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ニャンコとワンコ  作者: とてとて
第1幕 幽冥ノ詩
10/60

=ΦωΦ= 言いがかりの美学 Uo・ェ・oU

「落ち着いた?」

「あう」


 返事なのか鳴き声なのか、いまいちわかりにくい反応だったが、マーシャをあやしていた雌豚はそれを返事と受け取った。引っ付いて離れないマーシャの背中を撫でる手は無駄に優しい。

 姐さんにまあまあ上質なお食事を献上しながら、ハインはその献身的な雌豚の動きを無言で注視し続けた。


 あの後、どうにかこうにか逃げ切ることに成功したハインではあったが、ついに我慢の限界を迎えたマーシャが泣き出したことによって、再び雌豚のところへ身を寄せることになった。苦渋の決断である。

 鳴く仔ニャンコのあやし方は知っていても、泣く子どものあやし方などハインが知るはずもない。

 途方に暮れるよりはマシということで、雌豚が所属する自警団の借り上げアパートに戻ったのである。雌豚は驚きつつも快く迎え入れてくれた。火が付いたようにマーシャが泣いていたので仕方なくなのかもしれないが。

 お食事を摂る姐さんの横に座り込む。そこでようやく体から緊張が抜けた。

 持ってきていた皿からチップスを取り上げ口に運ぶ。ぱりぱりと口の中で噛み砕かれるチップスは、ほのかに甘い。

「それより何があったのか聞かせてくれる?」

 マーシャが落ち着いたことで雌豚も本題に入る気になったようだ。こちらに向けられる視線を意識しながら、ハインは肩をすくめた。

「変わった散歩をするホラー兵器に出会ってな」

「はあ?」

 怪訝な表情を浮かべる雌豚を見るに、例のホラー兵器はこの街でも一般的ではないらしい。詳しくは説明していないが、ホラーの単語でピンと来ないのならばまず間違いなく見たことがないのだと知れる。あれはホラー以外の形容はしがたい。この街の住人にとってあれがホラーでなければピンと来ないかもしれないが、そんな街は嫌すぎる。

 勢いよく鼻を噛むマーシャを横目に見ながら、ハインはその場に横になって体を丸めた。朝から無駄に疲労が溜まってしまったのでふて寝したい。

 しかしそれを許してくれない最低なメスが一匹。


「もしかして、通り魔に会ったの?」


 疑問形でありながら口調は確信に近い。寝転がったまま目玉だけを雌豚に向ける。

 言われてみればそうかもしれない。あれを得体の知れないホラー兵器と思うよりも、通り魔だと思ったほうが心にかかる負担は小さくて済む。そうか、あいつは通り魔だったのか。

 などと簡単に納得できるものか。

「お前、バカじゃねぇの?」

 口を突いて出た感想は雌豚の顔色を変える効果を発揮した。主に赤色に。

 気色ばむ雌豚に半眼を向けて嘆息する。自警団というのはこの程度の頭の出来で務まるものなのか、他人事ながら心配になる。

「あれが通り魔だったら街中パニックになってんぞ。そのバカ犬がマジ泣きするレベルのガチホラーなんだからよ」

「そ、そんなに?」

「そう言ったろ」

「言ってないわよ」

 素早い否定に眉が跳ね上がる。

 が、言われてみれば確かにホラー兵器としか説明していなかった。あれから察しろというのは、雌豚相手には無茶な話だったかもしれない。

 なんとなく揚げ足を取られた気がしてハインは舌打ちをこぼした。


 煩わしい会話を打ち切るようにして瞼を閉ざす。安いフローリングの冷たさが接触面からじんわりと這い登ってくるのが少しだけ心地良い。近くに姐さんの存在を感じられるのも良かった。

