中へと足を進めた。
外から見た通り、劇場の中は薄暗い。朝が早いとは言え、それにしても暗すぎる。
「犯人のお兄さーん」
呼びかけてみる。返事はしんとした静寂だった。
ぬぅと顎にしわを寄せる。
受付らしい場所で足を止め、誰かいないかときょろきょろと辺りを見渡す。受付までは入り込むのはセーフだが、その奥に行くにはさすがに気が引ける。下手をしたら不法侵入とかそういうのの罪で訴えられるかもしれない。
「犯人のお兄さーん」
もう一度呼びかける。返事はない。
ますます困ったようにマーシャは眉をハの字に垂らした。
いつでも見学に来ていいと言ったくせに不在とはどういうことだろうか。これもまた犯人のお兄さんが起こした事件のひとつなのだろうか。だとしたら罪状をもう一個増やさなくてはならない。
「マーシャ、何回も犯人のお兄さんに犯人はお兄さんだって言わなきゃいけないっす」
ずれた心配事をするマーシャであった。
が、そこでふと名案が思い浮かぶ。
こうなったら不法侵入も犯人のお兄さんのせいにすればいいのではないか。いっぱい罪状を持つ犯人のお兄さんなら、もうひとつくらい罪が増えたところで変わらないはずだ。
さすがマーシャ。再びの自画自賛。
そうと決まったら迷わないのがマーシャの長所であり短所だ。
受付を越え、舞台に続くであろう扉に駆け寄っていった。
「おお! なんか豪華そうっす」
重厚な扉は音漏れ防止でもあるのだろう。見た目の重厚さから豪華そうという発想が生まれる辺り、マーシャの想像力の貧困さがうかがえる。
ペタペタと扉を触りまくってその豪華さを堪能する。掃除はよく行き届いているため、いくら触れても手が汚れることはなかった。さすが大きな劇場は細部へのこだわりを徹底しているようだ。
一通り触れて満足すると、マーシャはそっと扉の片方を押し開けた。
見た目通り重厚な扉は14歳の腕力には厳しかったものの、それでもなんとか押し開けることに成功した。
「ふわあぁぁぁぁ!」
扉の奥には舞台があった。客席があった。
頭の中のイメージよりもずっと豪華だ。感動を覚えるほどに。
ぽてぽてと中に入り込み、きょろきょろと見渡す。
いったい何席あるのだろうか。両手ではとてもではないが数えきれないほどの客席は、マーシャがいる一階部分に留まらず、二階にまで用意されていた。
舞台を見下ろせるように設置された観客席にひとりの客もいないことだけが残念でならない。これだけの客席が全部埋まっていたら、それはもうすごい圧巻だったろう。
「あ」
ふと思いつく。
舞台から見た観客席はもっとすごいのではないだろうか。
思いついたら実行せずにはいられない。
マーシャは逸る気持ちを抑えもせずに、一息に階段を駆け下りた。舞台からの眺めという思い付きをしなかったら、足音を最小限に留める上質な絨毯の触り心地を這いつくばって堪能していたことを思えば、その思い付きは幸いと言うしかない。
辿り着いた舞台によじ登り振り返る。
果たしてそれはマーシャの想像以上の光景だった。声すら出ない。
見える範囲の、いや、すべての観客席が人で埋め尽くされたら。マーシャが考えているよりもずっとずっとすごい光景になるのだろう。
ぶるるっと体が震えた。
注目されることが嫌いではないマーシャだったが、これだけの数の衆人環視に呑まれずにいられるかわからない。その中で自分ではない誰かを演じるなんて、並大抵の度胸でできる行為ではない。
「役者さんってすごいんすね」
感嘆の息を吐く。
一度見学だけでもいいからと言った犯人のお兄さんの狙いが今なら理解できそうな気がした。こんな光景を見せられたら、演目の内容に興味が湧かなかったとしても観に行ってみようという気になる。
