圧倒的強敵
次に俺が目を覚ました時、見えたのは泊まっている宿屋の天井だった。
「……ペインはっ!?」
寝起きでぼーっとする頭ながらに思い出し、上体を起こす。
「起きて早々他人の心配か」
俺の寝ていたベッドの横には、アリエス教師が腕組みをしながら立っていた。
「……まぁいい。あいつなら無事だ。なんとかフェイナの回復が間に合ってな。なんなら先に目を覚まして事情の大半を聞いたところだ」
「そっか……。いや、ってかあいつ元気なのかよ」
「空元気だろうがな。……あいつの友人なのだろう、あの二体の巨人は」
「っ……!」
そうだ、ペインの友人は魔神によって巨人へと変えられてしまっている。
「アリエス教師でも、戻せないのか?」
「試してはみたが、ダメだな。私があいつらの時間を戻してもなぜか身体が戻らない。まるで、元からあの姿だったみたいにな」
「……あの魔神が言ってたんだよ。新たな人類として定義したから、戻せないって。元の姿なんてモノがないんだって」
「ペインにも聞いた。敵は、私が思っていたよりも強大らしい。生物の定義すら変えてしまうとはな」
「アリエス教師でも、そう思うのか?」
「ああ。私の予想が正しければ、な。それと、すまなかった」
話している中で、アリエス教師は俺に対して深く頭を下げた。
「え?」
「今回のことは、私の油断が招いた結果だ。お前とペインがいなければ、他の生徒達の命はなかったかもしれない。私が不甲斐ないばかりに、お前達には苦労をかけてしまった。本当にすまない」
いつも不遜で態度のでかいアリエス教師が、真摯に頭を下げている。実際に見ていても信じられない光景だ。それほどまでに悔やんでいるのだろう。
正直なところ、俺は勝てたとは思っていない。あくまで相手の撤退を拾っただけだ。もし相手が最初から本気だったなら。俺とペインどころか全員殺されていただろう。だから俺達は、相手の油断につけ込んだだけに過ぎない。
だから、「ここは謝罪じゃなくて感謝でいいんじゃないか」なんてことは口が裂けても言えなかった。
「顔を上げてください。ここは『よくやった。流石は私の生徒だ』でいいんじゃないですか」
俺の言葉に、アリエス教師が勢いよく顔を上げる。その瞳には、涙が溢れていた。はっとして袖で涙を拭うが、誤魔化し切れていない。
「お、お前……っ。卑怯だぞ、こんな時にだけ敬語を使って……っ」
「使えないんじゃなくて、使わないだけだから。相手と場合を選ぶんだよ」
「だから卑怯だと言っている……!!」
アリエス教師はおそらく俺達に責められると思って謝っている。それに対して俺は敬語で彼女のことを認めた。多分アリエス教師のことだから、俺が敬語を使うのは本当に尊敬できる人のみだとわかっているのだろう。……ってなると、確かにちょっと卑怯かもな。
俺は苦笑しながらアリエス教師が落ち着くのを待った。
「……余計な手間を取らせた」
「気にしてないからいいって」
「私は気にする」
目元が赤くなって、照れもあってか頬を赤くして拗ねたようにそっぽを向いている。なんだか等身大の少女のようだ。これでも俺の両親と同い年なんだけどな。
「えっと……あ、そうだ。そういや、なんで俺のところにいたんだ? 他にも重傷者はいるんだろ? ペインが目を覚ましたんなら、俺から改めて話を聞く必要はねぇだろうし」
なんだか気まずくなって、俺は自分から話題を変える。
「そうだったな。とりあえず二人で話をしたかったことは理由の一つだが。お前にやって欲しいことがある」
アリエス教師は表情を引き締め、真剣な顔をする。
「の前に、いくつか確認したいことがあるんだが」
「なんだよ……」
本題に入る流れじゃなかったのか。
「ペインがレーヴァテインを使ったと聞いたが、本当か?」
