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ニャンコとワンコ  作者: とてとて
第1幕 幽冥ノ詩
2/60

=ΦωΦ= 犯人がいるのに事件が起きない Uo・ェ・oU

「あの人、犯人じゃないっすか?」


 新しい街に入って早々、マーシャが人を指さしてそんなことを言った。

「ああ、そうだな。あれは犯人だ」

 人を指さしてはいけません、などと言うほどハインも常識が備わった人間ではない。マーシャが指さす人物に目をやって同意を示す。仮にも保護者としてはあるまじきであるが、それを指摘できる者は彼らのそばにはいなかった。

 ひとりだけ、というか一匹だけそんなふたりを呆れたように見ていたが。


 マーシャが指さす方角にはひとりの男がいた。

 なんと表現したらいいのか迷うところだが、奇妙な男だった。

 別段奇抜な服装をしているわけではない。身体に異常があるようでもない。顔も、普通並みに整ってはいる。髪も清潔感のある長さだ。においがひどいわけでもない。

 だが奇妙だった。

 黒と赤を基調にした小綺麗な装いも、人好きの良さそうな柔和な表情も、その男の奇妙さを隠すためには力が足りない。何かが決定的におかしかった。

 ただ残念なことに、その奇妙さを表現することがハインにはできなかった。

 そこにきてマーシャの発言だ。

 それは男から感じる奇妙さを一言で表すのに、これほど相応しい言葉はないのではないか思えた。

 まさに犯人。なんのかは知らないが。


「マーシャ一回言ってみたかったんすよね。犯人はお兄さんっす! みたいな」

「犯人、男限定かよ」

「そこは臨機応変に変えてくっすよ。犯人はニャンコだーとか」

「おい待て。麗しのニャンコが犯人なわけねぇだろ。ふざけんな。しめんぞこら」

 素早く伸ばした手がマーシャの頭をつかむ。垂れ耳付きフード越しにギリギリと締め上げると、手の下でマーシャがバタバタと暴れた。その程度で離してはやらないが。

 ハインは有言実行の男である。しめると言ったらしめる。たとえ相手が自分より一回りも下の少女だろうと。

「たとえっすよー! ただのたーとーえー!」

「例えでもニャンコ様を犯人扱いしやがったことを許すわけにはいかないなぁ」

「心が狭い! 圧倒的! スペクタクル!」

 喚くマーシャを解放する。うるさいから。


 頭を抱えてしゃがみ込んだマーシャは放置して、改めてハインは今しがた足を踏み入れたばかりの街中を見渡した。

 とはいえ場所は街の門をくぐったすぐだ。興味を引くようなものはない。唯一視線が向いたのが、先ほどマーシャが見つけた奇妙な男だった。

 特別汚れているわけでも治安が悪そうというわけでもない。こう言ってしまうとなんだが、つまらない街だ。だがしばらく滞在するには最適な街だった。

 ここでは是非ともニャンダー教を広く浸透させたいものだ。


「わんわん」

 視線を落とす。

 恨みがましい眼差しを向けてくるマーシャと目が合った。

「わふわふ」

「なんだよ」

 お座りのポーズで見上げてくるマーシャに、面倒臭そうに対応する。彼女が鳴くときは下手に無視すると余計に面倒なことになると、ハインもそろそろ学習していた。

「犯人が近づいてくるっす」

「あ?」

 だが予想に反して、マーシャの口から出たのは普通の言葉――あくまでハイン基準での普通――だった。どうせしばらくワンコ語で会話してくると思っていただけに、思考はすぐに追いついてこなかった。

 その間に犯人、もとい、奇妙な男は距離を縮めてくる。マーシャの言葉を理解したときには、男の姿はもう目の前にあった。

 本当に目と鼻の先ぐらい近くに。


「どわっ!」

 思わず仰け反る。

「えい」

「ぬあ!」

 絶妙なタイミングでマーシャに膝かっくんされた。

 仰け反った体勢でそれに抗うことなどできるはずもない。無様にもハインは尻もちを突いていた。

 油断していた。それはもう完全に。こういうことをする女なのだ、マーシャという駄ワンコは。

 無言でマーシャを見る。マーシャも無言でハインを見ていた。

 言ってやりたいことはたくさんある。やってやりたこともたくさんある。だがハインは黙ってマーシャを見続けた。マーシャも黙ってハインを見続けている。

 尻もちを突いた体勢のまま動かないハインと。

 お座り状態のまま動かないマーシャと。

 傍から見れば異常な光景だろう。あいにくそれを気にするふたりではない。良い意味でも悪い意味でも周囲の視線を気にしないのが、ふたりの共通する特徴だった。


「シャー!」

「うー!」


 威嚇しあうふたり。その様はまさに猫と犬。いや、ニャンコとワンコ。

 一方がいい歳したおとなの男でなければ微笑ましい光景ではあった。

「あの……」

 一方は毛を逆立てて、一方は犬歯を剥き出しにして、互いに一歩も引かず威嚇しあうふたりに、遠慮勝ちな声がかかる。ふたりして声の発生源に顔を向ければ、その誰かはびくりと肩を震わせて半歩後退した。