もっとも、お兄さんはどうかわからないが。あの人は徹底したニャンコ主義者だ。ニャンコが出てこなければ一切興味を持たないだろう。
舞台の端に座り、マーシャはコロンと寝転がった。
こんな舞台で働く人に、犯人はお兄さんだ、などと言ってしまってもいいものかどうか迷う。
演じることは遊びではない。犯人のお兄さんの職業をバカにすることになってしまうかもしれない。
「だからって五年前のビラを配るのはどうかと思うんすよ」
誰にともなく主張する。己の行動を途中で顧みたからといって、それを中断するという決定を下さないのがマーシャ最大の特徴だ。一度決めたことは何がなんでも最後までやり遂げる。
マーシャは頑固なのである。
よっと掛け声とともに舞台から飛び降りる。
「犯人のお兄さんはどこに隠れてるっすかね? マーシャせっかく来たのに」
腕を組んで虚空を見やる。
劇場にひとりも人がいないということがあるのだろうか。劇場なるものに初めてやってきたマーシャにはわからないが、普通こういう大きな施設には警備の人とかが常駐しているものだ。マーシャの実家近くの施設――なんの施設か知らないが――にも、毎日同じ人ではないが警備の人は常駐していた。
しかもよく考えてみたら入口は開いていた。照明は消えているが。
「……あれ?」
そこで初めて気付く。舞台には照明がついていたということに。
誰かがいるのだ。
急にぞくりと背筋が冷えた。慌てて舞台から離れる。胸がどきどきと鳴った。
「――――なにもおそれることはない」
声が響く。朗々と。マーシャ以外の声が。
「ゆだねたまえうんめいを」
どこか無機質な硬さと冷たさを持ちながら、声を形成する感情が荒れ狂っているのがわかるような、そんな声だ。
カツン、カツン、と足音が響き渡る。
絨毯が敷かれた観客席側から音が鳴るはずがないので、必然的に音の発生源は限られてくる。舞台袖に注目するマーシャの視界に、それは現れた。
「ひぅ!」
喉の奥から悲鳴が漏れる。
「すべてゆだねればらくになれる」
舞台の中央に立って、それは両腕を広げて誘惑をかける。この広い空間に朗々と響き渡る声なのに、低くかすれているようにも聞こえ、甘く囁くようにも聞こえる。
総じて、薄ら寒さを覚える声だった。
考えるよりも先に足が後ろに逃げる。いくら発現者と言えどもマーシャはまだ14歳の女の子。本能的な恐怖を感じても平常心でいられるほど肝が据わってはいなかった。
そして同時に、逃げるという選択をできるほど賢くもなかった。
「誰っすか?」
舞台上に立つ男――だと思う、たぶん――の顔は仮面に隠されていた。やけにのっぺりとした白い仮面だ。簡素に描かれた笑顔が不気味さをより際立たせていた。
「マーシャ、自分の人生を誰かに委ねるなんてしないっす」
「なぜ?」
「だってマーシャはお父さまみたいになりたいっすもん。お父さまは迷わないし揺るがないし、周りに流されずに全部自分で決めてきたっす」
言っているうちに、マーシャの中から恐怖心がスーッと消えていくのがわかった。
そうだ。自分はお父さまのようになるために家を飛び出してきたのだ。こんなところで、よくわからない人間に絡まれている場合ではない。
腕を振り上げ男を指さす。
「誰かは知らないっすけど、マーシャの道をじゃまする人はマーシャ嫌いっす!」
男の体が揺れる。笑っているのだ。
「何がおもしろいっすか!?」
人生を賭けた決意を嘲笑われた気がして、マーシャの頭にカッと血が昇った。
ゆるりと男の腕が持ち上がる。
その手が、仮面に触れた。
ゆっくりと、ゆっくりと、仮面が外される。
消えたはずの恐怖心が再び鎌首をもたげた。