=ΦωΦ= ミスキャスティング Uo・ェ・oU
「てっめぇ! バカ犬ゴルァ!!」
乱暴に蹴り破ったドアが完全に開く前、声帯を震わせた言葉が怒声となって部屋を埋め尽くす。ベッドの上にだらしなく転がっていた少女が弾かれたように跳ね起きた。
顔にはっきりと『しまった』と書かれている少女の胸ぐらを躊躇うことなくつかみ上げる。ひくりと少女の頬が引きつった。
「おうバカ犬、俺が言いたいことがわかるか? ああ?」
「く、くぅ~ん……」
「ごまかせると思うな!」
なめた反応をする少女を突き飛ばす。少女はぎゃんと鳴いてベッドに突っ伏した。
「これはなんだ? ああ?」
少女の鼻先に紙を突きつける。ずっと握りつぶしていたせいでくしゃくしゃになり、端のほうなんて破けている部分まである。だがその程度でその紙の存在を隠すことはできない。
さっと逸らされた少女の目が、その紙の存在意義を語っていた。
疑う余地もなく、製造元は少女だ。
予告もなくアイアンクローをかけると、再び少女がぎゃんと鳴いた。
「余計なことしくさりやがって!」
「ギブギブっ! お兄さんギブっすー!!」
バタバタ暴れる少女を再び突き飛ばす。今度は鳴かなかった。顔を押さえて悶えているが。
はぁ、と強くため息を吐いて、紙を丸めて少女に投げる。頭に当たって紙くずはベッドの上に転がった。
「なんてことするっすか!」
丸められた紙くずを抱え込んで少女が睨んでくる。大事そうに抱え込んでいるせいで、余計にぐっしゃぐしゃになっていることには気付いていないようだ。
非難の声は耳をほじって聞き流した。
じたじたと少女が手足を動かす。これが少女なりの抗議の仕方らしい。
特殊な性癖を持った変態には堪らない行動かもしれないが、あいにく彼にはなんの感慨も抱かせない。
何を言っても無駄と悟ったのか、少女はベッドの上で一所懸命紙を伸ばし始めた。
「ところでマーシャ」
「なんすか?」
「危ないぞ」
「ふ?」
上げていた踵を思いっきり振り下ろす。顔を上げた少女の横面をかすめて、踵は狙い違わず目標に突き刺さった。即ち、広げられた紙に。
決して上質とは言えないベッドでも、衝撃を受けるとへこむ程度の品質は保っている。沈む布団に巻き込まれた紙の運命は見ずともわかった。
「ぎゃーーー!!」
遅れて少女の悲鳴が響いた。
どかした足の下には紙。無残にも土手っ腹に穴を作った紙。
それに満足して、ようやく彼の溜飲は完全に下がった。
「マ、マーシャのわんわんワンダーランド計画が……」
うなだれる少女に慰めの言葉を送る者はいない。
部屋には彼と少女、そして彼が愛してやまない愛しい彼女しかいなかった。
落ち込む少女を無視して、彼――ハインは部屋を見渡す。怒りから少女に絡んでしまったが、部屋に戻ってきたら一番に彼女に愛を囁きに行かなければならなかった。それはハインの義務だ。
「姐さ~ん、今戻りました~」
先ほどまで少女に対して発していた声音とはまるで違う、完璧とも言える猫なで声がハインの口から発せられる。
部屋の隅で丸くなっていた姐さんがちらりとハインをいちべつし、すぐにふいっと視線を外した。その態度にハインは震えた。いや、身悶えたと表現したほうが相応しいだろう。
「今日も最高のツンありがとうございました!」
ずざざっと勢いをつけて床に這いつくばり、姐さんの前で深く深く頭を垂れる。掃除が行き届いていない床だろうと、姐さんのためなら舐めることも辞さない。
姐さん――美しい毛並みを持つそれはそれは美しい黒ニャンコである。過去に運命的な出会いを果たしてから、ハインが愛して愛して愛してやまないハインの主人である。
ニャンコ奴隷と化しているハインはと言えば、明るい蜂蜜色の短い髪と同じく明るいハニーブラウンの瞳を持つ見た目は爽やかな好青年。身長も低くはなく、かといって高すぎるわけでもない。決して整っているとは言えないながらも、崩れているわけでもない顔の造作。ところが中身はニャンコのことしか頭にない、暴言吐くわ暴力振るうわの残念仕様。しかも好青年然としていながらも、実は29歳と既に三十路に片足を突っ込んでいる年齢だったりする。
