十年前に
カイン・ハスオート。コノハの出会った男の名前だった。
ライディール魔導学園を卒業してから、当然のことながら戦争に出ることになった。
なにせ歴代の卒業生の中で最も強いとされたクラスの一員だ。召集されるのは当たり前。
人間が至高であり、亜人と呼ばれる者達は排他すべきという考えの人間主義派。
人間も亜人もなく、魔物という脅威に一丸となって対応すべきという考えの多種族共存派。
コノハからしてみれば実に下らない主義主張のために、世界の人々を巻き込んでの大きな戦争が勃発した。個人的に言わせてもらえば関わらずに傍観して、共倒れするのを待ちたいくらいだったのだが。
「そこまで神経の図太くない弱い連中のためにも、向こうに勝たせるわけにはいかねぇよな」
とクラスメイトの一人が笑って言ったことがきっかけに、確かに人間主義側が勝てば生き辛い世の中になるかと考えて参戦を決めた。
人間よりも亜人の方が優れた点を持っているが故に戦争は有利に進んだ。特にコノハ達現在大戦の英雄と呼ばれる彼らの助力もあってのことではあるが。
結果として戦争は共存派の勝利で幕を閉じ、戦争によってより団結することができた多種族は繁栄を誓い合う。
折角平和になったんだしあたしらの力は必要以上のモノになっちまうな、とはドラゴンの突然変異であるラハルの言葉だったか。確かに敵がいなくなったら強力すぎる力は不要となる。離反や敵対を勘繰って手を打ってくる可能性もなくはない。
ただ、戦後の同級生一大イベントと言えばあれだった。
「あ、俺達結婚するわ」
と軽い調子で告げられた事実に、クラスメイト達の反応は分かれたものだった。
このタイミングで!? という驚きと、ああやっぱりという納得と、後は嫉妬。
二人――ガイスとエリスが付き合っていることは周知だったし、大戦前にも「この戦いが終わったら結婚しような」とは平気で口にしては人目を憚らずイチャイチャとしていたので、納得の割合は多かったと思う。
誰もがそうなるだろうと思っていた二人の結婚に伴い、他の面々はどうするかという話になる。
「あたしは興味ねぇし、育ったとこでのんびり暮らす」
ラハルは色恋に全く興味がなかった。煩雑に見えて繊細なところがあり、ただでさえ最強とされるドラゴンの突然変異として生まれた類い稀な身体能力を刀に乗せて放つ様は見事という他ない。昔の通りお山の大将をやって過ごすようだ。彼女は戦いになると少し楽しそうだったが、同級生同士でもなければまともな戦いにすらならないので敵がいなくなった時点でもう自分は用済みと思ったのかもしれない。
「私は後進の育成でもしてみるか。人並みの幸せなど、この身体になった時点で捨てているからな」
とはアリエスの言葉だ。実は少しガイスに気があるようなこともあったのだが、ガイスがエリス一筋すぎて初恋は一瞬の内に終わったのではないかという噂も少しあったくらいだ。加えて十歳程度の身体から成長しなくなっているので、そういうのとは縁を切ったつもりなのだろう。
「コノハはどうするの?」
エリスにそう尋ねられ、少し逡巡する。とはいえこの先やりたいこともあまりない。元々一族が危機的状況に陥ったために亡命してきた身だ。故郷には帰れないが、かといって積極的に人と関わるようなこともする気はなかった。
「どうしましょうね」
「迷ってるなら人との出会いでも探してみればいいんじゃねぇか? コノハならいい男を見つけられると思うぜ」
迷う素振りを見せるとガイスがそんなことを言ってきた。結婚……正直ピンと来ない。というか普通の相手では寿命が違いすぎてもしそういう相手と出会ったとしても無理に悲しい想いをすることになる。興味もないし、別にいいか。
その時はそんな風に考えていたのだが。
「コノハさん! よろしければ私と一緒に踊りませんか?」
大戦の祝勝会とやらに何度か呼ばれていた時に、窓際でワインを煽っていたら一人の男性に声をかけられた。強さもそこまでのモノではなく、一見普通というか特に特徴がないというか、失礼ながらそんな印象を抱かせる男性だった。
それまでは気後れしてかコノハに話しかけてくる者など大戦中関わりのある者だけだったのだが。
「いえ、遠慮させてもらいます」
だがそもそもやることがないから呼ばれることが多いだけで、催し自体には興味がない。演奏される曲に合わせて踊るなんて真似もしたことがなかったため、考える余地もなく断った。
「いえ、それはダメですよ」
「えっ?」
だが真っ直ぐにこちらを見つめてきた男性は退かなかった。
「折角の宴なんです。折角、あなた方に勝ち取っていただいた勝利の宴なんです。功労者がつまらなさそうにワインを飲むだけじゃ、この宴の意味がありません。さぁいきますよ」