「ああ。魔神の力を注ぎ込まれて、それが形になったとかなんとか」
「そうか。ならペインの元から魔剣・レーヴァテインが消えたことは、気に留めておく必要がありそうだな」
「は!?」
さらっと驚きの情報が出てきて、愕然とする。
「元々レーヴァテインを使っていたのは、アイリアの父親であるカイウスだ。あいつもかなりの実力者だが、魔剣がペインを選んだとするなら大きな戦力としては数えられない。そして、誰かに盗まれたのなら取り返さなければならなくなった」
「嘘だろ……」
魔剣・レーヴァテインが消えた。確かに持ち去るには充分すぎる武器だ。希少価値も高く、この世に一本しかない。しかもアイリアの親父が使っていたとなると、近年でも価値が上がっているだろう。
「ん? 待てよ? 取り返すのには変わりないけど、アイリアの親父のヤツじゃないんじゃないか?」
「なんだと?」
「いやだって、魔剣とかは魔神の力で創られたモノもあるって言ってたからさ。ペインが使ってた魔剣も、ペインが持ってた魔神の力で創られたモノって可能性が高い。別物なんじゃないかと思うんだが」
「……なるほどな。成績不振の落ちこぼれだったにしては上出来だ。とりあえず、既にこの街にはないことは確認済みだ。突然消えたとしか思えんが、私が把握できていないヤツもいたことだし、なんらかの方法を使ったのだろう」
アリエス教師が把握できてないんじゃ、包帯野郎の仕業って可能性もあるな。あいつは俺ぐらいしか察知できるヤツがいないことだし。
「「フィナのことだが/フィナはどうしてる?」」
アリエス教師が口を開くのと、俺が尋ねるのが重なった。
「ん、フィナがどうかしたのか?」
「いや、お前から話せ。この流れであいつの名前が出てくる理由はなんだ?」
「アリエス教師にバレないでレーヴァテイン持ち出せるのって、俺が認識できてたヤツだけだろ? 俺が魔神と戦う前、フィナにそいつ任せてたから……」
「そうか。……心して聞け、ルクス」
アリエス教師の神妙な顔に、妙な胸騒ぎがする。
「フィナの心が折れた。私も、アイリアもダメだった。お前しか、あいつの支えになることはできない」
「なに……?」
「私がお前に頼みたいことはフィナのことだ。あいつは今、恐怖に怯えている。誰の声も耳に入らないような状態だ。なにがあったのかは知らないが、瀕死の重体から目覚めた時からな」
「っ……!!」
あのフィナが、瀕死に? あり得ない話だ。フィナは多分、アリエス教師達にだってただでやられないくらいの強さは持っている。フィナの全力は見たことがないが、カエデと戦っていた時のことを考えると俺達の中でも飛び抜けていると思っていい。そのフィナが、瀕死になって恐怖に支配されるほどの相手なんて、考えられない。
例えば相手が本気のラハルさんだったとしても、そこまでにはならないんじゃないかと思う。
だが俺には、一つだけ心当たりがあった。
「フィナは私の部屋に移動させている。今から部屋の前に送るから、頼めるか?」
「……ああ、もちろんだ」
フィナはずっと俺を守ろうとしてくれていた。しかも今回フィナにあいつのことを任せたのは、俺だ。アリエス教師から包帯野郎の話が出てこなかったということは、おそらくあいつを取り返すために現れた何者かがフィナに攻撃したと考えられる。つまり、責任の一端は俺にある。
頷いた途端、浮遊感があって俺はベッドの上から扉の前に移動していた。上体を起こしていただけだったので、床に座り込んでいるような状態だが。
「……」
気でフィナが中にいることを確認して、俺は立ち上がる。
深呼吸をしてから扉をノックした。がたんと大きな音が聞こえてきた。なにかモノを倒したらしい。……そんなにフィナが動揺するだなんてな。
「入るぞ、フィナ」
