=ΦωΦ= 無償で働く探偵は探偵じゃない Uo・ェ・oU
「通り魔?」
もごもごと口を動かしながら反駁した単語に、雌豚は神妙な顔をしてうなずいた。
あの後、街中からハインらが案内されたのは、雌豚が所属する自警団が間借りしているアパートの一室だった。
なぜアパート。もっといいところに案内しろ、と文句のひとつでも言ってやりたかったが、自警団なんてそんなものなのかもしれない。世の中金だ。金がなければ何事もうまくいかないものだ。
世知辛い。
皿に盛られたチップスを口に運びながら、ハインは生きにくい今の時代を噛み締めた。チップスと一緒に。
「通り魔なんて怖いっすねー」
同じくチップスをぱりぱりと食べながらマーシャがつぶやく。テーブルに片頬をくっつけた大変行儀の悪い体勢だったが、あいにくとそれを注意してやるほどハインも行儀は良くない。こちらは片肘を突いてだらしなくチップスを食べ進めていた。
ふたりの行儀の悪さが気になっているのは雌豚だけだ。お願いする立場なので何も言えないでいるのが、視線の動きと頬の引きつり具合から伝わってくる。
「通り魔なんてそれこそ自警団の手に負える山じゃないだろ。さっさと通報しろよ通報」
「マーシャ、そういう事件は好きじゃないっす」
今のふたりを一言で表すならば、やる気ゼロ、である。これほど的確な表現はない。
半月ほど前から出没し始め無作為に人を襲うとかいう典型的な通り魔の話を聞かされたところで、ただの一旅人でしかないハインたちにどうにかできるとは思えない。囮ならば他にもいくらでもいる。そちらを当たってもらいたい。
「ただの通り魔じゃないんだよ」
思いつめたように雌豚が言う。その表情は暗かった。
「まぁ俺らみたいのに助け求めたっつーことは通り魔は発現者なんだろ?」
「わかるのか?!」
「そこまで誘い受けされて気付かないバカはいねぇよ」
途端に顔を輝かせる雌豚からげんなりと顔を逸らす。
「お兄さん、どうするっすか?」
チップスを食べ進める手を止めて天井を見上げる。
働かざる者食うべからず。まったくもって嫌な精神である。
だが現実問題として、働かなければ食べることができないのは常識である。
どんなに反発したところでそこは変わらない。
さて、ではハインがまともな職に就くことができるだろうか。答えは簡単だ。ノーだ。ハイン自身が堂々と胸を張って答えるレベルのイージー問題だ。
ではどうやって金を稼ぐのか。
己の才能を使うしかない。
(つってもあんま危ないのはなぁ……)
発現者だからといって荒事が得意だとは限らない。ハインはまだしもマーシャには危険なことはさせられない。仮にも未成年者なのだから。
となると、この山を引き受けると働くのは実質ハインひとりになってしまう。
それは嫌すぎる。
働きたくない――それが偽らざるハインの本音だ。
社会不適合者の称号を誇らしげに掲げて生きる男、それがハインなのである。
「その犯人は強いんすか?」
「ああ、異常に強い。発現者の犯罪者というだけでも厄介だというのに」
「どれくらい強いんすか?」
「そうだな……もしかしたらあの革命家ディルゴや炎人リュート、破壊尼僧シガタレベルかもしれない」
ぴくりと耳が反応を示した。
雌豚が挙げた名前は、いずれも世界的に有名な犯罪者の名前だ。犯罪とは無縁な頭の中に花畑が広がっている一般人ですら、一度は耳にしたことがあるレベルの。
当然ながらハインもその名は知っていた。一般人が知らない、発現者だからこそ知っている裏の事情まで。
発現者の相手は発現者にしかできない。雌豚の判断は確かに正しいと言えた。未成年のマーシャにまで頼んでくる非常識さも、そこまで追い詰められているからこそなのだろう。
(だからってSクラスの犯罪者を相手になんかできるかよ)
証言者が発現者ではないので正しい評価とは言えないので、BからAクラスと見積もったとしても厳しいと言わざるを得ない。マーシャに手伝わせたとしても恐らく足手まといにしかなるまい。
こうして野良発現者に――発現者は普通、なんらかの組織に所属するものなのでフリーの発現者は珍しい――声をかけている時点で、自警団に所属している発現者はいないのだろうと想像がつく。つまるところ、この依頼を受ければ消耗するのはハインだけということになる。