「あ、ちょっと……」
ただ口説きに来たヤツかと思ったが、彼は無理矢理にコノハの手を取って中央に足を運ぶと勝手に踊り始める。そうなるともう宴を白けさせるわけにもいかず踊るしかなくなり、狼狽しながらも周囲の女性がしている動きと男性の動きを覚え踊りながらその場で習得していく。
結果、
「……いや、ホント、凄い、ですね……っ。ぎこちなかった最初のことが、もう嘘みたいですよ……」
それなりに楽しむことができて踊っていたら、男性の方が早くに疲れてしまった。汗を掻き呼吸を乱す様は今まであまり関わってこなかった人種だ。触れれば壊れてしまいそうなほど弱い、ただの人。
「いえ、あれくらいのことは。それよりもすみません、疲れ果てるまで付き合っていただいて」
「い、いえ。自分は楽しかったので構いませんよ。もし良かったらこのまま休憩がてら、話でもしませんか?」
「ええ、まぁ。構いませんけど」
特に誰かに挨拶する予定もなく窓際で大人しくしているだけだと思うので、彼の申し出に頷いた。わかりやすく顔を輝かせているのを見ると少し年上だとは思うのだが、なんだか少し若く見えた。
「……実はその、お会いするのは初めてじゃないんですよ」
「そうなのですか?」
「はい。といっても自分は一兵卒、大勢関わった者の一人ですから記憶にないのも当然です。大戦の時あなたに手当てしていただいたことで命を救ってもらったんですよ」
「そうですか」
そう言われてもピンとは来ない。なにせ大勢の命を救い、大勢の命を奪ってきた身だ。一々人の顔を覚えているわけでもない。
「それでまぁ、なんと言いますか。大戦に大きく貢献してくださった英雄のお一人なのに、祝勝会で蚊帳の外になっている様子が気になってつい声をかけてしまいました」
「それは……そうですか」
声をかけられない理由はわかっている。一つは、まずコノハに楽しむ気がないということ。酒を飲んだところで人と違い酔うことがないため気分が高揚したりもしない。そもそも祝勝会と言われても別に戦争自体にそこまでの熱があったわけではない。そしてもう一つ、ガイスやエリスと違って自分やラハルに対する感情として、畏怖が強いからだろう。なにせ本性は魔物で、敵を圧倒的な力で蹂躙していた。それを自分達に向けられたら、と考えて怖がるのも仕方がないことだろう。自分達は人ではないのだから。
「……それがあなたにはないのですね」
ぼそりと呟く。彼はおそらく、戦場で助けられたことからコノハのことを英雄としてだけで見ているようだ。別にそういう風に見て欲しかったわけではないが、純粋な目を向けられるのは珍しいことだ。
「あ、申し遅れました。自分はカイン・ハスオートと言います。弱小騎士の一人ではありますが、コノハさんを少しでも笑顔にできればと思い、こうして馳せ参じた次第です」
気取って礼をするモノだから、少しくすりとしてしまった。おそらくは、彼の狙い通りに。
「以後お見知りおきを」
「ええ、よろしくお願いしますね」
それから彼の話を聞いて、初めて人の宴を楽しいモノだと感じることができたのだった。
それから特にやりたいこともない状況は変わらなかったが、カインと過ごすのは楽しかったため彼に誘われるがまま街を歩いたり観光地を回ったりした。
その途中であったガイスが、
「憑き物が取れたような顔してんな。いい出会いがあったようでなによりだ」
とカインのことを見てもいないのに言ったのにはどきりとした。
ガイスはなんというか、基本的に鈍感な癖して妙なところで鋭くなる。学園に入ったばかりの時はエリスの気持ちに全く気づいていなかったのだから周りももやもやしたモノだった。
それからしばらくして。
「僕と結婚してください!」
花束を差し出し頭を下げるカインの様子を、少し困ったように眺めていた。
「私は魔物ですよ?」
「知っています」
「人とは違う化け物ですよ?」
「知っています」
「あなたを助けたのだって味方だからであって、人を好んでいるわけではありませんよ?」
「それも、知っています。……僕を治してくれた時、コノハさんは助けたいという気持ちを持っていなかった。ただ怪我をしてたから治しただけ。そういう、目をしていましたから」
「……そう、ですか」
なにもかもお見通しの上での、さっきの言葉のようだ。
「寿命が、とかそういうのは大抵わかってるつもりです。だから、紛れもないコノハさんの気持ちで応えてください」
