=ΦωΦ= 最近の妄想は無害ではないらしい Uo・ェ・oU
「協力し合えると思うんだ、僕らは」
「思わないっす」
ハインが口を開くよりも先、即座に切って捨てたのは、意外なことにマーシャだった。
あれから場所を地下から地上へと移し、突然の訪問者に完全に縮み上がった――ハインと同族とでも勘違いしたのか――豚領主のケツを文字通り蹴り上げながら、さらにグレードの上がった応接室を用意させた。なんでもいいからチップス以外の食べ物を要求したら、なぜかステーキを用意されたので、マーシャと争いながら食い尽くしてやったのがおよそ十分前。
食後のティータイムを洒落込むハインたちに、ずっと待ちぼうけを食らわされていた変人が口火を切った。
そして会話に燃え広がる前に、マーシャが一言で鎮火させた。
珍しい。基本的に人を嫌いにならない――ニャンコ派は別だ――マーシャにしては。それに思い出してみれば、その変人はワンコ派を擁護した人間ではないか。
思わずまじまじとマーシャの横顔を眺める。あどけなさの残る幼い顔立ちは、いつになくきりりと勇ましい。
悪いものでも食ったのだろうか。もっさりした肉とか。ホラー兵器の喉笛とか。
「おや? 嫌われてしまったかな?」
「お兄さんが変なお兄さんを嫌ってるみたいだからマーシャもお兄さんを見習って変なお兄さんをお兄さんみたいにお兄さん嫌ってみたっす」
「ちょっとバグったな」
お兄さんのゲシュタルト崩壊だ。惜しいところまで行ったが。
しょん、とうなだれたマーシャの頭をフードの下に隠し、改めてハインは対面に座る変人へと体を向けた。
相変わらずの清潔そうな修道服に、センスの良さが伺えるストール。柔和な笑みを形作る顔は年相応――とは言ってもその変人の年齢などハインが知るはずもないが――ではあるものの、人当たりの良さの理想を地でひた走っているようでもあった。ハインと並べてどちらが善人かとアンケートをとれば、十人中九人はそいつを選ぶだろうと思える程度には。
ありていに言えば、そいつはハインの真逆の存在だった。
旅団アーグルトンの団長という肩書もまた、定住地も定職も持たない当てのない放浪を続けるハインとの対比になっている。姐さんさえいればどうでもいいハインは別段羨ましくもなかったが。
それでも湧き上がるこの腹立たしさと苛立ちはなんだろうか。
本能的な嫌悪感とでも言い表せばすっきりするだろうか。
(いけ好かないってやつか)
自己解決したところでハインは顎をしゃくってそいつの話を促した。
乗り気はしないが、話を聞かないことには追い返すこともできない。この帰る気はないぞと言わんばかりの笑顔がそれを物語っていた。
「つい先ごろ、『彼』の尻尾をつかんでね。この街に滞在しているのは確実だ」
促されて嬉々として話しだしたそいつには好きにしゃべらせておき、視線を移動させる。
そいつの両隣を挟む形で座っているふたりオスとメス。共に見た顔だ。ハインが調べていた通り魔事件最初の犯行現場で、帰り道を塞いでいた人物に間違いない。好きにしゃべらせている変人の可愛い息子だか娘だかだったか。ニャンコの爪の先ほども可愛くはないが、変人から見たらこれも可愛いのかもしれない。
一般人ではないことは見ただけでわかる。旅装に身を包んだふたりからは友好的な空気は感じなかった。旅団アーグルトンに所属している以上は、彼らもまた発現者なのだろう。
オスは当然として、メスのほうも体格がいい。能力なしのガチンコ勝負をさせられたら、ハインは余裕で負ける自信があった。
「街で起きている事件との関係性は不明だけど、『彼』が現れた以上は一波乱あると見て間違いない」
「それで協力か?」
オスとメスの観察を続けながら問いを投げる。
変人は浅くうなずいた。
「君たちは『彼』の用意したシナリオを壊すのに最適なんだ。君たちほどシナリオを無視して進行をむちゃくちゃにするのに相応しい人はいない」
「おい、褒めてねぇだろそれ、おい」
それは心外だと目を見開くそいつの動きは、残念ながら芝居がかったオーバーアクションにしか見えなかった。
