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ニャンコとワンコ  作者: とてとて
第1幕 幽冥ノ詩
4/60

=ΦωΦ= 事件だ! Uo・ェ・oU

「ひったくりよ!」


 誰のものとも判別しにくい声が指すのは、お世辞にも似合っていると思えない派手なバッグを小脇に抱えた男だった。

 邪魔な通行人の間を縫って進む姐さんの後を無心に追う。時折邪魔くさい通行人にぶつかって姐さんとの距離が広がるが、ハインの目は姐さんの姿を捉えて離さなかった。

「姐さん!」

 呼びかけは合図だ。

 ヒト科の二足歩行より優れた、軽やかな四足歩行で男を追い抜いた姐さんが、男の進行方向を塞ぐように立ち塞がる。小さな体でありながらも、立てた尻尾を膨らませて威嚇する姿は威風堂々とした威厳が感じられた。場合が場合でなければ平伏しているところだ。

 男は予想外なその麗しの姐さんにわずかに怯んだようだった。

「うどらっ!」

 にわかに遅くなった男の背中に、躊躇なくハインは飛びかかった。

 加減の欠片もない膝蹴りが男の背中に突き刺さる。もつれ込むようにしてハインは男と倒れこんだ。

 動きを止めないように石畳の上を転がり、姐さんの横に到達したところで立ち上がる。


「お兄さん!」

 遅れてついてきていたマーシャの声が聞こえてくる。

 飛び膝蹴りをまともに食らった男は、咳き込みながらも起き上がった。その男に向かって指を突きつける。

「観念しな!」

 決まった。これでもかというくらい完璧に。

「くそっ。どけ!」

 これほどまでに完璧に決まったというのに、なぜか男は諦めなかった。あまつさえ、ナイフまで取り出してくる始末。

 諦めの悪い男だ。

 これはいっそ痛い目に遭わせたほうが良いかもしれない。

「後悔するなよ、おっさ――」

「わんわん大行進!」

 決めゼリフは別の声によって遮られた。

 と同時。

 男の背後から迫る物体を見つけて、ハインは素早くその場から離脱していた。

「なん――ぉふっ!」

 男の疑問の声もまた、最後まで紡がれることはなかった。物理的に。


 人通りの多い大通りの真ん中を、ワンコの群れが駆け抜ける。大小様々な、オスメス入り乱れて、ひったくり犯を轢き飛ばし。

 それはハインがいた場所すら猛烈な勢いで駆け抜けた。その場に留まっていたら、確実にハインも男と同じ目に遭っていただろう。


「お兄さーん」

 猛獣が駆け抜けた余韻も冷めやらぬ中で、能天気を絵に描いたような気の抜けた声がハインの耳に届く。

 確認は必要ない。三十路手前のハインをお兄さんと呼ぶのは基本的にマーシャしかいない。

 ハインと同じく避難していた姐さんを見る。蜂蜜よりも甘い声で鳴く姐さんに促されて、渋々ハインは男のもとへと向かった。

 ワンコの大群に轢かれて目を回している男から派手なバッグを引き抜く。意外と軽い。

 駆け寄ってきたマーシャにそのバッグを押し付けると、何も言わなくてもパタパタと足音を残してマーシャは去って行った。持ち主に返しに行ったのだろう。


「おら」

 目を回している男の頭を容赦なく殴打する。男は悲鳴らしきものを上げて飛び起きた。

 それを確認してもう一度殴りつける。

 さらにもう一度。

 抵抗を始めたが気にせずもう一度。

 頭を抱えて丸くなった男にさらに追い打ち。

「って何やってんだ!?」

 これから強弱を付けていこうとした矢先に、邪魔者の声がハインの手を止めた。

 顔を上げる。

 マーシャからさらに遅れて、ようやくあの雌豚も到着したらしい。自警団のくせに遅い足だ。

 息を切らせた雌豚が、ハインが殴打し続けていた男を見て、大きく嘆息した。

「いくら犯罪者相手だからってやりすぎだよ。下手したらアナタが捕まるわよ」

「はん。黙って捕まるとでも思ってんのか」

「最低だね」

 半眼の雌豚から視線を外す。ニャンコでもないメスをいつまでも見ていられるほどハインは物好きではない。

 立ち上がり、プルプル震えている男を足蹴にする。

「こら!」

 咎める雌豚の声は無視した。

 男はハインはおろか、姐さんにまでナイフを向けたのだ。この程度の報復で許されていいはずがない。

 見下ろすハインの眼差しの不穏さに、男は最初の威勢をさっぱりなくした表情で引きつった嗚咽を漏らした。


「お兄さん、おみやげもらったっす」

「お、でかした」

 雌豚の目をかいくぐってどうにか男を亡き者にできないか画策していたハインは、戻ってきたマーシャの一言によってあっさりと機嫌を直した。

「アメっす」

「しけてんなぁ」

 マーシャの手の中から個包装されたアメ玉をひとつ引っつかみ、おもむろに噛み砕く。舐めるという工程を排除して一気に砕かれたアメ玉は、口内に柑橘系の甘さを広げられるだけ広げて消えていった。