最初会った時と同じように、真っ直ぐ見つめてくる。大抵の場合コノハを立てておきながら、いざという時は強引になるところがあって、とはいえそれも全てはコノハのためだったりする。先んじて否定材料を潰してきたことからも、「そんなもう知ってること全てひっくるめてのことなんだ」と主張してきているようだ。
コノハはそういうところが、嫌いではなかった。というよりも好き、だった。
「……カインさんはこういう時、凄く強引になりますね」
「譲れないところですからね、当然です」
「そうですか」
旧友にもよく言われるが、表情が柔らかくなったらしい。それは間違いなく今目の前にいる人物のおかげだ。特に人の世に興味がなかったのに、人の営みに触れることでそれを守るべきモノとして見る視点が加わっていた。
そしてなによりも、彼と過ごす日々は楽しいモノだった。
「……カインさん」
「はい」
名前を呼び、そっと花束を持つ手に自分の手を添える。
「喜んで、あなたと一緒になります」
自分にできる最大の笑顔でそう告げた。
「っ、ありがとうございます! 絶対、幸せにしてみせますから!」
「ふふ、でしたら頑張ってくださいね。私の寿命は長いんですから。ちょっとの幸せではすぐに忘れてしまうかもしれませんよ?」
「うっ……それは困りますね。精いっぱい、頑張りますよ」
そう言って笑い合ったのも今となってはいい思い出だ。
「私達、結婚することになりました」
そう同級生達に報告した時の、アリエスの驚きっぷりは凄かった。あんなに動揺している彼女を見たのは久し振りだったかもしれない。どうやら他のクラスメイト達も順々に結婚し始めていて、結婚というか色恋に興味のないラハルを除くと一切男の気配がないのは彼女だけだったようだ。「私も結婚を考えた方が……」とぶつぶつ口にしていたくらいなので相当だ。
コノハの知り合いは凄い人達が多く新郎側の来賓が恐縮していたり。
それから二年後には娘が生まれたり。
娘の名前はカインに決めてもらおうと思っていたのだが、
「それならコノハが決めていいよ。ほら、コノハっていう名前はこっちではあまり聞かないからね。どうせならコノハの故郷に由来した名前がいいかなって思って」
という彼の言葉を聞いて故郷にあった植物の名前から、「カエデ」と名づけることにした。
カエデは生まれながらに強大な力を持っていた。それだけならまだ良かったが、初めての子育てに悪戦苦闘しながら過ごすことになったのが大変だった。
そういえばエリスも同じ頃に子供が生まれたと言っていたが、彼女は大変さを全く感じさせない様子だったと思う。戦闘力という点では勝っているはずだが、それ以外の点では全く及ばないコノハだった。というよりエリスがあのクラスを支配していると言ってもいいほどだったのだが。
とはいえすくすくと育っていく我が子を見るのは嬉しいモノなので苦労と幸せの天秤が傾き切ることはなかった。
カエデは九尾の狐としてだけでなく、気の操作も天才だった。内功の話をしただけで、会得に到達してしまったくらいだ。しかしカエデはそれをコノハに教えることはなかった。カエデ曰く「お母さんはもうつよいからいいの」だそうだ。こっそり昔からコノハに守れていることを気にしていたカインが教わっているらしいことはわかっていたのだが、盗み見るのも無粋かと思ってあまり詳しいことは聞かなかった。内功を会得したことでカインは相当に強くなったのだが、まだまだ二人は及ばない。とはいえ力を手にできたことは純粋に喜ばしく思っているようだ。
そんな幸せの中、カエデが五歳の時だった。今から十年前のことになる。
コノハは人里離れた山奥で三人で暮らしていたが、旧友から援軍の要請を受けた。その時は別件でガイスやエリス、アリエス達も出張るような事態が起きるようだったので、相当危険な状況だったのだとは思うが。
当時家族三人で出かける用事があったため、またもう戦う気がなかったために断りを入れることにした。
そうして三人で出かける時に、ふとカインが忘れ物に気づく。
「あっ。ご、ごめん。ちょっと忘れ物したから取りに戻ってくるよ。二人は先に行ってて」
「それなら一緒に戻りましょう。大した距離でもありませんし」
「いや、いいよ。ちょっと一っ走り行ってくるから!」
「早く来てねー」
カインは自分が取りに戻ると言って聞かず、走り出してしまう。カエデは無邪気に手を振っていた。
「じゃあ先に行こうね」
「うんっ」
しかしすぐに戻ってくるだろうと思い、気にせず娘と手を繋いで歩を進めた。
だが目的地に到着しても、一向に戻ってくる気配がない。途中で追いついても良かったはずなのに、少し待っても来る気配がない。もしかして道に迷ったのだろうかと思うが、そんなことは滅多にない。
