Uo・ェ・oU 自らの重さはプラスしない
シリアスさんはログアウトしました
「鉄格子はまずいっす!」
「だろうなぁ」
驚愕と共に吐き出したセリフに応えたのは、鉄格子を挟んだ向こう側で見張りをしていた地味なお兄さんだった。
地味を絵に描いたような見事な地味さ加減には好感が持てる。マーシャを捕らえる牢獄の看守でなければ、という但し書きはつくが。
今の今まで噛り付いていた鉄格子をつかむ。ガタガタ揺らす。
少しは期待したのに、鉄格子はびくともしなかった。
「マーシャ、ワンコ小屋はもっと豪華なのがいいっす」
「どちらかと言えばブタ箱なんだがなぁ」
「住環境の改善を要求するっす!」
「無茶言わんでくれ」
看守でありながら、地味なお兄さんの表情は弱り切っていた。備え付けの小さなテーブルに突っ伏している地味なお兄さんからは、かすかにアルコールのにおいがする。
わんわんと鳴いたら、さらに地味なお兄さんの表情が苦々しく歪んだ。
閉じ込められた牢屋は狭くて汚い。掃除が行き届いていないのが、牢の隅に張られたクモの巣の勢力拡大範囲から読み取ることができる。
こんな衛生環境の悪いところで寝起きなんて健康に悪そうだ。
基本的に屋根さえあれば文句を言わないマーシャであったが、そこが人を閉じ込めることに特化した場所なら話が違う。
がるると唸って、マーシャは再び鉄格子に噛り付いた。
鉄さび臭い。
だが負けてなるものか。ワンコの気持ちを理解するためには、苦しくてもやらなくてはならないことがある。
「おいぃ、やめとけって」
弱々しく言ってくる地味なお兄さんが気怠そうに体を起こす。
マーシャもパッと鉄格子から口を離した。
「マーシャは状況の不公平さを訴えるっす!」
「虜囚には相応しい状況じゃあないのかぁ?」
「だったら姐さんもマーシャと同じであるべきっすよ! なんでニャンコだけそっちにいるっすか?!」
不満を爆発させ言い募るマーシャの視線の先、地味なお兄さんが突っ伏していたテーブルの上には黒ニャンコが澄ました顔でおすわりしていた。揺れるランプの明かりを受けて、黒い毛並みが艶やかに映える。
地味なお兄さんはそんなニャンコにいちべつを向け、あろうことかとんでもない暴言を吐いた。
「だってカワイイし」
「マーシャのほうがかわいいっす!!」
鉄格子の間に顔を挟んで牙を剥く。
かわいいという理由で牢から抜けられるなら、マーシャだって抜けられるはずだ。
ニャンコよりも劣っているなどありえない。ワンコのカッコかわいさを目指しているマーシャが、ニャンコに負けるわけにはいかなかった。
「マーシャは将来ボルゾイみたいなカッコかわいいワンコになるんすよ! ニャンコには負けないっす!」
「お嬢ちゃんにボルゾイはムリだと思うなぁ」
くわっと目を見開く。
真正面から否定された。初対面の地味なお兄さんに。
言葉が理解に及ぶと、体は自然と震えてきた。ふるふる、ぶるぶる、がくがく、がたがた。
「うわーん!」
汚い牢屋の中にペタンと座り込んで盛大に泣き声を上げる。
悲しい。悲しい。悲しい。
今までワンコになるためにしてきた努力を全部否定されたような気がした。
「マーシャなるっすもん! ワンコになるっすもん! お父さまのワンコになるっすもん!」
「おいぃ、泣くなよぉ」
ますます弱々しく呻く地味なお兄さん。
今日だけでどれだけ泣いたかわからない目をぐいっと拭って、マーシャは縋るように地味なお兄さんを見上げた。
「マーシャかわいいっすよね?」
「お、おぅ、カワイイカワイイ」
「ニャンコよりかわいいっすよね?」
「カワイイカワイイ」
「マーシャ、ワンコになれるっすよね?」
「なれるなれる」