「それよりお姉さん、マーシャが行った劇場はホントにないんすか?」

「ないわね。アナタにビラを渡した人はどんな人だったの?」

「犯人っす」

「なんの?」

「五年前のビラを配ってマーシャを脅かした犯人っす」

 相変わらずヒントらしいヒントの出せないマーシャである。見なくとも雌豚が頭を抱えているのがわかった。

 ふと思う。

 あの劇団員に出会ったことがそもそもケチのつけ始めではないだろうか。あれから面倒事が全力疾走で湧いて出ているような気がしなくもない。やはり犯人か、あいつが。

 ぱかりと瞼を開ける。

「でもこう言ったらなんだけど、劇団ラビリンスの演目を見れなかったのは良かったと思うわよ?」

「ふ? なんでっすか?」

「劇団ラビリンスのシナリオはどれもこれも病んでるのよ。熱狂的なファンは多かったけど、決して万人受けするような内容じゃなかったからね」

 ふたりの会話を聞き流しながら体を起こす。

 完全に寝る体勢を取っていたからだろう、雌豚が意外そうにこちらを見てくるのを意味もなく睨み返す。顔を引きつらせて雌豚は顔を逸らした。


 耳の裏をかく。漏れるあくびは我慢せずに大口を開けて放出した。

 窓の外に見られる太陽はまだ昼前であることを示している。今から不貞寝をしても中途半端な時間に目が冴えることになりそうだ。

「おい」

「なんすか?」

「お前じゃねぇよ」

 低い呼びかけは雌豚へ向けたもの。

 こちらへ顔を向けてきた雌豚は、なぜかビクビクしていた。先ほど特に理由もなく強く睨みつけたからだろうか、面白いことだ。

 だんだん愉快に調教できてきているな、と内心でほくそ笑む。表に出ている表情は不機嫌そうなままだったが。


「ここらの領地を治めてるやつはどこに住んでる?」

 きょとんと雌豚が瞬く。脈絡がなさすぎたのだろうか。ハインとしては当然の流れのつもりだった。

「領主ならこの街に住んでいる、けど……?」

「そりゃ好都合。どこにいる?」

「南の領主館にいると思う」

「よし、乗り込むか」

「なぜそうなる!?」

 声を裏返す雌豚を、後ろからマーシャがホールドする。その顔はなかなかにいい笑顔だった。

 さすがマーシャ。ハインの行動に否はないらしい。むしろノリノリときた。それでこそハインの同行者に相応しい。

「ホラー兵器に襲われたんだ。治安維持ができてねぇ証拠だろ? 文句のひとつでも言わねぇと気が済まねぇよ」

「マーシャおいしいフルーツが食べたいっす」

 欲望に忠実なマーシャはとりあえず無視。まるで今から脅しに行くようなことを言わないでもらいたいものだ。


「そ、そういうのは警備隊に訴えるべきことで領主に直訴することでは――」

「バカかお前は」

 雌豚の口上は一言の下に切り捨てた。聞く価値すらない。

「警備隊より領主を脅したほうが姐さんのお食事が豪華になるだろうが」

「その前に不敬罪でとっ捕まるぞ!」

「へんっ、やれるもんならやってみやがれ。姐さんのためなら俺は悪魔にでもなれるぞ」

「たかが猫のために何をバカなこと――!」


 ぷちん。


 頭の奥のほうで何かが切れる音がした。恐ろしく細く恐ろしく強度の低い糸のような何か。

 一般的にそれをなんと呼ぶのか知らないが、雌豚の発言はそれだけの威力を持っていた。

「お姉さん、ご臨終さま」

「は?」

 そそそ、と絶妙なタイミングで距離をとったマーシャは賢い。危険察知の才があるワンコだ。バカだけど。

 ゆらりと立ち上がり、拳を鳴らす。

 ことここに至ってようやく失言に気付いたのか、雌豚が慌てて立ち上がって両手を上げた。近付くハインを押しとどめるように。

 従ってやるハインではない。

 音を立てて血の気を引かせる雌豚に笑いかける。できるだけ爽やかにしたつもりだったのに、雌豚の顔に浮かんだ表情には絶望しか見当たらなかった。実にいい表情だ。

「ちょ、ま、あ、あ、そ、あ――」

「歯ぁ食いしばれ」

 ハインは固めた拳を振りかぶった。




 ■■■□□ NOWLOADING □□■■■




 口の中に放り込んだチップスは、噛めば噛むほど口内に味が染み渡る。軽すぎない食感はなかなか好みだ。

 隣で無言でチップスを貪っているマーシャもそれは同様らしい。

 透明度の高い氷が浮かんだ飲み物を口内に流し込む。口の中に溜まった塩分がそれで洗い流されていくのを感じて、ハインは満足そうに息を吐いた。

 やはり金を持っているところは出てくるものもそれなりのクオリティを保っている。

 ひとつだけ文句を言うことを許されるのならば、なぜこの街の人間はどいつもこいつもお茶請けにチップスを用意するのか。もっと高級そうなものを用意してもらいたいものである。