 包装紙を丸めてマーシャに押し付ける。ゴミを押し付けられたというのに、マーシャは特に文句を言わなかった。


 手際良く男を連行していく雌豚にいちべつを向ける。

 あいさつもなしなことに不満はない。ニャンコ以外のメスと交わす言葉のストックは多くないからだ。

 だが、感謝のひとつもされないのは不満だ。犯罪者捕縛の報酬がアメ玉ひとつとか悲しすぎる。

 もっとも、誰かに頼まれたわけでもなくハインが勝手にやったことではあるが。


 頭をかく。

「お兄さん」

「おう、見られてんな」

 包装紙で鶴を折っているマーシャの手元に視線を落としたまま、マーシャのつぶやきに応える。

 人物の特定はできないまでも、誰かに見られていることはわかった。それも、ただの一般人ではない。それだとマーシャが気付くはずがない。

「お前が考えなしに能力(ちから)使うからだぞ」

 言いながらマーシャの(すね)を蹴る。

「マーシャが使わなかったらお兄さん使ったじゃないっすか。マーシャ見てたんすからね」

 負けじとマーシャもハインの脛を蹴ってくる。加減したハインと違って割と強かった。

「俺のはごまかしが効くからいいんだよ」

 肘で小突く。心なしか今度は強めで。

「ウソは良くないっすよ。お兄さんのはマーシャのより露骨じゃないっすか」

 繰り出された肘がハインの脇腹に突き刺さる。反射的に声が漏れなかったことだけは誇ってもいい。

「脈絡もなく大量に湧いた犬畜生が人を轢くのをどうごまかせるってんだ。野良ワンコだってもっとおとなしいわ」

「いいじゃないっすか。ワンコかわいいっすよ。野良ワンコもかわいいっす」

「バカめ。ニャンコのほうが万倍かわいいわ」

「ワンコ!」

「ニャンコ!」

 最終的にいつもと同じになった。

 顔を突き合わせてがるがるぐるぐると唸り合う。互いの口からは、ニャンコとワンコのふたつの単語しか出なくなっていた。


(……離れた、か?)

 低く唸るマーシャの額をぺしりと叩く。マーシャがぎゃんと短く鳴いた。

 感じる視線の強さが薄まったのを確認し、ついでに野次馬っている人々を睨んで散らし、きゃんきゃん吠えてくるマーシャの手を引いてその場から離れるべく動き出す。今さらだが長居しすぎたと気付いた。

 足元に視線を落とせば、姐さんが優雅な足取りでついてきているのも確認できる。

「どこ行くっすか?」

 鳴くのにもすでに飽きたのか、いつもの調子でマーシャが尋ねてくる。

「宿。探さにゃ今日野宿だぞ」

「お兄さんがんばっす」

「お前も探せや!」

 完全丸投げ態勢のマーシャから手を離す。ハインの頭には保護者としての責任やら義務感やらはまったくなかった。

 寝る場所が欲しければ自分で確保しろ――それが揺るぐことのないハインの教育方針である。マーシャがその方針に従ったことが一度もないのが玉に瑕。なんだかんだで甘さが残る男、それがハインだ。


「誰が見てたんすかね?」

「さあな」

 マーシャが小走りになっていることに気付いて速度を落とす。無意識に早足になっていたようだ。

 あの場から離れたことで、何者かに見られている感覚は完全になくなっていた。

「わんわんワンダーランド建国に協力してくれないっすかねー」

「その前にニャンダー教に取り込んでくれるわ」

 垂れ流されるマーシャの妄想を、垂れ流されたままにしておくハインではない。とはいえマーシャも慣れているため、間を置かずに口を挟んだハインに言い返すことはしなかった。