俺は返事を待たずに扉を開ける。中は真っ暗だった。そんな部屋の隅で、布団を被り丸くなって震えていたのが、フィナだ。
「……フィナ」
俺が扉を閉めて近づこうとすると、身体を跳ねさせて怯える。
それでも近づいて手を伸ばすと、
「来ないでっ!!」
強い拒絶の言葉が返ってきた。
フィナはぎゅーっと目を瞑って布団を被り、耳を塞いでいる。怖いモノを遠ざけている子供のようだった。
あのいつもぼーっとしたような顔をしているフィナが、ここまで明確に怯えるなんて。余程の相手に出会ってしまったのだろう。
アリエス教師は俺じゃなきゃダメだと言ってくれたが、実のところ自信はない。できれば話すところまで持っていきたいが。
俺は立ち止まり、手を伸ばすのをやめて屈み込む。強引に行っていいなら一気に近づくが、あまり刺激したくはない。なにより俺が怯えられているみたいで心にダメージを負う、という情けない理由もあった。
「フィナ」
できるだけ優しい声を意識して名前を呼ぶ。ぎゅっと縮こまっているが、聞こえてはいるはずだ。
「来て欲しくないなら、行かないから。でも一人だと怖いままだからな、俺はここにいるよ」
腰を下ろして床に座り込む。多分、今のフィナには時間と拠り所が必要だ。俺がなれなくても、フィナが落ち着いてゆっくり眠れるようになればそれでいい。
「……」
フィナの意識がこちらを向いた。まだ縮こまっているが、拒絶から変わったのはいい進歩だ。
「フィナが落ち着くまでここで待ってるから、気が変わったらおいで」
らしくない物言いだが、弱っているヤツに対して強気に出るつもりになれなかった。以前までの俺なら気にせず強引にいっていただろうか。まぁ、今の俺が思う正解を選ぶしかない。
そうして俺は、フィナから近づいてきてくれるまで待つことを選んだ。外からの接触を拒むような状態から脱するには、自分から接触するように誘導してやった方がいい、と今の俺は思っている。なにが最適かなんてわからないが。
そうして待っている内に、睡魔が襲ってくる。ただじっとしているのも大変なモノで、死闘後の疲労がまだ残っているのかもしれない。なんにせよ、数時間座っていた俺は、うとうとし始めてしまった。緊張感に欠けてしまって申し訳ない気持ちもあるが、がちがちになっているよりかはフィナも動きやすいと思う。ということにしておこう。
胡坐を掻いて座ったままがっくりと首の力を抜く形で薄っすらとした眠りに着いていた。意識があるのかないのかわからない曖昧な浅い眠りの中にいると、不意に人の気配を近くに感じる。甘い香りと首後ろに回された冷たい手、胸元に押しつけられる柔らかな膨らみと脚の上に乗っかってくる重さに思わず目を開けて頭を動かしてしまう。
「……っ」
フィナとばっちり目が合ってしまった。まだ不安さが残っているようで、すぐに手を放して離れようとしてしまう。だがここで離れてしまったら次は訪れにくくなってしまうだろう。それはダメだ。
だから俺はフィナの細い腰に腕を回して離れないように抱き寄せた。
「大丈夫、フィナが落ち着くまで一緒にいるから」
「……ルクス」
恐る恐るではあったが、フィナは逃げずに改めて手を回しぎゅっと抱き着いてくる。まだ微かに震えていたので、できるだけ落ち着けるように右手で頭を撫でた。
「……ルクス」
「ん?」
「……ありがと」
「気にすんなって。フィナはいつも俺を守ろうとしてくれてるからな」
「……ん」
フィナは完全に身体を預けてくる。震えも徐々に収まっているようだ。
しばらくそうしているとフィナが落ち着いてきたので、声をかけてみる。
「フィナがここまで怯えるなんて、なにがあったんだ?」
「……手も足も出なかった」
「フィナが?」
「……ん。強さとかそういうのじゃなくて、もっと深いところで敵わなかった」