「なんかあっさり入れたっすね。マーシャもうちょっと面倒なことになると思ってたっす」

 ハインと同じく飲み物を手に落ち着いたマーシャが、キョロキョロと部屋の中を見回しながら感想を吐く。ハインのものと違って、マーシャに出されたのは柑橘系のジュースだ。お子さま仕様なのだろう。

 グラスの中の氷を行儀悪く噛み砕きながら、ハインも部屋の様子を見る。

 そこは領主館の客間だった。

 昼日中から突然アポもなしに訪れたハインたちへの対応としては破格と言ってもいい。普通なら門前払いだ。

 門前払いされないための手札は持っていたので、ハインからしたら当然の帰着だが、そのあたりの事情を知らないマーシャにしてみれば不思議なことだったのだろう。もっとも、事情を説明したところで理解できないだろうから結局は同じことなわけだが。


 わかりやすく贅を凝らした領主館は、悪趣味とまでは言わないが街の景観と合っているとはお世辞にも言えない。

(自分本位なんだろな)

 透けて見える領主の性格に、口元が苦味に歪んだ。

 割と突発的に来てしまったのだが大丈夫なのだろうか。今さらながら不安になってきた。

 いや、ハインひとり――と姐さん――だけならややこしいことになってもどうにでもなるのだが、マーシャという足手まといがいるとなるとあまり思い切った真似はできない。面倒なことに。

 幸せそうな顔でジュースを飲んでいるマーシャの頬を引っ張る。

「なんすか?」

「八つ当たり」

 くわっとマーシャの口が開いた。覗く犬歯がきらりと光る。

 指を引っ込めると、がちんと口が閉じた。

 なんて凶暴なバカ犬だろうか。ハインはこんなにも彼女の安全に頭を悩ませているというのに。

 むかついたからフードに取り付けられた垂れ耳を両手で片方ずつつかんでやった。

「やーだー」

 パタパタと足を振って抵抗するバカ犬の頭にターゲットを変え、その流れで頭突きをかます。マーシャがぎゃんと鳴いてソファーに沈没した。

 満足。


「なんすか!? マーシャにケンカ売ってるっすか?! マーシャ買うっすよ!」

 意外に早く復活したマーシャが涙目で文句を言ってくるが、ハインは耳の穴をほじりながらそっぽを向いた。

 見なくてもわかる。限界まで頬を膨らませてプルプルと震えるバカ犬の姿が。

「もう! お兄さんなんかキライっすよ! マーシャ怒ったっすからね!」

 言いながら腕をバシバシ叩いてくる。所詮女の力なので大して痛くない。やらせておいても害はないだろう。


 ――と思っていた。


「いってぇ!!」

「ガルルルル」

 あろうことかハインの腕に歯を立てるという暴挙。腕力ならば大したことのないマーシャでも、顎の力はそれなりに強い。

 マーシャの頭をつかんで引き剥がそうとするも、腕に噛み付くマーシャは剥がれない。喉の奥で低く唸ってさらに噛む力を強めるだけだった。

「マーシャてめぇ! は! な! せ!」

「グルルルルル!」

 目がマジだった。

 ――こいつ、真面目に人の腕を噛みちぎる気だ。

 さすがにまずい。

 ハインは引き剥がすのを諦めて、マーシャを引き倒した。ソファーに倒れ込んだときの衝撃で離れないかと期待したが、残念ながらマーシャの執念が勝った。しつこい。

 だがマーシャは気付いていない。この体勢がハインに有利なことに。


 噛まれていないほうの腕をマーシャの脇腹に添える。

「ふぎぅ!?」

 腕を噛むマーシャの喉奥で唸り声ではない声がもれる。

 五本の指を駆使してくすぐる脇腹はさぞやくすぐったかろう。脇腹が弱いマーシャならばそう時間をかけずに決着はつくはずだ。

 だがそんな思惑に反して、マーシャは負けなかった。

 噛む力を強めて、脇腹をくすぐるハインの手を排除しようともがいてくれる。腕にべっとりと付いた涎の量から、くすぐったさに悶えたい気持ちと噛むのをやめてなるものかという気持ちのぶつかり具合が伺える。