心外なのはこちらである。
話を脱線させることで一番活躍するのはハインではない。マーシャだ。あらゆる予想の斜め下を独走するバカ犬と同類と見なされるのは納得がいかない。
と口に出して言ったら笑われた。マーシャに。
なぜだ。腑に落ちない。
「お兄さん、ニャンコの話しかまともに聞かないじゃないっすか」
「それの何が悪い?」
心底不思議そうに口を尖らせるハインを見て、変人の横に控えるメスが堪えきれないとばかりに吹き出した。即座にそれが伝染したかのようにオスも。
笑われている理由はわからないながらも、笑われているという事実はハインの機嫌を急降下させるには十分な理由となった。元々機嫌は悪かったが。
「なんだよ」
「いや、やはり見込んだ通りだと思ってね」
苦笑を隠しもせずに、変人。ますますハインの眉間にしわが寄った。
なんだその不名誉極まりない評価は。
「君たちにとっても悪い話ではないはずだろう? 君たちは既に事件に巻き込まれている」
「今から街出りゃ無関係に戻れるけどな」
「できないよ。逃がしはしない、犯人はね」
肩を竦める。
はっきりと断言されなくともそれはわかっていた。事件を解決しない限りは、逃れられない。
隣で寝そべる姐さんを見下ろし、橙色のジュースをチロチロと舐めている――行儀が悪いがそれを注意してやるハインではない――マーシャを見る。いつでもどこでも麗しい姐さんと違って、バカ犬のバカさ加減と言ったら哀れでならない。
憐憫を含んだ視線に気付いたのか、マーシャがきょとんと見返してくる。とりあえず額を指先で弾いておいた。
「んで? 協力っつーのは具体的にどんなことすんだよ」
できれば入りたくなかった本題を切り出せば、変人は嬉しそうににこりと微笑んだ。
「特に何も」
「あ?」
しかし返ってきたのは具体性のない答え。
思わずポカンと呆けてしまったハインに、変人はあくまでもにこやかな笑顔のまま続けた。
「完璧に近い『彼』のシナリオを壊すのに必要なのは、台本のないアドリブだと僕は思うんだ。特に君たちには下手な台本を用意してもまったく意味がない。その台本ごとぶち壊してしまうのだから」
「お兄さん、マーシャなに言われてるかさっぱりわからないっす」
「幸せな脳みそだよな、お前」
「羨ましいっすか?」
「ニャンコ缶が特典で付くならな」
「ワンコ耳なら着けれるっすよ。今すぐ」
「クソが!」
「フンの処理は飼い主のマナー!」
お望み通り早速脱線してやったというのに、変人とその息子娘が浮かべた表情は引きつっていた。
結局思い通りの結果に行き着かなければ満足しないということなのだろう。これでは台本を用意しようがしまいが同じではないか。
と思いつつもそれは黙っておいてやった。
「サイレントさん、これは、ちょっと……御し切れなさすぎではないでしょうか?」
「我々の作戦にまで悪影響を及ぼすことが予想される」
「やはり不確定要素はできるだけ取り除いたほうがいいのでは?」
ボソボソとメスとオスが交互に言い募る。変人は困ったようにそれを宥めた。
どうやらハインとマーシャに協力を求めることは、変人の息子娘は納得がいっていないらしい。その理由が癇に障るものの、ふたりの頑張りをハインは応援したい。いいぞ、もっと言ってやれ。
「僕のかわいい子どもたち、それは悪手なんだよ」
「誰も握手なんか求めてないっすよ? 有名人ごっこっすか?」
余計な横槍を入れるマーシャに突き刺さるのは、オスとメスの白い目線。その眼差しに込められているのは、侮蔑を通り越した生温い感情だ。
それを言ったのがハインだったならば、容赦なく侮蔑の視線を向けられたのだろうが、見るからにバカ犬然としたマーシャが口にすると途端に微笑ましく見えてしまう。これぞ、アホの子ほどかわいい、の典型である。
空気を変えるためにか、メスが咳払いをする。マーシャがまた『喉風邪っすか?』とか余計なことを訊いているが、それは無視された。