「お兄さんが悪い顔してるっす」
バラすマーシャはチョップをして黙らせておいた。
ここからがハインの本番である。
「そんな危険な犯罪者の相手をさせようってんだ。当然報酬は弾むんだろうな?」
「……え?」
「えじゃねぇよ。報酬だよ報酬。まさかタダで働かせようなんて思ってたんじゃないだろうな? あ?」
客観的に現在のハインを見れば、たちと柄の悪いチンピラである。据わった目で雌豚を見据える姿は、獲物を前にして舌舐めずりする猛獣である。
きょとんとした表情が徐々に困惑顔になっていく雌豚を見据えたまま、ハインは容赦なく口上を続けた。
「俺らは慈善事業してんじゃねぇんだよ。発現者の相場は知ってるか?」
「あ、い、いや、しかし、宿の手配が――」
「あーれーは、ここに来て話を聞いてやる駄賃だろうが。話を聞いてやった後までは含んでねぇよ」
「そんな……」
青くなる雌豚を強く睨み付けながらも、胸中は大爆笑の嵐である。愉快で仕方がない。
口は挟んでこないがじと目のマーシャの視線だけは地味に気になるが、目前にある爆笑劇場はそんな些細なことを覆い隠す力があった。
他人が困惑し、そして徐々に絶望していく姿はどうしてこうも愉しいのだろうか。
「払うのか払わないのかはっきりしろよ。もう帰るぞ?」
「ま、待ってくれ! わかった。払う。払うから待ってくれ」
立ち上がったハインを慌てて止める雌豚を見下ろし、渋々ながら腰を下ろす――演技をする。
始めから素直に、などとは思わない。喜色からの茫然を経て涙目になって青褪めるという過程を楽しみたいハインとしては、今回の雌豚の反応は百点満点と言ってもいい。腹を抱えて笑い転げたいのを我慢するのに苦労するほどだ。
一般的には大変悪趣味な行為とわかっていようと、性格が曲がりすぎてねじ切れてしまっているハインには、間違いなく至福の遊びのひとつだった。
「そ、それで、その……相場は?」
内心の大爆笑を抑えきれずにニヤニヤするハインには、間抜けなことに雌豚は気付いていなかった。恐る恐る訊いてくる雌豚に、ハインはもったいつけるように嘆息して首を横に振った。
「んなこともわっかんねぇのかよ。使えねぇな」
「うぅ、す、すまない」
「姐さんのお食事一年分に決まってんだろ!」
昂然と言い放つ。
青褪めていた雌豚の顔がポカーンと間抜け面に変わった。
(あれ?)
予想外の反応だった。
ハインの予想では、ここで涙を流して嬉しがるはずだった――姐さんの食事を用意できる栄誉を賜るのだ当然だ――のに。泣いて感謝を口にするどころか、周囲の空間と一緒に時間まで固められてしまっている。
腑に落ちない反応だ。
首を捻り、呆けている雌豚の前で手を振る。反応なし。
手を引いて、チップスを口に無理やりねじ込む。食べやがった。だが動きは相変わらずなし。
ハインは反応が返ってくるのを待つことをやめた。無意義だ。
ハッとしたように雌豚が稼働し始めたのは、マーシャとチップスの評価を下しているときだった。
「そんなものでいいのか?」
稼働後最初の言葉がそれだった。
そして不幸なことに、その言葉はハインの額に青筋を立たせるレベルの失言だった。
「あ゛あ゛ん?」
ドスの効いた重低音が雌豚の体を跳ねさせる。
加減することなくハインはテーブルに拳を叩きつけて椅子を蹴った。
「姐さんのお食事を用意することが“そんなもの”だとぉ!? 舐めてんのかてめぇ!」
「ひぃっ!」
「半端なもんを姐さんに献上する気じゃねぇだろうな! あ゛ぁ? 天上猫であらせられる美の頂点に神々しく君臨なされている姐さんのお食事を用意できる栄誉に咽び泣け雌豚が!」
椅子から転げ落ちた雌豚がカタカタと震える。豹変したとしか思えないハインの態度に戦いているのだろうか。
先ほどならばその様子に笑い転げられたハインだったが、何よりも愛してやまない姐さんを軽んじられたことは、そう易々と許せるものではない。半年くらいは夢でうなされるくらいの恐怖と後悔を与えなくては気が済まない。
「通り魔さんの目的はなんなんすか?」