 ニャンコとワンコのケンカを邪魔した無粋な誰かは、あの例の男だった。近くにいてもその奇妙さは濃さを薄めない。


「あ! 犯人!」

 パッと立ち上がってマーシャが声を上げる。すこぶる失礼な発言なのにもかかわらず、誰にでも警戒なく尻尾を振るワンコの如きマーシャは楽しそうだった。

「は、犯人?」

 男のほうは当然ながら困惑顔だ。

「犯人のお兄さん、なにか事件起こしたっすか? これから起こすっすか? マーシャ犯人はお兄さんだって言ってもいいっすか?」

「……え? ……えぇ?」

 パタパタと男の周りを忙しなく動き回るマーシャを目で追う。躾のなっていないバカ犬そのものだ。


 生温かくもない視線を注いでいる最中、ふと気が付いた。

 珍しく外されたフードに、妙な膨らみがあることに。まるで中に何かが詰まっているかのような。

「あぶなーい!」

「ぎゃっ!」

 ごく自然な流れでかけたスライディングが、物の見事にマーシャの足をすくった。

「ごふっ!」

 ハインに向かって倒れてくるということも忘れて。

 スライディングをかけられて転倒したマーシャと揃って、石畳の上をゴロゴロと悶える。傍から見なくても異常な光景だった。

「なにするっすか?!」

 先に復活したのはマーシャだった。

「てめぇがなにすんだよ!」

 即座に怒鳴り返すハインも負けてはいない。

「麗しの姐さんを拉致するとはいい度胸だ! 絞め殺すぞてめぇ!」

「ニャンコが勝手にマーシャのフードの中に入ったんすよ!」

「っざけんな! 姐さんがバカ犬の汚いフードん中に自ら進んで入るわきゃねぇだろ!」

「マーシャ汚くないっすよ!」

「汚ぇんだよ!」

 衆目を集めることも気にせず怒鳴り合うふたりは、そこで同時に立ち上がった。

「こいつ汚ぇよなっ!?」

「マーシャ汚いっすか!?」

「ひっ!」

 いきなり向けられた矛先に、男が小さく悲鳴を上げた。

 微妙に論点がずれているような気がしないでもないが、やはりそんな些細なことは気にしないふたりだ。ポイントが変わっていようと抱く思いは同じだった。

 ――こいつにだけは負けない。

 過激なニャンコ派とワンコ派は相容れないのである。


「え、えと、ま、まずは落ち着こうか?」

 あいまいな愛想笑いを浮かべて男が言う。

 その助言に、ハインとマーシャは顔を見合わせた。図らずとも互いに無表情だった。

 そして同時にため息を吐いた。

「聞いたっすか、お兄さん」

「おう聞いた聞いた、落ち着けだってよ」

「わかってないっすね」

「ま、素人相手に求めすぎんのは良かねぇな」

「え?」

 引きつった愛想笑いが崩れた。

 それはそうだろう。今の今まで激しく言い争っていたふたりが、いきなり結託して自分を批判し始めたのだ。困惑しないほうがおかしいというもの。

「犯人のお兄さん、こういうのは鮮度が大事なんすよ」

「そうだぞ。一旦落ち着いたらそこで話が終わっちまうだろ」

 理不尽な駄目出しに、とうとう男も白旗を上げた。実にきれいな回転で回れ右をする男を、ハインは素早く肩を回して捕獲する。マーシャも素早く男の前に移動して腰に抱き付いていた。