「大丈夫だよ、僕の可愛い子どもたち。彼らは既に舞台の上だ。僕らが望む望まないに関わらず、彼らは舞台の上を好きに駆け回る」
「それ、大丈夫なように聞こえませんが」
にこりと微笑む変人に、早々にメスが折れた。がっくりとうなだれる。
恐らくはこれまでもそうだったのだろう。
上の意向に従わざるを得ないのは、組織に所属する者の宿命だ。逃れるためには辞めるしかない。それができないのならば諦めるしかない。
ハインとしてはもう少し粘れよカス、との激励を送りたかった。実行に移さなかったのは、隣で姐さんが顔を上げたからだ。
ピクリと何かに反応したように耳が動いたかと思ったら、それまで静かにお眠りあそばされていたとは思えない俊敏な動きで顔を上げ、何かを探るようにじっと一点を見つめる。視線の先には壁しかない。
ハインは腰を浮かした。
何がなんだかわからないが、姐さんが警戒している。ハインが動く理由はそれだけで十分だった。
シミひとつない乳白色の壁を見据える。
「ほら、聴こえてくるよ。幽冥の詩が」
それが合図となった。
ぽけーんとしていたマーシャの腕を引いてその場から離れる。姐さんはハインが何かをするまでもなくその場から飛び退いていた。
変人の息子娘が同時に立ち上がり、変人を庇うように壁との間に立つ。
一拍。
外側から壁が吹き飛んだ。
「サイレント! 退避を!」
「ダメだね。囲まれている」
廊下に接している側の壁も吹き飛んだ。
「気付いていたなら――!」
メスの批判の声は途中で途絶えた。それどころではない状況にでも陥ったのか。土埃が視界を覆っているため、確認することはできない。
腕を引き寄せて口元を覆う。目を窄めても、土埃に汚された視界をクリアにすることはできなかった。当然だが。
「前が見えないの嫌っすー!」
誰もがそうだろうと思うことを叫ぶマーシャ。
に、応えるようにして視界がざっと晴れた。実にクリーン。ただし、目の前だけ。
(こいつは本能だけで生きてるのか?)
なんの気概もなくあっさりと土着正義の恩恵を受けたマーシャの慾望まっしぐらな思考は、尊敬を超えてもはや恐怖の域にまで達している。さすがのハインも真似はできそうになかった。
とは言え、上々の展開であることは間違いない。できれば部屋すべてをクリアにしてくれとは思ったが、マーシャに望みすぎてもいけない。
晴れた前方の視界に蠢く人影。
「うわ」
思わず呻いてしまったハインを責められる者はいまい。
崩れた廊下側の壁を乗り越えて、複数の人影がゆらりと揺れた。
ホラー兵器の群れが。
「どうしようお兄さん。マーシャあんなに食べれないっす」
「諦めるな。お前ならできる。食い放題だぞ」
二度に渡ってハインの前に現れたホラー兵器ではない。よく似ているが違う。髪が短かったり、服が違ったり、そもそも体型が違ったり。
共通してホラー兵器と同じ動きをしているというだけで。
新種のアトラクションか何かであってほしい。もしくは豚領主の新手の嫌がらせ。
晴れていない視界のほうから、何やら激突音が聞こえてくる。変人の息子娘が戦い始めたのだろうか。こっちのホラー兵器もまとめてぶっ倒してほしい。多くは望まないから。これだけ。今はこれだけ頼む。
べちゃり、べちゃり。
視界の中でホラー兵器の群れが続々と倒れていく。
違う。そういう意味で倒してほしいと願ったのではない。断じて違う。
顔の引きつりを抑える術をハインは持っていなかった。
「マーシャ、行け」
「任せるっす!」
一回り以上も下の小娘を頼りにするダメなおとなの図。反省はしない。
「わんわん大宴会!」
勇ましいマーシャの吠え声を受け、ホラー兵器の周りに次々とワンコが具現化されていく。スリを撃退したときの大小様々なワンコではなく、やけに精悍な顔つきをした体格のいいワンコだ。一種類ではないが、どれも賢そうでおまけに獰猛そうだった。
「今日はご馳走っすよ!」
嬉々としたマーシャの声を聞きながら、そっとハインは目を伏せた。