「相手はどんなヤツだった?」
「……黒い服とか着てた。仮面を着けてたから、顔はわかんない」
俺の記憶にあるヤツと特徴が一致している。あの時の俺は黒気が限界だったとはいえ、黒気と内功の併用を使えるようになってからも、親父と戦った後も、今の俺では敵わないと見ていた。ただ遠く離れた距離での感覚だ。もしあいつに遭遇してしまったのだとしたら。フィナの怯え様にも説明がつく。
「やっぱりか」
「……? ルクス、知ってるの?」
「いや、知ってるってほどじゃないが。ライディールに魔物の大群が攻めてきた時があっただろ? あの時、遠く離れた森の奥深くに同じような見た目をしたヤツがいるのを見かけてたんだよ」
「……秘密にしてた」
フィナは少しだけむすっとした顔をする。
「いやまぁ、俺も半信半疑だったし」
「……ルクスは、大丈夫だった?」
「間違いなく格上、俺が出会ってきた中でも一番強いとは思った。けど、遠かったからな。冷や汗が止まらなかったくらいか」
「……そう。ルクスは強い」
「そんなことないだろ」
「……ルクスは、心が強い。でも私はダメだった。攻撃しようとしたけど魔力が自分のモノじゃないみたいになって、それで……」
フィナが再び震え出す。……いや、あいつ相手に攻撃しようとしたこと自体が凄い。格差が大きすぎて相手にならないと思ったら手を出すことすら諦めてしまいそうなのに。
「……自分の魔力が、自分を攻撃してきた。自分の魔力なのに、相手の魔力になったみたいに」
「相手の魔力を操るのか。厄介な能力だが、それなら大丈夫だな」
「……えっ?」
驚いたように顔を上げたフィナに笑いかける。
「俺には魔力がないから、そいつの能力が効かないだろ?」
これは気休めでもなんでもない、ただの事実。まさかこんな風に前向きな気持ちで「魔力がない」と言う日が来るとは思わなかったが。
フィナは目を丸くした後に微笑んだ。
「……ん。なら、大丈夫」
「ああ、大丈夫だ。だから今日はゆっくり休め」
「……ん」
フィナがこくんと頷く。この調子なら大丈夫かもしれない。上に乗っているフィナを抱えて、ベッドの方へ歩く。寝かせようとしたのだが、しがみついて離れなかった。
「……一緒に寝る」
俺から声をかけようと思ったが、先手を打たれてしまう。
「まぁ普段もそういうとこあるけど、ここアリエス教師の部屋だし」
「……気にしない。わかってくれる」
「いや、見た目はあれでも大人なんだけどあの人」
「……大人だから大丈夫。細かいことは気にしない」
まぁ一緒に寝るわけじゃないし、本人は大人だから子供が寝ていようがあまり気にしないかもしれないが。ほら、倫理的に? ……それこそ今更な気がしてきた。
「……まぁ、いいか。アリエス教師ならわかってくれるだろ」
「……ん」
俺は結局、諦めることにした。フィナのことは俺に一任されているし、これがフィナを落ち着かせるために必要なことと言えば理解はしてくれると思う。俺達を同室にしたのだってあの人だし、文句言う資格ないってことで。
よし、自分への言い訳完了。
俺はフィナを抱える体勢のままベッドに横たわり、布団を被せる。
いつも上に乗ってくるが、今回は横向きにした。フィナにとってはどっちでもいいんだろうけど。
フィナがもぞもぞと動いて寝るのにいい位置を探り、首に回していた手を解いてしがみつくようにしてきた。
「……ルクス」
「ん?」
「……ありがと」
なにかと思えば、そんなことか。
「どういたしまして」
俺は返すと、もう寝るようにと頭を撫でる。
フィナは少しはにかんでから目を閉じた。
フィナが落ち着いて眠れそうなら、俺も寝るとするか。起きて間もないのにすぐに眠れそうだ。目を瞑り、割りとすぐに意識は遠退いてそのまま眠りに着いていった。