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ニャンコとワンコ  作者: とてとて
第1幕 幽冥ノ詩
16/60

=ΦωΦ= 活動的な幽霊には市民権を与えよう Uo・ェ・oU

「まるで狂王子だ」

「あん?」


 騒ぎを聞きつけて豚領主が駆けつけたときには、ハインとマーシャの諍いは変人の息子娘を巻き込んでカオスな状況に突入していた。

 具体的に言えば、息子にはマーシャがワンコ耳フードを被せ、娘にはハインが姐さんの前に跪かせていた。息子も娘もなんか遠い目をしていたような気がするが、ハインにとってはどうでもいいことだ。重要なのはニャンコに従属するか、ワンコを愛でるか、どちらの勢力に加担するかだ。

 ひとりニコニコと状況を微笑ましく見守っていた変人を、ハインもマーシャも仲間に引き入れようとはしなかった。

 あれはいらない――それがふたりの共通した心境だ。

 そんなカオスな状況に変化を与えたのは、顔を青くして駆けつけた豚領主のその一言だった。


「きょーおーじ?」

 きょとんと目を瞬かせるマーシャは、ワンコ耳を装着させた変人の息子を後ろからホールドしたままだ。息子との髪色が似ているせいか、歳の離れた兄に絡む妹のような構図だ。息子の目が遠くを見ていなければ微笑ましい光景だった。

 そんな一見微笑ましい光景を目にしていながら空気が読めない豚領主は、オウム返しをしたマーシャに神妙な顔でうなずいた。ひとりだけシリアスな空気をまとっているところがなかなか滑稽だ。さすが豚。人間の機微を理解するのことはできまい。

「一部の熱狂的なファンを抱えたとある劇団の代表的な演目のひとつだ」

 内心で酷評するハインに当然気付くはずもなく、豚領主は続ける。

「その演目の一場面に、今の状況と似たようなものがある」

「ホラー兵器に襲撃されながらも、どっからともなく現れた猛獣が骨までしゃぶり尽くすような場面が?」

「なんだそれは」

 ポカンとする豚領主に説明してやる優しさを、当然ハインが持っているはずがない。ハインはひとりだけ納得して嘆息した。

 惨状が似ているというだけで、解決方法は違うのだろう。解決方法まで同じだったらある意味シナリオブレイカーにも程がある。マーシャしか喜ばないではないか。

「てことはホラー兵器も再現通りってことか?」

「地下に現れたあれが襲撃者ならばそうだ」

「んじゃあそんときに言っとけよ豚」

「わ、忘れていたのだ!」

 睨むハインに、豚領主が慌ててブルブルと首を振る。

 初対面のときの偉そうで高圧的で己の優位性を確信していた傲慢さ加減はいったいどこになりを潜めてしまったのだろう。ボンレスハムになったときに人格でも変わったのだろうか。


「でも被害者のお兄さんが劇団さんを始末したんじゃないんすか?」

 既に話題に飽きて遊んでいるとばかり思っていたマーシャが、いきなり核心に踏み込んだ問いを投げる。

 豚領主はまたすごい勢いで首を振った。

「それは悪意ある誤解だ。あれは本当に不幸なただの事故なのだ」

「当事者がいねぇからなんとでも言えるな」

「わしは何も――!」

「それより場所を移動したほうがいいんじゃないかな?」

 絶妙なタイミングで口を挟んできたのは変人だった。わざととしか思えないタイミングだったが、ハインも別に豚領主の臭い息で紡がれる言い訳なんて聞く趣味はない。ちょうどいいとばかりにその提案に乗っかることにした。


 ふと手元を見下ろす。

 跪かせている娘の頭にプニプニと肉球を押し当てて遊んでおられる姐さんがいた。脊椎反射の素早さで娘を蹴り飛ばす。突然の暴力ではあったのだが、娘は何事もなかったかのように立ち上がって変人の傍へと戻っていった。

 面白くない反応に渋面を作る。

 視線を転じれば、マーシャホールドから脱した息子も変人の傍に戻るところだった。

 なんだろう。この不完全燃焼感。

 八つ当たり気味に豚領主を強く睨み付ける。

「なにグズグズしてんだよ。早く部屋用意しろや」

「は、はひぃ!」

 怯える姿が醜い豚らしくて、少しだけ溜飲が下がった。


 慌てた豚の案内で廊下を移動しながら、ホラー兵器に襲撃された部屋を振り返る。

(また狙われた)

 これで三度目だ。

 一度目は偶然、二度目は豚領主狙いのとばっちり――無理にそう思うことで心の平穏を保っていたが、今回の襲撃でさすがにハインも現実を認めた。認めざるを得なかった。

 ホラー兵器の狙いはハインたちだ。ハインだけなのかまではわからないが、二度目の襲撃の際にはハインを狙いすまして来たのだからハインが狙いのひとりであることは恐らく間違いない。