その被害者の代表とも言えるのが、現在ベッドに突っ伏してスンスン泣いている少女、マーシャである。自己申告によるとまだ年は14だと言う話だ。本人の快活な性格を表すような茶髪のショートカットだが、今は大きめのボーダー柄のフード付きポンチョを被っているためよく見えない。代わりに見えるのは、フードに取り付けられた垂れ耳らしき物体だ。本人曰く、ワンコ耳らしい。
ニャンコ狂いのハインと違って、マーシャはワンコ狂いだった。姐さんのように共に行動するワンコはいないが――いたらそもそも一緒に行動したりはしないが――マーシャのワンコへの想いはハインに引けを取らないほどである。
今しがた破ってやった紙に書かれた文言を思い出す。
『ワンコのワンコによるワンコのためのわんわんワンダーランド!』
たったそれだけしか書かれていない、目的も何もわからない主張だけのそれだったが、迸るワンコへの愛情だけは確かに感じられた。うっとうしいくらいに。
ニャンコを愛するハインにとってはそんなランドは楽園どころか地獄に等しい。
そんなろくでもないランドなどではなく、ニャンコを愛しニャンコに尽くすニャンダー教こそ世に広まるべき思想である。創始者はハイン。
もっとも、現在ハインたちが滞在している村ではニャンコよりワンコより、圧倒的に牛派の住人が多い。酪農で生活が成り立っている村なのでさもありなん。
ハインがいくらニャンコの愛らしさ、可愛らしさ、素晴らしさ、にプラスして滾るニャンコへの愛をぶちまけても皆逃げるだけなのだ。近付いただけで悲鳴を上げて逃げて行く様は、いくらハインが他人からの評価を気にしない男だとしても、なかなかショッキングな出来事だった。
むしろマーシャのワンコトークのほうが受け入れられていたことが気に食わない。
わんわんワンダーランドのビラを配って村人を味方に引き込もうなど言語道断。不屈の精神で全力で妨害する所存である。
ニャンダー教を受け入れなかった村に不幸あれ。
本日も全力で人としての軸がぶれているハインであった。
「あ、お兄さん」
「あん?」
いそいそと姐さんのためにお食事の準備をしているハインに、無粋な呼びかけがかかる。至福の奴隷時間に水をさされ、不機嫌も露わに表情に乗せて振り返る。
短時間でマーシャは落ち込みから脱したらしい。破れた紙で器用に飛行機を折って飛ばしていた。
目の前でビリビリにしてやれば良かった。などと不穏なことを考えるハインに気づくこともなく、マーシャは首を傾げてみせた。
「いつまでここにいるっすか? マーシャそろそろここにも飽きたっすよ」
「あー……そうだな。この村のヤツらはクソだから明日にでも発つか」
言われてみればそうだ。この村には無駄に長く滞在してしまっている。
しかもニャンダー教の布教は失敗に終わった。ハインが今後この村でやるべきことは、ありったけの呪詛を垂れ流して村を去ることのみである。
うん、とひとりうなずき今後の方針を決定する。行き当たりばったり感はあるものの、不幸なことにそれを指摘できる者はこの場にいなかった。
「次はどこ行くっすか?」
「西か南だな」
大変ざっくりした答えに疑問も抱かず不満も持たず、ただマーシャは納得したようにうなずいた。基本的にマーシャは深く物を考えない。
そしてさらに不幸なことに、それはまたハインにも当てはまる。
「最近寒いから南にでも行くか」
「マーシャ果物食べたいっす」
「勝手に食え」
「わーい」
こうしてハインとマーシャの迷走は誰にも止められることなく続けられていくのである。
――あいつに出会うまでは。
本日のワンコの主張
わんわんワンダーランド住人募集!
幸せなワンコ生を共に送りませんか?
今なら先着三名さまにワンコ耳付きフード(垂れ耳仕様)プレゼント!