 ふと思い出したように、足元から鈴を転がしたような涼やかな声が聞こえてくる。

 ハインはマーシャの手を引いて、路地裏に続く脇道に入った。きょとんとするマーシャを背後に庇う形で振り返る。

「……なんだ、あいつか」

 視界にあの雌豚が映る。まるで誰かを探すようにキョロキョロとしながら、大通りを歩いていた。

 脇からひょこりとマーシャの頭が生える。

「あ、お姉さんだ。お姉さーん」

「おいバカ呼ぶな」

 嬉しそうに手を振るマーシャの口を慌てて塞ぐ。

 が、時遅し。

 雌豚の目が、物陰に身を潜めるハインたちを発見した。

 駆け寄ってくる雌豚を苦々しく見やりながらため息を吐く。

 確信に近い予感がした。


「アナタたち発現者だったの!?」


 果たして予想は裏切られることなく現実となった。

 潜める気のない声でのたまう雌豚を強く睨み据える。ハッとしたように慌てて雌豚が口を塞いだ。

「つーか初対面のメスにわざわざ言うことじゃねぇし」

「それは、そうだけど……メス?」

「それがどうかしたのか?」

「事件すか?」

 ハインのメス発言は何事もなかったようにスルーされた。マーシャは慣れすぎて普通に気付かなかっただけだろうが。

 納得できないとばかりに首を傾げる雌豚だったが、そんな些細なことにこだわるのは後回しにしたらしい。身を乗り出してきた。

「協力してほしいの!」

「断る」

 考える間すら置かずに迅速に拒絶を返す。

 マーシャの首根っこをひっつかむと、じゃ、と軽いあいさつを残して去りの姿勢を見せた。姿勢だけではなく本当に実行に移したものの、雌豚が腕をつかんで離さなかったため逃げ切ることはできなかった。マーシャも抵抗したのが大きい。

 隠さず舌打ちする。雌豚の縋るような眼差しが鬱陶しいことこの上ない。


「俺らは騒ぎさえ起こさなきゃどうでも良かったんじゃねぇのかよ」

「それは、アナタたちが発現者だなんて、知らなかったから、その……」

「ほー? なるほどなるほど? 一般人は邪魔だけど発現者は利用できるってか?」

「そういうつもりじゃ――!」

「あーあーやだねやだねー打算にまみれたメスはよー」

「とう」

「がふっ!」

 陰湿な雌豚イジメは、マーシャに掌底をかまされたことで中断を余儀なくされた。時折マーシャは的確な攻撃をしてくることがあるから油断できない。

 打たれた顎を押さえてうずくまるハインを無視して、マーシャは朗らかな笑顔でのたまった。

「オッケーっすよ」

 左足を軸に回転してマーシャの足をすくう。

「ぎゃ!」

 見事にすっ転んだ。

 受け身を取れなかったのか、汚い道の上でゴロゴロと悶える。少しだけ溜飲が下がった。

「アナタ、本当に大人げないわね」

「うっせぇ」

 呆れる雌豚の足元に唾を吐く。

 ハインには愛想とか常識とかそういった煩わしいものは備わっていなかった。


 悶えるマーシャを見下ろしながら耳の裏をかく。

 横手からは期待に満ちた雌豚の視線。意図的に無視する。

(まぁどのみち受けるつもりだったけどな)

 隙をついてマーシャのフードに入り込もうとしている姐さんを捕獲(ほご)して、そこでようやくハインは雌豚に向き直った。

 期待を込めて、だけど不安をはらんで、雌豚がハインの言葉を待っている。このまま意味ありげに黙り込んだまま焦らすのもおもしろいが、そうなるとそろそろ復活しそうなマーシャにまた何かされそうだ。

 諦めてハインは息を吐いた。

「話だけなら聞いてやる。その代わり、この街に留まってる間の宿と飯を用意しろ」

「っ! りょ、リョウカイした!」

 目に見えて雌豚の表情が明るくなった。まだ受けるとは一言も言っていないのに。

 用意させられるだけ用意させて、断わったときの絶望顔はぜひ見ておきたいものである。近年稀にみる傑作な表情が拝めるに違いない。

 視線を落とす。物言わぬマーシャの視線とかち合った。

 さすがマーシャ。良からぬことをハインが考えていることをどうやら空気で察したらしい。


 ごまかすように咳払いをこぼす。

「おい、まずは場所移動だ。落ち着いて話ができる場所に案内しろ」

「わかった。コッチだ」

 じと目のマーシャを放置して、歩き出した雌豚について大通りへと戻る。

 どうやら事件は何もしなくてもあちらから出向いてくれるようになっているらしい。


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