 ニャンコに追いかけ回されるならば至福なのに、ニャンコに似ても似つかないホラー兵器に追いかけ回されても精神が抉れるだけだ。そもそもホラー兵器どもに攻撃しているのはマーシャではないか。ハインはまったく無害な善良なニャンコ奴隷だ。解せない。変人息子に被せていたワンコ耳を大事そうに折りたたんでいるマーシャだけを狙え。

 声に出さない願望は誰にも聞き咎められることはなかった。


「つーかまだかよ豚ぁ!」

「ひぃっ!?」

 いつまでも別室に到着しないことに気が付いて、前を行く豚領主を怒鳴りつける。文字通り飛び上がった――豚のくせに――豚領主が、プルプルと震えながらハインを振り返ってきた。涙目の豚は大変気持ち悪い。

「前に進んでいないね」

「あん?」

 潜めるようにぽつりとこぼす変人。控えていた息子娘が、警戒するように辺りを伺っていた。

 足を止める。

 歩いている一行が立ち止まったハインから離れていく様子がない。まるでその場で足踏みをしているかのようだ。

 そこに至ってようやくハインは状況の異常性に気が付いた。

 襲撃はまだ終わっていなかったのだ。

「この発現者は力が強いようだね。僕らを飲み込めるなんて」

 壁が崩れた。いや、消失した。

 強くも弱くもなかった光源が一際強く輝きを放つ。目を細めるハインの視線の先で、世界が構築されていくのが視えた。

「あ!」

 マーシャが驚愕の声を上げる。

「ここっすよ! マーシャが行った劇場!」

 目の前には無数の椅子が規則正しく並んでいた。階段状に扇を広げるように。

 視線を上のほうに移動させれば、二階部分にも同じく物言わぬ椅子が規則正しく並んでいた。暗くて全体はわからないが、ハインたちが立つ場所を見下ろせる造りだ。


「ゆだねたまえ」


 朗々と、声が響き渡る。

 棒読みのようでありながら、確かな激情を宿した、細く揺れながらも、張りを保った――評価が矛盾しそうな声だった。

「うんめいを」

 重なるように豚領主の悲鳴が響く。うるさい。

 腰でも抜かしたのか、豚領主は板張りの床に――先ほどまでは絨毯の敷かれた床だったはずの床に――崩れ落ちていた。どうでもいいことだが、値段が張るであろう豚領主の服装は、この中では一番舞台映えしている。

「おそれることはない」

 反響する声は発生源の特定を困難にしていた。拡声器もなしにこれだけ響かせているのならば大したものである。

「すべてはあんらくのうちにはたされる」

 特定ができないのならばキョロキョロしても意味はない。ハインは客席を見据えて鼻を鳴らした。

「ざけんな。姐さんの霞よりも柔らかな肉球に包まれて息絶える人生設計をしている俺の、この完っ璧な運命をてめぇなんぞに託すわきゃねぇだろ」

「なぜ?」

「姐さんの存在はすべての存在の最上に位置しておられる!」

 反論も許さぬ断定は、しかし声の主の口上を止めることはできなかった。なぜ。

「ゆだねたまえ。うんめいを」

 声の主は繰り返す。

 パッと照明が消えた。豚領主の悲鳴が光の余韻を残す暗闇の中に反響する。

 何かをするまでもなく、照明はすぐについた。


 目を細める。

 舞台端に、そいつはいた。

「もう騙されないっすよ!」

 赤が映える白地を基調に、シンプルなデザインに身を包んだ男がひとり。それに指を突き付けて吠えるのはマーシャだ。

 顔面を隠す白い仮面は、表情豊かな無表情を形作る。どういった技術があればそんな器用な表情の仮面が作れるのか、場違いながら気になってしまう。

 男――全体的に丸みを帯びていないのでそうだと思う――はマーシャに吠えられたからと言って怯むようではなかった。突き付けられる指を気にせず、逆に手のひらを天井に向けて伸ばしてくる。

「おそれることはない」

「ひぅ」

 マーシャの喉の奥で呼気がつぶれた。

 伸ばしていた手を引っ込め、ハインの背中に隠れる。戦意喪失した小型犬である。

「は、犯人の、お兄、さん?」

 確認の問いにその仮面男が応えることはなかった。

「狂王子だ!」

 代わりに応えたのは豚領主だった。

 何者かわからない相手を視界から外すわけにはいかないので振り返れないが、豚領主が青くなってガタガタ震えている姿は容易に想像できた。美しくない姿を想像してしまったので、即座に姐さんに視線を落として目の保養をすることは忘れない。


 豚領主が狂王子という黒歴史ものの呼称で呼んだ仮面男は、その豚領主にも反応を示さなかった。

「ゆだねたまえ」

 マーシャに差し出していた手をハインに向けて、仮面男は壊れたオルゴールのように同じ言葉を繰り返す。

 見た目のインパクトはホラー兵器に及ばないながらも、不気味さという点においてはこちらに軍杯が上がりそうだ。目の前にいるというのにまるで目の前にいないかのように存在感が希薄で、だけど目の前のそいつから視線を外せない存在感を放つ。相反する矛盾した感想を抱かせる存在が果たして世界にどれだけいるだろうか。そんな存在をハインは知らない。