 ハインの闘争本能にも火が付いた。

 抵抗で暴れるマーシャの体を足で押さえつけ、さらに弱い部分を強弱付けて攻め立てる。

 傍から見なくても立派な犯行現場である。通報されたら勝てまい。

 もちろんそんなことを考えつくハインではない。


「や、だっ、お、ぃ、さっ」

 先にギブアップをしたのは案の定マーシャだった。

 涙目で身を捩り、引きつけを起こしたかのような声をもらす。

 さすがのハインでも悪いことをしたような気になり、慌てて手を離してマーシャを解放してやった。


「お兄さんのばかー! お兄さんがピンチになってもマーシャ助けてあげないっすからね!」

 本気で泣きわめくマーシャに、罪悪感よりも強く前に出たのは焦燥感だった。このままだとマーシャに弱みをひとつ握られたことになってしまう。

 本日も絶好調で人間としての軸がずれているハインである。

 ぼろぼろと涙をこぼすマーシャを見下ろしながら必死に頭を働かせる。この場をうまく乗り切るための秘策を。力を。姐さんへの愛を。

「マーシャ」

「なんすか!」

 泣きながら犬歯を剥き出しにするマーシャ。ぐるると唸る姿は、小さな体で精いっぱいに威嚇してくる小型犬に似ていた。

「ワンコは腹を撫でられると喜ぶぞ?」

 ビタリとマーシャの動きが止まった。スンスンとした嗚咽も止まり、くるりと一周させるように視線を彷徨わせる。

 音が聞こえてきそうなほど何度も瞬きを繰り返したかと思えば、ズズッと勢いよく鼻をすすってからこてんと頭を横に倒した。

「マーシャ間違えたっすか?」

「そうだな。俺でもわかる基本的なワンコ知識が欠如している」


 くわっとマーシャの目が見開かれる。

「マーシャワンコ失格っすーーー!!」

「ぐふ!」

 顔を覆ってマーシャがわっと泣く。

 偶然なのだろうが、バタバタと忙しなく動く足がハインの腹を蹴り上げた。完全に油断していた無防備な腹を。

 うまいこと機転を利かせてピンチを脱したというのに、とんだ反撃だった。

 思わぬ攻撃に蹲る。食べたばかりのチップスが逆流しそうだった。見るからに高そうなこのソファーにリバースチップスをぶちまけたら、領主もさぞ愉快な反応を示してくれるだろうか。

 苦し紛れに最低な考えに至ったハインを、しかし許さぬ者がいた。

 姐さんである。

 悶えるハインの頭の上で、清らなる天上の歌声と思しき声がかけられる。

 一もなく二もなく音速を超える気持ちで顔を上げたハインの、その顔に。

 バリッと。

 爪が。

 立てられた。


 世界から音がなくなった。

 世界から色がなくなった。

 世界から匂いがなくなった。

 世界から味がなくなった。


 くりんと目玉が眼球の裏側へと回り込む。重力の導くままに、ハインはソファーに倒れこんだ。

「うわぁぁぁあぁあぁぁ!」

 瞼の裏から大洪水。

 幸せニャンコパンチではない、爪で引っかかれる最上級のお仕置き。それをされてハインが冷静でいられるはずがなかった。

 もうダメだ。いや駄目だ。

 生きていけない。姐さんに嫌われて生きることなんてできない。

 この世の終わりだ。人生の終わりだ。

 誰に嫌われても姐さんにだけは。姐さんに嫌われてしまったら。もはや生きている意味がない。


 領主館の客間は阿鼻叫喚の光景に塗り変わった。


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