「だったら出してくれるっすよね?」
「出す出す……――ん?」
鉄格子に張り付いてにんまりと笑う。地味なお兄さんの顔が引きつった。
「マーシャ、自分の発言に責任が持てる人が大好きっす」
「いやいやいや、あれは――」
「ウソつきにはマーシャ噛み付くっすよ? 骨まで砕くっすよ?」
「コワイこと言うなよぉ」
眉をハの字に歪める地味なお兄さんに再度にんまりと笑いかける。
伊達にお兄さんと毎日のように舌戦を繰り広げているわけではないのだ。たとえ内容が子どもレベルだとしても、互いにどう揚げ足を取るかで毎日頭をフル回転させていることは無駄なことではない。言い負かすことに関しては、この地味なお兄さんに負ける気はしなかった。
どうにも弱り切っている地味なお兄さんは、それでもまだ出してくれる雰囲気はない。
むぅっと頬を膨らませる。
が、ぴこんと名案が浮かんで、マーシャはパッと顔を輝かせた。
「マーシャいいこと思いついたっすよ。姐さん、今のうちに地味なお兄さんから鍵を奪ってマーシャのとこに持ってくるっす」
「筒抜けじゃないかぁ」
「空気を読んでほしいっす」
「無茶言うなよぉ」
名案だというのに、地味なお兄さんの無粋な横やりで断念せざるを得なかった。残念なことにニャンコのほうもマーシャの言うことを聞いてくれる気配もなかった。自分だけ牢の外にいるからと余裕ぶった態度が癇に障る。
地団駄を踏みたくなる気持ちをマーシャはグッと我慢した。
「地味なお兄さんのイジワル」
「おいぃ、地味って言うなよぉ」
「地味に傷つくっすか?」
「おいぃ……」
地味なお兄さんが肩を落とす。なぜか落ち込んでしまった地味なお兄さんの肩に手を置いてあげたかったが、虜囚の身ではそれも叶わなかった。
がたがたと鉄格子を揺する。
びくともしない。
やはりここはワンコらしく歯で噛み千切るしかないという結論に達したところで、地味なお兄さんが地味に復活した。
「やっぱりダメだぁ。お嬢ちゃんをみすみす危ない目には遭わせられん」
「ダイジョブっすよ? マーシャ、ワンコみたいに強いっすもん」
胸を張って自信満々に言うマーシャに、しかし地味なお兄さんから返ってきたのは乾いた苦笑いだった。苦笑を乾かすとはなかなか芸達者である。地味だけど。
それにしてもおかしな話だ。
マーシャを閉じ込めてそれを見張る立場の地味なお兄さんが、閉じ込めている対象であるマーシャの心配をするなど。それではまるで、マーシャが脱走した後に危険な目に遭いさえしなければ逃がしてもいいと言っているようではないか。
この地味なお兄さんは、言ったことはちゃんと守るおとななのだろうか。だとしたら好感が持てる。地味だけど。
「そこを抜けたらお嬢ちゃんは別に捕まってる連れを助けに行くんだろう? そんなことしたらとっ捕まって今度はその場で殺さねかねん」
きょとんとした。
やはり地味なお兄さんはマーシャを逃がしてくれるつもりがあるらしい。
それがなぜかは知らないが、ニャンコよりもかわいいマーシャの味方になりたくなる気持ちはわかる。ニャンコだけを牢の外に出している今の状況は気に入らないながらも、地味なお兄さんの立場上はそうするしかなかったのだろう。
などと頭の片隅で考えながら、マーシャが目を瞬いた理由は別にあった。
「なんでマーシャがお兄さんを助けに行くんすか?」
「……へ?」
今度は地味なお兄さんがきょとんとする番だった。
「マーシャとお兄さんは敵同士っすよ。ピンチになってもマーシャが助ける理由なんてないっす」
さも当然のように言うマーシャに、なぜか地味なお兄さんは困惑したようだった。
謎な人だ、地味なお兄さん。