「おいおい兄ちゃん、人様の顔を見て逃げるとかどういう教育受けてんだよ」

「マーシャお腹すいたっす。なにかがっつり食べたいっすがっつり」

 今ごろ男は心の底から思っているだろう。関わるんじゃなかった、と。

 たちの悪い絡み方をしてくるふたりからの逃亡を諦め、男の肩が大きく落ちた。

 良い判断である。無駄な抵抗を続けると、ふたりのテンションがだいぶおかしな方向に転がるからだ。

「で? お前、俺らになんの用だ?」

 ようやっと本題に戻ったことで、男の顔に笑顔が戻った。多少引きつっていたが。

「自供っすか?」

 再び話を斜め上に持っていこうとするマーシャを蹴り転がす。男の腰にしがみ付いていたマーシャがころんと転がった。

 良し、とひとりうなずき男に話を促す。男の顔の引きつりが強くなっていたような気がするがきっと気のせいだ。


「あの、おふたりは外からいらした方々ですよね?」

「いらしたってなんすか?」

「後で説明してやるからバカ犬は黙ってろ」

「わんわん」

 拗ねた。この場合放っておいても害はない。

「えと、こ、これをおふたりにお渡ししたくて」

 おずおずと差し出してくる何かを引ったくるようにして受け取る。

 ビラだった。

 ただしどこかのバカ犬が手書きで書いたものとは違い、凝ったデザインの広告だ。目に付くのは『狂王子』というタイトルだ。

 目立つ題字の下に複数の名前がずらずらと並んでいる。

「……演劇か?」

「はい」

 手元を覗き込んでくるマーシャにビラを押し付ける。拗ねていたマーシャの機嫌はそれだけで治ったらしい。

「この先の劇場で公演していますのでぜひいらしてください」

 人好きの良さそうな笑みを浮かべて、男。醸し出される奇妙さは、男が演技に携わる人種だったからだろうか。


 どうしたものかと頭をかく。

 平民のハインに観劇の経験はない。同じく平民でじっとしているのが苦手なマーシャも経験はないだろう。

 正直に言ってしまえば、まったくこれっぽっちも興味が湧かない。ニャンコが主役ならば何がなんでも観にいくだろうが、端役にすら出ないのならば観る意味がない。

 伺うようにマーシャに視線を落とす。既に興味をなくして紙飛行機を折っていた。

 結論は出た。

「悪いな。興味全っ然ねぇわ」

 バカ正直に言ったら苦笑された。

「一度見学だけでもいいので見にいらしてください」

「マーシャ、犯人のお兄さんが事件起こしたら行くっすよ」

「俺は主役がニャンコになったら見に行ってやる」

 無味無臭の笑顔を貼り付けただけで、男はツッコミを入れなかった。

 なんだろうか、この短時間で悟りきりました、と言わんばかりの味気ない笑顔は。

 無性に腹が立ったので左の頬をつねる。引っ張る。引っ張る。引っ張る。真似してマーシャも反対の頬で同じことをし始めた。こねくりこねくりこねくり。犯人っぽい男のくせに割ともちもちした頬だ。

「お兄さん」

「あん?」

「マーシャお腹すいたっすよ」

「勝手に食えよ」

「おーかーねー!」

「あ? カツアゲかこら。小遣いがあるだろうが」

「お父さまのために貯金してるっすから、お兄さんはマーシャのためにお金を出すっすよ」

「っざけんな。なんで俺がバカ犬のために金を使わなならんのだ」

「マーシャかわいいっすよね?」

「姐さんの足元にも及ばん。出直してこい」

「ひどいっす!」

「うっせぇ!」

「あお、よほへやっへくははい」

 唸り合うふたりに水を差したのは、言い争いながらも両頬を弄ばれていた男だった。

 男を挟んで言い争いを始めたのが気に入らなかったのか、完全に笑顔を消して――頬を引っ張られていたら笑顔なんて作れないと思うが――いた。


 ぱっと手を離す。ほぼ同時にマーシャも。

「犯人のお兄さんまだいたんすね」

「もう行っていいぞ。散れ。散れ」

 割と最低な言葉を投げるふたりに、男は最後まで笑顔を向けてくれた。完全に無表情に近い笑顔という器用な表情だったが、ジャンル分けすれば笑顔なのだから気分を害したわけではないはずだ。

 マーシャと揃って手を振って、ハインは立ち去る男を見送った。


「お兄さん、マーシャ大変なことに気づいたっす」

 男の姿が完全に見えなくなったころ、ふと思い出したようにマーシャがつぶやいた。

「なんだ?」

 往々にしてこういうときのマーシャの発言は9割がたくだらない内容ではあったが、無視する理由もなかったので話に乗ってやる。ちなみに残りの1割は心底どうでもいいくだらない内容だ。

 もったいつけるようにマーシャが唸り声を上げた。煩悶と考え込む姿勢を見せてはいるものの、特に深いことを考えているわけでないことは見て明らかだ。

 マーシャはしばらくそんなパフォーマンスを見せてから口を開いた。

「……犯人がいたのに事件が起きてないっす」

 神妙な顔をして。

 どう聞いてもくだらなすぎて対応に困るところである。

「気づかなかったのか、マーシャ。あいつはもう事件を起こしてるぞ」

 相手がハインではなく一般人ならば。

 きょとんとしたように見上げてくるマーシャに、にやりとした笑みを向ける。期待に満ちたマーシャの眼差しを浴び、自信たっぷりにハインは続けた。

「教えてやんないけどな」

「えーー!」

 途端に不満そうな声を上げるマーシャ。

 腕に引っ付いてくるマーシャの頭をつかみ、

「ヒントはあれだ」

 先ほどマーシャが紙飛行機に仕立て上げたビラを指さす。

 話に乗っかったはいいものの、特に何も考えていなかったハインの必殺責任転嫁である。さも自分は知っているけど教えない、だけどヒントくらいはやるから自分で解いてみろ、的なあれだ。


 即座に腕を離してマーシャがビラに飛びつく。乱暴に開いたビラは少し破れていた。

 食い入るようにビラに視線を這わせるマーシャに、ハインは満足げに生ぬるい視線を送っておいた。

 これでしばらくはおとなしくしているだろう。そんな思惑を胸に。


 が、そこでふと気付く。

 マーシャのフードの膨らみに。

「あぶなーい!」

「ぎゃ!」

 そしてふたりして同じことを繰り返すのだった。


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