黒々とした感情を垂れ流すハインをよそに、マーシャだけは通常運転だった。
助け舟とばかりに雌豚がパッと顔をハインから逸らしてマーシャに向ける。これ見よがしに拳を鳴らしたら目が泳いだ。
「お兄さん」
咎めるマーシャの声で、仕方なく矛先を収めた。
蹴倒した椅子を起こして乱暴に腰を下ろす。テーブルの上に足を投げ出して、完全に不貞腐れた態度で背もたれにだらしなくもたれかかった。
「で、なんなんすか?」
態度の悪いハインのことなど一切気にせず、マーシャが平然と話を元に戻す。器用に切り替えができずに戸惑う雌豚だったが、ハインが睨んでこないことに安心したのか、転げ落ちていた椅子に座りなおして一息ついた。
「えっと……目的、よね」
まだ落ち着いていないのか、微妙に歯切れが悪い。
「それはまだわかってない。被害は街の住人にも旅人にも出ているから」
「無差別ってことっすか」
「そうね」
表情を曇らせる雌豚から視線を外す。
まだ正式に依頼を受けると言った覚えがないはずなのだが、なぜにこいつらは普通に依頼を受けた前提で話を進めているのだろうか。外堀から埋めていく作戦か何かだろうか。
椅子の足に視線を落とす。艶やかな黒い毛並みを輝かせた姐さんが顔を洗っていた。
――うん、麗しい。
だが疑問だ。
どうして姐さんはこんなにも愛らしくありながらも美しくいられるのだろう。
やはり姐さんは天から降りてきた天猫で、穢れた地上とは一線を画す存在だからだろうか。そんな姐さんの下僕になれたことは、何物にも勝る幸福だと言える。尽きるまでの生命の時間を捧げてもまだ足りないほどだ。
「お兄さん」
幸せな思索は無粋な呼びかけで打ち破られる。床に這いつくばって姐さんの美しさを讃えようとしていたハインは、無表情で呼びかけの主に感情の乗っていない目を向けた。
「部屋、ここらしいっすよ」
怒りが吹っ飛んだ。
衝撃の告白に目を見開きマーシャを凝視する。
「自警団は貧乏だから高い宿はとれないんすよ」
「す、すまない」
「マーシャは屋根があるとこならどこでもいいっすよ」
にっこりと笑うマーシャの後ろ頭を叩く。割と本気で。
「ばかやろう! 姐さんをこんな粗末なボロアパートで過ごさせられるわきゃねぇだろ!」
「過ごしてるじゃないっすか!」
「でたらめ言ってんじゃね――っ姐さん!」
わなわなと震える。
いつの間にか部屋の隅に移動していた姐さんが、丸くなって眠っていた。その寝顔はさながら神秘の域に達した絵画である。時折ゆらりと揺らめく尻尾が扇情的にハインを誘う。
気が付いたらハインは姐さんに向かって平伏していた。
こんな劣悪な住環境であっても文句を言うことなく受け入れるその度量。愚かなハインに対する無言の戒め。狭量な自分をハインは猛烈に恥じた。
そう、価値などどうでもいいのだ。
姐さんがおわす――それだけでどんな環境だろうと天上に等しい至高に達することができる。
そんな簡単なことにすら思い至らず、無為に喚いていた己の小ささにハインは涙を流した。
「それよりお姉さん、マーシャお腹すいたっす」
「あ、ああ、すぐに用意する」
「これで引いてたら身が持たないっすよ」
「そう、なのか?」
「気にしないのが一番っす」
なんだか失礼な会話をされているような気がしたが、ハインは気にしなかった。姐さんが目の前で無防備な肢体をさらしてお眠りあそばされているのだ、姐さんウォッチングに忙しすぎて周りのことなんて気にしている余裕はない。
はぁはぁと鼻息荒く、麗しすぎる姐さんの寝顔を見守っていると、その視線を煩わしく思われてしまったのか、閉じていた目を開けて姐さんが小さく鳴いた。
胸を撃ち抜かれたのは言うまでもない。
不整脈を起こす心臓をなだめている間に、姐さんはハインの脇をすり抜けて行ってしまった。脇を通り過ぎる時に尻尾で顔をぺしりとしてくれたおかげで、ハインの心臓はさらに激しく脈打ちその日は夜が更けるまでハインが復活することはなかった。
本日のワンコの主張
ワンコは世界でいっちばんカッコかわいい!
カッコいいだけじゃない。
かわいいだけじゃない。
カッコいいとかわいいの両方を兼ね揃えたカッコかわいいワンコ!