「……お父さん、来ないね」
寂しそうな娘の表情が不安を掻き立てる。もしかしてなにがあったのでは? と思うのにそう時間はかからず、すぐ家まで戻ることを決めた。そこで娘の存在をどうするかを考え、
……ここに置いていくより私と一緒にいた方が安全そうですね。
カインになにかあったのなら娘を一人で置いておくわけにもいかない。
「カエデ。お母さんに乗って、しっかり掴まってるのよ」
「う、うん」
人気のない場所でコノハは九尾の狐としての本来の姿、巨大な金毛の狐へと姿を変える。そしてその姿で娘と荷物を乗せると大急ぎで家まで戻っていった。歩いてくるよりもずっと速く近づいて、
「っ――」
そして遠く人の目では捉えられないほどの距離で家を見た瞬間、全身の毛が逆立つように感じた。激情に囚われなかったのは背に娘がいたからに他ならない。
コノハは充分な距離があることを確認して一旦止まり、変化して人型になる。
「お、お母さん……?」
そしてカエデを下ろすと九尾の力で他者を阻む結界を張った。
「お母さんが戻ってくるまでここで大人しくしてるのよ」
そう言って、コノハは全力で家まで駆けていく。背後から娘が呼ぶ声もあっという間に遠ざかり、ようやく辿り着いた。
そこには燃え盛る炎に包まれた家と明らかに絶命したとわかる一つの死体。そして六人の男達。
「結局目的のヤツらは家にはいなかったみてぇだな」
「ああ。なら隠すことなく言ってりゃあ無様に死ぬこともなかったのによ」
「全くだ。なにが『二人には手は出させない!』だよ。弱い癖に粋がってんじゃねぇよ」
「はははっ。言えてるわ」
ごっ、と一人が死体を蹴ると下卑た笑いが起こる。それだけで六人が人格的に非道な人間であることは理解できた。そして倒れ伏した血塗れの死体は、間違いなく彼の――。
そこでその内の一人が突っ立っているコノハの姿に気づく。
「おっ? 標的のご到着だぜ。……ってかマジかよ。聞いてたより上玉じゃねぇか、こりゃ」
「おぉ……目的はこいつと娘だっけか? 殺る前にいっちょヤっとくか?」
「ぎゃははっ! そりゃいい。弱っちい旦那より楽しませてやんよ!」
「とりあえずふん縛って――あえ?」
間抜けにも程があった。
憤怒と憎悪を抱いた獣の前で、悠長に話しているのだから。
嫌な笑みを浮かべていた一人の男の顔面が半分ほど断面が弧を描くように消失したのだ。それだけでなく、身体の部分部分が削れている。
「あ、ぇ……い、うぁ……?」
脳が半分になったためか言語機能が著しく低下した様子で呻き血を流し、それでも尚死んでいない様子が一層の恐怖を演出する。
「あ、あ、あ、あああああがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遅れて削れた男が全身の激痛を感じ絶叫を上げ泡を吹いて白目を剥き崩れ落ちた。その異様な死に様に、昂ぶっていた男達の心が一斉に冷めてマイナスまで下がる。
「ひ、ひぃっ!」
「な、なにが起こって――」
困惑する男の一人の腕が、唐突に消し飛んで鮮血が舞う。
「あ、ぎゃ、ああああぁぁぁぁぁぁ!!」
それが一瞬の内にほぼ液体になるまで細かく切り刻まれた結果なのだと知る者は彼女以外にいない。腕を微塵切り以上にされる感覚を味わった男は痛みによる発狂死で倒れる。
残り四人も、漏れなく同じ場所へ送られた。すぐに殺したい衝動とできる限り痛めつけたい衝動が綯い交ぜになっていたが、すぐに死んでしまうほど弱かったので甚振る暇もなく終わった。
死体を見ることすら嫌だったために痕跡すら残さず消滅させて、カインの死体へと歩み寄っていく。
もう二度と動くことのない姿を見て膝を突き、力なく項垂れる。
「……お母さん……? お父さんは……?」
そこに、なぜかカエデの声が聞こえてきた。結界は張ってあったはずだが、いつの間にか消されている。おそらくカエデが破ったのだろうとは思うのだが。
「……カ、エデ……」
呆然として、なんとか愛する娘の声だったからこそ反応することができた。
「お父さん……? お父さん!」
コノハの傍に倒れているのが父親だとわかり、カエデが駆け寄ってくる。そして、父の死を目の当たりにして涙し泣き叫ぶ。そんな我が子の姿を見て、少し立ち直った。
この子のためにも、落ち込んでいるだけではいけないと。
そうして二人で悲しみに暮れた後、コノハは知り合いに二度と人間と関わらないことを告げて山奥に引き籠もった。説得しようとはしてくれたが、そんなことはどうでもいいくらいの精神状態だったため無理にとは引き留めなかった。
コノハとカエデ二人での生活は、それからずっと続いている。