威嚇の声も警戒の唸り声もなく、無慈悲な狩人が獲物に喰らい付く野生の音が耳に届く。伏せた目の先で繰り広げられているのは、ちょっとそこらの街中では見かけることのできない弱肉強食の世界なのだろう。
マーシャをただのおバカな娘と侮ってはいけない。マーシャというバカ犬は、こう見えてなかなかエグい精神の持ち主なのだ。ワンコ的思考なのだろうが、ごくごく平凡な単なるニャンコ奴隷でしかないハインには理解しがたいものがある。血肉を貪るニャンコを見せつけられたらハインはちょっと引くかもしれない。姐さんならギリギリ。ギリギリ頑張れる。大丈夫姐さん愛してる。
なんとか心の平穏を保つことに成功した。姐さんへの愛がなかったら危うかった。
弱肉強食の饗宴が終わった頃合いを見計らって薄く目を開ける。
「お腹いっぱいになったっすか?」
ニコニコとワンコの頭を撫でるマーシャの姿がまず視界に入った。次に前足に挟んだ何かを咀嚼しているワンコの姿。最後に、手足を引きちぎられた無残なホラー兵器の姿。それが多数。
悲鳴を上げなかったことは褒められるべきことではないだろうか。
なぜ消えていない。能力で具現化された存在ならさっさと消えてくれ。マーシャに喉笛噛みちぎられたときはすぐに消えたではないか。
血は流れていないし、内臓もこんにちはしていないが、その光景がショッキングではないとは言えない。心優しいお子さんに確実にトラウマを与える衝撃度は保持していると思う。心優しくないお子さんでもないハインでもトラウマ必至な光景だったのだから。
目を覆って呻くハインを気遣うように、姐さんが一声かけてくださった。応えられない情けない下僕を許してほしい。
「お兄さん終わったっすよ」
「ウソだ」
軽いマーシャの呼びかけに即座に返す。
信じられるものか。きっと目を開けたらまたあのショッキング映像を見せられるのだ。日頃の恨みを晴らすべく、マーシャが企んでいるに違いない。
疑心暗鬼? 違う。みんなマーシャを誤解している。あいつはたまに恐ろしくエグいんだ。
パタパタとアホの子特有のバカっぽい足音を立てて近づいてきたマーシャが、ハインの腕をつかむ。催促するように無言で揺さぶられた。
「ぐっちょぐちょなんだろ。わかってんだぞ」
それでも抵抗を続ける。騙されるものか。
「おとなをいじめて楽しいか。悪いヤツめ。猛省しろ」
「お兄さんお兄さんお兄さん」
「うるせぇ。何度も呼ぶな」
悪態をつけば、つかまれていた腕を抓られた。痛い、が、無視する。
「ビビリのお兄さん」
「ふざけんな、ビビってねぇよ」
「じゃあ目開けるっす」
「っざけんな。俺はR-18には手を出さないと決めてんだ」
「マーシャ14っす」
だからなんだとは言わない。たぶん意味なんてない。
目の前でマーシャが膨れているのがわかった。
カリカリと腕を掻かれる――無視。
二の腕を軽く甘噛みされる――無視。
腹に頭を押し付けられる――無視。
耳を引っ張られる――無視。
「姐さんの腹を撫でるっすよ」
「っざけんな!」
反射的に目を開ける。ニンマリとしたマーシャと目が合った。
しまった。あまりにもバカすぎる。
ひくっと頬を引きつらせるハインの周りを、実にわざとらしくマーシャがクルクルと回った。遊んでくれる相手にまとわり付くバカ犬そのものの行動である。
「ビビリのお兄さんビビリのお兄さんビビリのお兄さん」
目の前にはもうあの惨状は存在しない。まるで悪い夢だったかのように、ホラー兵器も凶悪なワンコどももいない。
いるのはハインの周りを上機嫌で駆け回るバカ犬マーシャだけだ。
視線を横に移動させれば、未だ晴れやらぬ土埃の向こう側で、何かがチカチカと瞬いているのが見える。変人と息子娘はまだ戦闘中らしい。あちら側のホラー兵器がこちらへ来ないことを祈る。
「ビビリの~? お兄さん~?」
顔を覗き込んできたマーシャの頭を反射的に叩く。ぎゃんと鳴いてマーシャはうずくまった。
バカめ。おとなをからかうからこうなる。
おとなげないとは言わせない。
物言わず見上げてくる姐さんから顔を逸らし、決意を込めてハインは胸中でつぶやいた。
――よし、今のうちに逃げよう。