 表情豊かな無表情を形作る仮面が、その存在の奇妙さを表しているかのようであった。


 そう、まるでおかしなところがないのに奇妙さを感じたあの劇団員のように。


 右手を上げる。手のひらは仮面男に向けて。待てのポーズだ。

「断固拒否」

 あいまいさのない完璧な拒絶の言葉に、差し出されていた手が落ちた。

 再度の暗転。瞬きを二度するまでの間に照明は回復した。

 そこに仮面男はいない。

「千客万来?」

「でもあれ前見えてるっすか?」

 緊迫感のない会話を交わしながらも、ハインは冷や汗が流れてくるのを止められなかった。

 観客席が埋まっていた。ホラー兵器によって。

 ゆらゆらと、それぞれのタイミングでホラー兵器どもが立ち上がる。物言わぬ不気味な観客たちの狙いがなんであるかなど、今さら誰に尋ねなくてもわかった。

 背中をぞわぞわと悪寒が這う。

 何が悲しくてハインは今こんな目に遇っているのだろうか。自問したところで状況は変わらず、他問しても同様だ。

「マーシャがんばれ」

 結論。マーシャに丸投げする。

 最低のおとなと蔑まれてもハインは気にしない。

「いやっす」

 だがマーシャから返ってきたのは心地良い応の返事ではなかった。

 振り返る。

 人の背に隠れている小柄なバカ犬が、ピスピスと鼻をひくつかせてみせた。なんの意味があるかはわからない。

「今日マーシャいっぱいがんばったっすよ。お兄さんは全然がんばってないっす」

 正論だ。確かにハインは豚領主を虐げた以外のことをしていない。

 だからと言ってそれがマーシャががんばらない理由にはならないわけで、つまりはハインががんばる理由にもならないわけだ。というかニャンコのこと以外でがんばりたくない。


「よし、豚領主」

「はひっ!?」

「こいつらを平らげろ。お前ならできる」

「そそそそんな!」

 無責任な爆投げをかますハインに、これでもかというほどに顔を青くさせた豚領主が激しく首を振る。たっぷりと脂肪を溜め込んだ腹がその動きに合わせてぶるぶると震えた。

 その態度にハインの眉が不快気に跳ね上がる。

 ハインは応以外の返事を望んでいない。否は許さない。

 ホラー兵器どもの動向を気にしながらも、ハインは嘆息をこぼして豚領主の胸倉をつかみ上げた。

「よく聞け豚」

「喉渇いたっすよ、お兄さん」

「お前の慾望は発現者を虐待することだ。その対象には発現者が行使する能力にまで波及する」

「ハキューってハクサイとキュウリの略のことっすか?」

「こいつらは全部、どっかの発現者が具現化させた正義の形だ」

「マカロンって響きがカワイイと思うんすよ」

「お前の慾望は俺を上回れないが、こいつらを平らげることはできる」

「クッキーはどうしたら膨らむっすかね?」

「うっせぇよ!」

 いい加減うっとうしくなって怒鳴る。人の背中に隠れているくせに、よくも楽しそうにどうでもいいことに想像力を働かせられるものだ。その間、黙って待っているホラー兵器どももホラー兵器だが。


(……ん? 襲ってこない?)

 結構な時間を浪費したはずなのだがと思い顔を上げる。

 べちゃり、べちゃり、べちゃり――

 まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで倒れていくホラー兵器ども。呼びかけもなく勝手に人を使ってだるまさんがころんだでもしていたのだろうか、このホラー兵器どもは。

 言いたい文句は呑み込み、豚領主を蹴り転がして防波堤にする。

「お前ならできる豚。さあやれ」

 絶望の色を顔面に乗せて、豚領主はそれでもハインの言われたとおりに行動した。

 ハインの体を痺れさせた矢が無数にホラー兵器へと放たれる。まっすぐにしか突っ込んでこないホラー兵器どもは避けることも防ぐこともできずにそれらをまともに喰らった。

 動きは止まらなかったが。


 マーシャの首根っこをつかまえて豚領主から離れる。悲鳴を上げる豚領主の前方に、変人の息子娘が躍り出たのを横目にハインは舞台袖へと駆けこんだ。

 曲がりなりにも“正義”を掲げる連中が、豚とは言え助けを求める人間を見捨てるはずがないというハインの読みは当たったらしい。

 背中に感じる視線は変人のものか。振り返ってやらないが、その顔に浮かぶ表情は微笑なのだろうと予想ができてしまうのが嫌だった。

「どこ行くっすか?」

 派手な戦闘音が聞こえてくる舞台を振り返りながらマーシャ。

「首謀者を引きずり出す」

 舞台裏へと続く通路を歩きながら答えるハインに、なぜかマーシャの目がキラキラと輝いた。

「人探しっすね! わんわん大捜索するっすか?」

 そういうことか。それがしたかったわけだな。

 ハインはうなずいた。

「よし、やれ」

「任せるっす!」

 自信満々に胸を叩くマーシャが、得意そうに鼻を膨らませた。


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