「いやいやいや、だってあれだろ? お嬢ちゃんの連れなんだろ?」
「そうっすよ」
「じゃ、じゃあ助けようと思うよなぁ? 普通は」
「なんでっすか?」
本気でわからずに首を傾げる。地味なお兄さんは天を仰いだ。
いったい何がこんなにも地味なお兄さんを困惑させているのだろう。至って普通のことしか言っていないはずなのに。
「わからんなぁ。なんでだ?」
「なにがっすか?」
「心配じゃぁないのか? お嬢ちゃんの連れはなぶられとるんだぞ?」
ああ、と納得の声が出る。
なるほどそういうことかとようやくマーシャは合点がいった。
「お兄さん、あれでもニャンコ被ってるっすから」
地味なお兄さんの顔に納得の表情は浮かばない。
「姐さんも他のニャンコもいないなら、逆にダイジョブっすよ」
「……どういうこと?」
「ということで出してほしいっす」
「会話のキャッチボール……」
うなだれる地味なお兄さんだったが、今度の催促には普通に従ってくれた。
テーブルの上に放り出されていた鍵――そんなとこにあるんだったら姐さんがさっさと持ってきてくれれば良かったのに――で、鉄格子に備え付けられている錠を外す。あんなにかじりついても揺らしてもどいてくれなかった鉄格子が、それだけであっさりと開いた。
腑に落ちない。
ワンコを目指してるマーシャがどうにもできなかった鉄格子を、鍵たった一本でお手軽に開けてしまった地味なお兄さんはせこい。とてもせこい。
「マーシャに勝ったと思わないことっすよ!」
「はぁ」
威勢よく告げるマーシャとは裏腹に、地味なお兄さんの反応はどこまでも薄味だった。何を言っているのだろうこの娘は、とでも言いたげな眼差しがちょっと腹立たしい。
不満げに頬が膨らむ。
こういうときにお兄さんならたいていおもしろい反応を示してくれるというのに、この地味なお兄さんにはまったく困ったものである。ノリの悪さは一種の罪だと理解していないようなのだから。
非難の感情をこめてスンと鼻を鳴らす。地味なお兄さんから返ってきたのは謝罪ではなく、愛想笑いだけだった。
つまらない。
「よし、マーシャ決めたっすよ」
「嫌な予感しかしないぞぉ、お嬢ちゃん」
「被害者のお兄さんに会いに行くっす」
「おいぃ」
止めようとする地味なお兄さんをかわして出口へと向かう。噛み千切れなかった鉄格子で囲われた牢屋から出たからには、マーシャの行動を制限するものなど何もないのだ。
ひらりと軽やかな動きでニャンコがマーシャのフードの中に移動する。追いすがってこようとする地味なお兄さんは、フードの中から威嚇する姐さんに怯んでマーシャが出口を抜けるのを止めることはできなかった。
牢屋のあった部屋を抜けた先は廊下だった。なんとなく石造りのじめじめした地下通路とかを想像していたのだが、意外にもそこはどうやらあの屋敷の中だったらしい。そういえば鉄格子があったとはいえ、あの部屋も別に石造りでもなんでもなかった。
固定概念に囚われないことはいいことである。
フードから飛び降りたニャンコが鳴く。まるでついて来いとでも言うように。
「お兄さんのところに案内してくれるっすか?」
鳴き声が返事となって返ってくる。
別にお兄さんのところには用はないが、同じところに被害者のお兄さんがいる可能性は確かに高い。被害者のお兄さんのにおいを記憶していない――香水をつけていたことは確かだが――マーシャでは、においから被害者のお兄さんを探し出すことは難しいと思っていたところだ。渡りに船とばかりにマーシャは歩き出した姐さんについて廊下を進み始めた。
「被害者のお兄さん、ニャンコ被ってないお兄さんの地雷踏み抜いてないといいっすね」
不吉な予言を後に残して。